Episode.2-8

 その後は、正道から外れた獣道をひたすらに進んだ。人の足では相当の労力を要する道をグレイは何事もないように進んでいく。


 グレイは本来(馬などと違い)人を乗せる種ではないが、凶暴化した時の名残というべきだろうか、同種と比べても比較的体が大きい。途中エルザがもたれ掛かった際にそのまま歩き出そうとしたものだから、乗っても怒らないのではないか、という話になり乗ってみたところ、そのまま歩き出した。人の言葉を理解しているとは思えないが、行きたい方角を指示すればその通りに走ってくれる。お陰で体力を消耗することなく、それでいてかなりの速度で先に進んでいた。


    ◇


 エルザとグレイが旅に同行してから三日目の夜を迎えようとしていた。エルザの予想の通り、道中俺たちに襲い掛かってくる動物はいなかった。また、凶暴化した動物とも一度も出会わなかった。その甲斐あって予定よりもかなり先に進むことができた。あれからエルザは殆ど口を利かない。他愛ない会話程度ならしてくれるが、真剣な話を口にしようとすると視線で制してくる。


    ◆


「お互いの目的を話しあいましょうとは言ったけど、それは落ち着いて話が出来る場所で、よ」


    ◆


 エルザのいう『落ち着いて話が出来る場所』は、意外にも条件が厳しかった。


 一、周囲が囲まれている場所。

 二、音の漏れない場所。


 そして場所ではないが、『夜であること』が条件だった。


 エルザの言葉を思い出す。


    ◆


「もしかしたら、私たちの利害は一致している可能性が高いから」


    ◆


 あの言葉の意味も意図もまだ分かっていない。だからこそ、今のうちに話をする必要がある。


    ◇


「私たちのことを見捨てて休もうものなら、この村を火の海にしてでも坊やのことを起こしに行ってあげるから」


 魅力の欠片も感じさせない目覚ましの仕方を提案される。騎士校時代の男ばかりの宿舎ならいざ知らず、どうして女にまでこんな猟奇的な起床法を提案されなければならないのか。先日に至っては鞘のままとはいえ剣で殴り掛かられた。気のせいか、最近は騎士校時代より輪をかけて安心して眠ることができなくなった気がする。


「話を聞けたら必ず戻るから、それまで大人しく待っていろよ」


 エルザのことは無視しグレイの頭を撫でる。グレイは頭を差し出し、気持ち良さそうに目を閉じている。その傍らに顔を引きつらせた女がいたが、声は掛けずにその場を後にした。一瞬殺気を感じたが、振り返ったら本気で殺されかねないと思い、気付いていないふりをしてその場を離れた。


 林道を通り正面から村に向かって進んでいく。村の入口は固く閉ざされている。しかし俺が近付くと、高台の上から松明を持った兵士が姿を現した。


「こんな夜も更けこんできたところで来訪者とは。どこから来て何の用でこの村に来た。理由によっては門を開けてやらないこともない」


 丁寧な口調だが、威圧を含んだ声色で問いかけてくる。


 この時間の訪問者だ。見張りの判断一つで村が危険に曝される可能性がある以上、多少の非人道的発言も許容されて然るべきだろう。ましてや訪れた者が必ずしも敵じゃないと言い切ることができないわけだから。


 俺は腰に帯びていた騎士剣を布から取り出し、見張りの方へ向けてそれを翳した。


「クルーエルア王国の紋様が浮かんで見える……。その剣、まさか騎士剣? もしや王国騎士!?」


 聡明な見張りの方のようだ。説明を必要とせず話が進むのはとても有難い。


 見張りの方は驚きの余り、今すぐ門を開けるべきか困っている。その後、見張りの方は慌てながらも俺へと敬礼し口を開いた。


「王国騎士様を手前に高場から見下ろしてしまい申し訳ございません。すぐに常騎を呼んで参ります。しばしお待ちください」


 見張りの方が一礼し去っていく。


 常騎というのは略語だ。『常駐騎士』、略して常騎。近年被り物や仮面を付けた集団だけでなく、凶暴化した動物たちも増えたせいで消えていった村が多い。そういった村を作らぬため、王国からは常に数人体制で騎士や兵士が派兵されている。その甲斐あり、村が滅びたという話はここ最近は耳にしていない。特別な状況を除き、王国騎士一人を派兵すれば済む話かもしれないが、王国騎士に至る者は早々現れるわけじゃない。だからなのかは分からないが、騎士となった者は本土と地方の村を交互に守る役目を与えられる。


