Episode.1-4

 騎士剣を手にし、正式に王国騎士となって一夜が明けた。ティアナ姫の言葉ののち、ジークムント騎士長は俺に告げた。


「今日より三日後、日がぼっしたのちに城を訪ねよ。兵には話を通しておく。その際は正装で来ることだ。そして必ず騎士剣を携えること。今後はそれがお前の身の上を証明することにもなる」


 ジークムント騎士長の言葉に俺は短く返すと、騎士長は視線だけを俺に返した。そして今度はティアナ姫へと向き直り、「姫様。この場所は今、安全とは言いかねます。ご同行致しますので、部屋までお戻り頂けますか」と口調の割に随分と圧を感じる声色で話し掛けた。


 ティアナ姫はジークムント騎士長に不満そうに抗議していた。一瞬だけ聞こえたが、「危険ならそこにいる王国騎士が守って下さ……」の辺りで、騎士長に押し出されるように王族専用の通路から連れ出されてしまった。ティアナ姫は凄く悲しそうに、それでいてとても不満そうに、頬を膨らませながら俺を見ていた。その顔がとても印象的だった。その、兵士の方の案内のもと、城の入口に戻り退城手続きを済ませた。


 長い、長い一日だった。手に握りしめている騎士剣、王国騎士となった証。本来なら喜ぶべきなのだろうが、結果として騎士就任の儀で何があったのかは分からなかった。騎士長はそれ以上何も聞かなかったが、それはティアナ姫がいらしたからだ。あの場において優先すべきはティアナ姫の安全。俺への追及を後回しにしたのは当然の判断だ。


 さすがは騎士も王国騎士も束ねる騎士長にしてこの国屈指の騎士だ。どんな状況に置かれても優先順位を誤ることがない。俺も王国騎士として騎士長のように、この国とティアナ姫を守っていこう。


 そう心に決め家に戻ったが、翌朝俺は、大切なことを思い出し頭を抱えた。



    ◇翌日◇



「その際は正装で来ることだ」


 あの場では疑問も抱かず聞き流してしまったが、冷静に考えてみると、これがどれほど恐ろしいことなのか気付いていなかった。


「服がない……」


 確認するまでもなく、部屋にあるのは日常で使用している服しかない。母さんは仕立て直しを生業なりわいとしているだけで、一から服を縫製するわけじゃない。今にして思えば、よくあんな恰好で城内へ入れてくれたものだ。学長を訪ねよという言伝であったため、騎士校在学時に着ていた服を選んでしまった。それがクルーエルア城に入城し、あまつさえティアナ姫とお会いすることになろうとは。


 騎士就任の儀の際は、予め用意されていた騎士鎧を着用していたため気にすることはなかった。正装と言われた手前、鎧を着用していくわけにもいかない。とはいえ昨日までただの民であった俺に、王族や貴族の方々が身に着けているような服など持ち合わせているはずもない。


 繰り返そう。


「服がない……」


 民でありながら王国騎士として認められたにも関わらず、こんなことで悩むことになろうとは……。


「兄さん、大丈夫?」


 目の前に水の入った筒が差し出される。それを受け取り礼を言う。


「ありがとう、カール」


 水を一口含み少し落ち着く。周囲を見ると、幾人もの騎士志望の候補生たちが模造剣を交え腕を競い合っている。昨日のように自己喪失に陥りそうになったわけではない。しかし今は目の前のことも気に掛けなければならない。正装の件は一時保留だ。


「さすがに疲れたんじゃないの。来てからもう何人の稽古に付き合ってるか分かってる?」


「たったの六人だ」


「一息も入れずにね」


 俺の即答に間髪入れずカールも返してくる。長年の付き合いからか、どう答えるか最初から予測していたのだろう。


「それに疲れたわけじゃないさ。少し考え事をしていただけだ」


「考え事?」


 思い付く当てが無くなったのか、カールは俺の言葉を繰り返し、神妙な面持ちで俺を見ている。俺はもう一口水を含み、騎士校に来てからの出来事を思い返した。


 昼を過ぎて俺は騎士校を訪れた。正装について、俺の指導を担当した貴族の教官に相談したかったからだ。教官からは、「王国騎士として格式のある服装となると私たちでも難しいな。そういう相談なら、同じ王国騎士だった学長に相談した方がいい」と言われた。学長を当たってみたが生憎あいにくと不在。他に頼れる心当たりもなかったため、学長を待つかたわら候補生たちの稽古に付き合うことにした。


