Episode.1-5

 周囲の候補生たちもまた、目の前の少年と同じ表情をしていた。今の彼らからすれば、剣を受けるも避けるもと踏んだのだろう。彼らの中で最も強いだろう候補生がこうして目の前で驚愕の表情を浮かべているのだ。周囲の候補生たちには防ぐに至った剣の軌跡すら見えていないのかもしれない。


「何を驚いている。今のが届くと思ったのか?」


「うっ……」


 少年は俺の言葉に怯んだのか、模造剣を握りしめていた手の力が僅かに緩む。当然その一瞬を見逃すつもりはない。俺は受け止めた少年の剣をはじき返した。


「うわっ!?」


 完全に虚を突かれたのか、受け身を取ることも忘れ少年は尻餅をつく。俺は模造剣を払い、後ろ手に持ち、少年を見下ろした。


 少年の目は困惑の色にまみれていた。


 初動の振り被り方から見て、躱されることは計算に入れていなかったのだろう。稽古と言っていたこともあり、真っ向から受け止められると踏んでいたはずだ。しかし、実際に受け止められてみれば、という、想定外の出来事に驚いているといったところだ。


「もう終わりか。最初の威勢はどうした」


 敢えて逆撫でするように問い掛ける。声を掛けられた時の態度から薄々感じていたことだが、この少年はきっと。


「馬鹿にしやがって!」


 少年はかたわらに落ちていた模造剣を握り立ち上がる。先程以上に鬼気迫る表情をし、再び模造剣を振り被った。


 ……ここからは様子見だ。


 がむしゃらに振るわれる少年の剣を、時に受け、時に流し、その真意を探る。周囲の候補生たちの声が聞こえる。


「す、すげぇ」


「ああ、あのリンデが手も足も出ないなんて」


「これが、これが王国騎士……」


 これを見ている教官は何を思っているのだろうか。少なくとも普段の少年らしからぬ剣だと思っているはず。今日初めて少年の剣を受けた俺でも感じ取れたくらいだ。そう、今の少年は、剣の形をした棒を振るっているに過ぎない。


「はぁ、はぁ……。ちっくしょう!」


 少年の息遣いが荒くなる。まだ戦えなくはないが息が切れかかっている。となると、


 頃合いだな。


 少年が再び大きく振りかぶる。大きめの隙を伺っていた俺としては好機だった。そしてここで一つの確信に至った。


 少年の剣を受けるために守備に回していた体の重心を前面に傾かせる。体重の乗った足に力を込め、地面を強く蹴る。俺は即座に間合いを詰め、剣を逆手に持ち替えた。


「あっ……」


 自然とこぼれたのだろうその言葉。言葉と共に少年の表情が歪む。少年の瞳には、わずかに懺悔ざんげと救済を求める雫が浮かび上がった。しかし俺は、自らが握る模造剣の柄頭を、振り被る少年の手首に容赦なく打ち付けた。


 太陽を二分するように黒い一筋の影が差す。それは少年が手にしていた模造剣の影。模造剣が空を舞っていた。


 少年が二度目の尻餅をつく。俺は落ちてきた模造剣を空いているもう一方の手で受け止めた。少年を見るが、目を見開き、何も言葉を発することができそうにない。その表情から、少年が戦意を失いつつあるのが分かった。俺は冷ややかな視線を少年に向け言葉をぶつけた。


「全力で来い。そう言ったはずだ」


「……えっ?」


 俺の言葉に理解が追い付いていないのか、少年の声は少し上擦っている。少年の瞳からは恐怖の色が消え、代わりに困惑の色が広がっていた。


 ……やれやれ。


「そんな怒りや憎しみにまみれた剣が通用すると思っていたのか? 必要以上に力が入り過ぎているせいで周りが見えなくなり、今のように付け込まれる隙を晒す。ディクストーラはもっと相手の行動を読んだ上でその剣を振るっていたよ」


 俺の言葉に、少年は驚きの声を上げる。驚いている少年を余所に、周囲の候補生たちが小声で騒ぎ出した。


「ディクストーラって、確か先日、王国騎士となるはずだった……」


「あぁ、リンデの兄さんだよ」


 周囲の声が次第に大きくなる。その声に併せ、目の前の少年は顔を伏せ、肩を震わせた。


「知っていたのか。俺があの人の弟だって……。王国騎士となるはずだった、俺が唯一人尊敬する兄ディクストーラ。その弟リンデトーラだって……」


 口調が変わった。これが本来の少年、いやリンデトーラの姿か。悲しみにまみれたその瞳。大切な人をなくし、自分ではどうすればいいのか分からない。だけど自尊心が邪魔をして誰にもその気持ちを吐露することができない。貴族という立場故の、孤高。


