Episode.1-6

 本来手を貸してやるべきなのだろうが、生憎あいにくと両手が塞がっている。しかしそんなことをしなくても、リンデトーラならすぐに気付くはずだ。


「立てるか?」という俺の言葉に、リンデトーラは自分自身が随分と情けない姿で尻餅をついていたことに気付く。俺はいつかの自分を思い出し心の中で笑った。そして、彼の次の行動が、かつての自分に重なって見えた。


 リンデトーラは羞恥心に耐えられなくなったのか、脱兎の如く立ち上がる。そのまま拳を強く握り締め、顔を真っ赤にして口を開いた。


「あ、当たり前だ!」


 馬鹿にしているわけじゃない。だけど、そんなリンデトーラを見て少しだけ笑みが零れた。


 そうだ、俺もこうして強くなった。何度も膝を突き、その度に笑われそして立ち上がる。騎士校入校時、強さはきみの半分にも満たなかったが、まるでかつての自分を見ているような懐かしさだ。


 恥ずかしいと思う気持ちがあるからこそ克服する。

 勝ちたいと思う気持ちがあるからこそ強くなれる。

 守りたいと思う約束があるからこそ、信じ続けられる。


 なぁ、ディクストーラ。俺はお前の弟を正しく導けただろうか。お前の代わりをちゃんと務めることができただろうか。もしお前が戻ってきて、弟を見て納得できないようなら、そのときは俺を殴ってくれ。


    ◇王国騎士試練初日(対ディクストーラ)◇


「騎士就任の儀ののち、もう一度俺と戦え」


「えっ?」


 ディクストーラの発した言葉にその場が静まり返る。ディクストーラの顔は、今日こんにちの決闘の儀では一度も見せたことがないほど真剣だった。


「貴族ってのは我儘わがままで図々しいんだ。己の欲望に素直ともいう。こんな結果で満足なんてできるはずがない。俺は勝った。しかし気持ちの上では負けだ。そしてお前は負けた。だがこんな形で負けたと思われても俺の自尊心はそれを認めない」


 ディクストーラの隣でシグが両の口の端を吊り上げている。


「ディクストーラ。今騎士就任の儀の後って……?」


 ディクストーラが微笑む。その視線は、今まで俺を見下してきた視線とは異なる、同じ立場、同じ同志に向けられる視線をしていた。


「これ以上説明は要らないだろう。騎士就任の儀で待っている」


 そしてディクストーラはシグと共に俺から離れていった。


        ◇王国騎士試練初日(対ディクストーラ)〔シグムント視点〕◇


"名無し"の野郎を残し、俺とディクストーラはその場を離れた。


「名前がないだけじゃない。それとは別に不思議な男だな」


 共に歩くディクストーラが小さく呟く。


「お前も感じ取ったか」


 俺の言葉にディクストーラは自身の掌を見詰める。


「一太刀交えるごとに心が透明になっていく。隠していた感情が露にされる。あれで負けていたとしても悔いはないとさえ思えた。いやむしろ、勝ったことに後悔を覚えたのは初めてだ」


 ディクストーラがこれほどの言葉を口にするとは。先日、決闘の儀で"名無し"と剣を交えたときに感じた不思議な感覚は、やはり勘違いではなかったということか。


「シグムント」


 ディクストーラが俺を呼ぶ。俺は視線だけを返しディクストーラの次の言葉を待った。


「お前には勿体ない玩具だ。俺に寄越せ」


 言うに事欠いて貴族風情が。王族の俺に「寄越せ」だと。だがそういう挑発、嫌いではない。


「調子に乗るなディクストーラ。欲しければその剣で奪い取ってみろ。もっとも、誰の物かも怪しいがな」


 俺の言葉にディクストーラは笑い、自嘲気味に言葉を紡いだ。


「丸くなったな」


「ふん。互いにな」


    ◇


 リンデトーラに模造剣を渡す。


「もう一度だ。次は、全力で来れるな?」


「はい」


 リンデトーラが模造剣を受け取る。先程とはまるで別人のように、真っ直ぐ、澄んだ瞳で俺を見ている。俺たちの戦いを見守っている周囲からも、固唾を飲む呼吸音が聞こえてきた。リンデトーラが振り返り俺と距離を取る。ゆっくりと歩き、一定の距離を取ったところで立ち止まった。リンデトーラは一度小さく深呼吸をし、再び俺へと向き直る。俺も他の候補生たちに見えやすいよう立ち位置をずらし、リンデトーラと対峙した。