 騎士校に来てから六人の稽古をつけた。俺の手が空いたと分かったら、すぐにでも次の候補生たちが声を掛けてくるはずだ。


「……五人」


「え?」


 何の人数か分かっていないカールを余所よそに、正面から歩いてくる集団に意識を向ける。集団は俺の前で立ち止まった。そして俺に一番近い、彼らから見た一番前の人物が口を開いた。


「お疲れのところ恐縮です。稽古を付けて頂きたいのですが」


 顔を上げ、声を発した人物を見る。顔立ち、姿形の成長度合いから見て、カールと変わらないだろう少年だった。だがその少年からは、カールとは決定的に異なるものを感じた。言葉遣いとは裏腹に、他人を見下し蔑んだ視線。態度や風貌から察するに、間違いなく名のある貴族だ。


 少年は俺を見下すように見ている。俺は少年の言葉に何も答えず黙っていたが、そこにカールが間に入り少年に答えた。


「ちょっと待って。兄さんはずっと他の皆の稽古を付けていたから今は疲れているんだ。だからもう少し後で」


 カールの言葉に少年は眉一つ動かさない。しかし少年が連れている後ろにいる四人は、声こそ出さないが隠しきれていない嘲笑を浮かべていた。


「大丈夫だ、カール。先程も言ったが考え事をしていただけ、疲れたわけじゃない。それで、きみ。稽古というのは、きみたち五人を纏めて相手にすればいいのか?」


 周囲で訓練を行っていた候補生たちの動きが止まる。少年は俺の言葉を聞き、呆れたように口を開いた。


「そんなわけないでしょう。それではただの私刑になってしまう。そんなことも分からずによく王国騎士になれましたね」


「お前……」


 カールの顔が歪み、拳が強く握られる。


 こんな安い挑発に耳を貸すことはない。しかし万が一カールが、「僕が相手になる」なんて言いでもしたら非常に困る。お世辞にも今のカールは強いとは言えない。十中八九どころか、十回やろうと思っても、最初の一回で足腰が立たなくなるまで斬られ続け、三日は寝たきりになるだろう。


 水筒を置き、いきり立つカールを制するように立ち、少年に視線を向ける。敵意剥き出しで俺へと向けられている視線。その視線からは、憎悪とも殺意とも判断できる感情が見て取れた。しかしそれ以外にも、俺を見下すこの視線に見覚えがあった。


「懐かしいな」


 俺の一言に、カールの言葉には眉一つ動かさなかった少年が、少し驚いたような表情に変わる。


「騎士校時代、あいつらから毎日のように浴びせられた皮肉を思い出すよ」


 少年には申し訳ないが自嘲してしまう。


 身分が異なる者同士が集う場である以上、軋轢あつれきが生まれるのは仕方のないことだ。それはどうすることも出来ないこと。俺の代ではシグがこの少年の立場だった。ただシグの場合、権力に物を言わせることもできただろう。しかしシグは、


    ◆


「御託はいい。騎士校にいる間は不意打ちだろうがなんだろうが構わない。俺から一本取ってみろ。そうすればお前らに対する呼び方、認識を改めてやる」


    ◆


 という、無茶苦茶な条件を設けた上で全員を平等に馬鹿にしていた。自ら憎まれ役を買って出たのかもしれないが、あのシグである以上、本当にただ馬鹿にしていただけとしか思えない。だけどシグは、「貴族と民の確執、それを俺が変えてやる」とも言っていた。存外最初から、本当にそうなるように立ち振る舞っていたのかもしれない。


