Episode.2-9
◇
飼育施設内には馬や牛、鶏などの家畜が過ごしていた。施設はそれなりに広く、とてもしっかりとした作りになっている。
家畜たちはグレイの存在に気付き、起き上がるものもいたが、決して吠えはしなかった。グレイもまた、家畜たちに対し吠えることはなかった。それどころか、家畜たちに目もくれることなく、堂々と俺たちの後ろを付いてきた。
厩舎の傍を通り抜けると隣接する小屋があった。この小屋が恐らくルーノが提供してくれた、(夜なら誰も訪れることがないため)落ち着いて話が出来る場所であろう。意外だったのは、入口の扉が思ったよりも大きくて、問題なくグレイが入れたことだ。
(予想だが、この小屋の役割は(体調を崩したりしたなどの)家畜の世話のためであろう。大人数人で抱えて入れるように扉が広く作られているのだと思う)
中は予想の通り真っ暗で、窓から射し込む月の光だけが小屋内を照らす灯りのようだった。歩く度に乾燥草が舞う。グレイは気にしていないようだが、エルザは顔を
入ってすぐは、いる場所にも困った。乾燥草に直接腰を下ろすとなると、(俺は構わないが)エルザが反対しただろう。しかし偶然にも、誰かがここを使う時に使用していると思われる椅子が、丁度二脚用意されていた。それを拝借し俺たちはそこに腰掛ける。エルザは暫く無言だったが、俺の傍で伏せて眠るグレイを見てから溜め息を吐き、口を開いた。
「臭いさえ除けば悪くない環境だわ。外で誰か盗み聞きしようものなら気配で分かるし。それほど広くないというのも、今の状況では有難いことだわ」
エルザが独り言のように呟く。何を言っているのか理解できないがひとまずこれ以上文句を言われる心配はなさそうだ。漸く腰を落ち着けて話が出来る状況を作れたわけである。恐らく、話題は尽きぬほどにあるだろう。急かすわけではないが、早速聞いていきたい。
「エルザ」
「待って。話を始める前に提案があるの」
俺の動向を読んでいたかのように言葉で制止される。出鼻を挫かれたようで後味が悪いが、俺はエルザの提案を聞くことにした。
「互いに聞きたいことは尽きぬほどにあるでしょう。だから先に、『相手が聞きたいと思うこと』を、自分の口から話すというのはどうかしら?」
エルザが口にした内容は全く理解できなかった。相手が聞きたいと思うことを先に自分から説明する。そしてその後、自分が知りたいことを聞く。非常に回りくどい手法だと思う。それが何を意味するのか俺にはよく分からない。何のためにそんなことをする?
「簡単に説明すると、聞きたいことなんて言い出したらきりがないのよ。だけど『相手が聞きたいと思うこと』を先に自分から説明するというのは、聞きたいことの中に入っていない情報も聞き出すことができるわけ。そのために先に相手の立場に立って話をするの」
自己紹介だと思えばいいのか? しかし実際は自分自身のことを伝えるわけではなく、『相手が知りたいと思う自分自身の情報を伝える』ということになるが。
難しいことを要求してくる。俺とエルザは出会って三日にも満たない。その上互いに口数が多いわけではない。さらに、落ち着いて話が出来るまで重要な話はしないということで会話は殆どなかった。聞きたいことは後で聞けばいいということだが、言い換えればそこで聞かれた時点で、相手が聞きたいと思っていたことを分かっていないということになる。
ただの言葉遊びとしか思えない。しかしこれまでにエルザと交わした会話では、意味の伴わない会話の方が少ないとさえ思えた。
この提案にも何か意味が?
一瞬勘ぐったが、断る理由もなかったため、エルザの提案を呑むことにした。
「坊やにしては殊勝ね。でも深読みしなくてもいいわ。特に大きな意味はないから。先に提案しておきながら悪いけど、私の話は後にしてもらってもいいかしら? 私の話の後だと会話が続かないだろうから」
私の話の後だと会話が続かないだろうから……?
