Episode.1-21
演奏が終わるのに併せ舞踊会も終わる。ジークムント騎士長が朗々とした声で祝宴の儀の終幕を告げた。結局、最後の曲の始めから終わりまで、ほとんどずっと踊っていた。踊り終わってティアナ姫は、「明日起きたら体痛みそう」と言い笑っていた。手を離す時、少し名残惜しい気持ちもあったが、最後にティアナ姫は俺の手を強く握り、
「二人だけの時は、リリィと同じように敬語はやめて、昔のようにティアナって呼んで」
と呟いた。そして俺が何も言わない内に手を放し、
「今日は、あなたのお陰で楽しいひと時を過ごすことができました。ありがとう。王国騎士としてクルーエルアのために、明日からのご公務も宜しくお願いしますね」
と口にした。俺は跪き、短く返事をし、最後に俺の覚悟をティアナ姫へと伝えた。
◇
「敬語はやめて、か」
誰もいない部屋で一人呟く。俺は今、先程気を失った時に運び込まれた部屋で佇んでいた。どうやら俺にあてがわれた一室とはこの部屋のことだったようだ。昨今は世界情勢が悪くなったこともあり、使われなくなった客室が城内にはいくつもある。しかし、いつ何時それらが必要になるか分からない以上、安易に用途を変えてしまうわけにもいかないらしい。
「そうはいっても……」
部屋内を見回す。見回してしまうほど部屋は広く、テイル家で暮らしていた俺の部屋とは文字通り格が違う。しかも公務を行うときのための王国騎士用の制服だけでなく、貴族としての普段着など、城内で着るに相応しい被服一式が支給されていた。
これまでは、王国騎士になっても今までの生活の基本は変わらないと思っていた。しかし、今日の出来事を経てそうも言っていられないと痛感した。王族や貴族のあいつらならこんな気苦労はないのだろうが、民から成りあがった俺としては知らない世界ばかりで緊張が絶えない。今日のことで考えるべきことがまた一段と増えた。しかし緊張の糸がほぐれたせいか、それらを考えていられない程に眠い。まだしないといけないことは山ほどあるのに……。
長椅子に横になる。すると俺の意識はすぐに落ちた。
◇クルーエルア近隣にて◇
音を立て湖から女が出てくる。女は衣一枚も身に着けてはいない。全身からは水が滴り、片目を覆う髪を払いもせず、脱ぎ捨ててあった自身の服の元へと歩いていく。周囲は見晴らしも良く、身を隠す場所はない。誰かに見られようものなら驚きの一つもされるだろうが、それは恐らく
「水浴びもゆっくりできないなんて面倒な世界になったものね」
地面を二、三度足先でつつく。すると、周囲の土がせりあがり、女を囲うように土壁を形成した。それを見た動物たちは驚き、その場にいたほとんどが逃げ出す。しかし、一部は殺気を放ったまま女の動きを窺っている。
「魔物たちの影響かしら。これでもまだ諦めない動物がいるなんて。まぁでも魔物に来られても面倒だし、もう一工夫しておこうかしら」
女は土壁に指を押し付ける。だが土壁に変化はなく、特に何も起こりそうな気配はない。
「赤子か私は」
「仕方がない」、と口にし、今度は強く掌を押し付ける。内側から見た限り土壁に変化はない。暫くして、女は土壁から手を離した。そして小さく肩で息を吐く。どうやら次の狙いは上手くいったようだ。
周囲の安全を確保できたからか、女は土壁の至る所に指先を向け、炎を灯す。壁内は狭いだけあり狙い通りの位置に炎が灯る。だが、その炎は赤々と燃え輝くものではなく、黒ずんだ深淵に近い色をしていた。女は自身の髪に手を伸ばし、水を切り、
「何かきっかけがないと難しいわね」
そう呟き、どこを見るともなく宙を見る。
今の自分がクルーエルアを襲撃したとしても、追い返されるのが関の山。あれから力は一向に戻る気配がない。いつもなら一日もすれば戻っていたのだが、今回は『眼』を失ったからなのか以前までの力を取り戻すことができない。だけどこれは考え方の違いなのかもしれない。以前までの力を百とすれば、今は十程度しか感じられない。しばらくすれば二十、三十と戻るはずだったが、十に止まっている。つまりその十が、現在の自分の上限になっているということ。
「そういえば二日前に」
夜に突風のようなものを感じた。まるで私の『眼』のようにとてつもなく強い力だった。あれは一体何だったのか。
「まずいわね。もしあれと相対することがあったら、今の私じゃ……」
口許を押さえ思考を巡らせてみるが勝てる見通しは立たない。以前の自分であれば、あの程度の存在、気にも留めなかった。しかし今のままでは防戦にも持ち込めず一方的に殺されるだけ。
見上げると星空が覗き込んでいる。再び足で地面を叩くと、土壁が少し伸び上部を覆い尽くした。
「どうにかしてもう一度会わなければ。私の力を奪った、あの男に」
◇
眠るのを怖いと感じた時期が今までに二度あった。一度目は、記憶を失ってクルーエルアに来たばかりの頃。目を覚ました時、自分が自分じゃなかったらと思うと怖くて眠れなかった。だけどその時は、ローズお姉ちゃんが俺の手を取ってずっと一緒に寝てくれた。
二度目は、ローズお姉ちゃんが俺の目の前で死んだばかりの頃。あの事件以降、来る日も来る日もローズお姉ちゃんが死ぬ瞬間を夢で見させられた。目を覚ます度、何度も嘔吐した。だけど幸か不幸か、夢に苦しめられる度、誰かを守る覚悟を強くすることができた。
今日はあれ程疲れて寝たのに、特に夢を見ることもなかった。
なんだ……。何か優しいものに触れている気がする……。
ゆっくりと瞼を開く。ほんの一瞬だけ、目を開けた時に、ローズお姉ちゃんが「おはよう」と呼んでくれるのを期待していた。まだ視界がぼやけてはっきりとしない。だけど、何かが頬に触れている感触がある。
なんだ、これ。
手を動かしそれに触れる。柔らかくて温かい感触。なんだろうこれは。
「社交辞令以外で手を触られるのはさすがに反応に困るかな」
頭の上で声が響く。その声に一瞬で脳が覚醒し、飛び起きると、そこにはリリィが腰掛けていた。祝宴の儀に参加していた時の
「なんで、ここにいるんだ?」
相変わらず感情のない表情のままリリィが俺を見ている。リリィは特に変わった素振りを見せることもなく、俺が寝ていた長椅子に腰掛けたまま口を開いた。
「なんでって? 私もここに住むから」
「……えっ?」
今なんて言った?
