Episode.2-2

 外衣の隙間から覗くその目は底知れぬ殺意を秘めていた。瞳の奥に憎悪と憤怒、そして俺の心を黒く染め上げた時に浮かぶ言葉『悪意』、それらを想起させた。


『被り物をした術士』。これだけで俺の頭は二つの答えを導き出していた。


 十年前より各国に現れるようになった謎の集団。四年前に術士校を襲撃した術士たち。これらが同一の集団なのかは、はっきりとは分かっていない。しかし、類似性などから鑑みても、全くの無関係とは考えにくい。

 目の前のこの何者かもその集団の一人の可能性が高い。つまり、この何者かを捕らえることができれば、ローズお姉ちゃんの手掛かりが掴めるかもしれない。


 正体の分からない何者かは、俺を睨みつけたまま一歩また一歩と近づいてくる。そして俺にとっては間合いの外、相手にとっては間合いだろう距離で立ち止まり、俺へと手を向けその手から光を発した。咄嗟に防衛本能が働き光の射線軸上から飛び退く。飛び退いた先で受け身を取り再び向かい合う。何者かはその場に立ったまま顔だけをこちらへと向けた。

 元いた場所を見ると、そこには光が着弾したことが分かる大きな炎が燃え上がっていた。しかしその炎は一般的なそれとは異なっていた。光が着弾した地点から燃え上がる炎の色は、目の前で燃える焚火の色とは違う色をしていた。


「黒い……炎?」


 戦いの最中さなかにありながらも、常識を遥かに逸脱した出来事に驚嘆する。一般的な炎の色を知る者にとっては知識の外の出来事。黒い炎など未だかつて見たことがない。何者かは再び俺へと手を向け光を発する。俺は瞬時に飛び退く。飛び退いた先で元いた場所を見ると、そこはやはり黒く燃え上がっていた。


 一瞬迷いができた。黒は、俺が最も嫌いとする色。いつも記憶を覆い隠す黒い霧が俺は嫌いだった。見えているはずの光景が見えない。知っているはずの顔が見えない。交わした約束を、思い出せない。そんな大切なことを覆い隠す黒という色が、俺は嫌いだった。しかし今目の前で燃える黒い炎に、俺は違和感と既視感を覚えていた。


 違和感は、四年前の術士校での出来事。あの、術士校を包み燃え上がっていた炎の色を、忘れようはずがない。黄色く、赤く、夕焼けすら霞んでしまう、人の血と嘆きを絵に描いたような黄赤色の炎を、忘れようはずがない。


 目の前の人物は集団の一人ではあるのかもしれない。しかし、炎の色が黄赤色ではない以上、術士校を襲った一人ではない。


 それに対し既視感の正体は……。




 あの日の光景が脳裏を過ぎる。


 この国の未来を守るため、王国騎士へなるために訪れた礼拝堂。その礼拝堂の末路、あの黒い光景が。




 目の前の何者かに視線を戻す。その者は俺へと手を向けたまま微動だにしない。


 おかしい……。


 仮の話だが、もし目の前の何者かが騎士就任の儀の出来事と関係があるのなら、俺は怒りや憎悪を抱いてもおかしくはない。それなのに、何故か俺は目の前の人物に怒りも憎悪も抱かない。むしろ、勘違いでなければ安堵感を覚えつつある。これはどういうことなんだ。


 向けられた掌から再び光が発せられる。当然その光の射線軸上から飛び退く。今度はそのまま樹木の裏に身を隠した。


「無駄な抵抗はやめなさい。そして大人しく私に眼を返して。そうすれば楽に殺してあげる」


 目の前の何者かが口にする『眼』という単語に覚えがあった。その言葉を頼りに記憶の糸を手繰り寄せる。しかし、その先に繋がるのは黒い霧だけで、『眼』という単語から何かを思い出すことはできなかった。


「殺されると聞いて大人しく出ていく馬鹿はいないだろう」


 俺の言葉が癇に障ったのか、何者かは俺の立つ樹木目掛け光を放つ。その樹木から飛び退き別の樹木の裏に隠れる。何者かは光を何度も放つが、その光が着弾した樹木を見て俺は変化に気付いた。


 威力が落ちている?


 最初に俺へと放った炎は大きく燃え上がっていた。しかし先程から樹木に着弾した炎は、樹木そのものを燃やし尽くす威力はなく、着弾した幹が一瞬燃えただけで瞬時に炎は種火のように小さくなっている。戦い始めて数分は愚か、数発程度の術しか放っていない。それなのに、もう虫の息のように威力が減衰しきっている。顔を覆っているため表情は読めないが、目に焦りの色が生じているのが分かる。まるで、自分が思っている以上に能力ちからが出せていない、そんなようにも見える。


