Episode.1-17

「私が愚かだと? 付け上がるな、大罪人風情が。今なお貴様が自由を認められていることの方がおかしいのだぞ」


 グリフィストーラ様が掴まれている手を引き俺の手を払う。グリフィストーラ様の目は、あの時のリンデトーラと同じ、憎悪に支配され、殺意を宿した目をしていた。


「それはつまり、王国の判断が間違っていると、そうおっしゃるのですか?」


 俺がそう返すと、グリフィストーラ様のこめかみが波打ち青筋が浮かぶ。


「貴様は誰に向かって口を利いている。王国騎士という肩書きがなければただの民の分際で」


 グリフィストーラ様の顔が大きく歪む。今すぐにでも俺を殺したいという気持ちが伝わってくる。


 あと一言、その一言で、グリフィストーラ様は俺に手を上げるだろう。


 リンデトーラとの戦いの時は本意ではなかった。逆撫でし、敢えて感情を表に出させた。そこに剣の指導という意味もあったから。しかし今回は違う。


 俺自身が、グリフィストーラ様の言葉を許すことができない。認めることなど断じてできない。たとえグリフィストーラ様にどう思われていようと関係ない。ディクストーラは、俺たちは、同じ王国騎士の仲間なんだ。


「民であろうと貴族であろうと関係ありません。私も、グリフィストーラ様のご子息と同じ王国騎士です」


 俺の言葉に、グリフィストーラ様は腰に帯びていた剣を尾錠びじょうから外す。そしてそれを前面に翳し、俺へと叫んだ。


「よく言った大罪人。我が子ディクストーラの命を奪うだけでなく名誉までも汚すとは。王国に代わり私が貴様を断罪してやる」


 ここまでは想定通り。ここまでは。しかしここから先は、場合によっては命を落とす者が出ることになる。


    ◇クルーエルア城・礼拝堂前庭園◇


 多くの方々が見守る中、俺とグリフィストーラ様は広間を出て礼拝堂隣の庭園へと向かった。日は沈んでおりあかりはなかったが、兵士の方々があかりを持って来てくれたこともあり、互いを目視するには十分な明るさだった。


 場所を移した理由は簡単だ。王妃と王女の御前であったことだ。だけどわざわざこの場所を選んだ理由がある。戦う上で見通しが良く、開けた場所だからだけではない。俺もグリフィストーラ様も、そして他の貴族の方々も、この場所で起きた事実ともう一度向き合う必要があるからだ。


 グリフィストーラ様が剣を抜く。しかしその構えは決闘の儀ではなく、一般の、正眼に位置する構えだった。


「私は騎士ではない。決闘の儀などで応じる必要もない。故に一撃の下、速やかに貴様に懲罰を下してやる」


 構えこそ一般のそれだが、剣を抜いてからの構えに至るそれまでの軌跡。どことなく騎士に近いものを感じる。もしかしてグリフィストーラ様は……。


 俺は鞘から手を離し、近くにいるリンデトーラへ目を向ける。予想の通り、リンデトーラは騎士校で使用している模造剣を携えていた。


「リンデトーラ、きみの剣を貸してくれないか」


 俺の言葉に、リンデトーラだけでなく周囲からも驚きの声が上がる。グリフィストーラ様も目を見開き、驚きのあまり固まってしまっていた。


「な、なにいってるんだ……ですか。父上が構えている剣は真剣ですよ」


「分かっている」


 俺の言葉を受け、グリフィストーラ様はさらに青筋を浮かべ、もうそれ以上見開けぬほどにまぶたを開き、大きく叫んだ。


「馬鹿にするのも大概にせよ。王国騎士だというのなら、腰に帯びているその騎士剣でもって応じればよかろう!」


 リンデトーラは模造剣を持ちつつも、俺に渡すべきか悩んでいる。俺はグリフィストーラ様に向き直り口を開いた。


「王国騎士の騎士剣とは、この国に生きる全ての人々の命を守るためのものです。どれ程憎まれようと、どれ程疎まれようと、あなたと戦うためにこれを使うわけにはいきません。もしこの戦いで騎士剣を抜く必要があるとすれば、それは……グリフィストーラ様、あなたを守るためです」


