Episode.1-11

「……ただいま」


 少し控えめな声で帰ってきたことを伝える。随分と、という言葉で表現するのもはばかられるほど遅くなってしまった。カールに対して申し訳ない気持ちで帰ってきたはずなのに、家の前の光景を目の当たりにしてその気持ちが綺麗さっぱり消し飛んでしまった。


    ◇少し前◇


 家の前を警護していた兵士の方は俺と面識のある方だった。お陰で先程のような揉め事もなく、すんなりと通してもらうことができた。ただ、家に入る際に家の前に止めてあるそれを目にして眩暈を覚えた。


 馬車……。


 顔を覆い空を見上げる。指の隙間から覗く星空がとても美しい。


 見通しが甘かった。少なく見積もっても、一人、王族の方がいらしているということだ……。


    ◇


「あの、どうしてこちらにいらっしゃるのですか……?」


 開口一番出た言葉がそれだった。家の前にも驚かされたが、家の中の光景にはより一層驚かされた。まさか家の中で膝を折り、誰かにひざまずく日が来ようとは。まだ食卓を囲み、会話をしていても不思議ではない時間ではある。実際食卓を囲み会話をしていた。父さん、母さん、カール、エリー……と、こんなところに一生縁のなさそうな人たちが。


「あ、おかえりなさい!」


 ティアナ姫が満面の笑みで迎えてくれる。が、ティアナ姫の後ろに立つジークムント騎士長が、俺と目が合った瞬間、俺を射殺してきた。


「貴様、こんな時間までどこで油を売っていた。それに騎士剣はどうした。万が一の時はそれが貴様の身の上を証明することになると言ったはずだ。騎士剣はどうした、騎士剣は!!」


 言葉は発していないのに、その視線からはっきりと言葉を感じ取れた。そして剣を振るわれたわけではないが、全身が一瞬で切り刻まれるという錯覚を覚えた。


 そういえば言われていた。もしかしなくても、先程の兵士の方との無駄な時間も、騎士剣を携えていれば避けられたことなのかもしれない。名前もなく民であった俺にとって、騎士剣を所持していればそれだけで身元の証明になるとジークムント騎士長は言いたかったのだろう。今後は如何なる状況でも騎士剣は手の届く範囲に置いておこう。視線で今なお微塵に切り刻まれながらもそう思うのだった。


 それで、だ……。


 この間僅か数秒足らず。ティアナ姫は笑顔のまま俺を迎えてくれている。ジークムント騎士長の視線……いや、視斬撃は変わらないが、まずは状況を整理しよう。


 家に帰ったら次期王妃様と現国王の弟君であられる王国最強の騎士様がいらしていた、と。


 なるほど。我ながら簡潔にして完璧なまとめ。これ以上に相応ふさわしいと思う言葉が想像できない。




 ……意味が分からない。理解が追い付かない。誰か助けてくれ。




 縋るように誰かに助けを求めようとしたが、残念なことにエリーを除く三人は役に立ちそうにない。エリーはエリーで、俺が戻ってくるまで話していたであろう話題をティアナ姫と続けようとしている。


 駄目だ。いくら考えても考えが纏まらない。不躾ぶしつけではあるが単刀直入にうかがほかない。


「無礼を承知で申し上げます。本日はどのようなご用件でこちらへ?」


 片膝を突いたまま申し上げる。ティアナ姫は微笑み、空いている椅子へと俺を促した。ジークムント騎士長を一瞥いちべつしたところ、目で頷いて見せたため、俺は空いている椅子に腰掛けた。


 座ってから気付いたが、ジークムント騎士長の奥に、隠れるように一人の女性が立っていた。ティアナ姫付きの侍女様だろうか。しかし侍女様にしてはあの服装は派手に見える。何より俺自身があの服装に見覚えがあった。結びや装飾の豪華さは多少異なるが、あの服装はもしかして……。


 俺が思考を巡らせている間も、エリーはまだ話し足りないのか、ティアナ姫と話を続けようとする。ティアナ姫はエリーに、「また今度お話ししましょうね」と笑顔で返した。そしてティアナ姫は、全員の顔を見直したのち、改めて口を開いた。


「改めてご挨拶をさせて頂きます。私はティアナ=アリアス=クルーエルア。クルーエルア王国現国王サイコロンド=アリア=クルーエルアの実娘じつじょうであり、微力ながらこの国の執政に携わっております」


 全員の態度が変わる。父さん、母さんは言わずもがな。カールは瞬きもできないほど真剣に。エリーはまだ、先程までティアナ姫と話していた感覚から切り替えられないのか戸惑いがあるようだ。


「こちらはジークムント。後ろにいるのがリリィと申します。共に私の護衛を務めて頂いています」


『護衛』という言葉で先程の疑問と繋がる。


 やっぱりそうだ。多少の違いはあれど、あの服装はローズお姉ちゃんと同じクルーエルアの術士に支給される法衣だ。見た目の豪華さに差があるのは……間違いない。この方は王族付きの護衛術士なのだろう。あの事件以降、術士の育成は満足にできていないと聞いている。となると、それ以前から王族に仕えている護衛術士ということだろうか。


「使いの者より伝達がいっていたと思いますが、このようなお時間にご訪問させて頂くことになり申し訳ありません。騒ぎを起こしたくないこともあり、また許す時間が余りにも少ないことから、誠に勝手ながらこちらの都合で行わせて頂きました」


