Episode.1-29

「聞かない。聞きたくない」


 内容すら聞いてもらえず拒否された。当たり前といえば当たり前なのかもしれない。しかし、こういう時は否定された理由を聞くよりも頼みを口にした方が話が早い。


「ティアナ姫の部屋を教えてほしいんだ」


「えっ? ティアナの部屋に行きたいの? まだ昼だよ?」


「……何が言いたい」


「使者として明日この国を離れるから、今日中にティアナに手を出しておくって話じゃないの?」


 想像の斜め上の答えが返ってきた。これまでのことを考えると会話が成立しただけ有り難いと思うべきなのだろうか。しかしどうしてこうも頭の中がお花畑なんだ。この国の王族、いや、上流階級の方々は……。まぁそれは置いておいて。 


「使者のこと、やっぱりリリィは知っていたのか」


 使者の話。一応クルーエルアの王族内でもほんの一部しか知らないと聞いていたが。


「それはだって、私はリリアナとティアナの護衛術士だから。今朝は、リリアナにティアナを下さいって話をしたのよね?」


 この女、実はまだ酔ってるんじゃないのか? 一言目にはまともな回答をしているくせに、二言目で必ず落としてくる。しかも何もおかしいところなんてないみたいな顔をしている。酔っていた時の方が冗談だと判断が付いたため幾分ましだった。今は本心なのか冗談なのか分からないせいで本当にたちが悪い。


「ちゃんと親の承認を取った上でってところは好感度高いわね。さぞかし気に入られたんじゃないの? ティアナはきみから迫られたら拒否しないだろうし」


 あぁ、気に入られたよ。冗談かよく分からないお言葉も頂いた。ティアナ姫にも報告できない悪い意味でな。そののジークムント騎士長の行動がそれを物語っていた。それはさておき、こんな無駄話に花を咲かせている場合じゃない。昼以降は暇を貰っているため、クルーエルアを暫く離れることを父さんたちに伝えにいかなければならない。勿論、使者の件をティアナ姫に伝えに行くのが先だ。しかしそのためにはティアナ姫の部屋の場所を聞かなければならない。立ちはだかる目の前の門番を説得し、案内役をどうにかお願いしなくては。


「リリィ。悪いが冗談を聞いている余裕はないんだ。明日この国を離れるため、準備が山ほどある。そのため昼食後はティアナ姫に使者の件を伝えに行きたい。だから面倒でなければ案内役をリリィに頼みたい。嫌なら他をあたる」


 リリィの話には耳を貸さず一挙にまくし立てる。時間に猶予がないのは事実であるため理解はしてくれるはず。そんな俺の言葉に、リリィは特に何でもないような顔をして口を開いた。


「減点。私は本音で話してる。冗談を言った覚えはないわ。勝手に冗談にしないで」


 久しぶりの「減点」を聞いた。普段通りのリリィになってくれたみたいだ。しかしあの内容、冗談で口にしていたわけじゃなかったのか。一体俺はどういう目で見られているんだ。


「まぁでもいいわ。きみの話にも一理あるし。お昼ご飯を食べ終わったら迎えに来るから。それでいい?」


 国の存続が関わっているのに一理しかないのか俺の話には。


「ありがとう。頼むよ」


 リリィは「わかったわ」と返事をし、後ろを向く。扉へ手を掛け出ていくのかと思ったが、背中を向けたまま立ち止まり口を開いた。


「その、昨夜ゆうべはごめん。よく分からないんだけど、きみが他の貴族と話してたり、ティアナと踊っていたりするのを見てると、なんだかもやもやして。目の前にあった飲み物を飲んだらたまたまお酒だって」


 リリィが申し訳なさそうに話す。


「さっきも言ったけど俺は気にしちゃいない。最初はいつもと違うと思って戸惑った。でも眠った時に酒気があることが分かったから、酔っていたからだなって納得した」


 リリィは「ごめん、以後気を付ける」と言い、その場で下を向き黙った。謝罪の意を示しているのだろう。俺はここであることを思い出し、リリィに尋ねた。


「リリィ、一つだけ聞きたいことがあるんだが、いいか?」


 リリィは「なに?」と口にし、振り返る。


「その、昨夜寝言で言っていたんだが良く聞き取れなくて。なんか、術士になんてなりたくなかったって」


「えっ?」


 リリィは小さく声を漏らし固まってしまった。


 やっぱり聞いてはいけないことだったのだろうか。あの言葉を呟いた時リリィは泣いていた。それも、とても悲しそうに。その場で涙をぬぐってやることもできたが俺はしなかった。もしその想いが一時的なものなら拭ってやることはできる。だけど根拠はないが、リリィのそれは一時的なものではないように感じた。


