Episode.1-18

「そんな馬鹿な。今のはディクストーラの剣……」


 剣を振り下ろした姿勢のまま、グリフィストーラ様は目の前の俺に視線を向け呟く。


「有り得ない。王国騎士になるためには、クルーエルアの剣に加えて、他者には真似できない『自分だけの剣』を習得し、さらにその二つを併せもった、『自分だけのクルーエルアの剣』を振るえなければならない。どれほど似せようと、剣に載せるこころざしが異なれば、決して本人の剣を振るうことなどできない。何故だ。何故貴様が、我が息子ディクストーラの剣を使うことができるのだ」


 グリフィストーラ様が、騎士となる条件と共に、『王国騎士となる条件』を口にする。『王国騎士となる条件』を知っているのは、グリフィストーラ様がかつて、騎士を目指したことがあるからだ。


「それは、俺の中にディクストーラが生きているから」


 グリフィストーラ様が驚愕の表情を浮かべ、俺の顔を真っ直ぐに見詰める。


たとえじゃない。彼らの命は今も俺と共にある。その彼らが俺に力を貸してくれている。共にクルーエルアを守るため。俺はディクストーラの剣を真似たんじゃない。俺自身がディクストーラと一つになり、彼の剣を振るったんだ」


    ◇約二週間前・ローシ家屋敷〔グリフィストーラ視点〕◇


「よもや本当に王国騎士になろうとは」


 窓から見下ろす先には、騎士校を卒業し、騎士就任の儀を控えた自慢の息子、ディクストーラが屋敷へ戻ってくる姿があった。リンデトーラの騎士校入校を許可したことは、既に家の者たちには伝えてある。後はあの子が屋敷へ戻り、使用人たちに囲まれ、祝いの言葉と共にその事実を聞くだけ。それであの子との約束も果たされる。


 椅子に腰掛け使用人を呼ぶ。酒を持って来るよう伝えようと考えたが、自責の意味も込め、安い透過器グラスに只の水を入れて持って来るよう伝えた。使用人は狼狽うろたえ困惑していたが、「構わん」と一言伝えると、一礼し、急ぎ部屋から出ていった。


「今更私が祝うこともあるまい」


 天井を仰ぎ、目を閉じ息を吐く。腫物はれものがなくなったような安心感と、なくなったことによる虚脱感が同時に襲ってくる。


 祝ってやりたい気持ちはある。謝りたい気持ちもある。私がいだき続けた劣等感がお前を苦しめたこと。お前に強く当たってしまったこと。リンデトーラのことも含めて。だけど今更どの面下げて会えばよいのだ。私にできることは、これから王国騎士として名をせるディクストーラを影ながら支えること。そしてその偉大な兄を目標とし、いずれ同じように王国騎士になるであろうリンデトーラの成長を見守ること。これが、私ができるせめてもの償いだろうか。


 考えを巡らせていると扉を叩く音が聞こえる。使用人が戻ってきたのだろう。机に向き直り、「入れ」と告げると、扉が開いた。


「失礼します」


 入ってきたのはディクストーラだった。別段驚くこともない。騎士校卒業と王国騎士就任が決まったことを報告しに来たのだろう。ついでに恨み言の一つでも言いに来たか。


 「なんの用だ」と口にする。ディクストーラは歩を進め、私の前で足を止め、そして頭を下げた。


「リンデトーラの騎士校入校をお許しくださったということで、感謝の意を伝えに参りました。約束を守って下さりありがとうございます」


 ディクストーラは頭を下げたまま動かない。


 何故だ、何故この息子はこんな私に頭を下げられるのだ。私がお前にどれ程酷いことをしてきたか忘れたわけではあるまい。それなのに何故。


 私が言葉を失っていると、ディクストーラは頭を上げ、私の目を見て口を開く。


「父上は、あの日私が申し上げた言葉を覚えていらっしゃるでしょうか」


 私は小さく「覚えている」と返す。ディクストーラが言いたいのは恐らくリンデトーラの件ではなく、騎士就任の儀ののちに私と闘うという話だろう。


「あの日私は騎士就任の儀ののち、父上と闘いその私怨しえんを断ち切ると申し上げました。しかし今の父上からはその必要を感じません」


「なにっ?」


 ディクストーラの言葉に耳を疑う。


 その必要がないだと……? それは一体どういうことだ。


 ディクストーラは、騎士校に入校してから私に対して一度たりとも見せたことのなかった笑みを浮かべ言葉を紡いだ。


「父上も本当は分かっていたのです。諦めきれない強い想いが自分の中にあったことを。そしてきっかけが欲しかった。諦めるのではなく、再び向かい合うきっかけが。父上も本心では騎士になりたかったのでしょう? 俺で良ければいつでも剣の特訓に付き合います」


