Episode.1-9

 人々が行き交う昼間の開放的な雰囲気とは対照的に、夜のクルーエルアは人っ子一人通らないほど不気味だ。兵士たちの定期的な見回りがあるとはいえ、たとえ騎士であっても一人で出歩くのは心許ない。ある事件をきっかけに夜出歩く人は殆どいなくなってしまった。


 この国は高地に建てられた城を中心として、周囲に貴族たちが屋敷を構え、斜面を下った先に民たちの住居が並んでいる。民の住居の周りには街全体を囲うように外壁があり、城の正面に正道、裏に裏道と呼ばれる大きな通りがある。正道と裏道はそれぞれ街の正門と裏門に通じている。ただし城に入るための城門は正面の正道側にしか存在しない。城の正面から見て、向かって南側に騎士校、北側に術士校がある。

 

 走ってはいないが、落ち着かない心に急かされて、思いの外早く着いた。


「いつ来ても変わらないな、ここは」


 目的地である術士校を見上げる。入り口には『立ち入りを禁ずる』と書かれた立て看板がある。うに誰も住んでいないが、寮から校舎に掛けて紐が掛けられ、関係者以外立ち入ることが許されていない。今際にも崩れ落ちそうな建物なのに、四年近くもの歳月が経っても再建の目途は立っていない。


 校舎を取り壊し新設しようという計画はあったらしい。しかし、まるで何かにはばまれるように強い力に押し返され、取り壊すことができなかったそうだ。しかもそれは二度三度に限らないようである。


 ここで起きた出来事を思い出す。俺にしては珍しく、まともにどころか鮮明に覚えている記憶。


 当時術士校にはカール、エリーの実姉であるローズお姉ちゃんが通っていた。ローズお姉ちゃんは類稀たぐいまれなる才能の持ち主だった。王国騎士と並び称される護衛術士入り間違いなしと言われていた。騎士とは異なり術士は努力でどうにかなるわけではなく、生まれ持った才能が全て。さらに護衛術士となるには、王国騎士と同様に、一定以上の強さと教養、そして国への忠誠心が必要だった。


「そう、それを俺のせいで……」


 ローズお姉ちゃんは俺をかばって死んだ。


 あの日俺は胸騒ぎがし、避難指示が出ているにも拘らずローズお姉ちゃんが心配で術士校に走った。火の手が上がり、人々が反対の方向へ逃げる中、俺は真っ直ぐにここへ来た。何かがぶつかり合う大きな音と共に、術士校が崩れた。入り口から中に飛び込むと、そこは赤白色に揺れる世界だった。その中に、仮面を付けた何者かと対峙するローズお姉ちゃんの姿があった。俺は思わず叫んだ。


    ◇約四年前・術士校◇


「ローズお姉ちゃん!」


「えっ……? "たっくん"!? 来ちゃ駄目!!」


 仮面を付けた何者かが、ローズお姉ちゃんへと向けていた左手を僕へと向ける。その指先が光り、不規則な透紫色とうししょくの線がくうを駆けた。一瞬にして、指先、掌、腕、体全体と、周囲に飛び交い、それらは掌の中で透紫色の大きな球体となり僕に迫る。透紫色に光を放つ球体は中空で一本の槍へと変わった。


 迫り来る透紫色の槍を前に、僕は体が動かなかった。時々小さな術程度ならローズお姉ちゃんに見せてもらっていた。だけど、目の前から迫る透紫色の槍は明らかに高い殺傷能力を持っている。目の前から迫る真の術。それを目の当たりにし、僕は視界が真っ白になった。


 死んだ、それだけは分かった。


 死の間際、走馬灯のように思い出が過ぎていくと聞いたことがある。今それを、僕も目の当たりにしている。実際これがそうなのかもしれない。でも今見えている光景は僕が知っている思い出じゃない。遠くへ走っていく女の子。その子の背中が小さくなっていく。僕はそれに手を伸ばす。


「あっ……」


 再び目に宿った色は、赤白色せきはくしょくの炎に照らされてもなお暗い紅色と、その中心を貫いて輝く、禍々しくも美しい透紫色だった。


「"たっくん"、怪我はない?」


 透紫色の槍に胸を貫かれながらも、ローズお姉ちゃんが笑顔で僕に尋ねる。僕は頷くことしかできなかった。


「そう、良かった……」


 続けて二本目、三本目の槍が迫りローズお姉ちゃんの体を貫く。貫かれる度にローズお姉ちゃんは体を仰け反らせ、髪がなびき、体を朱色に染めていった。それでもローズお姉ちゃんは立ったまま笑顔を崩さず、優しく僕の頭を撫で呟いた。


