Episode.1-15
昨日同様、昼過ぎを見計らい学長を訪ねる予定だった。しかし昨夜帰ってきた時間が遅かったことや、そもそも起きていたことを理由に、早朝のカールの登校に併せて俺も騎士校へ行くことにした。詫びや埋め合わせにもならないが、騎士校へ向かうまでの半刻程の短い時間をカールと過ごした。昨日の件があり訓練場には近付きたくなかったため入り口でカールと別れ学長室へ。さすがに早かったかと思いながらも、室内に人のいる気配を感じ小さく扉を叩く。すると返事があったため中へ入った。
当然室内には学長がいた。教官から聞いていたのか、俺が訪ねてくることを知っていたようで、早朝にも関わらずすぐに話を聞いてくれた。とはいえ、明日着ていく正装がないのでどこに相談すればよいか、という一言で済む話だ。学長はそれを聞き、「明日の夕方ここに来なさい。人を呼んでおこう」と答え、笑顔で見送ってくれた。その日はそのまま帰ったのだが、家に帰ると俺とカールがいないことを知ったエリーが泣き
夕飯を食べた後は、クルーエルアの歴史について調べ直した。とはいえ、家で調べられる範囲など、騎士校時代で使用した教本に載っている程度の事しか調べられない。クルーエルア城内の書庫であれば、もっと事細かく記した書物もあることだろう。騎士就任の儀で起こった出来事が何だったのか、それに繋がる手掛かりの一つでもあってくれればよかったのだが。
この日は一日中騎士剣を携えていたが、当たり前だが抜くような状況にはならなかった。
◇翌日◇
ジークムント騎士長に言われた登城の日を迎えた。朝から昼に掛けては、特に大きな問題もなく、母さんに頼まれた食料の買い出しに出掛けた。今日から城内の一室で暮らすこともあり、今生の別れでも何でもないが、空いた時間はエリーのおしゃべりに付き合った。
時刻が迫るにつれ次第に緊張してくる。手持ちの中で最も見栄えが良く失礼にならない服装を決め、学長を訪ねた。……のだが、昨日言っていた「人を呼んでおこう」の相手をちゃんと聞いておくべきだったと、ここで後悔することになった。
「どうして"きみ"がここにいるの?」
扉を開けると、その人物は学長の椅子に腰掛けていた。厚めの書物を持ち次の頁に指を掛けている。今までその書物を読んでいたであろうことが分かる。書物を閉じ学長の机に置き、その人物はゆっくりと立ち上がった。
「リリィこそどうしてここに?」
一瞬部屋を間違えたのかと思った。しかし、内装は間違いなく学長室のそれだ。状況から考えれば学長の呼んだ人物とはリリィのことなのだろうが、せめて何か説明を付けてほしい。「正装で来るように」と言われて学長(男)に相談したのに、「人を呼んでおこう」と言われその呼ばれた人物がリリィ(女)だった。いや、まだリリィが学長が呼んだ相手と確定したわけではないのだが。
「零点」
「……えっ?」
また何か採点されたようだが何故か減点にならなかった。
「質問に質問で返したことが減点。私に敬語を使わなかったのが加点。合わせて零点」
説明を求めたわけではなかったが、
リリィが何を基準に評価を行っているかだが、問題の大小に関係なく、一つの事象に対し一点と判断しているようだ。その減点をちゃんと返上すれば、加点とし、帳消しにしてくれる。しかし別の理由で減点を貰ったことで未だ負に傾いているわけだが。
ここで一つ疑問が沸き、質問の途中で悪いと思いながらも、その疑問を口にすることにした。
「質問途中で悪いんだが、減点が続いたらどうなるんだ?」
先程減点を切ったからなのか減点とは言わなかった。リリィは溜息を吐いたり失望したりといった態度は見せなかったが、無表情を崩さず俺を見て呟いた。
「好感度が下がる」
そのまんまだなぁという感想だった。口に出さないだけで初対面の相手には基本的に中間を保つものだ。そしてその
