Episode.2-11
エルザが俺に聞きたい話が終わり、今度は俺がエルザに聞きたい話を聞くことになった。先程エルザが覚えたという苛立ちを少しだけ理解できた。心の内を読まれているような感覚は、正直気持ちのいいものではない。エルザは俺が聞きたいと思っていた話を順々に説明してくれた。
たとえば魔物とは何なのか、何故そのように呼んでいるのか。エルザ曰く、魔物はある条件下で発生する。魔物が現れる度、エルザは人々に害が及ぶ前に始末していたそうだ。魔物というのは、『魔』の力を宿した『動物』。略して『魔物』と呼んでいるそうだ(『魔』というのが何なのかの説明はなかった)。どの国でもそのような呼び方はされていないということも教えてくれた。国によって定義はまちまちで、(クルーエルアでは凶暴化した動物、)ドラバーンでは化物、などと呼んでいるらしい。共通した呼称がないことから、これらの存在が表に出始めたのが近年だということが分かった。一応、これまで始末していたという話を聞いた時に、どうやってそれに気付いていたのか聞いたが答えてはくれなかった。
もう一つ、世界中に現れる被り物をした者たちについて。これについては、「私は無関係」だとばっさり言い切られた。姿を隠す理由については、「そういう日の下に生きている者だから」と言われた。この件については、個人的な理由(ローズお姉ちゃんの安否)があり聞いてみたいと思っていた。しかし、「無関係」と先に言われてしまったことから、それ以上聞くことが難しくなってしまった。ただ、被り物をした集団については、「動向を注視している」と言っていた。注視している理由などについては、先程の説明同様、答えてはくれなかった。
重要な部分は伏せたままというのは、俺もそうだがエルザもそうだった。互いに心の内を語り合うには会ってまだ短すぎるのかもしれない。俺が、自分が何者かというのを分かっていない以上、話せる範囲が限られるというのもある。ただ、もし俺がエルザの言う
エルザの話を聞きつつ別の考えも巡らせる。また一つ説明が終わると、エルザはそこで溜め息を吐いた。
「坊やが知りたいと思っている話をしているんだからちゃんと聞きなさい。考えることは後からでもできるでしょう。それにここから先、残り三つの話の内一つは、坊やが私を殺したくなる話かもしれないわよ」
「殺したくなる話……?」
何を言いたいのか分からない。集中して話を聞けという暗喩なのだろうか。
「皮肉や嫌味は好きだけど本気で話をする時まではしないわ。だから、私が今言った言葉、しっかりと肝に銘じてここからの話を聞きなさい」
エルザの視線に憎悪にも似た感情が混じる。俺が話半分にしか聞いていないように見えたから、というわけではない。これは後々まで分からなかったが、これがエルザの背負う使命であり、逃れられない宿命でもあるようだ。
「一つ目。私がずっと口にしている言葉、『眼』について」
ぞくりと、背筋に悪寒が走った。それほどまでにエルザの表情と声色に畏怖を感じさせるものがあった。この話は聞きたいと思っても説明はしてくれないと思っていた。それをエルザの口から先に話してくれたことに、俺は心の中で少しだけエルザに信を置くようになった。
「『眼』とは、一言で言えば長年蓄積してきた私の力の全てよ。それ以外にももっと多くの力が宿っている。全容は話せないけど、魔に支配されていた時のグレイくらいなら、呼吸をすることと大差ない程度で始末することができるわ」
さらりとエルザは語る。
子供の戯言として聞き流されそうな話だ。凶暴化した動物が相手ともなれば、熟達した兵士や騎士数人がかりでも命を落とすことは少なくない。その凶暴化した動物を相手に、始末するのは呼吸をするのと大差ないとエルザは言った。エルザの言う『眼』とはいったいどれほどの力を持っているのだろう。しかもそれが今俺の中にある? じゃあ今その眼はどうなっているんだ?