「知っていたから、こいつらの前で、俺にこんな恥を掻かせるようなことをしたのか。稽古だって言っておきながら」


 俺は無言でリンデトーラを見下ろす。


「何か言ってみろよ!」


「稽古でなければきみは死んでいる。そんなことも分からないのか」


 俺の言葉にリンデトーラが絶句する。


 これで少しは、まともに話ができるか。


「きみがディクストーラの弟だということは、きみから聞いて、今初めて知ったことだ」


 俺の言葉に、リンデトーラは更に困惑の表情を浮かべる。


「え? だって、さっき兄上の名前を」


 一層分からない、といった表情でリンデトーラは俺を見る。俺は先程まで少年が使っていた模造剣を構え直し、そちらへ視線を向けた。


「きみの振るう剣はディクストーラの剣によく似ていた。未熟ながらも彼の剣に近付こうとするきみの姿勢が強く感じられた」


 剣を見詰め、当時ディクストーラと戦った時のことを振り返る。


    ◇王国騎士試練初日(対ディクストーラ)◇


「やるな。力を出し惜しみしなくてもいい相手と闘える。これを僥倖と言わず何という」


 四幕への移行に備え、俺は精神を集中させ模造剣を構え直した。


「いい面構えだ。俺も貴族の例に漏れない傲慢ごうまんな考え方をしているが、強き者にはそれだけで敬意を払う。名も記憶もないからなんだというんだ。お前の本当の力、俺に見せてくれ」


    ◇


 改めて視線をリンデトーラへ戻す。


「最初の一撃できみの剣から感じたのは怒り。そのきみは夢中むちゅうに剣を振るっていたのだろうが、体は無意識に、馴染んだその剣を振るっていたんだ」


 リンデトーラは口を開けたまま茫然ぼうぜんと俺を見上げている。


「ある程度受け続けて気付いた。これは彼の剣だと。そしてきみは恐らくその関係者だろうと」


「そんな。たった数回の剣戟けんげきでそこまで……」


 リンデトーラが視線を落とし落胆する。


 明らかな戦意喪失。しかしそれでは困る。これはなのだ。後輩に騎士の道を示せないようでは、先輩としても、王国騎士としても、彼らに合わせる顔がない。


「きみの剣が真に迫る強さを持っていたから気付くことができた。それだけきみの剣がディクストーラに近いということだ」


「えっ……?」


 リンデトーラは顔を上げ、今度は驚きと希望を含んだ瞳で俺を見詰める。


「立てるか?」


 自然と口からこぼれた言葉。しかし、この言葉、この状況。立場が逆とはいえ、あの時のことははっきりと覚えている。


    ◇王国騎士試練初日(対ディクストーラ)◇


「立てるか?」


 担ぐように模造剣を肩に置き、ディクストーラが俺を見下ろしている。剣こそ手放していなかったが、俺はディクストーラの一撃を防ぎきれず弾き飛ばされ尻餅をついていた。


 腕が僅かに痺れている。この腕じゃ次の攻撃を受け切れない。目の前に立つディクストーラを見上げ、俺は素直に敗北を認めた。


「俺の負けです」


 俺の言葉に、見ていた数人が声を上げる。俺が敗北を宣言すると、シグが俺たちの元に歩み寄り声を掛けた。


「ディクストーラ、お前」


「ああ、分かっているシグムント。俺の負けだ」


 ディクストーラの言葉に、俺たちの戦いを見ていた者たちから戸惑いの声が上がる。ディクストーラは、わざわざシグムントが説明するまでもない、というかのように、俺の前まで近付き口を開いた。


「何故切り返さなかった?」


「えっ?」


 戸惑いの言葉を口にする。ディクストーラが何を言っているのか俺には理解できなかった。


「俺は最後の一撃に全力を込めるつもりだった。そのため、既にその構えに入っていた。だが俺は見誤った。お前が崩した体勢から立て直すまでの時間を読み切れていなかった。そして、僅かだがお前の剣の方が早く決まると分かった。しかしお前は切り返すことはせず、咄嗟に無理な姿勢から防御へと切り替えた。それにより、お前だけが一方的に負けたような結果になった」


