Episode.1-27

 予想外の質問に形容し難い素っ頓狂な声が出てしまう。


「えっ? あの、そのご質問は、今この場とどう関係があるのでしょうか……」


 逃げた。逃げを選んでしまった。ここでこの話題逸らしは逃げと取られても言い訳ができない。リリィがこの場にいたら、「減点」だの「情けない」だの散々言われ、さげすんだ目で汚物のように扱われたことだろう。


 そんなことを考えていると、隣から殺意にも似た怒気が放たれているのが分かる。その怒気を放つ主は、リリアナ王妃を真っ直ぐに見て、毅然とした態度で口を開いた。


「リリアナ様。"彼"はまだ王国騎士としては未熟。そのようなご質問は、使者としての使命を無事遂行してからでも遅くはないかと」


 助け舟を出してくれたのかと思ったが、ジークムント騎士長が発している威圧感が明らかにそのたぐいじゃない。本当に、年頃の娘を持つ父親のようだ。


「黙りなさいジークムント! 恋と愛は人が営みを続ける限り避けては通れない道です! ましてや、娘の想い人ともなれば親として黙ってはいられません! 今この場でどう覚悟をお持ちなのか、はっきりと聞いておくべきだと私は思うわけです。その答えによっては国の未来なんて私の知ったことではありません」


 最後の一言は、この場に俺とジークムント騎士長しかいないから口にした言葉だと、そう信じていいんですよね?


 ジークムント騎士長はしおれた花のように項垂れている。心ここに在らずといった感じだ。ジークムント騎士長は、「リリアナ様の納得のいく回答を頼む」と俺に告げる。


 騎士長、ここに敗北す。まるで嫁の尻に敷かれる亭主のようだ。


 そんな騎士長を横目に、改めてリリアナ王妃に向き直る。リリアナ王妃は眩しい程に輝く笑顔を浮かべ、王妃としてではなく、『母親』としての顔で俺に笑顔を送っていた。


「慎重に答えて下さいね。そうでないと私、あなたに体を触られたって口が滑ってしまいそうですから」


 リリアナ王妃は泣き崩れる仕草をしながらさらりと毒を吐いた。


 一瞬とはいえこの御仁をティアナ姫と同じ優しさの象徴などと勘違いしたことは間違いだった。あの時抱き締めてくれたのは既成事実を作るため。目的は弱みを握ること。この人は俺がティアナ姫のことをどう考えているのか何が何でも言わせるつもりだ。しかも多少盛るくらいを期待している。そこがより質が悪い。悪女なら昨晩も現れた。だがあれは酔った上での過ちだ。目覚めた直後の本人の行動がそれを物語っている。だけどこの方は違う。間違いなく素面だ。その上年頃の娘までいる。それも、娘の想い人なんて言っておきながら、その相手を脅迫しようとしている。不謹慎なのは承知の上だが、俺にとってはこの方の存在そのものが厄災だ!


 ジークムント騎士長が先程の態度とは打って変わりいつもの騎士長に戻る。そして俺に視線を向け、口を開いた。


「安心しろ。私は事実を知っている。リリアナ様がそんなことを吹いて回るなら、その時は私が矢面に立つ」


 さすがは騎士長。当然のことだが公私をしっかりと区別できている。やはり一国の王の弟だけあり混同したりしない。


「お前を王国騎士として許可してしまったのは私だ。その責任を取り、お前の首を跳ね、私も共に死のう」


 今気付いた。この国の大人にろくな方がいない。ティアナ姫やシグ、アルヴァが本当にまともに見える。リリィは、残念ながら向こう(大人)側だ。


 俺が口にするのを躊躇ためらっていてもリリアナ王妃の態度は変わらない。飛来物が飛んで来てこの部屋だけ吹き飛んだりしないだろうか、という不謹慎な妄想もこういう時には現実になってくれない。本当に現実になられても困るが。


 俺は覚悟を決め、口を開いた。


「リリアナ王妃のご納得のいく答えをお話しできるかは分かりません。しかし過去を憶えていない私ですが、不思議とティアナ姫を昔から知っているような感覚を覚えます」


 俺の言葉に、ジークムント騎士長はいつもの顔に戻り、リリアナ王妃は笑顔で、それでいて期待を伴った視線で俺の話に耳を傾けている。


「騎士就任の儀の前、シグムント様から聞きました。十年前の事件の際、ティアナ姫を助けたのは、この国の者ではなく、その時その場にいたティアナ姫と年の変わらない男の子だったと」


 リリアナ王妃もジークムント騎士長も黙って俺の話を聞いてくれている。視線で頷き、「その通りです」と答えてくれた。


「ティアナ姫は、騎士就任の儀で私を見た時から様子が変でした。初めて騎士剣を抜いた時。テイル家にいらした時。そして昨夜の祝宴の儀。いつも、まるで昔の私のことを知っていらっしゃるかのようにお話しになっていました。そして私も、そんなティアナ姫の笑顔に、どこか懐かしさを覚えました」


 玉座の間は物音一つなく俺の声だけが響いている。


「だけど、それを、その笑顔や既視感の正体を知ろうと思えば思うほど、心は離れねばならないと、何かに強く締め付けられるのです。お前は嘘吐きだ、と。約束を守れなかった、と」


