Episode.1-25
「大丈夫か?」
ジークムント騎士長の呼び掛ける声が遠くに感じられる。
完全に取り乱してしまった。だけど、ローズお姉ちゃんだという考えに至った時、込み上げる何かを抑えることができなかった。もし本当にローズお姉ちゃんが生きていて、敵として対峙することになったら、その時俺は、ローズお姉ちゃんと戦えるのだろうか。ガルシアさんのように、覚悟を持って殺すことができるのだろうか。
呼吸が整い少しずつ落ち着いてくる。そこで俺は、何か温かいものに包まれている感覚を覚えた。ゆっくりと目を開くと、そこには先程まで見上げていた
「あら、苦しかったですか?」
俺は状況を飲み込めずに何度も瞬きを繰り返した。目の前にいるリリアナ王妃の顔を見上げる。自分の身に何があったのか全く思い出せない。そんな俺に気を遣ったのか、ジークムント騎士長が俺の頭を一発で覚醒させる言葉を口にした。
「今のことは報告書にまとめ、姫様に提出しておこう」
「やめて下さい……」
◇
「申し訳ございません。王国騎士にあるまじき失態です」
片膝を突き、深く頭を下げる。玉座に座り直したリリアナ王妃は「気になさらなくていいですよ」と答えてくれた。そして続けて、
「本当に苦しい時に男を支えてあげられるのが良い女なんです」
と、深い言葉を頂いた。
「先程の言葉だが、ローズ=テイルスが王国騎士四人を手に掛けたという確証はあるのか?」
ジークムント騎士長が疑問を口にする。それについては俺も確証はなかった。だけど、ある過去の出来事がその可能性を後押しする理由になっていた。
「確証はありません。ですが、それに近い条件で、それだけのことを行うだろう可能性は存在します」
ただし俺の知る限りでは、動物に限って、のことだが。
「その可能性とは?」
リリアナ王妃も声を掛ける。
俺はかつて騎士校時代にあった、上級下期の領土内にて発生した、凶暴化した動物を鎮圧、撃退した結末について話した。
「凶暴化した動物が目を覚ましたら元に戻った?」
ジークムント騎士長の言葉に俺は頷いて答える。
「後で報告書に目を通しておこう。しかしそうなら、今のこの世界の惨状は何者かが引き起こしたということになる」
ジークムント騎士長の言葉にリリアナ王妃が補足する。
「そうですね。そしてそれが、『厄災を
「はい、私もそうだと考えています。そこで王妃陛下とジークムント騎士長にお願いがございます」
リリアナ王妃は視線で頷いた後、「話してください」と促した。
「その何者かを、ケスラの帝だと断定しないで頂きたいのです」
ジークムント騎士長もリリアナ王妃も、表情一つ変えず俺の次の言葉を待っている。
「ケスラが関わっているのは間違いありません。しかし、ケスラの帝が指示を下したのかまでは現状判断がつきません。なぜなら、ケスラの帝が本当にクルーエルアを滅ぼすつもりなら、こんな手の込んだ策を講じる必要がないからです。それだけの力があるのなら、他国からの非難など、文字通り切って捨てればよいでしょう」
俺の言葉に、リリアナ王妃とジークムント騎士長が顔を見合わせる。そして互いに何かを決めたかのように頷き、リリアナ王妃が口を開いた。
「あなたには謝らないといけません。これは王族の一部とグランニーチェ、そして他国の王や代表以外、本来は知ることを許されない内容だからです」
リリアナ王妃が視線を落とし俺に謝罪する。俺はなんのことかと思ったが、リリアナ王妃の次の言葉で理解することができた。
「正確には抗う
リリアナ王妃の言葉を受け今まで組み上げた仮説を組み替える。事実がそうであるのならば、尚更組み立てやすい。
「それが事実ならば、十年前の事件は尚のこと合理的だと考えられます。ティアナ姫を
リリアナ王妃も頷く。
「しかしこうなると、四年前の術士校での事件。これについては、随分大胆な行動に出たものだと違和感を覚えずにはいられません」
「ほう」
ジークムント騎士長が小さく答える。
「『ケスラの帝を上回る力をクルーエルアが持っている』ということを知りながら、正面からあんな真似を行う者はいないでしょう。帝なら尚更です」
「……そうですね」
リリアナ王妃が視線を外し考え込んでいる。