 懐かしむように校舎を見詰め、改めて少年に視線を戻す。


「俺は別に五人同時でも構わない。当然一対一でも構わない。これはだ。きみが望む方を選べばいい」


 俺の言葉に、少年の後ろの四人から「なめやがって……」と声が聞こえてくる。中には模造剣に手を掛ける子がいたが、少年がそれを制し一歩歩み出た。


「一対一を希望します。それともう一つお願いがあります」


「お願い?」


 俺の疑問を余所に少年は言葉を続ける。


「稽古ではありますが、この稽古は『決闘の儀』にて行って頂きたい」


 周囲がざわつく。訓練が止まっていることに気付いた教官がこちらへ来るが、場の空気を察したのか足を止めた。


「駄目だ」


 考えるまでもなく即答する。少年は俺の答えに、これまで無表情を装うよう努力していたのだろう顔を歪ませる。そして、必死に怒りを抑えていることを隠しもせず、したたかに声を絞り出した。


「どうして、駄目なんですか……」


「きみでは俺の初撃を受け切れない」


 俺の言葉に衝撃を受けたのか、少年は石像のように固まってしまった。


 一目見た時から感じ取れたことだが、恐らくこの少年は相当腕が立つ。この場にいる候補生の中で少年に敵う者などいないだろう。だが、


「……分かりました。通常の稽古として、相手をお願いします」


 仕方がないと、少し溜飲が下がったような、苦虫を噛み潰したような表情をして少年が答える。


「全力で来い。そうでなければ意味がない」


 俺の言葉に少年は、「勿論そのつもりです」と答え、俺から距離を取った。少年に付いて回っていた四人が少年から離れる。少年は数歩進んだ先で足を止め、まだ重いだろう模造剣を構え俺へと向かい合った。


「兄さん……」


 カールが心配そうに俺を見る。俺はそれに笑顔で返す。そしてカールから離れ、少年に合わせるように俺も向かい合った。


 少年の気迫は未熟ながらも真に迫るものがある。これだけの気迫と、先程垣間見た憎悪と殺意。事情を察するには十分だった。ただ、現時点ではかまでは判断できない。


 携えていた模造剣を手に取り、少年をなぞるように剣を下げていく。そして決闘の儀より低い位置に下げ、空き手を添え少年を捉えた。


 こんなことでもなければ決闘の儀を受けてあげないこともなかったのだが……。


 本来決闘の儀は実力の近い者同士で行うものだ。そうでなければただの剣の振り合いにしかならない。少年は自らの言葉で「この稽古は」と言った。稽古としての決闘の儀なら応じる覚悟はある。だがこの少年は、決闘の儀というだけにすぎない。下級上期の座学で決闘の儀の本来の意味を理解することは難しいはずだ。


 周囲から音が消える。当たり前といえば当たり前だが、いつの間にか訓練を行っている者は一人もおらず、教官も含め、この場にいる全員が俺と少年の稽古を見守っていた。少年はその感情の籠った双眸を見開き、眼球に映し出す対象を俺だけに絞り、口を開いた。


「いきます」


 声と共に振りかぶり、初速から一足飛びで俺へと斬りかかる。初動の速さ、剣を振りかぶる身のこなし、一足飛びで距離を詰める脚力、どれも今この場にいる候補生たちの同期とは思えない。想像以上の速さに驚かされる。しかし、


 躱すのは容易い。


 そんな浅ましい考えが頭を過ぎる。


 これは稽古だ。それなのに少年は避けられることを想定せず、ただ感情のままに剣を握り振るっているだけに過ぎない。少年の騎士としてのこれからを思うなら、敢えてこの一撃は避け、今の己の力では触れることすらできないという実力の開きを理解させたほうがいいのかもしれない。


 だがそれは……。


 俺は瞳を閉じどうするべきか心で問い掛ける。


 こんな時、こんな時お前ならどうする、――――。


 少年の剣が振り下ろされる。その場にいた候補生の誰もが、少年の持つ模造剣が俺へ刺さったと思ったことだろう。


「そん……なっ……!?」


 鈍い音が響き渡る。交差した模造剣越しに、少年の驚愕する顔が目の前にある。


 だがそれは、この少年の『ヒト』としての成長を妨げることになる。この少年のためを思うのならば、導くべきはこの少年の今ではない。どんな形であれこの少年の心を受け止める。それが王国騎士としてみなの意志を受けた、俺の責務だ。

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