 ティアナ姫が目を伏せ謝罪の意志を示す。使いと聞き、そんな方が来られた覚えはなかったが、恐らく俺が昼に家を出てから誰か訪ねてきたということなのだろう。


 ティアナ姫は目を開き、ジークムント騎士長に目配せをする。騎士長が頷いたところで、改めてこちらに向き直り口を開いた。


「本日ご訪問させて頂いた目的は、そちらの"彼"の王国騎士入りに纏わる大切なお話をするためです」


 ティアナ姫が俺を見たのち、一人一人全員の顔を見て続ける。


「王国騎士は本来、貴族以上の者のみが任命されると言われていました。実際そういう決まりはありませんでしたが。元王国騎士としては最年長のグランニーチェ=バゼルも、民から王国騎士になった例は彼の出生より約50年前に遡らなければない、と申しておりました」


 学長の名前が出て、今日一日騎士校を不在にしていたことを思い出す。


「記録をさかのぼり、民から王国騎士となった者が存在した事実を知ることができました。当時、民が王国騎士に就任する際、二つの特典を贈呈したようです」


 二つの特典?


「一つは爵位しゃくいです。民から貴族へと身分昇格を行っていました。これは王国騎士となった本人のみならず、その者と同じ血筋の者も対象としていました」


 同じ血筋……。


「もう一つは、爵位に相応しい新たな住まいです。王国騎士として公務を全うする際、城の近くに住んでいた方が良い、ということでしょう」


 言われてみれば確かに。城の周辺に位置する貴族の屋敷ならともかく、今日のように民の住まいに使いを送るだけでも王国としては手間だ。その上目立つ。実際呼び出されることしかないと考えていたが、もし王国側が足を運ぶことになれば、尚のこと手間としか言いようがない。


「民が王国騎士になる場合と、貴族以上の者が王国騎士になる場合でいくつかの違いがあります。その一つが、身辺調査の容易さです。貴族以上の者はクルーエルアを名乗ることを義務付けられています。有事の際に王国側からの命令に従うことを是とし、それ故の爵位称号を得ています。そのため調査に要する時間もしてかかりません」


 ティアナ姫はそこで一拍置き、口にすることを申し訳なく思う表情を浮かべつつも言葉を続ける。


「しかし民はそうはいきません。近年は交流は減りましたが、バルゲンやアスクリード出身の方々も多く暮らしています。そういった方々を国の最高機関の一員とするには、かなりの時間と労力を要することは、容易に想像していただけると思います」


 言いたいことは分かる。誰も口には出さないが、四年前の事件のように、外部の者には過剰なまでに気を遣っている。だけど、もしその通りなら俺は……?


「そう、それだけ昔から、王国騎士とはクルーエルア王国において特別な存在なのです。今回あなたが王国騎士に任命されたのは、四人の証人による推薦があったからです」


 ティアナ姫の視線が俺に向けられる。


 昨日もそうだったが、俺の考えていることを分かっているかのように話してくるのはどういうことなのだろう。俺が不安を覚えたときに手を差し伸べてくれるようなこの感じは。


「四人、ですか?」


 疑問を口にする。ティアナ姫は頷き言葉を続けた。


「一人目は、現騎士校学長でもあり元王国騎士であったグランニーチェ=バゼル=クルーエルア。彼の推薦なくして騎士及び王国騎士にはなれません。さらに二人目の証人として、こちらの、現騎士長にして元王国騎士であるジークムント=アリア=クルーエルア。騎士とは異なり、王国騎士となるに至るにはジークムントの許可が必要となります。もっともジークムントは、あなたを王国騎士に推薦することを決める際、随分と渋い顔をしていたと聞きましたが」


 ティアナ姫が小さく笑う。それに対しジークムント騎士長は表情はおろか眉一つ動かさない。


「三人目は、今は亡き元王国騎士ガルシア=ロエフ=クルーエルア」


 その名を聞き心臓が跳ねる。ここでその名を耳にするとは思わなかった。四年前の術士校の事件の際、俺を助けてくれた王国騎士だ。俺が力を身に付けられるよう導き、俺が騎士校へ入校できるよう計らってくれた、当時の王国騎士。


「名誉の死を遂げた元王国騎士であり、彼の残した遺言にはこのように書かれていました」


 ジークムント騎士長が書筒を取り出しティアナ姫へ渡す。ティアナ姫は中に入っている数枚の紙の束の一枚を取り出し、テイル家全員へ見えるように広げ、ある箇所かしょを指し読み上げ始めた。


「あの事件ののち、私は"少年"に教えられた。"少年"は私に強くなりたいと言った。姉を殺された復讐を望んでいるのかと最初は思った。だが"少年"は涙を流し、続けてこう言った。「もう二度と嘘を吐きたくない。大事な人、この国の皆、大切な約束、全部――――が、俺が守」……っ!」


 突然ティアナ姫が口許を抑える。ジークムント騎士長が「姫様」と呼び、リリィ様が駆け寄り、「ティアナ大丈夫?」と呼び肩を抱いている。父さん、母さん、カール、エリーが驚き顔を見合わせている。


 あの時と一緒だ。礼拝堂で騎士剣の授受が行われたあの時と……。


 ティアナ姫にお会いしたのはこれで三回目。その三回とも、ティアナ姫は俺を見て悲しそうな表情をした。


 やっぱり気のせいなんかじゃない。ティアナ姫はきっと、俺のことを知っている……。


 俺は立ち上がり、ティアナ姫が読み上げられなかった文言を口にした。


「もう二度と嘘を吐きたくない。大事な人、この国の皆、大切な約束、全部 『僕』 が、俺が守る」


 皆が俺に注目している。俺は言葉を続けた。


「俺の言葉です。そのガルシアさんは、俺に騎士校へいくよう薦めてくれました」


 その日から俺は、『俺』を使うようになった。

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