「生まれた時からずっと、私は『眼』と共にあった。だからこんな事態想定していなかった。今も手元にないというのは不安でしかないわ」
困惑と哀愁を浮かべた瞳でエルザは月光の射し込む窓を見上げている。
「坊やに『眼』を奪われたことは私にとって誤算だった。本来ならすぐにでも取り戻さなければならない。だけど坊やは光を発した。だから『眼』のことは一度保留にしなければならない。それ程までに坊やが何者なのかは重要なことなの」
エルザは窓の外へと顔を向けたまま視線だけを俺に向ける。
「もしかしたらとは思っていたが、先に聞いてもいいか? 俺がエルザから『眼』を奪ったというのはいつの話なんだ?」
俺の言葉にエルザは目を閉じ口を開く。
「その質問はこれから話す三つ目の話で触れようと思っていたことよ」
そしてその三つ目には、俺がエルザを『殺したくなる話』が含まれている、と。最後に言おうとしている話、それが何なのか分かった気がする。
「その前に二つ目の話をするわ。三つ目の話をしたら暫く口をきかなくなりそうだし。二つ目の話は、正直言って私自身話すつもりはない。それでも聞くというのなら聞けばいいわ。ただし答えないだろうけど」
卑怯な言い回しだな。聞きたいことは相手の口から先に語るというのが最初に取り交わした決め事だったはずなのだが。いや、口にしていることはしているのか? それを俺が聞くかは別として。
エルザが答えないだろうと言っている話。これも分かる。いや、正確に言えば、これが俺にとって一番聞きたい話なのかもしれない。これを聞かなければ俺は誰と約束を交わしたのか分からなくなる。誰に誓いを立て、使者としてクルーエルアの使命に準じているのか、それが分からなくなる。そう、エルザに聞きたい話。俺にとって一番聞きたかったこと。初めて会った時は、「気安く呼ぶな」と言われた。違うと分かっている聞き方だが、真実に迫るのなら正面からぶつかった方がいい。
俺はエルザへと顔を向け、心の中ではっきりとその言葉を形作り口を開いた。
「ティアナなのか?」
俺の質問に、エルザは目を閉じ何も答えなかった。答えないと言われていたため分かってはいたことだが、これに関しては何かしらの答えを得るまで俺も引き下がることはできない。このまま待ち続けてもエルザはきっと答えないだろう。俺は質問の方向性を変え、再びエルザに尋ねた。
「答えられないのか、答えたくないのか、どっちなんだ?」
俺の質問にエルザは目を開け、「両方よ」と答えた。
これはどうしたものか。答えられない、答えたくない。この両方が成立するとなると、いくら考えても時間の無駄にしかならない。仮定として出す結論なら、当然『
◆
「他人に名を名乗るのはいつ以来かしらね。私はエルザ。しっかりと私のこと守ってよね、坊や」
◆
仮に本人なら、わざわざエルザと名乗る理由が分からない。それ以外にも、騎士剣を手にした時に発した光を、俺が放ったものかとエルザは確認してきた。ティアナ姫本人であるなら聞く必要がない。その事実を知っているのだから。
エルザは口を閉じたまま俺を見ている。俺は先に考えていた言葉を撤回し、この問いはきっとすぐには答えは出ないと割り切り、改めて別の質問をすることにした。
「じゃあ、利害が一致すると言った言葉の意味は、ティアナではなく、エルザだから、という認識でいいのか?」
もしエルザがティアナ姫であるならば、俺には利害の一致に心当たりはない。なぜなら、目的そのものが同じである以上、既に利害は一致しているからだ。だけどエルザは『一致している可能性が高い』と言っていた。それはつまり、俺が何者かを想定した上で、ティアナ姫ではないエルザと利害が一致するということだ。
エルザが考えている時間は僅かなものだったが、意外にもそのことについてははっきりと答えてくれた。
「そうよ」
短い言葉だったが確かに肯定の意をエルザは述べた。
今はこれで精一杯だろう。何も解決していなければ何も進んではいない。エルザとティアナ姫は別人ではあるが、全くの無関係でもないことは分かった。
エルザの言葉の
それはティアナ姫への感情を否定し、目の前のエルザのため、エルザの全てを肯定するように錯覚させる黒い感覚だった。黒い感覚は思考をも乱し、いつかどこかで聞いた声が再び響いてきた。
「お前はまた嘘を吐くのか?」
その言葉と共に意識が不確かになる。目の前の景色が遠退いていく。しかしその瞬間、傍にいたグレイが突然起き上がり威嚇を始めた。
グレイのお陰で何とか正気を保つ。だが目の前を見ると、エルザもまた険しい表情で窓の外へ視線を向けていた。