 その時、目頭が熱くなった。息子にさとされるとは、父親としてなんと情けない。いや、なんと幸せなのだろうか。


「父上。俺は父上の息子として生まれてきて良かった」


 ディクストーラ。私の自慢の息子。


    ◇現代・礼拝堂前庭園〔グリフィストーラ視点〕◇


 目の前の男にディクストーラの面影おもかげが重なる。ディクストーラと同じ目をしている。


 あのあと私は一度だけディクストーラに剣を指南してもらった。リンデトーラや使用人には恥ずかしくて見られたくないため、誰もいない場所で付き合ってくれと言った。その時ディクストーラが嬉しそうに語っていた人物がいた。


「面白い奴が一人いるんだ。シグムントともアルヴァランとも、他の誰とも違う面白い奴が。腕は大したことがないはずなのに、シグムントに勝ったり、そのくせ他の奴らに負けたりする不思議な奴なんだ。あいつと戦っていると心が透明になっていく。いつか父上も、機会があったらあいつと剣を交えてほしい」


    ◇


 断たれた刃が宙を舞う。刃は、互いの視線を遮るように落ち、地に刺さった。


 グリフィストーラ様は剣身の断たれた剣を握り、振り下ろした姿勢のまま完全に固まってしまっている。


 できるだけのことはやった。後は、この闘いを見守っていた人たちを、見守っていた人たちの心を、信じるだけ。


 グリフィストーラ様から視線を外し、騎士剣を鞘に納める。背中を向け離れようとしたが、同時に何かが抜けていくような、強烈な疲労感を覚えた。視界が不確かになる。


 頭が……。眩暈めまいがする……。相手を傷一つ付けずに戦闘不能にするのは、それだけ神経を使うということなのか……? いや違う。これは恐らく……。


 立ち回りと剣戟けんげきから相手の防御を崩した上で隙を作る。そして一撃の下、決着をつける。それがディクストーラの剣。しかし今回は長期戦でもなければ短期戦でもない、云わば一撃のみの戦い。防御を崩さず、一撃の下、決着をつける剣はディクストーラの剣に非ず。決闘の儀の第一幕のようなもの。


『真の王国騎士』ならば、自身の剣で以て第一幕と同等の一撃を放つことは造作もない。ディクストーラと一つになり、彼の剣で以て第一幕と同等の一撃を放つことは可能のようだ。だが俺はディクストーラではない。彼の剣で一撃を放つことが可能といっても、身体は本人でない以上、どうしても無理が出る。


 これはあくまで一時的な接続。だが反動は大いにあるようだ。それが恐らく、この疲労感の正体……。


 目の前が真っ暗になり、それに併せたように繋がっていた結合が外れていく。意識がおぼつかなくなっていく。


 いいこと言ってかっこつけても、まだまだ未熟ということか……。


 意識が遠のき、倒れる。だけど最後の一瞬、誰かの腕が俺を支えた。そしてその腕の主は、満足そうに笑い俺に声を掛けた。


「いや、上出来だったさ」


 意識が消えゆく中、俺は大切な友の声を聞き、少しだけ嬉しくなった。


    ◇???◇


 これは夢なのだろうか。一つの視界に二つの景色が映っている。僕を境に二つの世界が左右に割れている。片や光に包まれはしゃぐ女の子の姿。片や闇に覆われ月を見上げる女の人の姿。双方が表しているのは、動と静、光と闇、自由と束縛。僕の前には対照的な光景が広がっていた。


 光の世界へ目を向ける。僕に気付いた女の子が、「一緒に遊ぼ」と微笑み手を振っている。その笑顔に引き寄せられるように僕は足を踏み出そうとする。だが、もう一方で月空つきぞらを見上げる女の人が気に掛かり、僕は足を止めた。僕に笑い手を振っていた女の子は、「待ってるからね」と言い、光の世界と共に遠ざかっていく。僕は月空を見上げる女の人へ声を掛けた。


