Episode.2

Episode.2-1

 昨夕行われた謁見から一夜が明けた。太陽は最も高く輝く時間を過ぎ、西へと移動しつつあった。今日こんにちのクルーエルア王国には快晴の空が広がり、惨劇や滅びの只中にあることを忘れそうになるほど、ゆっくりとした時間が流れつつあった。そんなクルーエルア王国本土から少しばかり離れた見晴らしの良い草原に、本土内とは一線を画す時間の流れに身を投じている者がいる。一つの影と、それに群がる複数の影が、広大な草原を駆け回っていた。


    ◇クルーエルア領土内にて◇


「さすがに人と違い逃げるだけじゃ撒ききれない。追いつかれるのも時間の問題か。となると、動物を追い払う方法は……」


 最初に思い付いたのは『火』だった。火を恐れる動物の習性を利用しようと考えた。だけど手の届く範囲に燃えそうなものは見当たらない。次に有効な手段は何がある。


 頭の中でクルーエルアの地理を俯瞰ふかんし、近くの地形を確認する。ちょうど近くに湖がある。水辺は人だけでなく多くの生き物が寄り添う場だ。水辺に行くことで今の危機を回避することはできるが、新たな危機に陥る可能性もある。


 俺は、危険も伴うが、二つ目の選択肢『水』を選び、湖へと向かった。


    ◇


 訪れた湖には幸運にも凶暴化した動物だけでなく他の動物も見当たらなかった。対岸までは分からないが、少なくとも目の届く範囲に危険となる要因はない。想定していた通り、俺はここで動物の群れと対峙することにした。


 湖を背に立ち、腰に提げていた(騎士剣ではない)剣を鞘のまま取り外す。俺は鞘を握り、動物の群れと相対した。

 俺が剣を構えるのに併せ足の早いものから順に襲い掛かってくる。最初の一匹は受け止めずに躱す。俺の真横を通り過ぎ、勢いのまま湖へと飛び込んでいく。確認をする間もなく次が襲い掛かってくるが、その体勢のまま躱すには難があった。

 逆光で距離を見誤っていた。俺へと一直線に襲い来る凶禍きょうかは、目の前で口を開け大きく牙を剥く。俺は手に持った剣を前方に構えその牙を受け止めた。


 小さく声が漏れる。人の体重とは異なる獣の体重は想像以上に重く、全身にひずみが生じる。獣の全体重を受け止めきれないと判断し、そのまま上半身を後ろへ倒し、体の上を通すように受け流した。

 動物は俺の頭上を通過し湖へと落ちていく。先の一匹同様確認している暇はない。俺は空いている手で即座に受け身を取り、次に襲い来る残った三匹に備え体勢を立て直した。


「最後は、ほぼ同時か」


 迫りくる三匹は殆ど同時と言っていいほどの間隔でこちらに迫ってきていた。やれないことはないが、怪我を負わせずに追い返すとなると剣を使うことは許されない。一瞬の誤判が命取りになることは分かってはいる。しかし……。


 俺は、全力で思考を回転させ、剣を使わないという手を逆手に取った。正面で剣を構え、右手で鞘を持ち左手で柄を握る。動物たちは当然、恐れることなく真っ直ぐに駆け、俺へと牙を剥き襲い掛かってくる。俺は、三匹共が大地から足を離れたことを視認するのと同時に、剣を半分引き抜いた。

 呻き声と共に動物たちが顔を逸らす。剣より反射した光によって動物たちが俺を見失っている。俺は剣を納めその場に伏せた。


 三匹の獣が俺に顔を向けつつ俺の真上を通過していく。必死に俺のことを捉えようと足掻いていたが、三匹の獣は先の二匹同様、湖の中へと落ちていった。ほぼ等間隔に三つの着水音が響く。同時に周囲に水滴が舞う。振り返ると、そこには必死に陸地を目指す五匹の獣の姿があった。


「すまない。湖の中に凶暴化した動物がいないことを確かめている余裕はなかった。どうか無事でいてくれ」


 そう言い残しその場を去る。一瞬視界の隅に草原にもかかわらず岩の塊のようなものが映った。しかし、動物たちが陸に上がる前にその場を離れなければならなかったため、やむを得ず、急いでその場を去ることにした。


 目指すは火の国。しかし正道から旅客たちと共に向かうことはできない。届ける親書は国家を通ずる正式な書状だが、万が一にも他者に知られるようなことがあってはならない。多少迂回しつつ獣道を通り、クルーエルア領を出ることになる。そして最終的に火の国に入国するまで、人通りのある道は避けて進むことになる。とはいえ、道中飲まず食わずというわけにはいかない。人里に何度か寄る必要はある。そのため、ある程度正道に沿った道を進まなくてはならない。


 王国騎士三人であれば正面から親書を届けにいけたのだろう。心細いわけではないが、旅の道中誰も話す相手がいないこともあり、考えだけは勝手に浮かんでくる。今の空は青く澄み渡っているが、この国……いや、この世界は見えない暗雲に覆われていると言っても過言ではない。この異常な世界をどうにかすることは、人だけでなく、きっと動物たちを救うことにもなるはずだ。


    ◇???◇


 青年が去ったのち、獣たちは残った青年の臭いからあとを追おうとしたが、全身が濡れてしまったこともあり追うのを諦めた。群れの中の一匹が吠え、それに応じるように他の獣たちも吠える。獣たちは全身を何度も震わせたのち、一匹のあとに続くように、群れを成しその場を離れていった。


 獣たちが去り暫くして、近くにあった岩の塊に異変が生じる。岩の塊は真っ二つに割れ、中から女が顔を見せる。女は青年が去った方角を見つつ、空から照らす太陽の光を遮るように外衣を頭から被り、独り呟いた。


