Prologue.End

「助けないと」


 俺は自分の状態を確認し、丸腰であることに気付く。振り返り周囲を確認すると、そこには彼らの物であろう十一本の騎士剣が転がっていた。急いで走り寄り剣を手に取る。だが、それは大岩のように重く、持ち上げることは叶わなかった。


「なんだよ、これ……」


 動かない。重くて持てないなどではない。地面に張り付いているとでもいうべきだろうか。文字通りびくともしない。


「くそっ、どうして」


 どの剣も同じ。まるで剣そのものに意志があるとでもいうように、俺を拒んでいる。


「ちくしょう!」


 黒い世界を再び覗き込む。巨大な『眼』は瞳孔を見開き、不協和音ともいえる気持ちの悪い音を発し黒い輝きを放つ。黒い光が地面へと着弾すると、轟音と共に黒炎を上げ、膝を突いていた騎士を爆風と共に浮き上がらせた。


「シグー!」


 咄嗟に思い出したシグの名を叫ぶ。シグは俺の目の前まで飛ばされ、受け身も取れず崩れ落ちた。大きく咳き込みつつ身体の痛みに声を上げる。しかしシグは、俺の存在に気付くと、少しだけ顔を向け横目で俺を見た。


「よう、無事のようだな。安心したぜ」


 普段と変わらない口調。しかし、当然だがその言葉に覇気がない。鎧の至る所が赤く染まり、覗き込んでいるその目からは生気が感じられない。もう、話すのも辛そうだ。


「シグ、俺もそっちにいく」


 黒い世界へ手を伸ばす。だがそれを遮るようにシグが立ち上がった。


「来るんじゃねえ!!」


 戦慄を覚える程の凄まじい形相をしてシグが俺の前に立ち塞がる。かつての決闘の儀の時ですら、これ程の怒りを見せたことはなかった。


「いいか、てめえは絶対にこっちに戻るんじゃねえ。何のために俺たちが命を懸けていると思ってるんだ」


 シグは剣を地面に突き刺し、もたれ掛かるように体重を預ける。肩だけではない。呼吸をする度に全身が波打っている。


「誰一人死んじゃいねえんだ。いや、俺がいる限り誰一人死なさねえ! 命を懸けるというのは生きて帰るということ。お前の言葉だ、そうだろう!?」


「……シグ」


 その言葉は、俺の、あの時の……。


「悔しいが、今の俺たちじゃあいつは倒せない。だけど俺は信じてるんだ。俺たち王国騎士十二人全員が揃えば、叶(敵)わないものなどないと」




 心が痛い。


 あのシグが、『俺たち』と言った。


「御託はいい。騎士校にいる間は不意打ちだろうがなんだろうが構わない。俺から一本取ってみろ。そうすればお前らに対する呼び方、認識を改めてやる」


 結局、誰も一人では敵わなかった。


「ふん、人数で有利だからといって俺に敵うと思っているのか? 騎士の強さは個々の強さと何度言えばわかる」


 だけど、日々距離は縮まっていた。


「一対二にも関わらず俺の剣戟を凌ぐとは。お前たち大した連携だな」


 シグから決闘の儀を挑まれた。


「俺は最強の騎士になる。誰よりも何よりも強く、そしていずれはこの国の王となり、この国を、ティアナを一生守ってみせる。だからお前のような、名前もないふざけたやつに負けるわけにはいかない!」


 シグに認められた。


「今よりお前を対等として扱う。お前が王国騎士でないなど俺が認めない。騎士就任の儀までに必ずその資格を手にしろ。これは命令ではない。男と男の約束だ」


 そして。


「それでこそ、俺が生涯唯一人認めた男だ」




 駄目だ。諦められない。たとえ敵わないと分かっても、俺に仲間を見捨てるなんて真似はできない。


 一歩足が進む。だが俺の行動を察したようにシグは立ち上がり、剣を抜き、払い、俺の前で止めた。


「てめえはまだ半人前だ。俺たちと共に戦う資格はない。だから一人前になるまで、俺たちがお前のことを守ってやる。そのためのはそっちに残してきた」


「ま、まさか……」


 周囲を見渡し驚愕する。白い世界に散らばる十一本の騎士剣。


 この十一本の騎士剣は、俺のために……。


「信じること」


 シグがその言葉を口にする。


 その言葉とは、俺の中にある、俺を支える、俺自身ともいえる、そして、過去の自分を知る唯一の手掛かりにして、俺の信念の言葉。


「『信じること、信じ抜くこと。守ること、守り抜くこと』。騎士就任の儀の時、お前がティアナに捧げた誓いの言葉。かつてティアナを助けた――――が、同じ言葉を言っていたらしい……」


