Episode.1-28
「その子供のものと思われる大量の
十年前ティアナ姫を助けた男の子が俺であることの可能性は高い。しかし、それを断言することはできない。なぜなら、仮に俺がティアナ姫を助けた男の子だとしても、クルーエルアに来るまでの空白の一年の間に何があったのかを証明できないからだ。
ジークムント騎士長が当時のことを語る。
「姫様は、その子が刃物で切られながらも自分を庇い逃がしてくれたのだと言っていた。偶然としか言いようがないが、私が駆け付けた先に姫様が逃げて来られ、無事保護することができた。その場は姫様の安全を優先し信の置ける者を待った。姫様を預けた後、姫様が泣きながら口にしていた「あの男の子を助けて」という言葉に従い、姫様が出てきた森の奥地へ足を踏み入れた。そしてその子のものと思われる大量の血痕を見付けた」
シグの言っていた通りだ。やっぱり、ティアナ姫の想い人はそこで死んで……。
「遺体がないことに私は違和感を覚えたが、自分たちの素性が発覚するのを恐れて処分したのだろう。丁寧に周囲を燃やした痕まで残っていた」
燃やした痕? 完全に痕跡を消すためか? その割に血痕は残ったままというのは、意図せず隠滅に失敗したのか?
「姫様は切られたところを、私は死んだ
俺が同じ立場でもジークムント騎士長と同じ判断をしたと思う。やっぱり、俺はその男の子じゃ……。
「ジークムント、あなたはあの子の目が
リリアナ王妃が王妃にあるまじき顔をしながら腕を組み、ジークムント騎士長を睨み付ける。ジークムント騎士長は狼狽え、「そのようなことは!?」と口にし目を背けた。リリアナ王妃は俺に向き直り、俺の顔を覗き込み、口を開いた。
「理屈なんていいんです。私だって過程がどうであったかは心得ています。その男の子は死んだ。死んだと思っていた。だけど生きていた。記憶をなくしても想いだけ残して。そして一年後、約束を守るためクルーエルアへ来た。こう考えたら凄く素敵だと思いませんか?」
夢見心地の乙女のような表情でリリアナ王妃が語る。このときばかりは、リリアナ王妃が儚く美しい少女のように見えた。そんな表情のまま、リリアナ王妃は手を伸ばし、俺の胸へと手を当てる。その瞬間は、さすがにどきりとしてしまった。
「だからここからはあなたの良心に問うことにします。あなたは、自分が死んだ瞬間を憶えていますか?」
死んだ瞬間を憶えている? 意味が分からない。リリアナ王妃は俺に何を聞きたいんだ。
「そうです、憶えているはずないんですよ。だって憶えていたらあなたはあなたじゃない誰かということになる。そして憶えていないということは、あなたは死んでいなかった。本当は、生きていたということなんです」
話し方といい表情といい、リリアナ王妃の姿が騎士剣を抜いた時のティアナ姫の姿と重なる。あの時ティアナ姫は、どこか寂しそうに儚げな表情をしていた。今思えばどうして……。
心が痛んだ。胸が締め付けられるような痛みが走った。何かが刺さった気がした。
そうか。あの時のティアナ姫の顔は、死んだと思っていた、殺されたと思っていたずっと会いたかった人にようやく会えたのに、その人が自分を憶えていなかったことへの、寂しさが表れた顔だったんだ。俺は憶えていないから、そのことに気付いてあげられなかった。同じ立場なら、きっと……。
リリアナ王妃の手を取る。俺は真っ直ぐにリリアナ王妃の目を見据え、口を開いた。
「リリアナ王妃、私にはまだ分かりません。私がその男の子なのかそうでないのか。それがティアナ姫にとって、とても大切なことであると分かってはいますが、今の私はティアナ姫の信じるその男の子ではないと思っています」
リリアナ王妃は黙って俺の話を聞いている。
「しかし今の私は、王国騎士としてだけでなく、私自身の願いとしてティアナ姫をお守りしたいと思っています」
「それは愛ですか?」
リリアナ王妃が表情を変えず真剣にその言葉を口にする。俺は一歩も引かず視線を外さずに答えた。
「分かりません。ですが、もし私が十年前ティアナ姫をお救いした男の子なら、その男の子なら……きっとその子は、ティアナ姫を好きになったから、命を懸けてお守りしたんだと思います」
自然とその言葉が出てきた。
『命を懸けて』
命を捨てることとは違う。命を懸けると口にするからには、どんなことがあっても生きて帰ってくるということ。もし本当に俺がその男の子なら、『命を懸けて』その約束を守ろうとしたはず。たとえ記憶をなくすことになったとしても……。
俺の言葉を聞きリリアナ王妃は目を閉じる。そして再び目を開き、嬉しそうに俺の手を取り答えた。
「大加点」
「……へっ?」
しまった。余りの予想外の答えに馬鹿丸出しの声が漏れてしまった。今この人……いや、この方は、「加点」と口にした。この口癖、身近なところに……!?
