Episode.1-10

「すっかり遅くなってしまった」


 カールに申し訳ない気持ちを抱えながら足早に帰路につく。術士校に向かうときには灯っていた民家の明かりもその多くが消えていた。随分と時間が経ってしまった証拠だ。それにしても、術士校に行っていたことを出来るだけ見付かりたくなかったため正道を避けたのだが。


「妙に見回りが多いな」


 普段この時間に出歩くことはないので定かではないが、平時の三倍近いと思われる人数が見回りを行っている。それも俺の家に近付けば近付くほど兵士の人数は増しており、これ以上人目を忍んで帰るのは不可能に近い。俺は騎士校からの帰りを装い、不自然に思われない経路を選択し、通り掛かった兵士の方に声を掛けた。


「何かあったのですか?」


「なんだお前は。関係ない者はここから立ち去れ」


 面識のある兵士の方なら良かったのだが、残念ながらそうではなかった。問答無用で立ち去れというあたりこの先で何かあったと想像できる。


「所用で出掛けており遅くなりました。この先の民家の住人です。今帰ってきました」


 理由は聞かれたら答えればいい。手短に身の潔白を証明するために重要なのは、聞かれたことに正確に返し、必要以上に情報を出さないことだ。


「この先の?」


 兵士の方がいぶかしげに俺を見ている。値踏みするように見るその視線は、どう解釈しても俺を不審者として見ていた。


「ご公務のところ申し訳ないのですが、帰らせてもらってもよろしいでしょうか。家で弟が待っているので」


「駄目だ」


 予想以上に素早い答えが返ってきた。せめて「そこで待っていろ」等言われ、誰かに相談に行った上で通してもらえると踏んでいたのだが。


「何故ですか?」


 当たり前といえば当たり前だが当然の疑問を口にする。兵士の方はより一層厳しい表情で俺の質問に答えた。


「それは答えられない。我々は厳戒態勢を敷くよう指示を受けてここにいる。兵士長様からのお言葉だ。今晩中には解除されるだろうから、今は大人しく帰ってまた明朝に来い」


 話が噛み合わない。帰る家がこの先にあると言っているのに帰れと言われた。どこに帰れというんだ? いや、それよりも厳戒態勢? 兵士の方たちが多い以外は別段いつもと変わった様子はない。家の方も火事があったとかでもなく普段通りに見える。兵士の方は「今晩中には解除される」と言った。その言葉とこの状況から推測できるのは……。


「そこを通して下さい。俺は王国騎士です」


 この国の重要人物が訪れている、恐らく俺の家に。立場を明かすつもりはなかったが事情が変わった。多少強引にでも早く帰った方がよさそうだ。


「王国騎士? お前が?」


 俺の言葉など微塵も信じていないと分かる顔をして兵士の方が嘲笑あざわらう。


「馬鹿にしているのか。王国騎士っていったら騎士の中で最高峰に位置し、この国を守護し王族の護衛も務めるクルーエルア最強の剣士だぞ。お前みたいな、こんなところをひとりでうろついている奴が王国騎士なわけないだろ」


 明かすだけ無駄だった。どうあっても通してくれそうにない。


「どうあっても通してくれないんですか?」


「当たり前だ! 云わば我々は勅令を受けて来ているのだぞ」


 握る拳に力を入れる。溜息を一つ吐き、神経を少しだけ集中させた。


「仕方がない……」


「なんだお前、やる気か?」


 兵士の方が手に持つ長棒を構え直し、俺に向ける。見る限りではリンデトーラより遥かに劣る実力しかなさそうだ。早く戻るべきな気はするが手荒な真似は避けたい。となると取るべき手段は一つ。


「なっ!? お前! 待てっ!」


 俺は兵士の方に背を向け走り出し、来た道を真っ直ぐに引き返した。


    ◇


「待てーーーー!」


 リンデトーラより遥かに劣ることは分かっていたが、ぎりぎり想定の範囲内だ。俺が逃げるのに合わせ、兵士の方はしっかりと追いかけてきている。ただ追いかけてきているだけなら予定通り、どこかの角で上手く撒き、見失ったところで家に帰ればよかったのだが……。


