Episode.1-22

 核心を突くような一言がリリィの口から発せられる。俺は「えっ?」と声を零し考え込んでしまった。リリィが「真剣に悩むくらいには考えているんだ」と呟く。


 ティアナ姫の顔を思い浮かべる。初めて会ったのは騎士就任の儀。次に会ったのは騎士剣を手にした時。次はテイル家で。そして先の祝宴の儀。


    ◆


「あの時も、きみが私の手を引いてくれたんだよ」


「二人だけの時は、リリィと同じように敬語はやめて、昔のようにティアナって呼んで」


    ◆


 聞くことはできなかったが、ティアナ姫の口ぶりは明らかに俺の過去を知っている様子だった。しかしどこで接点があったのかが分からない。もし可能性があるとするなら、それはシグが話していた、ティアナ姫がさらわれた時だろう。ティアナ姫を助け、救い出した子供が、実は俺だったという可能性だ。しかし、その子供は死んだと言っていた。それに、シグの話と繋ぎ合わせても分からないことが一つある。


 ティアナ姫がさらわれたのが十年前。俺がこの国に来たのが九年前。そこに空白の一年がある。シグが話していた通りなら、生き残ったとしても、その子は瀕死の重体だったはずだ。そんな状態からどうやって一年を生き延びクルーエルアに来たのか。記憶もなくし、どうやってこの国に来ることができたのか。その説明がつかない限り、ティアナ姫が信じているという子供が俺だったということにはならない。


「いっそきみからティアナに求婚してみればいいんじゃない?」


 真剣に考えていたところで、茶化すような一言をリリィが言ってのける。


「冗談でもそういうのはやめてくれ。そうでなくとも時折妙な気持ちになるんだ」


「恋?」


「だったら素直に認めるよ」


 自分の手を見詰める。騎士剣を引き抜いた時に一瞬だけ見えた光景があった。「約束だよ」と告げ消えていった女の子。その子の面影が、時折ティアナ姫に被る。


「そんなに悩むならいっそ私が結婚してあげようか?」


 以前自分で言ったことをを忘れたのか、俺の前に座る悪女が呟く。


「悩みの種をこれ以上増やすつもりか?」


 真剣に考えているところに水を差された気分だ。ただ、今分からないことを考え続けても仕方がないことではあるのだが。


「冗談、弟と同じ世代の男と結婚するなんて死んでもごめんだわ」


 今回はすんなり冗談と認めた。


 なんだ? 本当に今のリリィは何なんだ?


「嫌われたものだな」


「別に嫌いではないけど」


 その言葉に意味はないのだろうが、こういう態度が求婚者を増やす理由になっているんだろうなと思った。俺が黙っていると、リリィは視線を落として小さく呟く。


「安心して。私がきみを好きになることなんて、絶対にないから」


 重い話を聞いたばかりだったから、その言葉の意味を聞くのははばかられた。ただ、もしそうでなければ、言葉の意味を尋ねていたかもしれない。


「一つ教えてほしい。俺が寝ていた時、どうして俺のほほに触れていたんだ」


 リリィは瞼を開けたり閉じたりしながら下を向いている。少しずつ焦点が外れていくように瞳孔の大きさが安定しない。


「さぁどうしてかしら。自分でも分からない。でもきみの眠る顔が余りにもアルの幼かった時みたいに無防備だったから。から……思い出して……少し寂しかったのかもしれ……」


 そのまま前のめりになりリリィが倒れる。咄嗟とっさに手を伸ばしリリィを抱きかかえた。一瞬どこか悪いのかと心配したが、リリィは小さく寝息を立て眠っていた。そして近付いたことで気付いた。


「酒気があるな」


 さっきまでの発言は全部そういうことかと納得した。そもそも「減点」を口にしない時点でいつもの調子じゃないと気付くべきだった。


 リリィを抱え上げる。ティアナ姫程ではないが、華奢で、王族を守護する護衛術士という立場とは到底思えない。どうしてリリィは護衛術士になったのだろう。起こさないようにゆっくりと抱え直し、リリィを寝床ベッドに寝かせる。酔ってはいたのだろうが、先程リリィが言っていた意味が少し分かった気がした。


 理由は分からなかった。でも優しく撫でてあげたい。一瞬だけそんな気持ちになった。


 リリィも、他の貴族の方たちと同じでアルヴァがいなくなって寂しかったのだろう。立場上なんでもないように振舞ってみせても、そこはやはり女の子ということなのかもしれない。


 眠るリリィの顔を見る。


 もし生きていれば、ローズお姉ちゃんも護衛術士となり、リリィと同じようにティアナ姫の護衛を務めていたのだろうか。


 そんなことを考えながら最後に一言、「おやすみ」と伝え離れようとする。しかしそこで、寝言なのか、リリィは涙を流しながら、その心の内とも思われる言葉を小さく呟いた。


「――――術士になんて、なりたくなかった……」


    ◇翌朝◇


 翌朝、初めて城内で目覚めた朝は、慣れない環境の上に長椅子で寝たせいで、いつも目を覚ます時間を少しばかり過ぎていた。何故少しで済んだか。それは、今日は鳥のさえずりがいつもの時間に聞こえなかったからとか、窓から射し込む光がいつもと違ったからとか、そんな理由じゃない。今まで感じたことがない、かつてない程の『殺気』が、俺を寝坊から救ってくれた。


