Episode.2-3

 俺の叫びと共に騎士剣から突風が巻き起こる。その勢いで焚火の火は消え、木々の隙間より僅かに差し込む月の光だけがこの場の灯り代わりとなるはずだった。しかし、そうならなかった。この木々に覆われた林道の中に一筋の光が発せられている。それは、透緑色の残光を描きながらゆっくりと一点へと集い、俺の手に握られていた。

 突風により掻き消えたのは焚火の火だけではなかった。俺へと迫りつつあった凶爪、その爪の主も、俺の前からいなくなっていた。透緑色の光が木々を照らす。周囲からは全ての音が消え、この一帯だけが切り取ったかのように静止していた。


 一瞬、ほんの一瞬の静寂だった。三度呼吸を吸い直すほどの僅かな時間に過ぎなかった。遠く離れた木々の向こうから、強く大地を蹴る音がけたたましく響いてくる。それは、凶爪を掲げ、再び俺へと迫った。


 雄叫びを上げ凶爪が振り下ろされる。俺は凶暴化した獣をぎりぎりまで引き付け、剣の腹で滑らせるようにその凶爪を受け流した。凶暴化した獣は俺という対象を掴むことができず、勢いのまま大地へ凶爪を振り下ろす。見ると、獣の爪はそのまま大地を抉り、深々と地面に突き刺さっていた。


 好機ではあった。


 輝く騎士剣を構え直し、正面から凶暴化した獣を見据える。だが、俺の中から聞こえる声が、今は近付いてはならないと警笛を鳴らした。

 凶暴化した獣は、深々と地面に突き刺さっていたはずの爪を地盤ごと引き抜き、突き刺さっている土の塊をもう一方の爪で瞬時に砕く。そして俺へと向き直り、再び襲い掛かってきた。

 先程と同様の手は取れそうになかった。たった一度で学習したのか、速さを抑えた代わりに、縦薙ぎ、横薙ぎと、隙のない攻撃を繰り出してくる。これだけを繰り返すのであれば躱し続けるのは容易だった。攻撃を躱し、切り返すことも不可能ではなかった。しかし、だからといって安易に切り返してはならない。想定外の行動を挟まれた場合、一瞬でも対処に遅れれば致命傷になる。


 どこだ、どの瞬間を狙えばいい。


 獣の攻撃を分析する。そこに、まるですぐ隣にいるように友の声が俺に語り掛けてきた。


「恐れるな。やつの動きに惑わされるな。最初に見せた大きな一撃は距離がなければ繰り出すことはできない。この距離では隙を晒さない今の猛撃を繰り返すだけだ。かといって長期戦は不利。体力勝負になれば奴に軍配が上がる」


 獣の猛撃を躱しつつ友の声に耳を傾ける。


「如何に狂おうと同じ種である以上、必殺の一撃は一つに限られる。そしてその一撃の後こそが最も無防備となる。奴が出さぬというのなら、こちらから引き出してやれ」


 凶暴化した獣は出会い頭の飛びかかり以降、ある部位による攻撃を仕掛けてきていない。それはつまり、最初の飛びかかりは確実に殺しにきていたということだ。そしてそれ以降それを使わぬのは、その後に最大の隙を晒すと分かっているから。


 繰り出す爪の猛撃に次第に身体が追い付いてくる。躱すだけでなく、時に受けようと見せ掛け、流す。しかし凶暴化した獣もまた、こちらの動きに合わせられていることに気付く。次の瞬間、俺は奴の行動に注視した。


 獣の行動の軌跡が目に映る。俺は、振り下ろされる凶爪の軌跡を読み、それが振り下ろされるその前に凶爪へと斬り込んだ。


 爪には傷一つ入らなかった。しかし、振り下ろされる爪の加速度が完全に乗っていないこともあり、先程までと比べて一撃が軽い。腕のみの重さであれば、『俺たちの力』で返すことができる。俺は勢いのまま騎士剣を払い抜いた。