どういう意味だ。会話が続かないということは喧嘩でもするということなのか? 命の駆け引きをした間柄から考えれば、喧嘩で済むなら安いと言えなくもないが。いや、そういう問題でもないが……。
エルザの言葉が非常に気になる。今すぐ聞いてみたいと思うが、そう宣言した以上、確実に話してくれるということであろう。ここは気持ちを切り替えて、エルザが知りたいと思う話を先にしようじゃないか。
エルザを正面から真っ直ぐに見る。
いや、今はそこに囚われている場合じゃない。もし話してくれなかったとしてもそのことは後から聞けばいい。今考えるべきは、『エルザが俺に聞きたいと思っていること』だ。
俺が口にしなくてもエルザは俺に聞きたいことを遠慮なく聞いてくるだろう。この短期間でエルザが俺に聞きたいと思っていることは何があるのか。これはこれで難しい。
「私がすぐにでも聞きたいことは二つだけ。それ以外は追々聞くことにするわ。私が聞きたい二つの話、坊やにそれが何かわかる?」
俺が言葉に詰まっていることに気付き助け船を出してくれたのだろうか。だけどそれならこんな回りくどい方法を取らずに、真っ向から聞けば良いだけの気がする。とはいえ、まがりなりにも提案に乗った以上その筋で考えを進めなければならない。エルザが俺に聞きたいと思っていること。それはきっと。
「俺が何者か、ということか」
エルザは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐにいつもの表情に戻り俺の言葉に耳を傾けた。
「もし俺がエルザの立場ならこう考える。俺には何のことかは分からないが、エルザは俺に『眼』を返せと言っていた。初めて会った時からそれに固執していた。そして最後に俺の命を見逃してやると言った。それはつまり、俺の命と引き換えでなければ『眼』は取り戻せないということ」
エルザは俺の言葉を黙って聞いている。
「俺はエルザの言う『眼』をいつ奪ったのかは分からない。なぜなら身に覚えがないからだ。だけどエルザが狂言を吐いているとは思えない。となると、俺が無自覚にエルザの言う『眼』を奪ったということになる。そしてエルザの言う『眼』が単なる『物』だとは思えない。それはきっと言葉にするのは難しい、概念とか術とかそういった類のものだと思っている」
エルザは瞬き一つすることなく俺を真っ直ぐに見ている。
「もしそういったものを奪うことができる者がいたとしたら、俺だってそいつに対し何者だと聞いてみたいと思う。しかしそれだけでエルザが俺に対し、何者かと聞く理由に至るかと聞かれたら分からないというのが本音だ。可能性としては、この後話す二つの話の内の一つを以て、俺が何者か聞く理由に至ると思っている」
エルザは手で口許を抑え、探るように俺の言葉に耳を傾けている。
「一つはグレイとの戦いで見せた剣技。ただしこちらは可能性だけで考えれば限りなく低いと思う。エルザは剣を使わない以上、こちらではないと思った」
一つ鎌をかける。今言った言葉は、本来なら「一つはグレイとの戦いで見せた『二つの』剣技」と言うつもりだった。しかし、案の定エルザの表情に変化はない。そういった意味では俺の読みは正しかったようだ。
ディクストーラたち他の王国騎士たちと心を一つにし、彼らの剣を何故俺が使えるのか、それは俺自身が一番知りたいと思っている。聞かれれば答えるか悩ましいところだが、そのことを自ら口にするべきではないように思う。知らぬ者からすれば、一人が複数人の剣を使えたとしても、それが誰の剣かなど気付きもしないからだ。余程の達人、そう、学長や騎士長ほどの者であれば気付くのかもしれない。少なくとも剣を使わぬエルザにとって、俺が振るった剣が俺の剣ではないことなど、気付いていないのなら興味も持たないはずだ。
そこで一拍置きエルザの顔を見直す。窓から射し込む月光しか灯りのない小屋内だが、エルザの瞳には核心を求めて俺に続きの言葉を促す確かな光が宿っていた。
「もう一つ。きっとこっちが、俺が何者かということを聞く理由に直結すると思っている。そしてこれこそが、エルザが俺に聞きたいと思っている二つのうちのもう一つの話だ。ただこれは、俺自身も知りたいと思っている。エルザ、きみが知りたいのは、グレイを正気に戻したあの光の剣閃の事だろう?」
その言葉を聞きエルザは目の色を変える。初めて会った時の様な殺気にも似た感情を瞳に浮かべ、
「坊や、勘が鋭すぎるのは長生きできないわよ」
と答えた。
エルザが俺に聞きたいという二つの話、どうやら俺の読みは当たっていたようだ。エルザは最初から俺の旅の理由を知っていた。だからこそ『エルザが俺に聞きたいこと』の中に含まれていないと思った。一国家にかかわる情報を知っている時点で問い質さなければならないことだが、それはティアナ姫と瓜二つのこの顔の理由を聞いてからだ。有り得ない話だが、もし万が一エルザの正体がティアナ姫本人だとしたら、俺はクルーエルアへ謀反を企てたことになる。
俺の言葉の後、射殺すような視線をしてエルザは俺を睨みつけている。その表情はティアナ姫と似ても似つかないが、(その顔は)他人と呼ぶには余りにも似すぎていた。
「最初からそうだけど本当に癇に障る坊やね。示唆しておいて言うのもなんだけど、ここまで的確に私が知りたいことを口にされると、怒りを通り越して殺してやりたいという気持ちが再び込み上げてくるわ」
エルザの指が律動を刻むように不規則に動く。隠すつもりもない殺意を露にしつつ、エルザは俺に真っ向から話を切り出した。
「ご推察の通り、私が聞きたいことの一つは坊やが何者かということ。そもそもあなたは人なの? それとも
「
聞きなれない単語に聞き返してしまう。
「……
忘れてと言われて忘れられそうな内容には思えない。もしかしてエルザは、俺が何者かということに心当たりがあるのか? そんな重要なことを知っているかもしれないのに、忘れてと言われて忘れられるわけがない。
訝しげに見る俺の視線を否定するようにエルザは言葉を続ける。
「考えるだけ無駄だから忘れろって言ってるのよ。名前がないと聞いた時に記憶がないということも聞いていた。だから今のは単なる鎌かけ。あなたが本当に記憶をなくしているのか確かめただけよ」
してやられたわけではないが、俺も先程エルザに鎌をかけたわけだから言い返すことができない。本人は気付いていないだろうが、こういうのは先に気付いた側が罪悪感を覚えるものだ。それはさておき。
「俺が記憶をなくしていることと、俺が何者かということ、そしてその
思い付いた疑問を口にする。一つたりとも接点を見出すことができないこの三つの出来事。エルザは何を以て
「それは私が口にするまでもないわ。先程あなた自身がそれを知りたがっていると言っていたでしょう」
エルザの言葉に迷うことなく一つの出来事が脳裏を過ぎる。
俺自身が知りたいと思っていること。それは数え切れないほどにある。だけど今この場で関係あるものといえば、先程自分で口にし、エルザが聞きたいと思っているもう一つの話、あれ以外結び付かない。
「光の……剣閃?」
俺の呟きにエルザは俺を指差し「ご名答」と答えた。
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