Episode.1-End

    ◇謁見の間◇


「とんだ無駄足になってしまいました。あの人にも困ったものです」


 謁見の間に戻るや否や、王妃口調ではないリリアナ王妃が愚痴をこぼす。謁見の間には、俺とジークムント騎士長、リリアナ王妃という、今朝も話をした三人だけが再び集まっていた。


「リリアナ様。国王陛下もあのお体で無理を承知で親書を書かれたのです。もう少し労わって差し上げてもよろしいのではないでしょうか」


 ジークムント騎士長が苦言を呈する。それに対しリリアナ王妃は、むっと不機嫌な顔をして答える。


「あなたに王の弟としての考えがあるように、私にも王の妃としての考えがあるのです。愚痴の十や百、千や万聞き流してくれないと困ります」


 綺麗な顔して相変わらず無茶苦茶言う方だなあ、と今朝方ぶりに思わされる。


 先程見た王妃としてのリリアナ王妃は、今とはまるで別人だった。裏表とはまた異なる、元々持って生まれた資質とでも言うべきだろうか。国を率いる器、的確に人心を掴むすべを心得ていた。しかし今は、まるで子供のように玉座に腰掛け、書筒を開きその内容を確認している。口を閉じ、内容を確認している時のリリアナ王妃の顔は王妃のそれであったが、読み終わり親書を書筒にしまったところで、リリアナ王妃はいつものリリアナ王妃に戻っていた。


「及第点と言ったところですかね。私だったらお断りするかもしれませんね。この恋文では」


 リリアナ王妃が大きな溜息を吐く。


 ジークムント騎士長を横目に見るが、騎士長は瞼を閉じ何も口にしない。苦労されてるんだなぁ、としみじみ思った。


「さて」


 そう口にし、リリアナ王妃が立ち上がり俺の前まで歩み寄る。俺は急いで跪き頭を下げ騎士剣を握り締めた。俺の跪く姿勢に呆れたのか、リリアナ王妃はこれまた一つ大きな溜息を吐き口を開いた。


「今朝も言いましたが、真面目なのは良いことです。しかし場に合わせた振る舞いをすることも大事です。今朝と同じでここには私たち三人しかいません。そこまで畏まる必要はありません」


 俺は言われたことを思い出し謝罪する。即座に立ち上がり、リリアナ王妃を真っ直ぐに見据えた。リリアナ王妃もまた俺に視線を返し満足そうに微笑む。そして俺の前に二つの書筒を掲げ、口を開いた。


「この親書を手にした瞬間に、この国の命運はあなたに委ねられると言っても過言ではないでしょう。それでもあなたはこれを手に取る覚悟がありますか?」


 騎士剣を握る手に力が入る。あらゆる覚悟を決めてここに来たはずなのに、いざその言葉を耳にすると使命の重さに潰されそうになる。


 過去の記憶がない。その事実が、いつになっても俺の心に影を作り出す。使者としてのめいを受けた時、俺はそこまで深く考えていなかったのかもしれない。もし親書これを届けられなければ、もし届けても応じてくれなければ、クルーエルアの未来が変わることはない。街中は栄えているように見えても、着々と滅びへと針は進んでいる。針を止めることになるか、早めることになるか、俺の行動に全てが懸かっているというのに。


 固唾を飲む。


 俺は恐れているのか? 親書これを受け取ることに……。


 受け取ることそのものは死と直結しない。その先の行動が死と隣り合わせなだけだ。恐いと思ったら逃げればいい。無理だと思ったら諦めればいい。ただそれだけのことじゃないか。


 手に力が入る。書筒を受け取ろうと握る拳が少し開く。


 こんな覚悟で俺は王国騎士になったのか? こんな気持ちで俺は使者としての役目を受けるのか? こんな、後ろめたい気持ちで……。


 目を閉じる。目を閉じた先に見える景色はいつも黒いもやに包まれている。あの日から振り払えない、俺を不安にさせる光景。この国に来てから積み上げてきた景色さえも、時折黒い靄に覆われ思い出せなくなる時がある。