 しばらく時間が掛かると思ったが、深く考え込む前に門は開いた。騎士らしき人物が出てくる。中からの灯りで(逆光のため)顔は分からなかったが、その騎士は俺の前に立ち手を差し出した。


「久しぶりっていうほどそんなに時間は経ってないか。騎士校で別れて以来だな」


 逆光にも慣れ、その顔の輪郭がはっきりと浮かぶ。声色からそうだと思ったが、出てきた騎士は俺と同期で騎士になった、俺と同じ民出身の騎士ルーノ=ラドルだった。


「本当にルーノなのか? 驚いた。最初に訪れた村で最初に会った騎士が同期だなんて」


 ルーノの手を取る。思いがけない旧友との再会に、俺もまた少し頬が緩んでしまった。俺の言葉を受けルーノもまた手を強く握り返す。空いているもう一方の手で俺の肩を叩き、笑顔で俺の言葉に返した。


「こっちもびっくりしたよ。こんな夜更けに王国騎士が来たって聞いた時には。しかも見た目凄い実直そうな王国騎士って聞いたから。アルヴァランかお前だと思ってはいたけど、実際にいたのがお前で嬉しかったよ」


 ルーノは、同じ民出身という括りで答えるなら一番仲の良かった友人だ。寮では大体いつも一緒だった。騎士校では席が離れていたり、俺はいつもライオデールと一緒にいたから、ルーノとは寮内で話をする仲だった。


「積もる話もあるが。それよりも、王国騎士のお前が一人でこんなところまで何しに来たんだ?」


 ルーノが俺に尋ねる。その言葉と先程の言葉から、ルーノは知らないんだということが分かった。


 騎士就任の儀で起きた出来事は外部の者には伝わっていない。今のルーノの言葉からそう判断できる。俺を見て王国騎士と判断できるのは、二つの内どちらかの事柄を理解している者だけだ。


 騎士剣を所持している。もしくは、その者が王国騎士の資格を手にした事実を知っている。


 ルーノはその両方を知っている。だから、『実直そうな王国騎士』という単語から、俺かアルヴァを想像したのだ。しかし、あんな寮生活を共に過ごしたというのに、俺のことを実直そうと思っていたのは驚きだ。ルーノの中で候補が二人しかいないということからも、他が一癖も二癖もある奴ばかりだったということだ。


 ルーノの問いに言葉に詰まる。ほんの一瞬だけルーノの後ろに視線を向けると、そこには先程の見張りの方だけでなく、数人の兵士の方がこちらを見ていた。俺が視線を向けたのはほんの僅かな時間に過ぎなかった。しかしルーノは俺の考えを読んだのか、振り返り、兵士の方たちに声を掛けた。


「大事な友人なんです。二人で話をしたいので、また声を掛けますから、それまで門を閉めておいてもらってもいいですか?」


 見張りの方はルーノの言葉を聞き、「普段のルーノの行いに免じ、今は我儘を聞いてやるよ」と答え、笑いながら門を閉じていった。ルーノは、門から離れるように俺を誘導し、近くの樹木にもたれ掛かり口を開いた。


「王国騎士がこんなところまで来ること自体おかしな話だが……。そもそも、会話の途中に目を逸らすなんてお前らしくない。何か言いにくいことでもあるのか?」


 三年ほど同じ時間を過ごしただけあり、俺が考えていたことはあっさりと読まれてしまった。王国騎士として受けた勅命や、エルザやグレイの事をそのまま伝えることはできない。しかし相手が信用できる人物なのが幸いだ。本当のことは話せないが、事実は伏せたままで用件だけを正直に話すしかない。