 何者かは光を放つのを止め腕を下げる。それを見て俺は、隠れるのをやめ、その者の前まで歩み出た。


「手間が省けて助かるわ。漸く理解してくれたみたいね」


「あぁ、理解した。だから姿を見せたんだ。お前では俺に勝てない」


 俺の言葉に、何者かは瞬時に目の色を変え掌を俺へと向ける。そこから放たれた光を、俺は剣で受け止めた。


「そんなっ!?」


 何者かの目に驚愕の色が浮かぶ。剣は光を受け一瞬燃え上がったが、何事もなかったように炎は消えてなくなった。


「お前の言う『眼』が、俺には何のことかは分からない。ただ、殺すと言っている者を前にして、素直に死んでやれるほど俺の命は安くはない。今の俺の命は俺だけのものじゃない。そして何より、死ぬことも、負けることも、それを俺自身が」


 ティアナ姫の顔を思い浮かべる。その顔が泣いている。


 俺が死ねば、ティアナ姫は一生笑顔を取り戻すことはない。それは王国騎士として、男として、ティアナ姫の可憐な花のように咲く笑顔を知る者として、俺の誇りが、


「許さない!」


 構えなしの体勢から瞬時に剣を構え直し一閃を放つ。首は刎ねず、首より上にある外衣フードだけを断つ。俺の剣閃に反応できなかったのか、その者は驚愕の表情を浮かべたまま静止していた。外衣フードが舞い地面へと落ちる。あらわになったその顔を見て俺もまた驚愕してしまった。


 その顔は、俺がよく見知っている人物と同じ顔をしていた。それを見て俺は、無意識に呟いていた。


「ティア……ナ?」


 俺の呼びかけに、ティアナ姫(?)は髪で顔を半分隠しもう半分を手で覆った。俺は、今見た光景が受け入れられず、只々困惑していた。

 見間違い、なのだろうか。よく見ると、ティアナ姫とは髪の色が異なっている。しかし一瞬しか見えなかったが、その顔は確かに俺がよく見知ったティアナ姫の顔そのものだった。

 顔を晒したことよりも、俺の呼びかけに対し顔を隠したようにも見えた。俺はもう一度その名を呼んでみることにした。


「ティアナ、なのか?」


 俺の呼びかけに、ティアナ姫(?)は手で覆っていた指の隙間から目だけを晒す。そして俺を睨みつけ叫んだ。


「気安く呼ぶな!」


 その声は、音のないこの静寂な夜の林道にどこまでも木霊していった。


 目の前の女は、俺の呼びかけに対し『気安く呼ぶな』と言った。ティアナ姫の関係者なのだろうか。関係者という言葉で濁すのも憚られるほど、似すぎてはいるのだが。

 俺に向けられている女の視線に再び殺意が宿る。顔を覆っていた手を再び俺へと向け、その顔を露にし、先程と同じように掌から光を発した。俺は直感的にそれを『受け止められない』と判断し、その場から飛び退いた。


 大きな爆発音が響いた。


 女が舌打ちをする。見ると、俺が元いた場所は致死量に匹敵するほどの黒煙を上げ燃え上がっていた。


 どういうことだ。先程は幹一つ燃やすことも出来ないほどに威力が落ちていた能力ちからが、もう戻ったとでもいうのか?


 視線を戻すと、女は歯痒そうに歯を噛みしめていた。再び俺へと手を向ける。だが、そこで光を発することはなかった。

 女は俺ではなく、別の方角へと視線を向けていた。俺もまた目の前の女ではなく、女が見ている方角に視線を向ける。


 胸騒ぎ? いや、先程の光を躱した時と同様、直感的防衛本能が働いているとでもいうべきだろうか。何かが近付いてくる。


 遠方より接近する野性的殺意は、互いに戦いを中断させるほど禍々しく凶悪なものであった。


「こんな時に……!」


 女が俺へと向けていた手を、殺気の迫りくる方角へと向ける。俺もまた、防衛本能に従いそちらへと剣を構えた。

 それは、俺の予想よりもずっと早く迫ってきた。俺と女の姿を認めるよりも先に、まるで遠方から俺たちの存在を知っていたかのように、襲い掛かってきた。


 姿を見せたのは昼間に見た四足の獣。しかし、大きさも違えば気性も荒い。皮膚の色もだが体格がそもそも異なる。牙は昼間見た種より圧倒的に鋭く、足に生える爪が肥大化し露になっている。それでも昼間見た動物と同じ種だと分かるのは、根本的な見た目に大きな差がないからだ。つまり今目の前に迫ってきているのは、昼間の獣の同一種が、凶暴化したものだ。


 凶暴化した獣が巨口を開き、牙を剥き襲い掛かってくる。女は叫びを上げ光を発した。


「魔物風情が。私の邪魔をするな!」


 女が掌から光を発する。凶暴化した獣はそれを避けようともせず真っ向から光を受け燃え上がる。大きな音を上げ黒い炎が燃え上がったが、まるで何事もなかったかのように凶暴化した獣は煙の中から姿を現し、再び女に迫った。


 女が驚愕の表情を浮かべる。恐らく今の一撃で倒せるか、もしくは怯む程度には傷を負わせることができると思っていたのだろう。しかし結果は、傷を負わせるどころか進行を妨げることすらできなかった。