「一瞬ときめいてしまいました。自然な流れで手を取ってくださったことといい。あの人やティアナには悪いですが、今夜は私の部屋に来ませんか? ティアナに姉妹を作ってあげられなかったことは私の心残りで……」
「リリアナ様ぁ!!!!」
聞くに堪えないリリアナ王妃の言葉に、ジークムント騎士長が怒声を上げる。あまりの怒声に外まで響いたのか、兵士の方々が扉を開けて中に飛び込んできた。
ジークムント騎士長はそれでも構わずリリアナ王妃に抗議している。リリアナ王妃は、「双子の予定だったのに……」と零し口を尖らせている。兵士の方々もどうすれば良いか悩んでいたが、荒れ狂い叫ぶジークムント騎士長へ「落ち着いて下さい」と声を掛け続けていた。俺は完全に蚊帳の外だった。リリアナ王妃の様子を窺うと、リリアナ王妃は俺に笑い掛けてきた。
「大丈夫、安心して下さい」
リリアナ王妃の視線が語る。
「あの子が信じているから、と私も思っていました。でもそうじゃなかった。今日あなたと話してみて私も思いました」
そしてリリアナ王妃は瞳を閉じ、最後の一言は唇の動きだけで語った。
「私も、あなたを信じていますよ」
そしてリリアナ王妃は口を開き、
「じゃあ、ティアナへの使者の役目の報告はあなたにお願いしますね。でもそれは昼食以降で。お昼からはお暇を与えます。それまではジークムントに案内してもらって、識者より、使者の役割や他国の情勢や風習など、しっかりと学んでください」
そういい残し、リリアナ王妃は再び玉座に座り直した。
◇クルーエルア城・客間◇
あの場ではあれ以上聞かれることはなかった。しかし、俺自身が知らなければならないことがいくつもある。
『騎士剣を抜いた時に発した光』、『ディクストーラの剣を使えたこと』、そして……。
「俺が、十年前にティアナ姫を助けた男の子なのか……」
どれも答えは出ない。記憶がないだけでなく、名前もないだけでなく、自分のことなのに分からないことがどんどん増えていく。
俺は何だ。何者なんだ?
何度もこの疑問は繰り返してきた。その度一人では乗り越えることができず、いつも誰かが傍にいてくれた。騎士校時代は仲間が。その前はローズお姉ちゃんが。そしてあの時は、あの子が……。
「あの時……?」
無意識に浮かんだ『あの時』とは、いったいいつを指しているのだろう。そして『あの子』……?