 今、彼は何を考えているのだろう。


 リンデトーラは先程と同じ構えで静止する。気迫に大きな差はない。しかし先程とは異なり、そこには小さな闘志が感じられる。俺もまた、一度目と同様、リンデトーラをなぞるように模造剣を構え、空き手を添えた。


 周囲から音が消える。リンデトーラの双眸は俺だけを映し、眼球は俺だけに絞り込まれている。しかし、


 打ち込んでくる気配が感じられない。


 視線からは確かに闘志を感じられる。それなのに打ち込んでくる気配を感じない。何かに迷っているのだろうか? だとすれば……。


「俺はあいつらが死んだなんて思っちゃいない」


 俺の言葉に、リンデトーラは眉を動かす程度の素振りを見せたが、表情は変えなかった。


騎士校ここを出るときにあいつらと約束したんだ。俺たちは誰一人欠けることなく、最後までこの国を、クルーエルアを守ってみせると」


 リンデトーラは表情は変えないものの、先程より瞬きの回数を増やし、俺の話に耳を傾けている。


「だからきみも、きみの兄上を、偉大なる王国騎士、ディクストーラ=ローシを信じるんだ」


 いつかこんな日が来ることは分かっていた。それが、昨日の今日だったということだけ。


 リンデトーラのように、名誉である騎士就任の儀で家族を失った者からすれば、その怒りも悲しみも、生き残った唯一人にぶつけたいと思うのは必然。あいつらが死んだと思ったことは一度もない。今なおどこかで抗い、きっと戦い続けている。だからこそ、あいつらが戻って来るまで、あいつらの大切なものを守ることもまた、同じ時代に、同じ王国騎士に就任した者の、務め。


 俺に向けられていた双眸が閉じられる。リンデトーラは構えは崩さないものの、上を向き、何かを堪えるように歯を食い縛っていた。


 この場に集った候補生、教官、その全員がリンデトーラの動向を見守っている。俺もまた、黙ってリンデトーラを見守る。やがて、彼は覚悟を決めたように、再び俺へと向き直り、静かにその双眸を見開き声を上げた。


「お願いします」


    ◇日没後◇


「おいリンデ。いい加減もう帰ろうぜ」


「日も沈んじまったしいつまでそうしてるんだよ。あんな馬鹿強いなんて思ってなかったってのは分かるけど」


 リンデトーラは模造剣を握り、微動だにせずうつむいていた。しかしその瞳は光を失ったわけではなく、むしろ今までと異なる新しい光を宿していた。


「負けて悔しいって気持ちも分かるけどあんなのどうしようもないって」


「俺たち先に帰るからな」


 リンデトーラは微動だにしない。リンデトーラを呼んでいた四人は顔を見合わせ、溜息ためいきを吐きながらも申し訳なさそうに、渋々その場を離れていった。


 話し掛ける四人がいなくなったことで修練場にはリンデトーラだけが取り残されていた。日が沈んだことで、月光つきびかりのみがこの場での唯一の光源になっている。周囲に音はなく、時折吹く夜風ですら騒音のようにわずらわしく響いた。


