Episode.1-31
◇
謁見を申し込める時間は間もなく過ぎようとしていたが、特別に公での謁見が認められた。認可が下りてから謁見までの間に、俺は一度着替えに戻った。王国騎士として公に立つため、騎士服に袖を通し謁見に臨んだ。先程までより重く感じられると思った騎士剣は、予想に反し心なしかいつもより軽く感じられた。
この日最後の謁見ということで、列席されている貴族の方も多い。扉が開き、俺の前に謁見を行った人物が、俺と入れ替わりに退場する。俺は、正面を真っ直ぐに見据える双眸にかつてない程の力を込め、床を踏みしめる足の神経一つ一つに意識を通し、力強く握り締める拳とそこに握られる騎士剣に確かな鼓動を感じ、謁見の間へと足を踏み入れた。
◇謁見の間◇
一歩一歩着実に歩を進める。正面にはリリアナ王妃が玉座に座している。俺の通る道の両脇には、幾人か昨日より見知った顔が並んでいた。
緊張感と重圧で圧し潰されそうになる。昨日の日ではない。昨日とは異なり今度は大勢の前で、王国騎士として認められた上での一挙手一投足を判断される。私事に近くはあるが、王国騎士として謁見に臨む。無様な姿は見せられない。俺の発言や立ち振る舞いが、此度の王国騎士の評価に繋がるのだから。
しかしそれ以上に大切なことがある。謁見に臨む本来の目的だ。先程からティアナ姫の顔が頭に焼き付いて離れない。その顔を思い出すだけで心が痛い。今すぐティアナ姫の元に行き、その顔を、花のように眩しく、絶えることのない笑顔へと変えてあげたい。だけど俺は、これからその顔を泣き顔にさせてしまう。
心の中でティアナ姫の名前を呼ぶ。そして先程の言葉を
◆
「思い、出したの……? もう一つの約束……。『再会』の、約束……」
◆
ティアナ姫はそう言っていた。俺の心には、未だ記憶の彼方の女の子を守ると約束した光景以外思い出せない。しかし先程は、ティアナ姫を助けたのは本当に俺なのだという確信があった。
俺の記憶に残るのは今も『守る』という約束だけだ。ティアナ姫は「思い出したの?」と言っていた。だけど俺の記憶には新たに思い出したような光景は見えない。そしてもう一つの約束、「『再会』の約束」と言っていた。それを感情として知っている気はする。しかし記憶として思い出すことはできない。俺は『再会』の約束なんてものを本当にしたのだろうか。どうしても思い出すことができない。それなのにどうして、感情だけは思い出すことができたのだろう。それはやっぱり、俺がその男の子だからなのか?
自問自答を繰り返しつつ、一歩一歩着実に歩を進める。
もし俺がその男の子だとしても、昔の約束は昔の約束として心に
玉座の前に着く。そこに座るリリアナ王妃の顔は、今まで見たことのない王妃のそれだ。眼光、表情、態度、それらから発せられる威圧感。どれも国を背負って立つ者のみが発せられる威光だ。
俺は
「面を上げよ、王国騎士」
リリアナ王妃の声が響く。今朝、そして昼以前に聞いた声とは別人としか思えない。母としてではなく、国を背負う者としてのリリアナ王妃の声。その声色に畏怖感すら覚える。俺は、周囲から感じる重圧を拭い去るように拳を握り締め、ティアナ姫への気持ちを心に刻み込み、顔を上げ、リリアナ王妃を真っ直ぐに見据えた。
「貴公は、謁見を心待ちにしている者たちを差し置いて、
リリアナ王妃の目は、殺意こそないものの、眼前の獲物を狙う動物と
「そこまでの覚悟があるのなら申せ。貴公は何を以て謁見を申し出た」
視線は外さず胸に当てている手に力を込める。力を込める手に、誰かの手を握った温かい感触が思い出される。その温かみは、胸を伝い、心へと伝い、そして心は新たな決意となり、俺の口から発せられた。
「本日は、畏れながら王妃陛下にお願いがあり、謁見の申し出を行わせて頂きました」
俺の声が謁見の間に響く。多くの人がいながらも、謁見の間に響く音は俺の声以外返ってこない。リリアナ王妃は表情一つ変えず俺の次の言葉を待っている。
「私を、ティアナ王女殿下専属の護衛として頂きたいのです」
リリアナ王妃の唇が小さく開き、「えっ?」と、声には出さないが、表情がそう口にしたと語っていた。貴族の方々は、声こそ発さないものの互いに顔を見合わせている。俺は続けて語った。
「この謁見の
使者の件を貴族の方々は知らない。だから直接それと結びつけるような言葉を口にすることはできない。