口に出す者はそうそういないが、一言でいえばリリィはそれを口に出し相手に伝える人種ということだろう。一先ず、減点が大きな意味を持つものではないということが分かって良かった。
「無視する」
リリィが言葉を続ける。
「好感度が下がる無視する話をしなくなる。結果、連携が取れなくなる。だから減点は九回までにして。私も国も困るから」
「……精進する」
俺は先の回答を撤回し、素直にリリィの質問に答えることにした。これで加点してくれればいいのだが。
「加点」
素直に今の状況に至るまでの経緯を説明したところ、無事失ったものを取り戻すことができた。採点そのものは甘めのようで安心した。そして俺が質問に答えたことにより、俺の質問にリリィも答えてくれた。
「私はグランニーチェに呼ばれてここに来ただけ。頼みがあるから学長室に夕方頃来てくれと。護衛があるから無理と答えたんだけど、他の者には頼めない内容だからと言われて、仕方なくティアナの護衛はジークムントに任せて承諾したわけ。内容は教えてくれなかったけど、今"きみ"から聞いて把握した」
リリィの説明で、「人を呼んでおこう」と学長が呼んだ人物がリリィであることが確定した。学長が何を考えてこの人選を行ったのか皆目見当が付かない。しかし学長が判断したことだ。間違いはないと思うのだが……。
リリィが窓の外に視線を向ける。何か考えているようだが表情に変化はない。
「私に考える時間すら与えないようにするためにこの時間を指定したわけか。グランニーチェ大減点」
リリィが呟く。学長や騎士長を呼び捨てにしていることに驚くべきなのだろうが、『大減点』という言葉の方に気を取られて大事なことがお座なりになってしまった。
リリィが振り返り、話し方に似合わず足早に歩き俺の前に立つ。品定めするように俺の頭から足元までを見て、両肩を触ったり腕の長さを測ったり、腰の位置や足の長さを見定めている。
「そういうこと。シグムントやアルと体格が変わらないわけか。別の理由も大きいだろうけど、私に頼んだ理由はそういうわけ」
リリィはぐるりと俺の周りを一周する。そして再び俺の前に立ち、俺の顔を見て呟いた。
「仕方ないから私が
それから俺はこれまで体験したことのない未知の恐怖を味わうことになった。
◇クルーエルア城・エルミナ家・リリィの自室◇
「とりあえずこれとこれとこれとこれ。一度着てみて違和感を覚えるようなら次。それを繰り返す。はい」
積み上げられた衣服の山。無造作に並べられていく一着一着には当然
「さすがに
半ば強制的に連れて来られ辿り着いた先はリリィの自室。着いた頃には日が沈みかけ、ジークムント騎士長が告げた時刻までもう僅かといったところだった。女性王族の自室に入るなど、万死にして罪を償おうにも償えない業だと血の気が引いたが、侍女様や使用人さん方が俺を見てもなんとも思わないどころか、「アルヴァラン様のご学友様ですか」と聞かれる程度で驚きもされなかった。
入城手続きを済ませ、エルミナ家の住まいに向かうまでにすれ違った兵士の方がリリィに声を掛けていたことを思い出す。
◇
「リリィ結婚してくれ」
「いいよ。ただし先約が314人いるから、316回生まれ変わった後になるけど」
「やったぜ」
素直に喜んでていいのかよ、兵士さん。断られるより残酷な言葉を突き付けられた気がするけど。
◇
最初は俺も耳を疑った。王族や貴族に軽々しく声をかけることは、本来は恐れ多いと感じる者が多いはずだからだ。しかし、リリィは王族でありながら、すれ違う多くの人から声を掛けられている。身近に感じられる彼女の存在は、城の人々にとって癒しなのかもしれない。
俺も最初は
「減点。考え事をしている暇なんてないんだから早く順番に着替えて。それとも本当の王族のように着替えさせてほしい? 私が手伝ってあげようか?」