「まったく、どうしてここまで来ちゃうかなぁ。お陰でかっこ悪いところ見せちゃったよ」


 目には涙が浮かんでいた。仮面を付けた何者かは次の透紫色の球体を作ろうとしたが、仲間と思わしき者たちが集まったことで、それを消し、何か話を始めた。


「ごめん、ローズお姉ちゃん。でも凄く胸騒ぎがしたんだ。それでお姉ちゃんが心配で、だから……」


 ローズお姉ちゃんは一瞬驚いたが、すぐにいつもの笑顔になり答えた。


「ありがとう。"たっくん"は私との約束を守ってくれたんだね」


「ローズ、お姉ちゃん……?」


「でも、な・ま・い・き・だよ?」


 片目をつぶってお得意の台詞。いつもの表情をするものの、大きな咳をしてローズお姉ちゃんは血を吐いた。仮面を付けた者たちは話を終えたらしく、その一人が再び手を前に突き出し、透紫色の光球を作り出す。


「女の子を守るのは男の役目だって言ったよね? でもね。弟を守るのはお姉ちゃんの役目なんだよ?」


「ローズお姉ちゃん……。僕は、僕は……」


 先程までと異なる透紫色の塊。その光が術士校内を跳ね、手の中の球体が大きくなる。


「大丈夫だよ、安心して。この場はお姉ちゃんに任せて。ねっ?」


 仮面を付けた何者かは、その手から透紫色の光を放つ。その光は、先程までの槍ではなく、術士校内を駆け回った後にとぐろを巻き、鋭い牙を持った大蛇となった。


 ローズお姉ちゃんは何かを決したように目を閉じ、僕の耳元で小さく呟く。


「ねえ"たっくん"。もし私が"たっくん"のこと――――って言ったら、"たっくん"はなんて答えてくれる?」


 ローズお姉ちゃんは最後まで言い終わったのち、僕を術士校の外に押し出す。ローズお姉ちゃんの大粒の涙が、僕が押し出されるのに合わせて舞う。視界のローズお姉ちゃんが徐々に小さくなっていく。ローズお姉ちゃんは一瞬だけ微笑み、左肩より透緑色とうりょくしょくに発光する線をちゅうへ描いたかと思うと、透紫色の巨大な大蛇と共に光の中に消えていった。




 目を開けるとそこには灰色の景色があった。咄嗟に体を起こそうとしたが、激痛が走り大きく声が漏れる。


「目が覚めたか"少年"」


 すぐ隣から声がし、声の主だと思われる人物が視界に入る。身なりから察するに騎士様のようだ。心配そうに声を掛けてくれているようだが、騎士様の声が頭に入ってこない。目を閉じる前に眼球に焼き付いた光景が脳裏をぎる。激痛が走っていたはずなのに、痛みを忘れたのではないかと思うほどあっさりと僕は起き上がり、周囲を見回した。目の前には、一部が焼け落ち、荒廃した術士校があった。入り口にローズお姉ちゃんの幻影が映る。僕はその場で立ち上がり、その姿を追うように、走っていた。


「待つんだ"少年"」


 後ろから僕を追いかけてくる騎士様の声が聞こえる。だけどその声が追いつく前に、僕は術士校の中へと足を踏み入れた。




 頭を抱え顔を覆う。僕は大きく目を見開き、声にならない声を上げた。


「見るな」


 追いついた騎士様が僕の前に立ち顔を覆う。だけど一度眼球に焼き付いた光景は、二度見ずとも鮮明に記憶に刻まれ、僕の心に無力さを植え付けた。


 散らばる手足。黒く焼け焦げた胴体。膨張し誰のものかも分からない頭部。それ以外にも原形を留めない多くの人体の一部。それらが無数に、乱雑に術士校の中に散らばっていた。


    ◇


 これが、四年前に起こったクルーエルア史上最悪の事件。あの光景は、脳裏に焼き付き、一度たりとも忘れたことはない。王国はこの事件に関し、当時在校していた術士を中心に徹底的な捜査を行った。しかし、どれが誰の体の一部なのかさえ判別がつかず、行方不明の在校術士はこの事件で亡くなったものと推定するしかないという、最悪の状態のまま捜査は打ち切りとなった。