「ふん!!!!」


 振り下ろされる強烈な何かを感じ取り、瞬時に脳が覚醒し、咄嗟とっさにそれを両手で受け止める。


「受け止めるな!!」


 爆音にも似た叫びが俺の耳をつんざく。声を発した人物はリリィだった。リリィが振り下ろしたそれは、俺がかたわらに置いていたはずの騎士剣(さすがに鞘のまま)だった。


「殺す気か!」


 俺も声を張り上げ押し返す。しかし体勢が悪いせいか押し返すことができない。わずかながらにリリィの方が勝っている。


「減点減点減点減点! 許さない許さない許さない許さない! ティアナならいざ知らず。よりにもよって私に手を出すなんて……。百万回生まれ変わって百万回ともその脳天叩き割っても許されない蛮行ばんこうだわ!」


「ちょっと待て! 俺は何もしていない。そもそもティアナ姫ならいざ知らずって何だ!?」


 リリィにいつもの面影は影も形もなく、怒っているのか悲しんでいるのかすら分からないが、とにかく涙を流し、鬼気迫る形相で騎士剣に力を込めてくる。そういえばリリィは王国騎士ではない。それなのに騎士剣を当たり前のように手に取っている。リリィが、アリアの家系から分かれたエルミナの家系だからだろうか。


「失礼します。大きな音が聞こえましたが何かございましたか」


 俺たちの叫びを聞きつけた兵士の方々が飛び込んでくる。しかし、俺とリリィのやり取りを目の当たりにした兵士の方は困惑していた。それもそのはず。リリィは、恐らく寝相が悪かったせいか、正装ドレスが少しはだけていた。


「死ね! けだもの! 変態! 責任取って、今生も来世も何度生まれ変わっても、一生養ってもらうんだから!」


「待て! 落ち着け! 全部誤解だ! そもそも来世どころか今生すら責任を取れる自信がない!」


 ……しまった。今俺は何を口走った……!? リリィは完全に硬直し、兵士の方々からは冷ややかな視線が送られてきている。今のは完全に失言だ。


「か、か、か、甲斐性なし! ちょっとはティアナがうらやましいなって思いかけてたのに……。もういい。きみなんか、私の前から消えていなくなれーーーー!!」


 リリィは握る騎士剣にさらに力を込める。すると、騎士剣から暴風のような凄まじい風が発せられ、俺と兵士の方々は入口の扉を抜け、大きく吹き飛ばされた。


    ◇別室にて◇


「それで、王国騎士、護衛術士が二人で逢瀬おうせを重ねていたと」


 兵士の方が提出したのであろう報告書を見て、ジークムント騎士長が呆れたような何とも形容しようのない顔をして俺たちに告げる。


「「断じて違います!!」」


「息ぴったり……」


 ティアナ姫が今にも泣きだしそうな顔をしている。昨晩最高の笑顔を見た後ということもあり、心の中は罪悪感でいっぱいだ。


 あのあとリリィは泣きながら屋敷へと戻って行き、俺は自室となった客間内で荷物をまとめた。兵士の方から、「リリィに手を出すなんて勇気ありますね、私は応援しますよ」と茶化された。俺は素直に、「見て感じたままを報告書に書いてください。弁明が許されるのであればそこで行います……」と諦めた。何もしてはいないが、この件の判断ができるのは、残念ながら俺じゃない。リリィの言葉だけが俺の運命を左右する……。


 その、早朝にもかかわらず、俺とリリィは別室で今回の騒動について説明を求められた。冗談抜きにして首が飛ぶのも覚悟していた。しかし周囲の反応は思っていたよりも淡泊たんぱくだった。