 透緑色の残光が半円を描き獣の巨躯が僅かながらに浮く。ここで一撃を加えることが出来ればこちらの勝利。だが、奴にはまだ奥の手がある。


 まだ、これ以上踏み込んではいけない。


 獣が小さく浮き上がり、その後地面に落下する。しかし、まるで人のように思考が働いているのか、凶暴化した獣はすぐさま受け身を取り再び俺へと向き直った。


 その瞬間、空気が張り詰めた。 


 凶暴化した獣の目の色が変わっていた。それが証拠に、大きな口からは今すぐ目の前の獲物を喰い殺してやろうとでもいうかのように涎が滴りだしていた。


 条件は満たされた。ここからが本番。次に奴は、爪撃で防御を崩し、俺が無防備となったところに、必殺の『凶牙』で確実に息の根を止めにくる。この攻撃を凌ぎきることができれば、俺の勝利。だけどもし、凌ぎきることができなければ、その時は俺の敗北。敗北は即ち、死だ。


 透緑色の光を放つ騎士剣を振りかぶる。そして目を閉じる。それは、ディクストーラの構え。この構えを取るのは二度目。この構えで命を懸けるのも、二度目。


 ティアナ姫の言葉を思い出す。


    ◆


「でしたらその騎士剣をもって守ってみせなさい。グリフィストーラも、この場に集った者たちも。そして、あなたの信念も。私が任命した王国騎士よ」


    ◆


 ティアナ姫の言葉を心に落とし込み、俺はあの時の言葉ちかいを再び口にした。


「守ってみせます。あなたのことも。この場にいるあの人(女)のことも。そしてこの国に生きる全ての人々のことも。俺たちが……守る!」


 凶暴化した獣が一層強く大地に爪を立て、大きく跳び上がる。最初に繰り出すのは一人では絶対に防御不能な凶爪による一撃。だが、これを受け切らなければならない。獣が腕を振り上げ凶爪を俺へと振り下ろす。俺は目を見開き、視界の隅に映る守るべきもののために剣を振るった。




 月光つきびかりの下、巨大な影と一筋の光が大きな音を立てぶつかりあった。




「受け止めた……? 魔物の一撃を!?」


 女の声が微かに耳に入る。


 俺の放った一撃は、凶暴化した獣と真っ向からぶつかり合った。俺は獣の全体重を受け、腕の骨が折れ、肩の骨が砕け、そのまま押し潰されてもおかしくなかった。しかし、俺の力のみならず、ディクストーラの力のみならず、まるで意思でもあるように、騎士剣もまた俺たちの心に応えてくれた。


 凶爪と騎士剣の間に僅かな隙間が見える。剣に埋め込まれている宝石が輝き、剣より発せられる風が俺を守ってくれている。俺と、ディクストーラと、騎士剣の力が合わさった一撃は、凶暴化した獣の一撃を防ぎきるまでに至っていた。


 僅かな力も抜くことはできない。一瞬でも気を抜けば圧し潰されてしまう。


 握る騎士剣に力を籠める。友もまた、俺と共に騎士剣を握り叫びを上げている。だが凶暴化した獣は、まるでそれすらも読んでいたかのように、凶爪で騎士剣を挟み込み、抑えつけるように腕に力を籠めた。


 凶暴化した獣が巨口を開き雄叫びを上げる。獣は凶牙を剥き、俺の頭部目掛け迫った。


 その瞬間、俺は小さく呟いた。


「俺たちの勝ちだ」


 騎士剣を抑えつける獣の爪には、力こそ籠っているが既に意思が通っていなかった。一つの行動には一つの意思しか宿すことができない。しかし、俺たちは違う。俺は握る片方の手を騎士剣から離し、腰に帯びているもう一つの剣を抜き、迫る巨口へと斬り込んだ。


 初撃の時点で気付いていた。あの時の凶暴化した獣の凶牙は女を狙った一撃だった。その際、俺の剣は完全に獣の巨口を斬る軌跡を描いていた。そうにもかかわらず、凶暴化した獣は俺の一撃に反応し、牙で防いだ。


 女の驚嘆する声が響く。一度目と同じく、凶暴化した獣が俺の一撃を牙で防ぐ。だが、それが狙いだった。


 一つの行動には一つの意思しか宿すことができない。だけど俺は、独りじゃない!