リリアナ王妃が目を閉じる。貴族の方々の声が少しだけ聞こえる。リリアナ王妃は僅かに時間を置き、再び目を開き語った。
「ティアナの護衛はジークムント=アリア=クルーエルアと、リリィ=エルミナス=クルーエルアが私の護衛と兼任で行っている。貴公がティアナの護衛として就く必要はない」
射殺すような眼光ではなくなったがそれでもまだ険しい。だがこんなことで俺も怯んだりはしない。あの涙に報いるためにも。いや違う。二度と涙を流させないためにも、他の誰でもない、俺がティアナ姫を守らなければならない。
「初めて騎士剣を手にした時、手を貸してくれたのはどこか見覚えのある女の子でした」
ゆっくりと口を開き語る。貴族の方々の声が止み、リリアナ王妃は依然変わらぬ視線で俺を見下ろしている。
「九年前、私は気が付いたらこの国にいました。目を覚ました時には記憶をなくし、以前の記憶の殆どを憶えていませんでした。その
俺は視線を外さず真っ直ぐにリリアナ王妃を見据える。リリアナ王妃もまた、視線を逸らすことなく真っ直ぐに俺を見ている。
「けれど、ある出来事を経て、急に自身の感情に変化を感じ始めたのです。それが騎士剣を手にした時。その時私の手を取り助けてくれた女の子が、ティアナ王女殿下でした」
無音の謁見の間に俺の声だけが響く。俺は言葉を続ける。
「王女殿下は私の手を取り……」
◆
「あなたは嘘吐きなんかじゃない」
「あなたは約束を守ってくれた」
「いつかあなたの口からもう一度伝えてくれたら私は嬉しい」
◆
そう言っていた。
あの時の俺が、あの言葉にどれ程救われただろう。それは王国騎士になるよりよっぽど大切だったこと。王国騎士へとなるに至り、俺が守りたいと願った初めての約束。それを記憶としてではなく、心に響く感情として思い出させてくれた。
「……王国騎士としての誓いを立てるよう私におっしゃいました。そして私は王女殿下に誓いを立て、騎士剣を手にしました」
そこで俺は一拍置く。リリアナ王妃が変わらぬ視線を俺に突き刺し問う。
「つまり、使命感で以てティアナを守りたいから護衛に就きたい、と」
「違います」
違う。使命感なんかじゃない。俺がティアナ姫を守りたいのはそんな下らないものじゃない。
「私がティアナ王女殿下の護衛に就きたい理由は……」
昨晩の一緒に踊った時の最高の笑顔。
踊りの前の
俺が使者としてクルーエルアを離れることを知った時の泣き顔。
そして、
◆
「おかえりなさい!」
◆
と、テイル家で俺が帰って来た時に見せてくれた、本当に嬉しそうな顔。
俺は暫くこの国を離れる。しかし戻ってきたその時、俺はもう一度その言葉で迎えられたい。それも他でもない、ティアナ姫に。
◆
「もし私が十年前ティアナ姫をお救いした男の子なら、その男の子なら……きっとその子は、ティアナ姫を好きになったから、命を懸けてお守りしたんだと思います」
◆
過去の出来事は、心に留めるだけで十分。
そうだ、今の俺は……。
「今の私が、ティアナ王女殿下をお慕いしているからです」
その言葉は、まるで使えもしない術のようだった。俺の口から初めて出た、俺の気持ちを形にした言葉は、リリアナ王妃の胸に届いたようだった。
リリアナ王妃は俺から視線を外し、貴族の方々をひとしきり見る。最後にジークムント騎士長へ視線を送った
「この王国騎士の申し出に、異を唱える者はこの場にいるか」
誰一人声を上げる者はおらず、謁見の間はリリアナ王妃の声だけが響き渡っている。
「誰もいないか。ではこの件は、この場で判断を下すとしよう」
リリアナ王妃の言葉に、この場にいる全員の表情が変わる。物音一つ聞こえない謁見の間に、リリアナ王妃の透き通った声だけが響き渡った。
「この場に集った者たちの誰一人として異を唱える者がいないのだ。私一人が異を唱えても仕方があるまい。何より、ティアナがそれを望むことだろう。王妃としてだけではなく、母として娘の幸せを願うのもまた、国を治める者に欠けてはならぬ感情」
リリアナ王妃に視線が集まる。リリアナ王妃は一度小さく深呼吸をし、気高く言葉を紡いだ。
「貴公の覚悟、サイコロンド=アリア=クルーエルアに代わり、リリアナ=アリアス=クルーエルアが、この場に集った多くの者が聞き届けた。王国騎士としての任の
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