 ディクストーラの説明を聞いたものの、あの瞬間自分がどんな行動を取ったのか思い出せない。しかし、本当にそうなら無意識なのだろうか。俺はあの瞬間どんな判断をしたのだろう。


 俺が思考を巡らせていると、シグがディクストーラと俺の間に入り罵声を浴びせてくる。


「てめぇ、俺との決闘の儀をけがす気か。あの時の威勢はどうした。わざと負けてんじゃねーぞ」


 シグが人差し指で俺を指し、怒りのまま言葉をぶつけてくる。ディクストーラはその場にいた教官へ向き直り、口を開いた。


「教官。これが只の稽古なら、俺は試合を放棄し"彼"に勝ちを譲ります。しかしこれは"彼"の王国騎士入りが懸かった重要な一戦。厳正なる判断を願います」


 ディクストーラの言葉を聞き教官が一つ咳払いをする。教官も分かっていて判断し兼ねていたのだろう。全員の視線が集まる中、勝者ディクストーラの名が告げられた。


 シグは眼を閉じ何も口にしなかった。


 ディクストーラが俺の元へ歩み寄り、目の前で立ち止まる。見上げると、ディクストーラは強かな視線で俺を見下ろしていた。


「聞いた通りお前の負けだ。大事な初戦、大切な勝利を逃したな」


 自分で認めたときには重みを感じなかったが、いざ他者の口から負けを告げられるとその重みを改めて実感する。


 何をやっているんだ、俺は……。


「甘えるな」


 その一言に心臓が大きく跳ねる。俺が顔を上げると、ディクストーラは怒りを含んだ瞳で静かに俺を見下ろしていた。


「たまたまシグムントと互角に渡り合えたからといって甘えるな。戦いとは世界のことわりと同じ、万物流転ばんぶつるてんの如く変化し続けるもの。昨日のシグムントと互角だったとはいえ今日のシグムントと互角に渡り合えると思っているのか? それと同様に、今日シグムントに勝てない俺が、明日もシグムントに勝てないと思っているのか? だとしたらお前は決して王国騎士にはなれない」


 ディクストーラの言葉が重く圧し掛かる。


 甘え……。ディクストーラの言いたいことは分かる。俺と彼等とで決定的に違うもの、それは。


『勝利への渇望かつぼう


 王族、貴族である彼等にとって、どんな勝負事においても負けることは許されない。彼等にとって自己を肯定するためには勝ち続ける必要がある。自尊心を保つため、彼等は、他者とは比較にならない程の苦を自らに課している。負けないためではなく、勝つための努力、俺にはその覚悟が足りない。


 知らず知らずの内に視線は下を向いていた。ディクストーラの言葉が頭の中を駆け巡る。


 ディクストーラの言う勝利とはどういう意味なのだろう。


 戦いにおいて敗北は、負けという意味ではない。戦いにおける敗北は、死を意味する。


 俺は、誰も死なせたくないから、負けたくないと思っていたのではないだろうか。俺が負けなければ、誰も死なないと、勝手にそう思っていたのではないだろうか。しかしそれでは、守ることはできても、守り続けることはできない。


 そうか。そういうことか。つまり勝利とは、俺にとっての勝利とは、誰かを、何かを『守り続ける』ことだ。


 自我を取り戻し顔を上げる。そこには、口端を吊り上げ俺を見下ろすディクストーラの姿があった。


「まぁそれが理解できているのなら、いつまでもそんな無様な恰好でいられるはずがないがな」


 ディクストーラが小さく笑う。その言葉に、いつまでも尻餅をついている情けない俺の姿を見て、他の者たちも笑いだした。俺はその時嵌められたと思った。すぐに立ち上がらねばと思った。しかし、俺が立ち上がる前に、シグは、この男は、そこで人が一番言われたくない最悪の言葉を言い放った。


「情けない。情けないなぁ! 名前だけでなく羞恥心しゅうちしんもお前にはないのか? 無様な姿を見せないことも騎士としての務めだぞ。そんなことも未だに分からないのか?」


 シグが大層馬鹿にしたつらをして鼻で笑う。俺は即座に立ち上がりシグを睨み付けた。確認しなくても分かるが、俺は今赤面していることだろう。ディクストーラはシグの後ろで笑いを堪えるのに必死になっている。だがそれはこの場にいる全員がそうだった。俺を除いて。


    ◇

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