「シグ!」


 正面を見ると巨大な『眼』は瞳孔を見開き、先程と同じように不協和音を発している。そのせいでシグの言葉を聞き取れない。


「信じさせろよ、俺に……。てめえを救うために命を懸けた、俺たち全員に……」


 巨大な『眼』が黒い光を放つ。その光が俺の前に立つシグへと迫り、シグへと届いた瞬間……。


 二つの世界の繋がりは完全に断たれた。




「俺はどれだけあの"名前のないやつ"の影響を受けているんだか。あぁ、でもそうか……。今にして思えば、俺は子供の頃からずっとあいつの影を追っていたのか……」






 目を開く。目の前には地面に刺さる一本の騎士剣があった。いつの間にか雨が降っていた。しとしとと降る雨が刃のように俺の心に突き刺さる。


 後ろを振り返る。そこにはジークムント騎士長の姿があった。俺は無意識のうちに祭壇まで来ていた。そして、礼拝堂に入ってからずっと気付かなかった。ここに、騎士剣があったことを。


 先程見た光景を思い出そうとする。しかし、まるで霧が掛かったように黒い靄に覆われ既に思い出せない。




 抜けない……。




 直感的に感じ取る。




 俺にこの剣は抜けない……。




 記憶の彼方で何かが嘲笑う。


「この剣を抜くことができるのはクルーエルアの血筋の者。もしくはその血筋の者より剣を賜りし者だけ」


 そんな言葉が聞こえてくる。


 俺はそのどちらでもない。騎士就任の儀の際、俺はティアナ姫より剣を授かっていない。それだけじゃない。俺はどこかで剣を手に取ることすら叶わなかった。そんな曖昧な感覚が、ある。


 剣に手を掛ける。抜けないのは分かっている。でも今抜かなければ、今ここで抜かなければ、誰かに顔向けができない。そんな気がする。


「うっ……。うぅ……」


 怖い。剣を抜けないことが怖い。頬を伝うのは雨なのか涙なのか、分からない。


 守りたかった。ただこの国の皆を守りたかった。記憶のない俺は人一倍失うことの辛さを知っているから。今のこの世界、誰にも、何も失ってほしくないから。それなのに俺は、その始まりに立つことすらできない。


「うぁ……。うっ……」


 震える。

 温いと感じていた雨が今は猛烈に冷たい、痛い。


 嗚咽が漏れる。

 叫びたい。




 俺はまた嘘吐きになるのか。できもしない約束をするのか。

 そんなの……。




「いや……だ……」




「大丈夫、怖がらないで」




 俺の震える手に、温かい誰かの手が添えられる。




「えっ……?」




 前を見る。そこには、(知らない少女が一瞬映ったが、すぐに消え、)ティアナ姫の姿があった。


「ひ、姫様!?」


 ジークムント騎士長が駆け寄る。だが、ティアナ姫の視線を感じてか、騎士長は祭壇前で足を止めた。


「あなたの手を通してあなたの心の痛みが伝わってきます。私には想像もつかないような、辛い過去の痛みが」


 温かい優しい手。何故だろう。知らないはずなのに、この手に触れるのは初めてじゃない気がする。


 だけど、どこで……? だめだ、思い出せない……。


「でもあなたは憶えていない。痛みも悲しみも憶えているのに、その記憶だけがない。それがあなたをより追い詰めているのでしょう」


 頭に黒い靄が纏わりつく。ティアナ姫の声が遠のき、次第に手の温かさが感じられなくなる。




 温かさが消える。手が、離れていく……。


 そうだ、あの時も、俺は手を繋いではその手を離してきた。その度に大切な約束をして……。でも本当は離したくなかった。ずっと繋いでいたかった。手を離すたびに増える約束が『僕』には重すぎて、結局何一つ守れなかった。


「お前は嘘吐きだ」


 黒い靄が言葉を形作る。


 いやだ……。


「お前は嘘吐きだ」


 心の傷を何かが抉る。


 僕は……、僕は……。




「あなたは嘘吐きなんかじゃないよ」




「えっ……?」


 ティアナ姫が手に力を込め、優しく微笑みかける。心を見透かされているかのような言葉に声が出ない。


「あなたは約束を守ってくれた。今はそれだけで十分。でもいつか、あなたの口からもう一度伝えてくれたら……私は嬉しい」


 その言葉を口にしたティアナ姫は、とても寂しそうだった。


 ティアナ姫は目を閉じ、小さく、誰にも聞こえないような声で何かを呟く。


 その言葉が何を意味するのか俺には分からない。


 ティアナ姫は、目を開き、凛々しく真っ直ぐな瞳を俺に向け、口を開いた。




「クルーエルア王国王女、ティアナ=アリアス=クルーエルアの名の下貴殿に問う。王国騎士としての誓いを。願わくばその覚悟をここに示せ」




 曇りのない真っ直ぐな瞳。その瞳より発せられた言葉は、俺の心に風を吹き込んだ。まるで寒色に染まった大地に吹き込む緑風のように、俺の心に希望を吹き込んだ。


 世界が変わった気がした。今なお降りやまぬ雨は、俺を、ティアナ姫を、ジークムント騎士長を濡らしている。だが今は、心まで濡らされてはいない。


 ティアナ姫を真っ直ぐに見据える。

 ティアナ姫の瞳が揺れている。


 覚悟は決まっていた。

 