「つまり首謀者はその事実を知らないか、もしくは知っていても行う必要があった、ということです」
「知っていても行う必要があった?」
ジークムント騎士長が俺の言葉を繰り返す。
「『知らない』という可能性も完全には排除できませんが、これはまず有り得ないでしょう。知っていても行う必要があった理由は、結果から把握することができます」
「クルーエルアの術士の確保ですね」
リリアナ王妃の言葉に俺は頷く。
「術士が必要な理由までは分かりませんが、『ケスラの帝を上回る力をクルーエルアが持っている』という事実を知っていて尚、確保する必要があったのでしょう」
「先程お前が言っていたが、それを承知で襲撃を行うのは無謀ではないか?」
ジークムント騎士長が俺に尋ねる。だけど俺には確信めいたものがあった。だから一つかまをかけることにした。それが事実であるならば、一つの筋道が立てられるから。
「行わなければならない何かしらの理由があったのでしょう。なぜなら首謀者は、十年前に一度、術士の確保に失敗しているからです」
その言葉に二人の顔色が変わる。俺が何を口にしようとしているのか、察したようだ。
「王妃陛下。ティアナ姫は、術士ですね?」
俺の言葉にリリアナ王妃は顔を逸らし、口を開いた。
「違います。あの子は、ティアナは……」
「術士なのは間違いありません。いくら術士が血筋を介さず生まれるといっても、あの人と私の間に生まれた子が、術士でないはずがありません」
妙に歯切れが悪い。
リリアナ王妃が続けて言葉を紡いだ。
「ただ言葉にするのは難しいのですが、一言で言えば有り得ないのです。私が言うのも何ですが、血も才能もあるはずなのに、一切の力の行使ができないというのは」
「えっ……?」
意外な言葉がリリアナ王妃の口から発せられた。それは一体どういう。
「姫様は、生まれながらにして術を行使することができない術士なのだ」
ジークムント騎士長が答えを口にする。
術を使うことができない術士……? どういう意味なんだ……?
「術を行使できる者同士は、対峙したとき、直感で感じ取ることができるのです。お互いがどれだけの力を秘めているのかを。あなたは一切の術を行使できない。そうですね?」
リリアナ王妃の言葉に俺は頷く。
「私が術を使えるということは感じ取れましたか?」
「いえ、感じ取れませんでした。そもそも今教えて頂くまで、リリアナ王妃が術士であることすら知りませんでした」
正直に申し上げる。
「それでいいんです。術士とそうでない者は、いわば男と女のようなもの。対であっても互いになくてはならない存在なのですから」
リリアナ王妃の言いたいことは分かる。人は一人では生きていけないということと同じ理屈だ。
「私たち術士は、あの子から、ティアナから、大きな力を感じるんです。リリィと同程度には大きな力を。しかし本人がどれだけ頑張っても何も生み出せませんでした」
リリィ程度にはって。最低でも護衛術士程度にはってことか。あっさりと言ったけど、もしかしたらリリアナ王妃もとんでもない術士だったりするのだろうか。
「だから、術が行使できないという制限を除けば、飛び抜けて優秀な術士のはずなんです。目を閉じて感じ取るだけなら、あなたのお姉さんのローズさんと差はないはずです」
ローズお姉ちゃんと差はない……? まさか、やっぱりそういうことなのか?
「リリアナ王妃。今の話をお聞きした上で、おそれながら申し上げます。公務とはいえ、そして、いくらジークムント騎士長や護衛術士のリリィを連れているからといって、先日のように、夜間にティアナ姫の外出を許可することは控えられた方が良いと思います。いつまたどこでその者たちがティアナ姫を狙ってくるかわかりません」
「そうですね、おっしゃる通りです。母として娘を危険に晒した事を反省します」
ティアナ姫を心配する気持ちは本物だが、今の忠言は、少し考える時間が欲しくて言ったことでもあった。口には出せないが知ってしまった。術士校の学生たちは、誰の代わりに犠牲になったのかを。そして、ローズお姉ちゃんは誰の代わりに攫われたのかを、俺は理解してしまった。
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