 暫くしてリリィは、一度口を開き掛けたがまた閉じ、そしてもう一度開いたのちに言葉を紡いだ。


「少しだけ考えたけど、私、嘘や冗談が下手だからはっきり言うけど。きみが聞いたのは、そうだけどそうじゃない私。少なくともきみが知る必要のない私だから、きみが気にしなくても大丈夫」


 はっきり言う、と言っておきながら話の内容が抽象的過ぎて全く分からない。そうだけどそうじゃない私、というのはどういう意味だ。


「気に掛けてくれていたのは嬉しいけど、そんなに気にしないで大丈夫。きみが抱えている悩みと同じように、私にも自分ではどうにもならないものがあるの、私の中には。寝言で言ったのはきっとそれのことだと思う」


 俺の悩みと同じように、か。悔しいが見透かされていたか。なんだかんだ言ってもリリィは俺のことを見てくれている。まるで、いつも俺のことを気に掛けてくれていたローズお姉ちゃんのように。だったら俺もそれに報いるように応えなければならない。俺の言葉がリリィに届くかは分からない。それでも、形にした言葉を口にしないと、伝わるものも伝わらないから。


「リリィ、言いにくいことならこれ以上は聞かない。だけどその悩みは、俺には話せないことか?」


 俺の言葉に、リリィはほんの少しだけ困った顔をし、目を閉じて答えた。


「きみを信用していないわけじゃない。勿論会って三日しか経っていないから話せないなんて、そんな馬鹿げた理由じゃない。一言で言えば、きみのその態度が嬉しいから。そのまま知らないままでいてほしいの」


 本当によく分からない。俺の態度が嬉しい、か。やはりリリィは何か大きな悩みを抱えている。気にはなる。だけど、と、はっきりと口にしている。しかも、それがリリィにとって嬉しいことだとも。だったら、俺の取るべき道は一つしかない。


「何か悩みを抱えていることは分かった。それを知られたくないことも。だからこれ以上は聞かない。俺はこれからもこれまでと同じようにリリィと接する。改めて、今後ともよろしく頼む」


 俺の言葉にリリィはほんの少しだけ驚いた表情をした。だけど今度は、今まで一度も見たことのなかった表情。一瞬でも目を逸らせば見逃してしまうような、小さな笑顔を浮かべ、口を開いた。


「加点。昼食が終わったら呼びに来るわ」


    ◇


 リリィが部屋を出てから暫くして、昼食が運ばれてきた。リリィが来たおかげで悶々と悩まずに済んだが、結論を先延ばしにしただけで何の解決にも至っていない。改めて一人の時間を作って自分を見つめ直すために部屋での食事を希望したが、これもまた解決の助けにはならなかった。


 一人用に簡略化された昼食を運んできた給仕の方は、部屋に入ったものの困っていた。そこで俺は騎士校時代に学んだことを思い出し、椅子に腰掛けた。給仕の方が一礼し、恭しく俺の前にある長卓に料理を並べてくれる。貴族以上の者が自室で食事をする際には、その者が椅子に腰掛けた時点でその場所へ食事が運ばれてくるらしい。そのことを今、身をもって理解したが、俺が望んだのは片手間に食事をこなし考えにふけることだった。


 俺が食事をしている間、給仕の方は眉一つ動かさずその場に直立していた。何か気の利いた言葉を、と思い声を掛けようとしたが、「お気になさらず」の一点張りだった。エルミナ家の侍女さんたちとは大違いだった。あんなやりたい放題やっている使用人は他の貴族の屋敷にいるのだろうか。


 俺が食事を終えると、給仕の方は一礼し食器を下げていく。食器を下げ終わったのち、卓布を確認し、給仕の方は口を開いた。


「このあとお部屋を離れられるご予定はございますでしょうか」


 俺は「このあと暫く部屋を離れます」と伝えた。給仕の方は、「かしこまりました」と答え、食事台車を押し部屋から出て行ってしまった。


 給仕の方がいなくなってから、何故あんなことを聞いて来たのか考えてみたが、卓布を見て理解した。ほんの僅かな小さな染みが、卓布の一点を汚していた。俺は目を凝らしてようやく気付いたが、給仕の方は一目見ただけで気付いたようだった。