 そんな俺が使者としての役目を引き受けて大丈夫なんだろうか。今からでも遅くはない。他の誰かに代わってもらった方が良いのではないだろうか。


 大きく心臓が跳ねる。


 俺は逃げようとしている。これまでのように、また……。


 リリィにティアナ姫を任せ、使者としてこのあとすぐ発とうとしたのも逃げ。リリィはそれが分かっていたからこそ、ティアナ姫の護衛役から降り、俺に護衛役に就くよう助言した。だけど俺は、今この瞬間まで気付かなかった。俺は、王国騎士としても、男としても失格だ。


 目を開く。リリアナ王妃の瞳が俺を覗き込んでいる。


 俺はどうすればいい。どうすれば……。


「情けないことでくよくよしてんじゃねぇ!」


 突如響いた怒声に一際大きく心臓が跳ねる。リリアナ王妃の表情に変化はない。俺はいつの間にかきつく騎士剣を握り締めていた。握る掌が熱くなっている。


 今の声は、まさか……?


「言ったはずだ。てめぇはまだ半人前だと。一人で出来るなんて考えるな。俺たちは、十二人全員で王国騎士なんだ」


 シグ……。


「戦う場所は異なれど志は同じ。騎士校で俺たちは誓い合ったはずだ。誰一人欠けることなくこの国を守ってみせると」


 シグ。


「己を見失いそうになった時は、もっと周りに視野を広げてみろ。てめぇを信じ抜いてきた者は、俺たちだけじゃないはずだ。そうだろう?」


 俺を信じ抜いてきた者……?


 その言葉に、俺は今になって気付いた。リリアナ王妃がいつの間にか俺ではなく、自身の後方を見詰めている。ジークムント騎士長も、リリアナ王妃が見詰める先を同じように見詰めている。俺も、二人と同じようにその先に視線を向けた。そこは王族専用の通路。そこに、いつの間にか誰かが、息を切らせながら、細腕の先にある両の手をきつく握りしめて、立っていた。


 会いたいと願った人物。だけど、会いたくないと思った人物。その人が、そこに立っていた。


「ティアナ……」


 立っていたのはティアナ姫だった。その顔は、怒っているような、悲しんでいるような、どちらとも言いがたい表情をしていた。後ろからリリィが顔を出す。そして視線で、「ごめん、止められなかった」と語りかけた。


 ティアナ姫の息遣いが落ち着いた頃、リリアナ王妃が声を掛ける。ティアナ姫はリリアナ王妃へ歩み寄り、母親の顔を見たのち、その手に持っている書筒の一つを力のまま奪い取った。


「やめなさいティアナ!」


 リリアナ王妃の叫び虚しく、ティアナ姫はそのまま走り、吹き抜けの窓の外へ向け書筒を投げようとする。俺は急いで駆け寄り、書筒を持つ腕を掴み、もう一方の手でティアナ姫を引き寄せた。


「やめて下さい、ティアナ姫」


 俺に掴まれながらもティアナ姫は必死に抵抗している。抑えつけている俺の傍にジークムント騎士長が歩み寄り、ティアナ姫へと口を開いた。


「お許しください、姫様」


 ジークムント騎士長がティアナ姫の手首を掴み、書筒を手から奪う。ティアナ姫は、書筒を取られながらも抵抗していたが、やがて力尽きたように抵抗しなくなり、そのまま俺に背中を預けた。


 掴んでいた腕から手を離す。すると、ティアナ姫は振り返り、俺にしがみ付き泣き叫んだ。


「どうして、どうしてあなたなの! どうしてあなたじゃないとだめなの!? やっぱり無理だよ、私……。あなたの顔を見て、あなたの言葉を聞いていた時は、頑張って理解しようとした。でも、あなたが傍からいなくなると、もう会えないんじゃないかって不安が襲ってきて、じっとしているなんてできなかった」


 どう応えればいいか分からなかった。ぐっと抱きしめてあげたい。そして「俺は必ず使命を果たし帰ってくる。だから信じて待っていてくれ」と伝えたい。でもそれはできない。人目があるからじゃない。感情的になっている者は、言葉だけで納得しようはずがないから。


 どうすればティアナ姫の不安を取り除くことができる? どうすればこの顔を笑顔にしてあげられる? どうすれば……?