 迫り来る凶暴化した獣を前に、女の瞳に恐怖の色が浮かぶ。それを見て俺は、自然と体が動いていた。


「……えっ?」


 女の驚く声が後ろから聞こえる。足元に散っていた木の葉は周囲を舞っていた。


 今、背後からどんな弱い炎で攻撃されても、俺は目の前の獣に八つ裂きにされ死ぬだろう。あのまま傍観していた方が俺にとって都合は良かったのかもしれない。だけど体が勝手に動いていた。攻撃を仕掛けられながらも、不思議と安堵感を覚える、この女を守るために。


 ぎりぎりと、自身の口から歯軋りが聞こえるほどに全身に力が入っていることが分かる。剣で牙を受け止めたものの、昼間戦った通常種ですら受け止めきれなかったのに、それが巨大化した種の全体重など当然受け止めきれるはずがない。獣の体当たりを受け勢いのまま押されていく。(巻き添えになると思い)背後にいる女を押し飛ばす。獣が口を開き剣を離すと、俺は後方の樹木まで突き飛ばされた。


 全身の骨が軋む音が聞こえ、小さく声が漏れる。膝を突きそうになるが、足を踏んばりその場で立ち止まる。直後、目の前の獣が大きく雄叫びを上げた。


 まずいな。真っ向から戦うとなれば状況は五分ごぶといったところ。いや、それよりも、女に怪我は……。


 女に視線を向ける。気を遣っていられる状況ではなかったとはいえ、必要以上の力で押し退けたが怪我はないようだ。

 五分と考えた理由は、女の目に恐怖の色があるからだ。先程までのような目であれば問題ないだろうが、恐怖の色を浮かべた者にまともな判断ができるはずがない。一人であれば五分以上の戦いができるだろうが、守りながらの戦いとなれば形勢は一気に不利になる。


 凶暴化した獣は、雄叫びを上げた後、その場で地面を裂いたり首を振ったりしている。只の野生動物ならそのまま飛び掛かってきそうなものだが、凶暴化した動物は通常の種とは異なる。俺がこの場を動いても俺への関心がないのを見ると、必ずしも無差別に人を襲うわけではないようだ。

 その隙に女のもとへ向かう。幸いにも見晴らしの良い場所の割に、暗所(焚火の光が届かなくなる辺り)に近いところに座り込んでいた。急いで抱え上げ樹木の裏へと連れて行く。抵抗されると思ったが、怪訝な表情で俺を見るだけで女は抵抗しなかった。


「そこで大人しくしていろ」


「どういうつもり」


 先程までの殺気の伴った視線は既になかった。俺の行動が理解できないのか、疑いの目で俺を見ている。


「いいから黙って言うことを聞け。俺があれを倒す。だからじっとしているんだ」


「私は、あなたを殺すつもりなのよ」


 女の目に殺気が戻る。


 俺は、こんな状況にもかかわらず、未だ自分勝手なことをいう女に腹が立った。だから、俺もまた自分勝手な理屈で女に捲し立てた。


「知ったことか。お前は俺を殺すつもりなのかもしれない。だけど俺は、お前を守るために剣を握っているんだ」


 そう言い捨て、俺は凶暴化した動物の前へと走り出る。俺が視界に入ると、獣は再び俺に興味を示した。


 人と違えば通常の動物とも異なる。行動が変則的になりがちな凶暴化した動物相手にまともに斬り込むのは危険だ。剣を牙で受け止めたのを見る限り、あの牙や爪は剣で断つことができない。つまり、猛撃を潜り抜け、防御を崩し、一撃の下決着をつけるしかない。


 剣を鞘に納める。そして後ろ腰に帯びている棒状の長布に手を掛けた。


「ちょっと! 剣を納めるなんて正気!?」


 女が叫ぶ。


 俺は長布を前面で構え直し、上部を縛っていた紐を解いた。そして、露になったその柄を握り、瞳を閉じた。


 凶暴化した獣が雄叫びを上げ大地を蹴る。その気配、その殺気は、大きな『悪意』の塊となりて俺へと迫った。


「馬鹿! 目を閉じてないでちゃんと前を見なさい!」


 女の叫び声が聞こえる。だが、俺はこの場にはいない別の誰かの声に耳を傾け、その心に接続した。


 今こそ俺に本当の守るべき力を貸してくれ。たとえ、俺を殺そうという者であっても俺は守りたいと思う。救いたいと願う。だから、守るために、生きるために、お前の力を貸してほしいんだ。


 凶暴化した獣の凶爪が俺へと振り下ろされる。


 俺はリンデトーラを、グリフィストーラ様を思い浮かべた。そしてその偉大なる王国騎士、弟にとっての自慢の兄であり、父にとっての自慢の息子である、俺の大切な友の姿を双眸に映し出し、目を見開き、その名を叫んだ。


「もう一度俺に力を貸してくれ! ディクストーラ!」

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