 幾千幾万の剣戟けんげきを見極めてきた俺の目を以てしても、卓布の汚れ一つ見抜くことができなかった。淡々と仕事をこなす姿勢。必要な言葉以外は一切口にしないあの態度。これがこの道の極致きょくちに至った者……。


 心の中で地に手を突く。こんなことで更に気が滅入った俺は、次からは大部屋で食事を摂らせて貰おうと心から思うのだった。そしてそこにやってきたリリィが、「なんで落ち込んでるの?」と不思議そうな目で俺を見ていた。


    ◇クルーエルア城上階◇


「ここがティアナの部屋」


 リリィに連れられ、クルーエルア城の上階にあるティアナ姫の部屋前へと辿り着く。道中特に会話もなく、リリィは淡々と案内役を務めてくれた。そもそもこの二日間、リリィとは会話をし尽くしたと言っていい。強いて言えば、互いに過去の話が不足しているくらいか。


「ありがとう」


 短く礼を言うと、リリィは「それじゃあ私はここで」と言い立ち去ろうとする。しかし何かを思い付いたのか、リリィはその場で立ち止まり、俺の前まで戻ってきて口を開いた。


「扉は叩かないでゆっくり開けて。こっそり中の様子を見るのを勧めるわ」


「そんな不敬な真似ができるか」


 俺の即答に、リリィは特に何でもないように返す。


「ちゃんと理由はある。きみはティアナのこと、きみを見ている時のティアナしか知らないでしょ?」


「えっ?」


 リリィの言葉に、何か心を鷲掴わしづかみにされたような感覚を覚える。


「ティアナは騎士就任の儀から、きみがティアナを見ていない時のきみも何度も見ている。その上でティアナはきみがそうだって確信してるの」


 ティアナ姫を見ていない時の俺……? どれのことを指しているんだろう?


「なんで、リリィがそんなことを知っているんだ?」


「私が誰の護衛術士か忘れたの? ティアナとは一日の殆どを一緒にいることのほうが多いんだから」


 リリィの言葉に疑問が浮かぶ。


 ティアナ姫は、ティアナ姫を見ていない時の俺を何度も見ていた。じゃあ、そのティアナ姫と一日の殆どを一緒にいた人物もまた……。


「ということは、リリィもその場にいて俺を見ていたのか?」


 俺の疑問にリリィは「えっ?」と驚きの声を上げる。そしてそのまま背中を向けられてしまう。素朴な疑問を口にしただけのはずなのに予想外の反応が返ってきた。何か後ろめたいことでもあるのか?


 リリィはぶつぶつと何かを口にしつつ、あーでもないこーでもないと言っている。その後、暫くしてリリィは振り返り、俺を見上げ口を開いた。


「減点」


 そう口にし、足早で去っていった。


「なんで減点されたんだ」


 離れていく背中を見て呟く。リリィもティアナ姫と同じその場にいたなら、どこでどの場面の俺を見たのか聞きたかっただけなのだが。


 リリィが直近の通路で曲がり、姿が見えなくなる。ここへ来た時とは違う通路へリリィは向かった。どこへ通じているのだろうか。俺には皆目見当が付かない。余計な悪知恵を吹き込まれたが、俺は改めて静かに深呼吸をし、ティアナ姫の部屋へと向き直った。


 軽く握り締めた拳を扉へと伸ばす。あとはこの手の甲で扉を叩くだけ。しかし俺の手は扉の前で止まってしまった。さっきリリィに吹き込まれた悪知恵が頭を過ぎったせいだ。だけど、手が止まった理由は悪知恵としてではなく、その内容の本質が頭を過ぎったからだ。


    ◆


「きみはティアナのこと、きみを見ている時のティアナしか知らないでしょ?」


    ◆


 リリィの言葉が頭の中で繰り返される。


 俺を見ている時のティアナ姫、か。そう言われればそうかもしれない。騎士就任の儀。騎士剣を抜いた時。テイル家での一件。そして祝宴の儀。どれも俺を見ているティアナ姫でしかない。王女として公務を全うする姿は拝見しても、一人の女の子としてのその表情を見たことは一度もない。