「見付けた。私から眼を奪った男」


    ◇


 湖での一戦から時間は流れ夜になった。火の国へと向かう道中だが、まだクルーエルア領土内ということもあり、獣道であっても地図の上を進んでいる感覚がある。正道であれば人里で一泊という手もあったが、日の出と共に発ちたいこともあり、林道から外れた獣道で野宿を取ることにした。

 夜であっても水辺の近くは動物がいる可能性もある。また、断層などのくぼみは寝床として利用している動物も多い。多少の危険は覚悟の上で、空は見えないが周囲の見晴らしは良い、あまり草の生い茂っていない場所を探し、そこで一夜を越えることにした。


 火を起こすため乾燥した木材を集める。そこに枯葉を乗せ、昔ながらの手法で火を起こす。獲った魚を木の枝に通し、焚火の周囲に刺し焼いていく。騎士校での外部演習で行った通り、身も蓋もない教本通りの作業。だけどその経験がなければ、こうして野宿を取ることもできなかったであろう。

 あのあと、襲い来る動物たちと何度か戦闘になった。最初に出会った獣の群れのように毎回上手くいくわけじゃない。時には命を奪ってしまう場面もあった。

 綺麗事だけを並べるつもりはない。生きるために命を奪う行為まで否定するつもりはない。だけど意味もなく命を弄ぶ行為は肯定できない。凶暴化した動物たちは自らの意思とは無関係におかしくなっている。原因が昨日の推測の通りなのかは分からないが、外部に起因していることだけは言い切っても間違いはなさそうだ。


 揺らめく炎を見詰めながら今朝のことを思い浮かべる。


    ◇クルーエルア出立前◇


 結局クルーエルアを発ったのは早朝だった。使者の件については公表できないこともあり、出立は王族とその側近の者のみにしか知らされていなかった。城を去る際は正式に退城手続きを踏まず、一般には知らされていない特別な経路を経て外に出た。

 ティアナ姫は最後まで笑ってはくれなかった。


 早朝ということもあり人通りは殆どなかった。おかげでテイル家を一目見ることができた。いや、正確には一目見るだけのつもりだった。しかし俺が通りに顔を出すと、まるで待っていたかのように、父さんが家の前(作業場前)で腰掛けていた。父さんが立ち上がり、手に持っていた袋を俺に投げつける。それを手に取り確認すると、中には新しいブーツが入っていた。


「父さん?」


「ガルシアが最後に訪れた朝もこんな天気だった」


 父さんは空を見て語る。


「あいつのことは今でも好きになれない。だからといって、これから死ににいくと言おうものならいくら俺でも止めたさ」


 視線を下げ、父さんは俺を見て口を開く。


「その靴は、お前の王国騎士就任の祝いのために用意したものだ。だけど、やっぱり気が変わったよ。それはお前に売りつける」


 俺は黙って父さんを見詰め、その言葉に耳を傾ける。


「そんで持ってその金は受け取らない。いや、お前には一生掛かっても返せない金額で売りつける。だけどそうだな。お前が生きて帰ってきたら、その時は靴代はただにしてやる」


「父さん……」


 瞼の裏に熱い何かが込み上げてくる。しかし、ここでそれを見せてはならない。俺は袋の中のブーツに視線を移し、父さんに尋ねた。


「履いても、いい?」


 父さんは、「当たり前だ」と口にして笑った。


    ◇


 炎に照らされる靴には既に土がこびり付いている。長年愛用してきた靴のように俺の足に吸い付く感覚は、ずっと昔から家族の靴を作り続けた父さんだからこそできる所業だ。まだ一日も経っていないのに皆の顔を思い出してしまう。カールはちゃんと騎士としての修練を積んでいるだろうか。エリーは母さんに迷惑を掛けていないだろうか。ジークムント騎士長やリリアナ王妃、リリィ、そして……。


「ティアナ姫は、今も泣いていられるのだろうか」


 焼きあがる魚の油が表面に浮かび小さく音を立てる。火にくべるため乾燥した木材を手に取るが、投げ入れるよりも(木材を)握る拳に力が籠った。


「ローズお姉ちゃんは、今もどこかで、生きて……」


 顔を伏せ涙が出そうになるのを堪える。可能性としての話のはずなのに、何故か確信めいたものを感じている。


 生きているならどうして会いに来てくれない? どんな姿であれ、どんな状態であれ、俺はローズお姉ちゃんに会いたいのに……。


 痛いほどにきつく歯が噛みしめられている。俺は、手に持っている木材をもう一度強く握りしめ、瞼を開き目の前の炎に投げ込んだ。




 投げ込んだ木材は、黄赤色おうせきしょくに輝く炎の中で燃えることはなく、中空で発火し炭となった。そして木材は軌跡を狂わせ、黄赤色おうせきしょくに燃える炎の手前で落下し、黒煙を上げた。


 俺は、異変に驚くよりも先に剣を抜き気配のする方へ体を向けていた。俺と焚火とを挟み何者かがこの先にいる。それも、この先にいるのは『術士』。

 落ちた木材に対し目視はしないが、一瞬で燃えたことから火の使い手であることは明白だった。神経を集中させ目前に迫る気配へと剣を構える。気配は少しずつこちらへと近付き、やがて木の幹から姿を見せた。


「何者だ」


 声を低くして問う。その者は、外衣を纏ってはいたものの堂々と姿を現した。そして、外衣の一部だけを手で押し退け、目だけを俺に向け口を開いた。


「返せ。私の眼」

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