言葉は少しきつく感じるが、相変わらず表情を変えずリリィが俺に迫る。言いたいことは分かるが、さすがの俺もアルヴァに断りもなく身に着けるのは躊躇われたため、正直な気持ちを口にした。
「さすがに
俺の言葉に、この場にいる全員が俺に視線を向ける。侍女様が口を開こうとしたが、リリィがそれを制止し、俺の前まで来て立ち止まった。そしてそのまま俺の顔をじっと見て、俺の頬に平手打ちをした。
「痛い? 痛いならこれから言う私の言葉をよく聞いて。痛くないっていうなら今すぐ私の前から消えて」
相も変わらない表情のない視線が俺に刺さる。何故叩かれたのか分からなかった。しかし、俺は頬に触れ、痛みを覚え、これは夢ではないと認識した。
リリィに視線を返す。リリィの表情に変化はないが、俺の視線を理解したように一度瞼を閉じ、その後ゆっくりと開け答えた。
「きみにちゃんと伝えていないジークムントに非がある。当然グランニーチェにも。でもきみの心構えも相当悪い。これからきみが向かう場所、そこでは絶対に今みたいなことは口にしないで」
リリィが何を言いたいのか分からない。俺はただ三日後の日が沈んだ
「まさかこの後、王に
俺の言葉に、リリィは「零点」と答え言葉を続けた。
「サイコロンドは今起き上がれる状態じゃない。会うのは王妃リリアナと、『今回就任した王国騎士の親族』の中で、参加を希望する王族と貴族」
「えっ……?」
何も聞いていないどころの話じゃない。そんな重要な場に立ち会うのに、どうして説明の一つもしてくれなかったんだ。
「騎士就任の儀と騎士祝宴の儀は本来同日に行われるの。儀とは付くけど、祝宴の儀では王や王妃から特別に祝辞があるわけでもない。それらは就任の儀で済ませているから。だから扉を開ければ自由に出入りができる立食会。そこに就任の儀を済ませた、『正装に着替えた』王国騎士たちが集い会を盛り上げる。形だけのただの祭事」
リリィが言葉を続ける。
「きみが騎士剣を手にした時、私は近くにいたからきみの言葉を信じられる。でも、あの場にいなかった貴族たちはきみのことをずっと仇と思っている。リリアナの前とはいえ貴族たちがどんな行動を取るか分からない。そんな中にこれからきみは向かうの」
先日のリンデトーラを思い出す。
子供でもあれほどの憎悪を抱き、己を見失うほど怒りに憑りつかれていた。己の立場を失ってでも、憎悪の矛先を仇と思う相手に向けてしまう。だけどそれは、本当に大切な人であるが故。それを今度はその親族、数十人といる場で、同じように大人たちから向けられる。
目を閉じ騎士剣を抜いたあの日を思い出す。時間はもうあまりない。だけど騎士剣を抜いたあの時のように、今再びその時と同じ覚悟が問われているのだと思う。
目を開きリリィを見据える。今の俺だけではこの困難を乗り越えることは難しい。しかし今目の前にいる人物はきっと俺を助けてくれる。だからこそ、改めて心に描いた想いを伝えなければならない。
「分かったよ、リリィ。俺も覚悟を決める。もう時間がない。俺はどうすればいい?」
リリィの表情に変化はない。俺の言葉をどう受け取ったかは分からない。しかしリリィが手を掲げると、侍女様や使用人さん方がアルヴァの正装衣装一つ一つを持ち、俺の周囲を囲った。
「まずは服装だけでも相応にすること。貴族たちに
「任せてリリィ」の掛け声と共に侍女様たちがにじり寄る。
「えっ……?」
俺の困惑する表情を
「時間がないのよ。いいから全身の力を抜いて彼女らに身を委ねなさい。
そして俺は未知の恐怖を味わうことになった。父さんたちは貴族にならなくて良かったと、心からそう思った。
◇
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