Episode.2-5
◇
そんな出来事があり、夜が明けるまで少しだけ面倒を見ることにした。敵意は一切なく、ただ撫でたり構ってほしいだけの飼い犬のようだった。「ここから早く離れた方がいい」と言っていた当の本人は、眠るまでの短い時間、その獣とじゃれあっていた。その
「何故こうなってしまった……」
四足で歩く獣は俺の後ろを当たり前のように付いてくる。さすがのエルザも昨晩とは異なり困っているように見えた。そしてその後の、「どうするのよ、この子」に至るのだが……。
◇
立ち止まり振り返ると、獣も同じように立ち止まる。その瞳は俺へと向けられていた。何とかして自然に帰ってほしいと思っているのだが、俺の願いは叶わないのかもしれない。
「連れて行ってあげたらいいんじゃない?」
獣を撫でながらエルザが俺に尋ねる。
「馬鹿を言うな。俺は俺の旅に同行させるためにその子と戦ったわけじゃない」
獣はエルザに撫でられながら気持ち良さそうに頭を震わせる。
「でもこの子。きっと野性には帰れないわよ。見ればわかることだけど」
エルザの言いたいことは分かる。目の前の獣は正気に戻ったのは間違いないのだろう。だけど元に戻ったのは自我だけで、凶暴化していた時程大きくはないが、見た目(爪や牙など)や体格まで元に戻ったわけではない。それが証拠に、昨日戦った同種の獣たちとは二回り以上体格に差がある。そんな獣が再び群れに戻れるとも思えない。
「連れて行ってあげればいい理由はまだあるわ」
エルザは言葉を続ける。
「力には力が引き寄せられる。これはどうしようもない自然の摂理。だから昨夜、早くここから離れた方がいいって言ったの。私が言ったこと覚えてる?」
その言葉に俺は頷く。
「ただ、この子が同行してから周囲に動物の類の気配が減った気がするの。それが証拠に、昨晩から今朝に至るまで何からも襲撃されていない」
「言われてみれば……」
昨日は何度か戦いになった動物たちとも昨夜を境に殆ど出会っていない。これは単なる偶然とは思えない。
「恐らく、本能的に避けているんでしょう。自分より強い動物を」
そういえば、動物と凶暴化した動物が争っているところを見たことがない。俺が知らないだけの可能性もある。しかし、目を通すことを許されている過去の報告書などにおいてもそういった前例は見たことがない。
エルザに撫でられながら気持ち良さそうに獣は鳴き声を上げる。その姿を見詰める。
エルザの言う通りなら、この獣を同行させることで、十日近く遅れている使命を大幅に巻き返すことができるかもしれない。王国の視点から鑑みても、本来の予定に基づいて行動できることになり一石二鳥だ。そしてこの旅において無用な戦いを避けることができる。凶暴化した動物との接触はあるかもしれないが、それでも連続した戦闘にあうことはないと言い切れる。それは俺にとって命の駆け引きをしなくても良いということになり、願ったり叶ったりでしかない。しかしそのために……。
「それを聞いた上でなら尚のこと同意できない。言い換えればそれはその獣を利用しようということだろう? せっかく救った命なのに再び危険に曝すなど、俺はできない」
獣の様子を見る。獣は俺の言葉にも反応はなく、前足で頭を掻いている。エルザは俺の言葉を聞き、俺を真っ直ぐに見て口を開いた。
「あまり独善的な考えは感心しないわよ、坊や。言いたいことは分からないわけではないけど。でもそういうのを世の中では偽善と言うの」
エルザの口調は詰問を伴うものではあったが、決して責めているわけではなかった。エルザは獣の背に触れ言葉を続けた。
「さっきも言ったけど、この子は野生に帰るのは難しい。だったら救った責任を取って面倒を見てあげるところまでするのが、本当の善意というものじゃないかしら?」
エルザの手が獣の背を沿うように撫でる。獣はそれ自体に反応はなく、今度はエルザの言葉に同意するように俺へと視線を向けた。
……もっともな言い分だ。反論の余地がない。俺はあの時と同じで救うことばかり考え、その後のことを考えていなかった。独善……いや、偽善と言われても仕方がない。場合によっては俺の行為はただ命を弄んだだけに過ぎない。
でも、殺したくなかった。救いたかったんだ。
救うことができたのは偶然なのかもしれない。だけど、その救われた命が俺と共にいたいと願うなら、可能な限り応えるのが、救った者の責務なのかもしれない。
「エルザ」
俺はエルザに視線を向ける。エルザは獣へと向けていた視線を上げ、俺へと顔を向けた。
「エルザの言う通りだ。俺が自分勝手だった。すまない」
目を伏せる。昨夜初めて出会い、命の駆け引きを行っていた相手のはずなのに、見知った間柄のようなやり取りに不思議と違和感を覚えない。エルザの言葉が的を射ていたからなのだろうか。よく分からない。
頭を上げ瞼を開く。するとエルザは、俺の言葉に大層満足しているかのように口端を上げていた。そして獣へと向き直り、視線を合わせるようにしゃがみ込む。俺を見る視線とは打って変わり、慈しみの籠った視線で獣の頭を撫で、口を開いた。
「良かったわね。独りぼっちにならないですんで」
エルザの言葉の意味を分かっているのだろうか。獣に大きな反応はなく、エルザにされるがまま佇んでいる。
俺は、獣を慈しむエルザの横顔に、再会の約束を交わした大切な人の面影を重ねていた。だけどそれだけじゃなかった。大切な人の面影とは別に、エルザに対し、既視感のようなものを抱いていた。
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