 俺の言葉に周囲からは物音一つ聞こえなくなる。リンデトーラは俺の言葉を受け、頷き、模造剣を差し出した。俺はリンデトーラから模造剣を受け取ろうと手を伸ばす。だが、後ろから響く透き通った声に手が止まった。


「でしたらその騎士剣をもって守ってみせなさい。グリフィストーラも、この場に集った者たちも。そして、あなたの信念も。私が任命した王国騎士よ」


 その声に周囲の方々が騒ぎ出す。俺は咄嗟に振り返りその声の主に目を向けた。


 あかりが声の主を照らしていく。そこには王女としての威光を放つティアナ姫と、そのすぐ後ろでティアナ姫を護衛するリリィの姿があった。


    ◇少し前◇


「万が一の時はティアナ姫のことはリリィに任せる」


「えっ?」


 久しぶりの正装ドレスと履きなれないシューズで、少し歩き辛そうなリリィの手を取り話す。


「実は一昨日、騎士校でディクストーラの弟に会った。その時一悶着ひともんちゃくあった」


「それ、で済んだの?」


 リリィの質問に思わず目を伏せる。俺は言葉を続ける。


「一人の子供だけで大きな騒ぎになった。このあとに起こるだろうことがその比じゃないのは目に見えている。何かあった時はティアナ姫の安全を考え、俺からできる限り遠ざけてほしい」


 リリィは表情を崩さずに聞いていたが、ほどなくして俺に尋ねた。


「それをティアナが望まなかったとしても?」


 リリィの一言が心に大きく刺さる。まるで古傷をえぐられたような、忘れていた傷を再び広げられた痛み。俺はその痛みに違和感を覚えながらも、リリィの質問に短く返した。


「あぁ」


 俺の言葉に「そう」と答え、リリィは顔を前に向ける。この時リリィは不本意ながら承諾してくれたと思っていた。しかし、実は俺には聞き取れなかっただけで、リリィは小さく「減点」と呟いていた。


    ◇


 俺は逃げようとしていたのではないだろうか。万が一の時、騎士剣では、相手を傷付けてしまう恐れがあるから。しかしそれは、自ら逃げ道を作っていたということだ。もし俺が真に王国騎士であるということを証明するのならば、グリフィストーラ様も、ティアナ姫も、今この場で、この騎士剣で守ってみせる必要がある。


 俺はティアナ姫を真っ直ぐに見据え、「はい」と答えた。リンデトーラへ向き直り「すまない」と伝える。リンデトーラは頷き、持っていた模造剣を下げた。改めてグリフィストーラ様に向き直ると、グリフィストーラ様は再び剣を構え直し、瞳に映る対象を俺一人に絞った。


 これはリンデトーラの時のような剣戟けんげきを交える戦いではない。


 一撃。全ては一閃による一振りだけで終わる。


 携えている騎士剣に手を掛け、ゆっくりと抜き、払う。騎士剣は、透緑色とうりょくしょくの残光を放ちつつ、手を止めた位置までその軌跡を描いた。


 三日前に授かり、改めて握り直した騎士剣には、これまで多くの人々を守り続けてきたであろう重みが感じられた。


 グリフィストーラ様が軸足に力を入れる。今すぐにでも切り込めると言いたげだ。俺もまた、剣尖を上げ、ある位置で騎士剣を構えた。


 リンデトーラの驚く声が小さく聞こえる。目の前に対峙するグリフィストーラ様もまた、リンデトーラ同様驚きの表情を浮かべ、俺を睨み静かに口を開いた。


「何の真似だ。ディクストーラの剣を真似るなど」


 俺は何も答えず、騎士剣を振りかぶった姿勢のまま、グリフィストーラ様を真っ直ぐに見据えた。


「何度言わせる。馬鹿にするのも大概にせよ」


 グリフィストーラ様の剣が揺れている。剣を握る手に力が込められていることが分かる。


 俺は目を閉じ、共に誓い合った仲間たちの顔を思い浮かべた。


 騎士校に入校したあの日から始まった。いや違う。始めたんだ。俺の戦いを。そして今、この時が、この瞬間が、俺だけじゃなく、共に誓い合った仲間たちとの新たな門出となる。