「待てーー!」「逃がすなーー!」「怪しいやつめーー!」と、追手はいつの間にか大所帯になっていた。どこで計算が狂ったのか。答えは、街に配置されていた兵士の方たちの位置を正確に把握していなかったことだ。


 撒こうと考えていた曲がり角ごとに兵士が配置されており、大きく迂回せざるを得なかった。異常があればすぐに近くの者が駆け付けることができるよう無駄なく配置されている。街の構造をしっかりと把握し尽くしている者が行った完璧な配置だった。


 しかし、馬鹿の一つ覚えなのか。その完璧な布陣を敷かれていたにも関わらず、俺を追う兵士の方々は二手に分かれたりせず全員で追いかけてきている。そのおかげで次の角で一気に突き放せば上手く撒ける気がする。


「早く帰りたい……」


 走りながら本音が漏れる。今となっては多少強引にでも力業ちからわざで抜けた方が良かった気がする。盤面を埋めるように兵士を正確に配置し、何か問題があった時にはすぐに対応できるようにしている。そこまでする理由は……。


「やはり俺の予想は間違っていないということか」


 角を曲がり、追手を除く兵士がいないことを確認し一気に距離を離す。距離を離すと兵士の方々の叫ぶ声が遠ざかった。いつの間にか外壁一つ前の区画まで来ていた。余り広くない区画のため、月の光が通路まで差し込まず視認しにくい。見失ってくれれば有り難いが、見失わずとも、彼らが元の配置に戻る前に家に帰る時間はじゅうぶんにあるはずだ。


「はぁ……。要らない道草を食っ……!?」


 背筋に悪寒が走り振り返る。そこには、玄関の扉を開け、何かあったのかと出てきた女性の姿があった。同時に俺を追ってきた兵士の方が通路に差し掛かる。暗がりでたまたまそこにいた人影を俺と勘違いしたのか、女性を見るや否や「見付けたぞ!」と声を上げ襲い掛かった。女性が「えっ?」と口にし振り返る。


「危ない!」


 咄嗟にそう口にするが俺の声は間に合っていない。女性は恐怖の余り、すくみ声も出せなくなっている。俺は全身に力を込め、元来た道を急いで引き返した。




 暗がりの闇の中、悲鳴が響く。悲鳴を上げた主は、小さな衝突音と共に仰向けに倒れ込んだ。


「なっ……。えっ……、えっ……、えっ……?」


 状況を理解できていない兵士の方々が驚きの声を上げる。兵士の方々は、倒れた兵士を見たのち、この場の中心に立っている俺へと視線を向けた。女性に尋ねる。


「お怪我はありませんか?」


 運が良かった。幸か不幸か、すくみ動けなくなってくれたことで、女性を抱きかかえるのに手間は掛からなかった。また、先頭の兵士の方が一人突出していたこともあり、その方を転倒させるだけで済んだ。見たところ女性に怪我は無い。しかし俺には気付けない怪我があるかもしれない。


「あ、ありがとうございます。お、お陰様で……」


 声が少し上擦っている。もしかしてやはりどこか怪我を?


「立てますか? 立てないようでしたら家までお送りしますが」


「だ、大丈夫です! そこ! 目の前! が! 私の家! ですから!」


 女性が自分の家を指で示す。落ち着きがないところが気になったが、怪我はなさそうだったのでゆっくりとその場に下ろした。女性は地面に足を着け、小さく息を吐いたのちに口を開いた。