「深い事情は分からない。しかしお前にとっては、大切なものを守るために騎士を目指したのではなかったのか? それは今からでも遅くはないのではないか?」


 ジークムント騎士長が俺に尋ねる。


「一つ確かなのは、私は守りたいものを守れなかったから騎士になりたいと思ったのです。騎士長の言うように、まだ遅くはないのなら、次こそは守り抜いてみせたいから」


「それはあなたのお姉さん、ローズさんのこと?」


「はい」


 リリアナ王妃の問いに答える。


「だけどそれはきっかけの一つにすぎないんです。私はこの国に来た時、二つのことを残しそれ以外のことを全て忘れていました。一つは、今も変わらぬ私の信念の言葉。もう一つは、幼い日に交わした約束。その二つだけが、今も本当の自分を知る唯一の手掛かりです」


 俺の話に二人は黙って耳を傾けてくれている。


「私はその時、その子と約束をしました。しかしそのことを思い出そうとすると、私の心は『嘘吐き』という言葉に塗り潰されていくんです。何が嘘吐きなのかも、思い出せないのに」


 強く握る拳から力が抜けていく。心の底からの虚脱感と無力感が込み上げてくる。だけどそれすら何故なのか分からない。どうしてそんなものが俺の中にあるのか、それが分からない。


「ティアナ姫と話していると、その温かさと優しさと包容力、そして、記憶の女の子と錯覚する既視感で、十年前ティアナ姫を助けたのが私だったのではないかと、思い込みたいとすら思えてきます。しかしもしその男の子が私ではなく別人であったら。私だけじゃない。ティアナ姫も悲しませてしまう」


 目を閉じ、下を向く。今から言う言葉にリリアナ王妃はなんと思われるだろうか。それでも言わなければならない。俺はその男の子ではないかもしれないのだから。


「今の私は、、ティアナ姫をお慕いしております」


 あくまで個ではなく公として、それ以上の気持ちを持ってはいない。


 記憶の中の景色にひびが入る。昨夜一緒に踊った時の最高の笑顔に陰りができる。


 俺は、嘘を吐いている……?


 心に生じた疑問に、「それでいい」「何も間違っていない」と、俺を肯定する声が聞こえる。


 本当にこれは正しい声なのだろうか。


 俺が『守りたい』と願う意志はどこから来ているものなのだろう。そもそも俺は、どうしてあの女の子を守りたいと思ったのか。


 俺が顔を伏せ黙り込んだところで、リリアナ王妃が立ち上がり口を開く。


「愚直なまでに真面目な方ですね。娘の見る目に間違いはなかったというのは、親として嬉しく思います。ですが」


 リリアナ王妃は俺の前まで来て立ち止まる。そして目が合った瞬間、俺は頬を叩かれた。


「あなたは間違っています。確かにあの子の想い人は、十年前あの子を助けてくれたその男の子から変わっていないと私も思っています。あなたは、ティアナを助けた男の子が自分ではないかもしれないから、とおっしゃいましたが、あなたをそうだと、十年前命を救ってくれた大切な男の子、初めて好きになった男の子だと、信じて疑わないティアナの気持ちを考えたことはありますか?」


 ティアナ姫の気持ち……?


「だからこそあなたに王国騎士として勅命を下す役目を私が執り行ったのです。母として、あの子には荷が重すぎる役目だと思ったから」


 リリアナ王妃がティアナ姫の代わりに執り行った……?


 分かっていない俺に騎士長が補足する。


「本来王国騎士に最初の勅命を下すのは、王国騎士に任命した者という決まりがあるのだ。姫様はその事実を知らないが」


「そう、だったのですか……」


 言葉が浮かんでこない。俺は何と答えればよいのだろうか。


 俺が答えに困っていると、リリアナ王妃がきつい口調で、「もう一度叩かれないと目が覚めないのかしら?」と口にする。そして続けて話した。


「あの子が、容姿や雰囲気だけで、あなたを十年前の男の子だと信じて疑わないなどと言うはずがありません。もっと深い何か。あなたをそうだと信じるだけの何かが、きっとあるはずです」


 信じる何か……。 『信じる』……?


 そうだ、そういえば、ティアナ姫は確かに俺を一目見た時から不自然だった。だけどそれが確信に変わったのは騎士剣の授受の時。記憶をなくした俺が唯一憶えていた、俺の信念の言葉を聞いた時に、その男の子だと確信に変わったんだ。


「「信じること、信じ抜くこと。守ること、守り抜くこと」」


 俺とリリアナ王妃の言葉が重なる。リリアナ王妃は続けて語った。


「この言葉は、あの子を助けてくれた男の子が、あの子のために残した大切な言葉なんだそうです。その男の子は、この言葉を残し、あの子と約束し……」


 そこでリリアナ王妃がジークムント騎士長へ視線を向ける。ジークムント騎士長は目を閉じ、下を向いたまま何も口にしない。リリアナ王妃は再び俺に視線を向け、口を開いた。


「殺されたと、あの子自身が言っていました」

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