 ティアナ姫のことをリリィに頼んだのち、広間に着くまでにリリィに言われた言葉を思い出す。


    ◆


「きみが王国騎士として正しいと思ったことを成せ。ジークムントもリリアナも、必ずその想いに応えてくれる」


    ◆


 先程のティアナ姫の言葉を思い出す。


    ◆


「でしたらその騎士剣をもって守ってみせなさい。グリフィストーラも、この場に集った者たちも。そして、あなたの信念も。私が任命した王国騎士よ」


    ◆


 目を開きグリフィストーラ様を真っ直ぐに見据える。


「守ってみせます。あなたのことも。この場に集った方々も。そしてこの国に生きる全ての人々も。俺が、いや、俺たちが……守る!」


 グリフィストーラ様が声を張り上げ襲い掛かってくる。周囲で見守る貴族の方々がグリフィストーラ様に呼応するように叫び声を上げる。


 俺は、俺の心の中で俺を呼ぶ声に耳を傾け、友の心に接続した。


    ◇約二年前・ローシ家屋敷◇


「父上。父上は騎士になれなかった劣等感で俺たちに八つ当たりしているだけだ。いい加減それを認めたらどうだ」


 グリフィストーラ様が椅子に腰掛けている。しかしこの場所はどこだ。初めて見る光景だが。ここがローシ家の屋敷なのだろうか。


 グリフィストーラ様がこちらへ視線を向け口を開く。その目には、俺を見ていた時にも感じた、怒りとも憎しみとも取れる感情を映し出していた。


「知ったような口を利くな、ディクストーラ。貴様とて大口を叩く割にシグムント様に手も足も出ないと聞いたが。やはり我が家系は騎士とは無縁だったのだ。リンデトーラは学者となるべく、いずれバルゲンにでも行かせて」


 グリフィストーラ様の話を聞いた瞬間、心に痛みが走った。今のはディクストーラの心の痛み? ディクストーラの声が聞こえる。


 リンデトーラは幼い頃から騎士に憧れていた。俺もまた、この国が好きだったから、この国を守りたいと願い騎士を目指した。自身に才能がないと分かってはいたが、最強だと信じ尊敬してくれる弟のため、強く、強くなろうと努力してきた。しかしその弟が、兄は騎士になれず、自分は騎士校に通うことすら叶わないと知ったらどれ程悲しむことだろう。たとえ俺は血を流し、父上に殺されるようなことがあっても、弟の、リンデトーラの未来だけは奪わせたりはしない。


「俺が王国騎士となれば、父上のその私怨しえん、断ち切ることができますか」


「なにっ?」


 グリフィストーラ様はディクストーラの言葉の意味が分かり兼ねるのか、口を開いたまま瞬きもせずこちらを見ている。


「俺が王国騎士となった暁には、リンデトーラにも才能があると認め、リンデトーラの騎士校への入校をお許し下さると、約束していただけますか」


「ディクストーラ、貴様何を言っている」


「父上。俺は王国騎士になってみせます。俺が王国騎士となり、騎士就任の儀を済ませたら、俺と闘って下さい。そのとき父上の私怨しえん、俺が断ち切ってみせます」


    ◇現代・クルーエルア城上階にて〔ジークムント視点〕◇


「見事だ」


 戦いの顛末を見届ける。


 リリアナ様も共に、"彼"とグリフィストーラの戦いを見守っていた。


「どうなることかと思いましたが、二人とも怪我がないようで本当に安心しました」


 リリアナ様は胸を撫で下ろし、祈るように握り締めていた手から力を抜く。その際どれほど心配していたのかを示すように、掌から僅かに冷水が零れた。


「ジークムント」


 リリアナ様が私を呼ぶ。私は小さく返事をして向き直った。


「あなたは、"彼"を王国騎士に推薦したことを後悔しているでしょうか」


 リリアナ様の問いに、私は再び"彼"に視線を戻す。


 あの日見た光景、"彼"が騎士剣を手にしたあの時、十一の騎士たちが笑い、"彼"が王国騎士となるのを待っていた。光が見せた幻だと言われればそうなのかもしれない。しかし、あの光景を目の当たりにしたリリィや兵士たちも同じ光景を見たと言っていた。"彼"が何者なのかは分からない。だが、ガルシアが見たという"彼"の中の可能性。それは本当に、今のこの世界を変える力なのかもしれない。


「後悔しておりません。"彼"は、リリアナ様の大切な娘、ティアナ様が任命された王国騎士なのですから」


    ◇

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