「あの、ありがとうございます。大声が聞こえたので何かあったのではと思い、何も考えずに外に出てしまって。皆様にご迷惑をお掛けしてしまいました」


 女性は恭しく頭を下げた。


 この件に関してこの女性に一切の非はない。全てはこんな結果に結びつけてしまった俺の落ち度。


「あなたに非はありません。これは私の責任です。ただ、今後日が沈んでからの外出は極力控えて下さい。今回の件とは無関係ですが、昨今はあまり安全とは言い難い」


 俺の忠告に「わかりました」と女性が答える。そしてそのまま続けて、女性は俺に尋ねた。


「助けてくれたあなたはもしかして騎士様ですか?」


『騎士』という単語に、周囲の兵士の方々が動揺する。俺が「はい」と返事を返すと、一層慌てふためいた。


「やっぱりそうなんですね! あの、お名前をお聞かせ願えませんか?」


 俺は一瞬だけ口ごもる。


 この女性が悪いわけじゃない。この手のやり取りはこれまで数え切れないほどあった。最初は申し訳ないとも思った。しかし今は、それもまたほまれと、俺なんだと、胸を張り答えることができる。


「名前はありません。昨日就任した王国騎士です」


「王国騎士!? だけど、名前がない……? でも、王国騎士って、騎士の中の騎士……」


 女性はぶつぶつと独り言を繰り返す。そして何かに思い至ったのか、その後、浮ついた足取りで家の前まで行き、振り返り俺に笑顔を向けた。


「ありがとう。名前のない王国騎士様。すごいかっこよかったよ!」


 女性は小さく手を振り家へと入っていった。本来ならここで照れの一つでもあるのかもしれないが、生憎あいにくと今は別の理由でそういうわけにもいかない。


 改めて周囲の兵士の方々を見回す。既に戦意は感じられなかった。そんな中、兵士の方の一人が一歩前に出て頭を下げた。


「失礼致しました。気が付かなかったこととはいえ、ご無礼を働き誠に申し訳ございませんでした」


 釣られるように他の兵士の方々も頭を下げる。どうやらこれ以上は無駄な時間を費やさなくて済みそうだ。


「いえ、分かってもらえたのならいいんです。こちらこそ誤解を招くような行動を取ってしまい、すみませんでした」


 倒れている兵士の方に手を差し伸べる。その方は俺の手を取らず、その場で地面に手を突き頭を下げた。


「申し訳ございませんでした。如何いかに責められようとも返す言葉もございません」


 身体が小刻みに震えている。やっと俺のことを王国騎士と認めてくれたようだ。しかしこの様子だと、王国騎士である俺に対し、無礼を働いたことによる罰を恐れているのかもしれない。


「何か勘違いしていませんか。俺は別に、あなたに何かしようなんて考えちゃいません」


 兵士の方はずっと下を向いている。


「それに罰が与えられるとしても、それは俺からではなく、あなた方の上官から与えられるでしょう。しかしそれは、あなた方の上官の耳に入った場合だけです」


「えっ?」という言葉と共に兵士の方が顔を上げる。


「ですが、そうですね。これは俺からのお願いということになりますが。後日、先程の女性に一言謝ってあげてくれませんか」


 兵士の方は顔を上げたまま真っ直ぐに俺を見ている。


「今回の件は全て、俺が誤解を生む行動を取ったことが原因です。あなた方に非はありません。この件に関して説明を求められたときは、昨日就任した民出身の王国騎士、"名前のない騎士"を出して頂いて構いません」


「そういえば今朝公布された王国からの掲示物に、この度の王国騎士は十二人と記載があった。うち一人が民出身と噂が立っていたが、もしかして本当に……」


 兵士の方の一人が説明する。


「ただ」


 俺は言葉を続ける。


「ただ、如何いかなる理由があっても、罪もない人々に手を掛けるようなことがあってはなりません。忘れないで下さい。俺たちの役目はこの国を守ることだけではありません。俺たちの役目は、この国と、この国に生きる全ての人々を守ることです」


 俺の言葉に兵士たちが頷く。膝を突いていた兵士の方も立ち上がり大きく頷く。これでようやく帰ることができる。


「それでは俺は帰ります。弟が心配していると思うので。いつも街の治安を守って下さりありがとうございます」


 俺は兵士の方々へ頭を下げ走って家を目指した。しかしここで一つ後悔することになった。どうして厳戒態勢が敷かれてまで警備が行われていたのか、その理由を聞いておけばよかったと。

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