 リリアナ王妃が近付いてくる。俺は、リリアナ王妃が娘に何をしようとしているのかを察した。だから俺は先に、リリアナ王妃を牽制けんせいした。


。この場は私に任せて頂けないでしょうか」


 リリアナ王妃が歩みを止める。ティアナ姫は怯えているのか、時折痙攣けいれんしたように肩を震わせている。俺は、そんなティアナ姫の姿を見ていたたまれない気持ちになった。そして一つの決心をして、の頭を撫で口を開いた。


「ティアナ。きみは音楽がなくても踊れるか?」


 俺の言葉に、ティアナは顔を上げ首を横に振る。俺は続けて言葉を紡いだ。


「俺が先導リードする。昨夜の音楽を思い出して一緒に踊ってくれ」


 大きな目からあふれる涙を拭い、一度体を離し膝を突く。ティアナの目にはまだ涙が残っていたが、ゆっくりと俺に手を差し出してくれた。俺は昨夜のティアナとは逆に、俺が向けられる最高の笑顔で応え、その手を取った。


 音楽のないティアナの足取りはたどたどしいの一言だった。だけど、徐々に昨夜の音楽を思い出してきたのか、お互いの息が一つになっていくのを感じた。


 演者二人、観客三人、音楽もない味気ない舞踊だった。しかし昨夜の人波の中で踊った時より、俺は心が満たされていくのを感じた。


 言わなければ伝わらないものはある。

 言わなくても伝わるものもある。

 今の俺の判断は正しいのだろうか。


 元々流れていない音楽だが、昨夜踊った曲目の終演に併せ、俺はティアナに小声で呼び掛ける。他の三人には聞こえないように。終始俯いたティアナだったが、俺の呼び掛けに気付き視線を上げてくれた。


「ティアナ。俺はこれから王国騎士として使命を果たしてくる。暫くお別れだ」


 ティアナは黙って聞いている。


「だけど、無事使者としての役目を果たした暁に、きみ専属の護衛に任じていただけると、リリアナ王妃から仰せつかっている」


「えっ?」


 ティアナの瞳が大きく見開かれる。


「すぐにとはいかないかもしれない。けれど、王国騎士としての使命を果たし、クルーエルアに恒久とわの和平が訪れた時、俺は俺自身の望みとして、きみだけの騎士でいたい」


 ティアナの瞳から再び涙が溢れる。その涙の意味がどちらなのか、俺には分からない。


「俺はきみを守り、守り抜く。だからきみは俺を……『僕』を信じて、信じ抜いて待っていてほしいんだ、ティアナ」


 演奏が終わるのに併せ言葉を終える。俺は跪き、深々と頭を下げた。


 しばらくすると、ティアナはリリアナ王妃へ顔を向け、「お母様」と呼び掛けた。リリアナ王妃は娘の意を察したように近付き、手に持った書筒をティアナへと渡した。そしてティアナは書筒を両手で持ち、祈るように握り締め、俺へと口を開いた。


「これは、クルーエルアの未来を左右する大切な親書です。この親書をあなたが手にした時、この国の命運はあなたに委ねられると言っても過言ではないでしょう。それでもあなたは、これを手に取る覚悟がありますか?」


 先日の凛とした態度ではなく、まだどこか納得のいっていない声で、辛うじて言葉だけを形にする。騎士就任の儀の時ジークムント騎士長が、「もう国事に携われるようなお歳ではあるが」と言っていたが、そこにはこういう意味も含まれていたのかもしれない。だけど、そこで一歩を踏み出してくれたから、俺たちは再び会うことができた。『再会』の約束を果たすことができた。だから今度は俺が応える番。


 ティアナの目を真っ直ぐに見据える。書筒を手にとる。不安そうに俺を見るティアナに、俺は、心に新たに誓いを立て、言葉を紡いだ。


「必ず使命を全うし、あなたをお守りするため、再び戻ってくると約束します。だから信じて待っていてください。私は、他の誰でもない。ティアナ姫に任命いただいた王国騎士なのですから」










 Episode.1 End

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