 リンデトーラは自身の手に持った模造剣に目を向けた。大して変わらないはずなのに、先程と比べ極端に軽くなったように感じた。


「強いと思ってなかったとか、どうしようもないとか、そんな簡単な話じゃない」


 剣を握る拳に力が入らない。それはもはや悔しいという気持ちすら残っていない証拠。


 大好きだった。尊敬していた。王族・貴族に連なる王国騎士たち、その中でも先陣を切って斬りこむ兄の剣こそ至高と信じ、その剣に近付くよう努力してきた。だけど兄の剣ばかり追い求めるあまり、俺は騎士としての心を見失っていた。それを王族でも貴族でもない、民出身の『王国騎士』に教えられた。


「兄上、ごめんなさい。俺、負けました。剣も、心も。兄上と同じ王国騎士に……」


 頬を伝う熱い感情が、悔しさよりも嬉しさに感じられる。負けたのに、どうしてこんなにも心が軽いんだろう。


「兄上はいつも俺に剣の指南をしてくれた。そこに兄弟としての情があることも気付かずに。俺は勝手に兄上と同等だと思い込んでいた」


 完全に俺のおごりでしかなかった。どんな馬鹿でもここまでの力の差を見せつけられればその間違いに気付く。あの男を馬鹿にすることは、兄上たち王国騎士全員を馬鹿にすることと同じだ。


 顔を上げる。体の向きを変え、訓練用に設置してある丸太へ、正眼の位置になるよう剣を構える。そして、普段行わない掛け声と共に、最も自然な体勢を維持しつつ振りかぶり、的へ振り下ろした。模造剣がぶつかったことによる重い打撃音が響き、丸太からは小さく軋む音が聞こえた。


「……斬れないか」


 肩に余計な力は入っていない。剣を握り締める拳にも、必要以上の力はこもっていない。見様見真似でしかないが、あの男が見せたように上手くはいかなかった。


 剣を下ろし丸太を見る。


「そういえば入校直後教官が、「これを斬ることができたら騎士として一人前だ」と言っていた」


 目の前の丸太を見たのち、自身が握る模造剣に目を向ける。剣身けんしんから切先きっさきへなぞるように視線を走らせる。


「あの言葉、もしかして……」


 リンデトーラはそこで一つの確信に至った。リンデトーラが握る模造剣、その剣は、切先きっさきから刃先はさきへ掛け、およそ一寸ほどが欠けていた。


    ◇クルーエルア城下町◇


「兄さんがあんなに強かったなんて知らなかった」


 騎士校からの帰路の途中、カールが呟く。日が沈み、街道に点々と照明が灯っている。空からは月光つきびかりが射し込んではいるが、時折雲に覆われさえぎられることもあった。


 カールは、ディクストーラの弟リンデトーラとの戦いを見て、俺の強さに驚いたようだった。


「お前、俺の何を見て育ったんだ」


 少し残念な気持ちになる。たしかに、騎士校時代は寮住まいだったし、カールの入校とは入れ違いで騎士校を出た。まともに剣を見せてやったのは今回が初めてかもしれない。しかしカールの騎士校入校直前には何度か指南してやったこともある。リンデトーラほどではないが、俺ももう少しカールに指導してやった方が良かったのかもしれない。そうはいってもできない理由があったのだが。


 あのあと、リンデトーラとの稽古ののちも俺は多くの候補生たちの訓練に付き合った。気が付いた時には日が傾き、最後の一人が終わった頃には沈みつつあった。教官からは随分と感謝されたが本来の目的であった学長は戻ってこなかった。「明日また来ます」と伝え帰路に着いたのだが、寮住まいのカールも「今日は僕も帰るよ」と言い付いてきた。修練場に残ったリンデトーラが気掛かりだったが、教官が、「何も言わず見守るのもまた、先輩騎士としての役目だ」と言ったため、その場を後にした。そしてそのままカールと共に家路についている。


「だけど王国騎士は当然として、騎士でもやっぱり凄いんだね。王国騎士でなくてもあれができないと騎士になれないんでしょ?」


 カールの言うとは、リンデトーラとの稽古で見せた、最後の一閃のことだ。

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