 俺は騎士剣を握る、友の意思が宿るもう一方の腕に力を籠めた。騎士剣が大きな光を発し風が巻き起こる。ディクストーラが叫びと共に騎士剣を払いきり、凶暴化した獣の巨躯が宙を舞った。


 腕を振り上げられ、体制を崩された獣は、風に体の自由を奪われ身動き一つ取れなくなっている。俺はその巨躯を真っ直ぐに見据え、再び騎士剣を構え直し精神を集中させた。


「後はお前がやれ。美味しいところはくれてやる。その代わり、俺たちにもう一度見せてくれ。お前を王国騎士として認めるに至った、あの、ひかりつるぎを」


 ディクストーラが微笑み俺に背を向け去っていく。ディクストーラとの接続が途切れたことを感じる。俺は友の願いに応えるため、体中に走る全神経を集中させ、握る騎士剣に力を込めた。


 研ぎ澄ませろ……。

 感覚を。


 心をさらせ……。

 命あるものに。


 俺が王国騎士となった理由は、この国とこの国に生きる全ての人々を守るため。だけど、俺の願いは……それだけじゃない!


 俺の願いは……、俺の――は、この世界に生きる全ての命を守ること!


 凶暴化した獣を真っ直ぐに見据える。獣の体内に白い光と黒い光が映る。


 俺は、獣の中にある黒い光だけに神経を集中させ、払う騎士剣と共に俺の心の全てを解き放った。


    ◇〔???(外衣を纏った女)〕◇


 それは、天から落ちてくる流れ星のように、一筋の流星が天へと昇って行った。

 余りに細い輝きだった、その流星は。


 魔物の巨躯が落下する。その際大きな揺れがあったが、そんなものが気にならない程、目の前で起きた出来事は信じられない光景だった。


 目を疑った。


 その光は、あの日、雨雲を裂き、太陽を覗かせた、あの光と同じ色だったから。


「黄金の、光……!?」


     ◇数ヶ月前◇


 鳴き声が聞こえてきた。決して人の話す言葉ではない鳴き声が、何処かから。


 俺以外は誰も聞こえていないのか、気付いていない。だけどその鳴き声は、次第に力を無くし、徐々に掠れていった。それでも呼び掛け続けるその鳴き声を聞いている内に、その声が誰を呼んでいるのか気付いた。


 それはまるで子供の鳴き(泣き)声。鳴き声の正体は、暴れ回る動物にどこまでもついて回る、目の前の動物を二回り以上小さくした幼動物だった。


 俺たちは凶暴化した動物の排除の命を受け、平原へと来ていた。しかし俺は、その鳴き声の主の姿を認めた瞬間、剣を握ることができなくなってしまった。目の前の凶暴化した動物を殺せば、いずれ後ろについて回るあの子(幼動物)も死んでしまうと分かったから。そして、それが自然の摂理と分かっていても、諦めることができなかった。

 だから俺は、初めて皆の前で声を上げ考えを述べた。最初は誰もが鼻で笑った。だけど、如何に笑われようとも、俺はもう一度あの親子がこの平原を自由に歩く姿を見てみたかった。俺の説得に、最初に首を縦に振ってくれたのはシグだった。しかし、「この場の誰かに危険が及ぼうものなら、問答無用であの動物を斬る」。そう、シグは答えた。けれど、その言葉があろうがなかろうが、俺の決心は変わらなかったと思う。