「きみも一緒に遊ぼう」


 月空を見上げる女の人は微動だにしない。僕はもう一度声を掛けた。


「一緒に遊ぼう」


 女の人は顔を伏せ、僕に背を向け小さく呟く。


「ごめんね、坊やの思い出を壊すようなまねをして。でもこうでもしないと、坊やを――――ことができないから」


 僕は女の人が何を言っているのか分からなかった。そして、ふと後ろが気に掛かり振り返った。先程は少しずつ遠ざかっていっても光の世界を感じることができたが、今はそこにしゅが混じっている。光の世界は徐々に赤く、赤黒く染まっていく。僕は手を伸ばすが、光の世界はすぐに闇に喰われて消えてしまった。


 その光景を目の当たりにし、驚愕する。再び闇の世界へ顔を向けると、女の人はこちらへ向き直っていた。顔を見ようと上を向くが、その顔を認識する前に僕と女の人の間に巨大な『眼』が現れる。その『眼』は唐突に二つに割れ、口のように大きく開いた。


 咄嗟の出来事に驚く間もなく、僕はそれに喰われた。そのあと自分がどうなったのかは分からない。だけど再び光を見た時、僕は自分のことを何も憶えていなかった。そしてそんな僕の前に、いつの間にか知らない少女が立っていた。


「きみ、大丈夫? 倒れてたみたいだけど。カール、お母さん呼んできて」


    ◇


 目を開け半身を起こす。その際割れるような痛みが頭に走り、右手で頭を抑え再び目を閉じた。


 何か夢を見ていた気がする。いつも通り覚えていられない夢。こういう時は決まって大事な内容な気がするのだが、その一切が思い出せない……。


 頭痛が引いていく。少しずつ意識が正常に戻り始め、改めて目を開く。


 そういえばさっきから左手が妙に温かい。それにとても安心する。一体どうして?


 左手に視線を向ける。そこには、か細く白い綺麗な手が、俺の手を包んでいた。その手を伝い視線を移動させると、そこにはティアナ姫の姿があった。


 ティアナ姫と視線があう。ティアナ姫は俺と視線が合うや否や、目許めもとに大粒の涙を浮かべた。そしてそのまま俺に抱き着いてきた。


 声を上げ、ティアナ姫が泣き続ける。突然の出来事に俺は訳が分からなかった。誰かに助けを求めるように周囲に目を向ける。そこで初めて、ティアナ姫の後ろに立っている正装ドレス姿のリリィに気付いた。リリィはいつも通り表情を変えず、「減点」と呟いた。




 俺が目を覚ましたのは城内の一室のようだった。さして狭いわけではないにもかかわらず、室内にはティアナ姫とリリィしかいない。ティアナ姫が落ち着くのを待つ間に、俺は自分の身に起こったことを思い出した。


 祝宴の儀でグリフィストーラ様たちの誤解を解くため、自身の覚悟を伝え示したこと。その際グリフィストーラ様の心の闇を断ち切るため、ディクストーラと共に騎士剣を振るい、共に戦ったこと。


 共に戦った……? いや違う。あれは肩を並べて一緒に戦ったという感覚じゃなかった。まるで俺自身が本当にディクストーラになったような感覚だった。あの瞬間、それが当たり前であるかのように、俺はディクストーラの剣を振るうことができた。


 誰もがそうだが、行動を真似ることはできても、本人と一つになるなんてことは絶対に不可能だ。あの時は全身の感覚だけじゃなく、ディクストーラが生きてきた記憶と経験の全てが感じ取れた。あの感覚はなんだったんだ?


 俺が考え事をしていることを察したリリィが、一歩近付きティアナ姫に声を掛ける。


「ティアナ。幸いにも先日と違いすぐに目を覚ました。祝宴の儀は事実上お開きのようなものだけど、会場を閉めるまでまだ時間がある。きっと人が残っているわ。一度戻ってみない?」


 リリィが俺に視線を向け「立てる?」と目で話しかけてくる。グリフィストーラ様と戦ったあとに感じた疲労感は一欠片も感じなかった。俺はリリィに頷き返し、ティアナ姫に声を掛けた。


「ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。あのあとのことが気掛かりです。リリィが言うように、一度戻ってみませんか」


 ティアナ姫が顔を上げ、真っ直ぐに俺を見詰めてくる。その顔に流れる大粒の涙を拭ってあげたい気持ちになる。だが、女性王族の顔に気安く触れたとなれば首が飛ぶだけでは済まないかもしれない。ティアナ姫は何も言わずじっと俺を見詰めている。一瞬心臓が高鳴ったが、リリィが発した一言で理性を保つことができた。


「そのまま口づけしたら加点してあげる」


「減点で結構です」


    ◇

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