 俺は、あの日から変わらぬ誓いを、再び口にした。




「信じること、信じ抜くこと。守ること、守り抜くこと。その誓いを胸に、この国と……」


 黒い靄が言葉を掻き消す。しかし俺は、頭に浮かんだ言葉ではなく、自身の心を、記憶ではなく心を信じ、その言葉を口にした。




「きみを守る」




 ティアナ姫の瞳孔が大きく見開かれる。


 俺の誓いはティアナ姫に届いただろうか。


 真っ直ぐに見詰めるティアナ姫の瞳に透明の雫が浮かぶ。そしてティアナ姫は笑顔を浮かべ、俺の誓いに応えた。




「はい」




 その言葉と共に、ティアナ姫の手を通し何かが流れ込む。騎士剣に埋め込まれた宝石に光が宿り、確かに鼓動を感じさせる。


 ティアナ姫は手を離し、一歩、二歩と距離を取った。




 感じる……。

 剣の鼓動を……。

 この国に生きる人々の確かな願いを……。




 礼拝堂の入口より兵士の方々が走ってくる。姿の見えぬティアナ姫を探していたのだろうか。ジークムント騎士長がそれを制する。




 見守っている。兵士の方々が、ジークムント騎士長が、ティアナ姫が……。

 でもそれだけじゃない。

 感じる、十一の魂を。

 志共にする、同じ王国騎士の仲間を。




「私は、私は夢でも見ているのか……。"彼"を待つ十一の騎士たちが、剣を束ね、"彼"が来るのを待っている。やはりお前たちは死んだわけではないのだな、シグムントよ」


 騎士長の声が聞こえる。




 見える。俺の前に、ティアナ姫を中心とし、騎士たちが剣を掲げ俺を待っている。

 笑っている、皆が。




「最後に一つ忠告しておく。これからきみが進むのは茨の道だ。これまでよりもずっと辛い未来が待っている。それでも望むのかい? たった一人の王国騎士となり、報われぬ未来が待っていると分かっても、その剣を取り、王国騎士となることを、望むのかい?」




 どこかから声がする。


 知っている、この声を。この声の主を。


 だけど、俺の覚悟は……。




 誰かの声が聞こえる。


    ◆


「私を守ろうなんて――――年早いわ。でも期待しないで待っていてあげるわ、坊や」


    ◆


 誰かの声が聞こえる。


    ◆


「その時は女の子として、――――に甘えちゃっても、いい、かな……?」


    ◆


 決まっている!


「俺は一人じゃない! 俺のことを、友が、仲間が、皆が見守っている! 俺は王国騎士となり、皆を、この国の人々を、そしていつか交わした約束を……」


 瞼の裏に一人の少女が映る。

「約束だよ」と少女は口にし、泡沫のように消えてなくなる。


 俺はあの時約束した。

 今は思い出せない。


 でも、いつか必ずきみを思い出し、きみにもう一度伝え、きみと交わした約束、その約束を……。




「守る!」




    ◇テイル家にて◇


「うわーん、お兄ちゃん帰ってこないよー!」

「いい加減にしなエリー! ほら、この解れ直して」

「うーーーー!」

「お、おい! 急いで外出て城見ろ!」

「急になんだい。藪から棒に」

「いいから!」


    ◇騎士校にて◇


「これはたまげた。生きているうちにこんなものが見られるとは」

「学長、あれは一体?」

「ははは、私にも分からん」


    ◇ある国にて◇


「ん……? なんだ? もう朝か……? ……気のせいか」


    ◇ある国にて◇


「こんな小さなものでも意を歪める力があるのか。大きさに比例し凶暴さを増すとしたら……」

「所長。外! 外見て下さい!」

「どうした? 何かあったのか?」


    ◇ある国にて◇


「うわーすごーーい。何あれ。お姉ちゃん知ってる?」

「知らない。でもどこか、すごく温かい感じがする。この方角、クルーエルア? ティアナ、元気にしてるかな」


    ◇ある国にて◇


「一瞬だったが何だったんだ今の光は。人為的なもの? 天災? いや、天災なら……」


    ◇クルーエルア近隣にて◇


「何? この光の柱……。光が空へ昇ったかと思ったら、今度は暗雲を裂いて光が降り注いだ。こんな真似を出来る者がこの国にいるというの? いえ、それよりもこの光景……」


    ◇礼拝堂◇


 掲げた剣を払いティアナ姫の前に跪く。ジークムント騎士長が鞘を手に持ち俺の隣に立っている。俺は騎士剣を自らへ突き立てる仕草を行い、騎士長から鞘を受け取り騎士剣を納めた。


 雲はなく、先程とは打って変わり黄金に輝く太陽の光が降り注いでいる。


 俺は顔を上げ、ティアナ姫を真っ直ぐに見据えた。


 ティアナ姫は俺へと一歩近付き、慈しむような、それでいてどこか儚げな表情で、言葉を紡いだ。




「あなたのこれからの生を、私も共に記憶しましょう。たとえあなたが記憶をなくしても、世界中全ての人があなたを忘れてしまっても、私はあなたを憶えています。




 ずっと……」










 Prologue End

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