 俺は周囲に気を払い、誰もいないことを確認し用件を伝えた。


「それなりの広さがあって、外部に声が漏れないような場所があれば教えてほしい?」


 ルーノは俺の言葉を聞き、一瞬考え込んだがすぐに口を開いた。


「お前まさか、一人じゃないのか?」


 ルーノの問いに短く肯定の言葉を返す。俺の言葉を聞きルーノは深く考え込んでしまった。


 暫くしてルーノは顔を上げ、村の外周を指で示し、口を開いた。


「ラミスの村には出口が三つある。さっきのが正門。その反対側にあるのが後門。そして村の東に位置する場所に、昔は利用されていたが今は使われていない、家畜を放牧する際に使用されていた入り口が未だに残っている。連れにそこまで来るように伝えてこい。すぐに」


「悪いことは言わない。連れてこれないようなやつが同行しているのなら、今すぐ立ち去った方がいい」、そう言われることを覚悟していた。しかしそれだけに、ルーノからの申し出は感謝の気持ちよりも申し訳ない気持ちの方が勝っていた。だけど俺が何かを口にする前に、ルーノは俺を急かすように俺の背中を押した。


「名前や記憶がないだけで、それ以外は他人と何も変わらない。それどころか、人一倍努力家で、嘘も冗談も言えなかった。そんな男が、急に現れて隠し事をしているなんて正直に言われた日には、信じるしかないだろ。同じ時間を過ごした大切な友人なんだ」


 ルーノ……。


 一瞬感傷的になる。しかしルーノはすぐさま真剣な顔付きになり、声を落とし口を開いた。


「だけど日が昇る前に連れは絶対に村から出すんだぞ。あくまで提供できるのは落ち着いて話ができる場所だけだ。時間までは保証できない」


 先程ルーノが言っていたが、久しぶりと言うほど時間は経っていないはずなのに、ルーノはとても大きくなったように感じた。村を守護する責務、その責務がルーノを成長させたのだろうか。そんなルーノに、俺は感謝の言葉を述べることしかできなかった。


「それだけで十分だよ。ありがとう」


    ◇


 エルザに話をしたところ、「村で休めるなら水浴びくらいはさせてほしいわ」と文句を言われた。当然その言葉は聞き流した。グレイが同行し周囲に危険がない状況が続いたにも関わらず、「落ち着ける場所で、落ち着いて話が出来るまで話し合いをするつもりはない」と言い切られてしまっている。しかし文句を言いながらも、「東へ行ってるわ」と言い残し、エルザは俺の言った通り村の東入り口へ向かってくれた。


    ◇


 ルーノと再び合流し、正門を開けてもらいラミスの村へと入る。もてなしをすると(村の者に)言われたが、夜も遅いし、明朝には発つ予定だからと伝え、気持ちだけ有難く頂いておいた。ついでにルーノが、「(国の存亡にかかわる)大事な話をするので、今晩は俺の家には誰も近付かないでもらいたい。それと、王国騎士が村に来ているという話は、他の者たちには広めないでもらいたい」とその場にいた人たちに伝えてくれた。


 ルーノに案内された先は家畜を飼育している施設だった。夜はその施設で働いている者はいないということだ。グレイが家畜を襲ったりしないか、もしくは家畜がグレイに畏怖し暴れたりしないか心配だった。しかしそれ以上に、この施設独特の匂いに、エルザから文句が出るだろうなと心の中で溜め息をついた。のちに本当に文句を言われた。


 施設の外周壁沿いのすぐ傍に、ルーノが言っていた通り、見た目分かり辛いが壁にずれがある場所があった。今は使われていないというだけあり、細工を施し外者そとものには気付けないようにしている。ルーノはそこまで案内してくれると、その場で踵を返した。