 あの時の光景を俺は今でも忘れない。




 倒れた親に寄り添う幼動物。皆が去り行く中、俺は最後までその子のことを見守っていた。自身は何度も(凶暴化した親から)傷を負わされながらも、それでも懸命に親の顔を舐め起きるのを待っている。


 やっぱり駄目だった……。


 そう思い強く目を閉じた。その時だった。


 奇跡は、起きた。


    ◇


 凶暴化した獣の巨躯が落下し大きく大地を揺らす。獣と一緒に空へ舞った剣が落ち大地に刺さる。俺はその場で膝を突き、片手を地面に突いた。


 騎士剣を鞘に納めるだけの格好をつけていられるほどの余裕はなかった。以前のように意識を失わないだけましだが、まともに体が言うことを聞かない。それでも俺は、前方に倒れる獣へと視線を向けた。

 獣は、まるで幻想か錯視にでもあっていたかのように縮んでいき、元の獣の姿へと戻っていく。その光景を見て未だ安心できずにいたが、俺の視線を遮るように俺の前に誰かが割って入る。顔を上げると、女が手を開き、俺へと掌を向けていた。


 今でなくとも、あの致死量の黒炎を受ければ死ぬことは想像できた。だからこそ、喰らってはならないと防衛本能が働いていた。だけどもう、その防衛本能が働かぬほどに、俺の神経は疲弊し憔悴しきっていた。


 死ぬ気はなかった。俺には生きなければならない理由が数多くあったから。しかし、体は言うことを聞かず、避ける手段がない。俺は騎士剣を強く握り直した。


「そんな体でまだ戦う気?」


 女が俺を見下ろし口を開く。俺は女を見上げ口を開いた。


「死ねない。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺が死んだら俺を信じて送り出してくれた人たちとの大切な約束を破ることになる……」


 女は黙って聞いている。


「俺は約束したんだ。ティアナと。再び戻り、きみを守ると。だから……だから……!」


「ティア……ナ……」


 ティアナ姫と同じ顔をした女がティアナ姫の名前を口にする。騎士剣を握り持ち上げようとしたが、騎士剣は手を滑り抜け、地面へと落ち、僅かに音を上げた。


 女が俺に向ける掌の角度を少しずつ変えていく。俺はその手の動きだけに注視し、視線を外さなかった。


「ねえ、さっきの台詞。本気?」


 俺へと向けられていた(女の)掌が上へと向けられている。その手はまるで俺に手を差し伸べているように見える。俺はどの台詞か分からず女を見ていたが、女は小さく溜め息を吐き、先程俺が言った台詞を口にした。


「私を守るために剣を握っているって言った、あの台詞よ。あれは今も有効なのかしら?」


 女が何を言いたいのかは分からなかった。しかしその言葉を俺は確かに口にした。だから俺は女の手ではなく、女の目を見て答えた。


「当然だ。俺は生きている限り、お前を守ると約束する」


 女は俺の言葉に小さく笑った。そして、口端を上げ、俺に差し伸べる手を一層伸ばし、俺へと口を開いた。


「面白い男ね。いいわ。あなたの命、暫く見逃してあげる。その代わり、その約束ちゃんと守り抜いてよね」


 その言葉にはきっと含みがあったのだろう。その含みが何なのか俺には分からない。だけど、それ以外の理由で目の前の女を守る理由があった。


 それはかつてローズお姉ちゃんに誓った約束。その約束を俺は一度は守れなかった。けれど、ローズお姉ちゃんはきっと生きている。だったら、その言葉を嘘とせぬ為にも、俺は今一度、その約束を口にしなければならない。


 女の手を取り立ち上がる。俺は今にも倒れそうな体にも関わらず、目の前の女を真っ直ぐに見据え、約束の言葉を口にした。


「女を守るのは、男の役目だ」


 俺の言葉に満足したのか、女もまた口を開き、自身の名を口にした。


「他人に名を名乗るのはいつ以来かしらね。私はエルザ。しっかりと私のこと守ってよね、坊や」

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