もし、もし俺がティアナ姫を助けた男の子なら、俺はその
足に力が入らず、思わずその場で膝を突く。頭を抑え、前のめりになる。動悸が激しくなり、頭の中を黒い感覚が駆け巡っていく。
いや駄目だ。今は考えてはいけない。深く考えては。俺は守りたいものを守るため騎士になった。今俺が守るべきはこの国に生きる全ての人々の命。術士校で起きたような悲劇を繰り返させてはいけない。恐らくだが、ローズお姉ちゃんが生きていることも分かった。そうだ、俺が何者なのかなんて今はもう関係ない。今の俺は、王国騎士なのだから。
決意を固める。しかしその決意とは裏腹に、心に黒い雫が一筋、零れ落ちる。その雫を求め、恐獣は姿を現し、雫を喰らった。喰らわれた雫の中身、それは気付いていても口にできなかった、『俺が本当に守りたいものは何だったのか』だった。
窓から射し込む光を浴び、呼吸を整え、心を落ち着かせる。すると、入り口の扉を叩く音が小さく聞こえた。外に聞こえるように応答する。しかし誰も入ってくる様子がない。聞き間違いだったのかと疑問に思いながら扉を開けるが、開けた先には誰もいなかった。しかしよく見ると、壁に背中を預け、そっぽを向いたリリィがそこに立っている。いつもの術士用の法衣を着て。
当たり前だがここでするべきは声を掛けることだ。掛ける言葉は、「リリィ?(名前を呼ぶ)」、「何をしているんだ?」、「何か用?」の三つの中から選ぶのが最適だろう。だが俺は、敢えて気付かないふりをして扉を閉めた。
「わざと減点と言わせたいのか! どっちつかずの優柔不断男!!」
もう最初の印象の欠片も残っちゃいない。冷静で無感情な印象はどこへいったのやら。そう思わせる勢いで扉を開けたリリィが正面から殴りこんできた。
リリィは部屋に入るなり顔を真っ赤にして
「その、一応決まりで、大部屋で一緒に食事を摂るか、ここで一人で食事を摂るか、聞いて来いってリリアナに言われて……。王国騎士は、私たちと同じ時間に大部屋で食事を摂ることも許されているから……」
視線が安定しない。昨夜のことを申し訳なく思っているのだろうか。もう過ぎたことだから気にしなくてもいいのに。それにしてもどうしてリリアナ王妃もわざわざリリィに言伝を頼んだのか。いくらなんでもリリィがかわいそうじゃないか。……あぁ、リリアナ王妃だからだな。納得だ。
俺が考えている間もリリィは俺と目を合わせようとしない。さすがにこんな状態で俺と一緒に食事を摂るなんて嫌だろう。俺も今のうちに気持ちの整理をつけておかなければならない。たとえ先程のように苦悩を伴おうとも、旅の途中にそうなるよりはましだ。ここは気の利いた言葉と共に丁重にお断りしよう。
「ありがとうリリィ。だけど今は昨日の件(グリフィストーラ様の件)に対して気持ちの整理をしておきたいんだ。一人でいられる時間が少なかったから。だから食事はここで摂ろうと思う。あと、あれ(昨夜の件)は過ぎたことだ。気にしないでいい」
「昨日の件(私が酔って訪ねてあろうことかきみを
気のせいか、酷い誤解をされた気がする。気の利いた言葉のつもりが、却って火に油を注いでしまった。
昨夜から表情に色鮮やかなものが見られるようになったと思った矢先に、また表情一枚に戻すような結果になってしまった。いや、これは無表情ではないのか。目に光が宿っていない……。
「何もなかったことは良いことだけど、何もなかったことで私の女としての自尊心がどれだけ傷付けられたと思う? きみは何をしたのか分かってる? 何もしていないのは分かってる? 男の人の部屋に泊まって何もないのは、私には魅力がないって言われたようなものなのよ?」
じゃあどうしたら良かったんだよ!! と叫びそうになった。
理不尽だ。俺は正しい対応をしたはずなのにどうして俺が責められなければならないんだ。ただでさえ先程の問題と明日からの王国騎士としての使命について考えなければならないのに。そしてその件について、この
俺が黙り込んでいると、リリィは大波のように絶えず途切れず罵詈雑言を浴びせてきた。言い返したくなるような言葉もあれば心に来る言葉もあり、俺の精神はぶつ切りにされた食材のように微塵に砕かれた。
◇
「じゃあ、昼はここで食べると伝えておいていいのね?」
もう何を言われ続けたのか憶えていないが、リリィがその言葉で締める。俺は「お願いします」と伝え、項垂れた。
昨夜とは違う意味で疲れた。この
「リリィに頼みがあるんだが」
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