「すぐそこ(飼育施設の手前)が今の俺の家だ。簡単に言えば、東入り口に異常がないか見張るのが俺の役目みたいなもんだ。半分本当で半分冗談だが。釘は差したが、今晩は誰か来ないか見ててやるからその連れと心行くまで話せよ」


 俺はその場で礼を言う。しかしルーノは、「ありがとうっていうのは、むしろ俺たちがお前に言いたい言葉なんだぜ」と言い残し、手を振り去っていった。


『民出身の希望の騎士』


 騎士校を出る時に民出身の仲間から言われた言葉だ。


 ティアナ姫がテイル家を訪れた時も言っていたが、民から王国騎士となった者は、学長が生まれる前より更に遡らなければ前例がない。そのため王国騎士に任命されるのは貴族以上のみ、という噂が定着していたくらいだ。それを俺たちの代で覆した。だから俺の存在は、これから騎士を目指す民たちにとって大きな希望になる、と言われた。その結果、『民出身の希望の騎士』なんて大層な称号を付けられた。勿論これは、寮内の同じ民出身の仲間の間でしか分からない。照れ臭かったり恥ずかしかったりもしたが、皆の希望になれたことは素直に嬉しかった。


 だけどこれから行うことは、その絆に反する行為なのかもしれない。


 初めて会った時のエルザは、突如命を狙ってきたこともあり、被り物をしていたことから例の集団の一味かと思った。しかしその後、敵意がなくなってからのエルザは、(俺のことを玩具のように扱うことはあっても、)出会った時のような行動に出ることはないと言い切れた。何故言い切れるのかと聞かれたら困る。ティアナ姫に似すぎているからなんてことだけは絶対にない。言葉遣いも、仕草も、容姿以外ティアナ姫とは似ても似つかない。それなのに不思議とエルザのことを信用してしまっている。まるで三年を共にした、シグやライオデールやルーノたちと同じように。


 壁のずれに手を当てていくとそこだけ少し浮いていることが分かる。他の部分と比べると確かに壁が薄い。近辺に騎士を配置している理由も分かる。何故ここだけ薄いままなのか。もっともな理由を考えるとしたら、正門と後門から攻め込まれた時、ここを緊急時の出口と見込んでいるからではないだろうか。


 壁を小さく叩く。すると反対側から声が聞こえた。


「ほらグレイ、あなたの飼い主がお呼びよ。返事してあげなさい」


「こんな夜更けに動物の叫び声が聞こえたら即刻非常事態だぞ」


 壁の向こうにいるエルザに聞こえる程度の声で返す。エルザは「聞こえているなら早く開けなさい」と急かしてくる。


 扉の鍵を、一つ二つと上から順番に外す。簡単にやっているように聞こえるが、どの施錠もそこそこ頑丈である。全て外し終え、重い扉を押し開けると、そこにはグレイに腰掛け座っているエルザの姿があった。


 俺が必死に扉を開けていたであろうことは分かっているはずなのに、エルザは空を見上げている。エルザの視線の先を俺も見る。するとそこには、神々しく輝く太陽とは対をなす、美しく銀色に輝く月の姿があった。


 俺が騎士剣を手にした時、ティアナ姫は太陽のように俺の心を温かく包み込んでくれた。それに対しエルザは、まるで迷子になった常闇で進むべき道を照らし示す月のように、俺に何かを示してくれている。


 共に同じ横顔をしている。心に何かが湧き上がる。


 この感覚は一体なんだ?


「あら、ご苦労様。これで少しはゆっくり休めるかしら」


 グレイから降り、エルザは地に足を着ける。グレイを優しく撫で俺の元へと近付いてくる。気配で感じ取っているのだろうか。周囲に人がいないことを分かっているかのように、俺の傍を堂々と通りラミスの村へと入ってくる。そして目の前の飼育施設を見て、エルザは振り返り俺を睨みつけ口を開いた。


「まさか、そこ(飼育施設内)じゃないでしょうね?」


 俺は肯定の意を伝える。すると、エルザは僅かに青筋を浮かべた。


「こんな屈辱、生まれて初めてよ」

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