「私としては、リリィが男性とそういう関係になることを嬉しく思いますが」


 リリアナ王妃はむしろ笑っている。しかし隣のティアナ姫を見て、


「ティアナの前でそういうのはやめてほしいかなぁと」


「リリアナぁ……」


 リリィが珍しく感情をあらわにして落胆している。


 ……おかしい。予想とは大きく異なる反応に困惑を隠せない。今にも死に絶えそうなくらい心臓は高鳴っている。このあと俺は何を口にすればいいんだ。


 俺が黙っていると、ジークムント騎士長が読み直していた報告書から目を上げる。そしてリリィを見て、普段通りの口調で尋ねた。


「リリィ、祝宴の儀とはいえ飲んだのか」


 ジークムント騎士長の言葉を聞き、リリィが一瞬で固まる。リリィは、びた鉄のような鈍い動きをしながら首を回し、ジークムント騎士長を見て答えた。


「……ひとくちだけ」


 落胆しその場にうずくまる。一人だけ状況が分かっていない俺に対し、リリアナ王妃が説明してくれた。


「リリィはお酒に弱いんです。安心してください。あなたのことは信用していますよ。だから昨夜ゆうべ何があったのか話して下さらないかしら」


 リリィが俺に顔を向ける。その目には、起床直後の時と変わらない悔し涙が浮かんでいた。


赤裸々せきららに事実を話してください。事実が如何いかんともしがたいものであっても、私はあなた様のお言葉を無条件で受け入れる所存しょぞんです……」


 敬語は気持ち悪いからやめてくれと言ったリリィが俺に敬語を使っている……。俺の問題かと思いきや、いつの間にかリリィの問題になっていた。どういうことなんだ……。しかし、この視線が集まる中で事実以外を語る舌を俺は持ち合わせていない。


 俺は、昨夜起きた出来事を語った。




「そういうことで、最後は寝てしまいました。そしてリリィに寝床ねどこを譲り、私は長椅子で休み今朝に至ります」


 俺の話を聞き、リリアナ王妃はリリィに視線を移し、「話を聞いてどう?」と尋ねる。リリィは耳まで真っ赤にしながら口を開いた。


「か、体を触られた形跡があったのは、"彼"の言った、私が意識を失い倒れた時に支えてくれたからだと思う。その、性的に体をもてあそばれたような形跡はないから……」


 そこまで言わなくてもいいんじゃないか……。


 リリィに顔を向ける。他のお三方の顔色が気に掛かるが、怖くて見られない。誰か言葉を発してくれれば自然と見ることはできる。しかし、この状況で、特にティアナ姫の顔を見るのは、誤解が解けたあとであっても気が引けることに変わりはない。


「リリィ!」


 突然室内に大きな声が響き渡る。声を発したのはティアナ姫だった。ティアナ姫は立ち上がり、胸元に手を置き、かつてない程に真剣な顔で言葉を続けた。


「次お酒飲む時は私も誘って! 私もお酒飲む!」


「なりませぬぞ姫様! 兄上に代わりこのジークムント、我が名に懸けても姫様の飲酒を許すわけにはいきませぬ。さあ、リリアナ様も姫様に一言!」


 ティアナ姫の発言に、間髪入れずジークムント騎士長が言葉を返す。リリアナ王妃は悪戯いたずらっぽい表情を浮かべ、「ジークムントが見ていないところでこっそり飲むのよ」と口にした。


「リリアナ様ぁ!!」


 話に入っていけない俺を余所に、王族三人で勝手に話が進む。どうするべきか悩んでいると、目の前の三人にはばれないように、リリィがこっそり俺の腕を指でつついた。顔を向けると、リリィが視線で語りかけてくる。どことなく昨日までと違い笑っているように見えた。


「これが皆が憧れる王族の実態。意外だったでしょ?」


 リリィの視線に、俺もまた視線で頷いて返す。


「人々の前では堂々として見せていても、その実態は一家族でしかない。だから、人々の笑顔を守ろうとする国の中枢ちゅうすうの笑顔もまた、守られなければならない。だから私は護衛術士になった」


 え……? 正確には聞き取れなかったけど、確か寝言で、術士になんかなりたくなかったって……。


「私の笑顔と引き換えにこの国の未来が守られるなら、今すぐにでも……」


 リリィの表情が重苦しいものに変わる。一瞬、ほんの一瞬だけ、たった一滴ひとしずくだが、リリィの本当の涙を見た気がした。ジークムント騎士長の言葉が俺たちへ向けられる。


「お前たちの不手際のせいで、姫様の素行に大きな影響が出ようとしているのだぞ。反省しているのか!」


 リリィは無表情を装い明後日の方向へ視線を向ける。だが、小声で、「ティアナに気の利いた言葉をかけてあげて。男の見せ所よ」と呟いた。「誰のせいだと思っているんだ」と心の中で呟きつつ、一歩前へ進み出ようとしたところで、俺の心を読んだかのようにもう一言小声で続ける。


「上手くいけたら今までの減点帳消しにしてあげるから」


 その声は、確かに笑っているように聞こえた。


 本当に都合の良い悪女だよ、このリリィっていう女は。実際にはリリィの「減点」はただの口癖で、ちゃんと数えていたりしないのだろう。計算高く見せて、意外とずぼらなのかもしれない。だけど目の前の痴話喧嘩を終わらせ、先程の重苦しい表情を少しでも笑顔に変えられるのなら、多少道化になってもいいのかもしれない。


 前へと進みジークムント騎士長へ声を掛ける。この喧騒を収めようとしていた俺には聞こえなかったが、リリィは俺には聞こえない小さな声で、とても大切なことを呟いていた。


「昨夜きみが私の全てを奪ってくれたなら、たとえ誰からも祝福されなくても、今の生で、私は幸せになれたのかな」


    ◇

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