Episode.1-14

    ◇翌朝◇


 テイル家にティアナ=アリアス=クルーエルアらが訪れて一夜が明けた。早朝、アルフレッド=テイルは日が昇る前に目を覚まし、そこに仕舞われているはずの物がない事実に、安堵あんど寂寥感せきりょうかんを覚えた。しかし上の階で眠っているだろう息子を思い出し、微笑みながらいつものように作業場の窓を開けた。来店用扉の鍵を外し、今日も誰かが訪れるのではないかと心に一縷いちるの希望を抱きながら日常へと戻っていった。


 しばらくして、夫が目を覚まし部屋を出て行ったことに気付いた妻クローディア=テイルスは、隣で寝ているエリー=テイルスの頭を優しく撫でた。そして今日も目元に浮かべている涙を拭ってあげ、自身も再び目を閉じた。四年前エリーは、ローズがいなくなった時その事実を受け入れられず心が不安定になった。以来感情の制御を上手くできなくなった。ここ最近は安定しているようだったが、先日の『お兄ちゃん』が意識不明で戻ってきたことにより再びその兆候が現れた。普段はエリーの独り立ちを促すよう厳しく言い聞かせている。しかし眠っている間くらいは幸せな夢を見てほしいと、クローディアは親として今日もエリーを心配していた。


 日が昇る頃には目を覚まさないといけないカール=テイルは、健康的な寝息を立て眠っていた。エリー程ではないが、カールもローズがいなくなったことで心に傷を負い、家族を失うことに恐れを抱くようになった。先日『兄』が意識不明で戻ってきた中、それでも騎士校の寮に住むことを決めたのは、カールなりに姉と兄を見て育った影響だといえる。優しさ故の損な役回り、苦労するだろうことは目に見えている。しかし両親を説得し、兄同様騎士校に入校するに至ったカールの見え隠れする強さは、いつか将来必ず実を結ぶ日が来るだろう。


    ◇???◇


 暗闇の中に双眸そうぼうが浮かび上がる。周囲に紫光しこうほとばしらせ、握り締めた拳が、目の前でひざまずく女の頭を強く穿うがった。


「勝手な行動はつつしめと言ったはずだ」


 女は壁に激突し一瞬項垂れたが、すぐさま立ち上がり元の位置へ戻り膝を突く。穿うがたれたはずの頭には傷一つなく、壁にぶつかったはずの体にも傷一つない。むしろ女がぶつかったことにより壁の一部に亀裂が走ったほどだ。


 女は何も答えず頭を垂れる。周囲を舞っていた紫光しこうは徐々に勢いを落とし、完全に止み、暗闇には二つの目が浮かぶだけとなった。


「何をしにいっていたのかはえて聞くまい。それに見合う情報を持ち帰っていれば、だが」


 その言葉と共に女の周りに気配が三つ沸く。女の回答次第ではどうなるかを如実に表している。女は伏した姿勢のまま答えた。


「王国より新たに公布された掲示物の中に気になる情報がございました」


「気になる情報?」


 暗闇に浮かぶ双眸の焦点が絞り込まれる。


此度このたび王国騎士に就任した騎士の人数は十二人。名は全て伏せられておりましたが、うち一人が民出身だということです」


 その話を聞き、鼻で笑い双眸が閉じられる。目が閉じられたことで光は失せ、暗闇は完全な闇となった。


「十二人とはまた大層な人数だ。しかも民出身の王国騎士とは。クルーエルアの騎士も人手不足なのか」


「ははは」と笑い声が響く。しかし嘲笑あざわらいながらも、再び闇に双眸を浮かび上がらせ口を開いた。


「しかし名を公表しないというのは気掛かりだな。クルーエルアの長い歴史の中で、王国騎士に就任する者の名を公表しないなどということが、かつてこれまでにあっただろうか」


 思い当たる節がないのか、再び目は閉じられ闇一色となる。言葉を発していた人物は思考を巡らせる。


「他国への牽制けんせいか? ならば人数も伏せたほうがより効果的だと思うのだが。それとも名を公表できない理由があるのか?」


 今まで無感情に言葉を紡ぎ、殴られても微動だに心を動かさなかった女が独り言を漏らす。


「名を公表できない理由……? もしかして、名前が……ない……?」


 暗闇は更に深まり一層静けさを増す。女は自分が無自覚に発している言葉の意味も意義も理解できなかった。ただ、仮面の裏にある、自分の素顔に伝う熱い感情に、この場の誰にも聞こえないほどのかすれるような小さな声で、誰かのことを呼んだ。


    ◇クルーエルア・テイル家◇


 向かいで眠るカールに目を向け、昨夜時間を作ってやれなかったことを申し訳なく思う。窓の外を見やるがまだ日は昇り始めていない。先程は父さんが目を覚ましたのだろうか、下で窓を開ける音が聞こえた。一昨日は興奮の余り眠れないと思っていたが、気が付いたら朝になっていた。今日は考え事をしているうちに時間が経ち、もうまもなく朝だということが分かった。


 すぐ横に立て掛けていた騎士剣を手に取る。どこかで感じた時の重みは一切感じさせない。だけどそれとは別の重みを感じる。


 昨日の父さんの話。父さんがどんな想いで自分を抑え、家族のことを考えていたのか。そしてそのお陰で俺もカールもエリーもどれだけ救われてきたのか。


 ローズお姉ちゃんを失った時、俺はそこまで頭が回らなかった。当時俺はその視点を持っていなかったから。だけど今は違う。かつて俺を守ってくれたローズお姉ちゃんのように、俺はその視点を手に入れた。今度は俺が守っていく。ずっと守ってくれた父さんの想いにむくいるために。そして、守り続けていくことが、きっと俺の願いを、いつか誰かと交わした約束を守ることになる。だから。


「見守っていてくれ、ローズお姉ちゃん」


    ◇

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