 すぐ真横で鈍い音が響く。目を向けると、俺は無意識のうちに紐を潜り、術士校にそびえ立つ巨木の幹を殴っていた。


 ここに来る度に思い出す。歯痒さと無力感、そして、守ると約束したのに守れなかったという事実。


 術士校の入口へ足を進める。当然こんな光も射さないような暗い空間に誰もいやしない。俺は術士校の入口に立ち一人呟いた。


「……ローズお姉ちゃん。俺昨日王国騎士になったよ。この国とこの国に生きる人々を守る責務を負う、王国騎士になったんだ」


 ぽつりぽつりと、誰もいない術士校へ向け呟く。


「あの日からずっと後悔してきた。誰かを守りたいと願うのに、守る力を持たない愚かさを。それからずっと求め続けた。皆を守れる強さを」


 一瞬だけ拳に力が入るがそれもすぐに治まった。


「お姉ちゃんはああ言ったけど、やっぱり俺の信念は変わらない。女の子を守るのは男の役目だ。だから……」


 ゆっくりと目を閉じる。ローズお姉ちゃんが微笑み、俺を助けてくれた最後の光景がまぶたの裏に浮かぶ。


「俺は二度と、約束をたがわない」


 俺の発した言葉と共に、今まで風など感じなかったのに、急に風が吹く。その風と共に、俺の背後に何者かが現れた。しかも、その何者かは俺に敵意を向けていた。


 ……何者だ?


 明らかに敵意は感じるのだが仕掛けてくる気配はない。背後を取られている危険な状態なのに、焦るどころか妙に落ち着く。しかしそんなことよりも。


「頼みがある。聞いてくれないか」


 俺は背後にいるだろう何者かに問い掛けた。


「ここで戦うのはやめてくれないか。ここには多くの悲しみが詰まっている。もう会えないと、もう戻ってこないと分かっていても、ここを心の拠り所としたい人が今なお何人もいるんだ」


 背後から言葉はない。


「俺もその内の一人だ。もう会えないと分かっている。だけど、もしもう一度会うことができるなら、その時は……」


 懐かしい光景が脳裏を過ぎる。ローズお姉ちゃんと過ごした日々。


 一緒に水をみに行ったこと。一緒に買い出しに行ったこと。一緒に母さんの手伝いをしたこと。ローズお姉ちゃんが大事に育てていた花に、一緒に水をあげたこと。他にもたくさん……。


 もしローズお姉ちゃんが生きていて、あの日々をもう一度取り戻せるなら、その時は……。


「俺が絶対に、守ってみせる」


 背後から返事はない。だが俺の言葉を受け入れてくれたのか、再び小さく風が吹き、気配は遠のいていった。


「……ありがとう」


 俺の言葉が聞こえるか聞こえないかのうちに何者かは夜の闇に溶けていった。この出来事を、不確かなものとして俺は誰にも話すことはなかった。気配が遠のいたその際、気のせいかもしれないが、ほんの一瞬だけ懐かしい花の香りを感じた気がした。


    ◇???◇


「――――が命令無視?」


 暗闇の中に目が浮かび上がる。「そうか、分かった」と目の主が伝えると、報告を終えた者の気配は遠のいていった。


「勝手な行動は慎めと言ったにもかかわらず、まさか命令を無視してまでクルーエルアへ向かうとは。これまで殺せと命ずれば殺し、滅ぼせと命ずれば滅ぼしたあの――――が命令無視……」


 目が閉じられ、暗闇は文字通り何もない暗闇となる。以前と異なり周囲に紫の閃光が走らぬのは、感情に大きな変化がないからだろうか。


 命令無視を怒っているわけではない。無論悲しんでいるわけでもない。ただ単純に分からないだけだ。命令を無視した理由が。これまでこんなことは一度たりともなかった。命ずればどんな命令も聞いていた――――が、己の意志で行動するなど……。そういえば先日、初めて――――から進言があった。あの時は特に何も考えることはなかったが、思い返せば、今になって何故……。


 その時の状況を思い出す。


「黄金の光……」


 脳裏に過ぎったのはそれだった。


 あの光が、あの情景が、――――に影響を与えたとでもいうのだろうか。しかしそうだとしたら、それは誤算とまでは言わないが厄介であることに違いはない。災厄を手中に収めるまであの女の力は必要なのだから。


「暫く使えないな、――――は」


    ◇

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