エルザをみて、俺は初めてエルザに会った時のことを思い出した。あの時は隠すことのない確かな殺意が表に出ていた。そして今回もその時と遜色ない、俺にまで畏怖を感じさせる敵意を窓の向こうへと向けていた。
「魔物よ」
エルザの言葉に俺はすぐさま窓の外へと意識を向ける。しかしラミスの村は静かなもので、凶暴化した動物の気配など微塵も感じさせなかった。
再びエルザに視線を戻す。エルザの険しい表情とグレイの威嚇する姿勢を見ているうちに、俺もこの村に迫る脅威に感付いた。
「来る」
エルザの言葉の後、死を連想させる
悪寒が走った。
グレイの時はそこまで危機感を覚えることはなかったが、今回はその比じゃないと瞬時に悟った。防壁を破壊するだけの力を持った何かが迫っている、それだけは確かに分かった。
無意識に腰に提げている布へと手が伸びる。それは、外からは分からぬように普段は隠している騎士剣。今この村に迫る脅威は、騎士剣で以て対処しなければ勝てぬ相手なのだと、俺の中の誰かが告げていた。俺は布から手を放し、小屋の中へ戻りエルザに告げた。
「先に村を出て近くの木陰で待っていてくれ。今なら先程入った場所には誰もいないはずだ」
そうエルザに告げるが、エルザはその場を動こうとしない。それに対し、グレイは今にも窓を割って飛び出しそうなほど爪を立てている。
急いで警鐘の鳴り響く場所へと向かいたい。しかし一人と一匹は、俺が安心して駆け付けられるような雰囲気ではなかった。
「エルザ、頼む。グレイを連れて村の外で待っていてくれ」
俺の言葉に、エルザは立ち上がり俺へと歩み寄る。エルザは手の平を向け、俺の胸へと手を当て口を開いた。
「外から取り出せる力なんて
エルザは真っ直ぐに俺の目を見ている。いつもの殺意や怨嗟を想像させる目ではなく、その目は覚悟や決意といった強い心の意思を感じさせた。
エルザが俺に触れた後、エルザの周囲を黒い霧が包んでいく。グレイが小さく鳴き声をあげるが外へ聞こえるほどではない。エルザの目にいつもの色が宿ったかと思うと、(そのまま俺の胸を押し、)俺を小屋の外へと押し出した。
遠のくエルザとグレイの姿。エルザは横を向き、視線だけを俺に向け言葉を紡いだ。
「人里に入る前からこの可能性は想定してたわよ。本当に起こるとは思ってなかったけどね」
エルザの身体を黒い霧が覆い隠していく。
「安心しなさい。すぐに私たちの姿は消えて、小屋の中はいつも通りにしか見えなくなるから。そこの家畜たちは気付くかもしれないけど、人の目を忍んで外に出るくらいなら造作もないわ。いくら『眼』がないからといっても、それくらいの時間なら持続させられる。グレイが大人しく付いて来てくれればだけど」
「エルザ……」
率直に言って驚いた。エルザは、誰かがここを訪れた場合も想定し、その対策まで考えていた。だが、そもそも最初からこれを使えば、ラミスへ入るのにあんな回りくどいことをする必要もなかったのではと思う。しかしそれをしなかったのは、俺を信じていいのか試していた、といったところか。
「余計な事を考えてないで早く行きなさい。落ち着いて話を出来る場所を用意しろと言ったのは私だけど、ラミスを選んだのは坊や自身よ。ラミスが滅びたら坊やのせいかもしれない。それは理解してる?」
エルザは以前こう言っていた。グレイが同行することによって、グレイより弱い動物の類はグレイを恐れ寄り付かなくなると。だがそれは言い換えれば、グレイより強い動物は当然襲い掛かってくるということ。グレイの影響により弱い動物は去り、その反面強い動物が惹かれてきた可能性がある。エルザが言いたいのはそういうことだ。
俺は握る拳に力を込め、エルザに顔を向け口を開いた。
「後で必ず迎えに行く。だからさっきの場所で待っていてくれ」
俺は警鐘の鳴り響く方角へと駆けだした。
◇〔エルザ視点〕◇
黒い霧に身を隠しグレイの頭を撫でる。グレイはずっと威嚇したまま興奮している。落ち着かせることができるかは分からないが、なるようになるだろう。
自身の掌を見詰める。
『坊や』の胸に触れた時、『眼』の存在を感じ取れた。だけど妙な違和感も覚えた。あれはなんだったのだろう。
「可能だと思っていたけど、こうも上手くいくなんて思わなかったわ。取り返すことはやっぱり無理みたいだけど。それにしても何かしら。さっきから胸の痛みが治まらない。何、この気持ち」
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