 怒られるだろうか。知りたいと思ってしまうのは悪いことなのだろうか。もし俺が十年前ティアナ姫を助けた男の子なら、俺を見ていない時のその顔に、きっと何かしらの感情を見出すはず。


 俺は心の中で謝罪しつつ、扉の持ち手を握り、音が出ないようゆっくりと回し、押し開いた。


 中からは声が聞こえてきた。誰かと会話している声。だけど、聞こえてきたその声は一人の少女のものだけで、よく聞くと、誰かに一方的に話しかけているようだった。


 俺は罪悪感を覚えつつも、ゆっくりと隙間から中を覗いた。


「えっへへ。そんなに歩き回ったらくすぐったいよ、ぴーちゃん」


 窓際の椅子に腰掛け、ティアナ姫は指に薄緑色の小さな鳥を乗せ、その小さな鳥と話をしていた。


 話の内容は特に意味を感じるものではなかった。その小さな鳥の名前(?)を呼んだり、撫でたり、微笑みかけたりと。俺の目に映り、俺を見ていない時のティアナ姫は、動物を可愛がり慈しむ普通の女の子だった。


 無邪気に笑いかけるその笑顔。その顔に懐かしむような感覚が過ぎり、一人で部屋にいた時に感じた心の不安が吹き飛んだ。騎士剣を抜いた時もそうだった。あの時俺は決して抜くことは叶わないと思っていた。それは騎士剣をたまわっていないからだけでなく、心の奥に感じる不安に押し潰され、王国騎士になれないと思っていたからだ。俺が王国騎士へと至れたのは仲間がいたから。ただそれだけ。あの時の俺は本当に一人になってしまったと考えていた。しかし本当は誰一人いなくなってなどいなかった。何故皆が消えてしまったのかは未だに分からない。でも、皆が俺に力を貸してくれている。ディクストーラの剣を振るえたのがそう。そしてそれに気付かせてくれたのがティアナ姫だ。


    ◆


「あなたは嘘吐きなんかじゃない」


「あなたは約束を守ってくれた」


    ◆


 俺の手を取ってくれたティアナ姫の手の温かさ。俺はあの感覚を知っている。あの感覚は、あの時の……。


 ティアナ姫の手に止まっていた小鳥が突然羽ばたき、部屋の入口、俺へと目掛け真っ直ぐに飛んでくる。


「ぴーちゃん? どうしたの?」


 ティアナ姫は立ち上がりこちらへ視線を向ける。感傷的になっていたことで俺は何もできず、飛んできた小鳥はそのまま俺の肩に止まった。


「あっ……」


 ティアナ姫の声が小さく漏れる。互いの視線が合う。俺は勝手に入ったことをどう弁明すればいいか頭を働かせていた。しかし肩に乗った小さな鳥を目の当たりにし、その鳥に既視感を覚えていた。


 この鳥、俺が目を覚ました時に俺の上にいた……!?


 そう考えていると、小鳥は俺の肩から飛び立ち、俺の視線をいざなうように飛んでいく。ティアナ姫の元へと真っ直ぐに向かい、そのすぐそばを通り過ぎ、窓の外へと消えていった。見付かってしまったことで、俺は大人しく部屋の中へと入り、後ろ手に扉を閉めた。


 こういう時、すぐ様にひざまずき敬意を表した方がいいのだろうか。だけど体が動かない。視線から、その視線から、ティアナ姫の視線から、目を逸らすことができない。


 大きく見開かれたティアナ姫の瞳に小さな雫が浮かぶ。その雫は少しずつ大きくなり、瞼という防波堤ぼうはてい氾濫はんらんし、頬を伝った。


「ティアナ……姫?」


 ティアナ姫は俺の姿を認めるや否や、駆け出し、俺の胸へと飛び込んできた。すがりつくように俺の服を握り締め、ティアナ姫が大声で泣きわめく。溢れ出た雫が宙を舞い床に落ちる。ティアナ姫は俺の胸に顔を埋め、泣き続けた。


 ティアナ姫のそんな姿に、俺は既視感を覚えていた。まるでいつかもそうしてあげたように、力強く抱き締め、優しく頭を撫でた。ただ言葉には出せなかったが、感じた既視感の中では、俺はその時、何かを口にしていた気がした。


    ◇

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