「聞こえなかったのならもう一度言ってあげる。私もここに住むことになったから」
「……少し考える時間をくれ」
何を言っているのか分からない。
ええとなんだ? これは昨晩の祝宴の儀の続きなのか? それとも最近見なかった悪夢がこういう形で急に現れてきたのか?
「こんな綺麗で可愛い人と一緒に暮らせるなんて俺って幸せだなー。さっきは相手に悩んだけど、今すぐ目の前にいるこの人と結婚しよう、そうしよう」
心地良いくらいの棒読みでリリィが言葉を続けてくれる。お陰で意識が完全に戻った。
「用件は?」
冷めきった視線でリリィを見る。リリィは口調こそ軽いものの、表情や態度から貞操観念は固い印象があった。事実、「似合ってる」と口にしただけで「私に対してそういうのはやめて」と返されたくらいだ。
「発情期特有の情緒不安定? あっ、それは反抗期か」
どうやらまだ続くようだ。だが俺は断固として屈するつもりはない。その後リリィはどうでも良さそうなことを一人で話していたが、俺が何の反応も示さないと分かると、溜め息を吐き、次の言葉を呟いた。
「……つまらない男」
「つまらなくて結構」
表情が変わらないから分かり辛いが、発した言葉から漸く観念してくれたようである。
「冗談だって分かってるならもう少し付き合ってくれてもいいのに」
「見ている奴もいないのにふざけ合っても仕方がないだろう」
リリィは考えるような仕草をした後、髪の毛を
リリィが俺にも座るよう促す。俺は、リリィと向かい合うように椅子に腰掛けた。
「そんな警戒しないで。さっきまでのは全部冗談だから安心して。もし万が一私に気があってもそういうのはやめてね」
自分から誘うくせに明確に拒否も示すとは、とんだ悪女だな。
決して口にしないがそう思ってしまう。
「一応断っておくけど、入る前に確認はしたわ。それで返事がなかったから覗いてみたら、ここで寝てたから」
「寝てたから、中に入った、と?」
「そう」
リリィが頷く。
俺の認識がおかしいのだろうか。その人が寝ていると分かった場合、本来は部屋に入らないものだと思うのだが。
「普段ならこのままティアナの護衛をするんだけど、今日はこの格好だから一度屋敷に戻らないといけない。まだそんなに時間も経ってなかったから起きてると思って寄ったんだけど、もう寝ちゃってたから」
大体の事情は理解できた。しかし、どうして俺の部屋に来たのかの説明がない。俺が知りたいのは、どうして俺の部屋に来たのか……と、どうして寝ている俺に触れていたのか、だ。
俺が上手い聞き方を考えあぐねていると、それを察したであろうリリィが早速説明をしてくれた。
「困っていると思ったから」
「困る?」
何に対してなのかわからない。困ること……。困ること……。この部屋で暮らす上でのことか?
「夜のお供が必要な年頃だと思って」
「……祝宴の儀であった結婚相手の話か」
リリィが「そう、それ」と口にする。
何故だ。今のリリィは妙に調子が狂う。なんだろう。それともこれが本来のリリィなのか?
「あれだけ言い寄られたんだから、二人か三人くらい密な仲になっても良かったんじゃないの? どうして誰も選ばなかったの?」
あの話題を掘り下げてくるか。できることなら聞いてほしくなかったんだが。かといって質問に質問で返すのはまた減点されそうだし、なんとか無理矢理話題を逸らす手はないものか。
そう考えていたら、結婚という単語からある出来事を思い出すことができた。
「結婚といえば、リリィこそ入城手続きを踏む時に兵士の方から求婚されてたじゃないか。それも314人? だったか。リリィこそすごくもてるんだな」
リリィは、「あーそういえばそんなこともあったなー」とでも言うように上を見ている。何とか減点を喰らわずにリリィの話題に移すことができた。このままもう一息。ここで質問しても問題はないはずだ。
「どうして314人いるのに、316回生まれ変わった後なんだ?」
正直これはその時から疑問だった。ここでこの質問はあながち不自然じゃない。だけど、返ってきた答えは俺の想像を遥かに上回るものだった。
「私、今の自分は、将来好きになる人と一緒になれるなんて思っていないから」
リリィの答えに心臓が大きく跳ねる。何か、聞いてはいけないことを聞いてしまった気分だ。
「だから、次の人生くらいは、自分から好きな人に好きだって伝えて、幸せになりたい。その
言葉が出てこない。リリィは相変わらず普段通りの顔色だが、その言葉を発した雰囲気は余りにも重い。俺が言葉を選びかねていると、今度はリリィが俺に質問をした。
「きみはティアナのことをどう思ってるの?」
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