Prologue.7
最初に目に入ったのは眼球が焼け付くような白色だった。扉を開け視界に飛び込んできた眩しい光。顔を覆うほどの眩しさはいつか感じたあの日を思い出す。
「うっ……」
眩しさで前が見えない。手で顔を覆っているにも関わらず周囲は真っ白だ。
おかしい。いくらなんでも眩しすぎる。以前訪れた時の比じゃない。まるで……。
少しずつ目が馴染んでくる。指の隙間から覗く景色が彩りだす。
「よう"名無し"。遅かったじゃねーか」
声が聞こえた。聞き知ったあいつの声。それに他の皆の声も。
一瞬大きく心臓が跳ねた。それと同時に不安が消え去った。何かあったということは、俺が一週間以上も目を覚まさなかったことや、ジークムント騎士長たちの言葉からも理解できていた。しかし皆が無事だった。だったら、俺が危惧していた不安なんてたいしたことじゃなかったということだ。
「シグ! 皆!」
俺は顔を覆っていた手を払い除け、シグや皆に応えた。
言葉が出なかった。
言葉にならなかった。
俺は今も昏睡状態で、これは夢だと言われた方が納得できる。
そんな悪夢のような光景が目の前に広がっていた。
受け入れられない。受け入れたくない。こんな光景を、こんな現実を。
あの日、騎士就任の儀で一体何があったんだ。
俺の眼前に広がる光景。それはここがかつて礼拝堂であったということを、辛うじて想起させる程度の原形しか留めていなかった。祭壇後方に彩られていた
茫然と立ち尽くすしかなかった。『何かがあった』、それ以上の可能性が想像できない。地面にある窪みについては、大きな力のぶつかり合いがあった、それも『人外』の、と無理矢理にこじつけることはできる。燃え滓についても、ここで何かが燃えた、火の手が上がった、と解釈できる。だがこの礼拝堂内、その全てを染め上げたこの黒一色の光景は、どれだけ思考を巡らせても過程すら導き出せない。
「何があったんだ、ここで」
俺の呟きに、突如再び脳裏に言葉が浮かび上がる。
『悪意』
眩暈を起こしそうになる頭を抑え足に力を入れる。
「また浮かび上がった。あの言葉が……」
周囲を見渡す。そこには見渡す限り混じり気のない黒、黒、黒……。そして、己の頭に浮かんだ言葉『悪意』。
「偶然なんて、有り得ないじゃないか……」
脳裏に浮かぶ言葉と周囲の光景に充てられてか、足がいうことを聞かない。俺は瓦礫のように崩れ落ち、膝をついた。
「何か覚えていることはあるか」
「いえ、何も……。」
もはや驚きもしない。いつの間にか礼拝堂内へ入っていたジークムント騎士長が俺に声を掛けた。
「そうか」
騎士長は短く答え、改めて周囲を見渡した。
「未だに信じられぬ出来事だ。このようなことが起こるなど、何をどうすればこんなことに」
俺の反応に対しジークムント騎士長は至って冷静に言葉を返す。しかしそれは少し考えれば分かること。俺は今日この光景を初めて見た。騎士長は騎士就任の儀から、恐らく一週間の間ずっとここの調査を行っていたはずだ。だったら反応が希薄になるのも納得がいく。
「他の者は、皆はなんと言っているのですか。俺と同じように覚えていないと?」
俺の問いにジークムント騎士長は何も答えない。何故口を
「騎士長……まさか!?」
「……生存を確認できたのは姫様とお前だけだ」
視界が歪む。頭に激痛が走り、胃が握り潰されるような強い圧迫感を覚える。事態は俺が想像しているよりもずっと深刻だった。
「騎士剣の授受の最中、何者かによる介入があった。油断していた。灯りが落ちたかと思うと、何か大きな力で私は礼拝堂の外まで吹き飛ばされた。すぐさま戻ろうとしたが扉は固く閉ざされていた。別の入り口も当たらせたがどこも同じ。中の様子が分からず砕いて入るも止む無しと判断した頃、初めて内部から大きな音が聞こえ、礼拝堂の一部が崩れ落ちるのと同時に入れるようになった。そこで中の様子を知ると共に、倒れている姫様とお前を発見した」
到底受け入れがたい、到底信じられない、まるで作り話のような話。膝を突いている体がそのまま倒れそうになるほど、全身から血の気が引いていくのが分かる。掌に熱を感じる感覚はなく、指先が痛い。その痛さが冷たさであることすらもはや分からない。
「騎士就任の儀の際、礼拝堂に集った人数は十四人、そのうち生き残ったのは三人。だが、この三人の中でこんな真似をすることができる者はいない。私然り姫様然りお前然り。これほどのことをしでかした上で死体の一つも残さずに十一人を消し去るのは不可能だ」
ジークムント騎士長は淡々と状況を説明していく。
「故に私は、あの日この場所に十五人目がいたと推測していた」
「十五人目……」
『していた』……? 今ジークムント騎士長は確かにそう言って。
「心当たりがあった。それも万に一つの可能性に過ぎなかったが」
そう言い騎士長はしゃがみ、地面の煤を手に取りそれを見詰める。
「だが仮にそうだとして、十一人もの騎士を消し去るような奴が姫様とお前を見逃した。そこにどんな思惑があったのかは、推測のしようがない」
確かに。十一人もの数を消し去るのが容易なら、十一人も十三人も変わらないはず。どうして俺とティアナ姫だけが……。
「ここまでがあの日私が礼拝堂内部を見て感じ取ったことだ。推測はあくまで推測。現実に何があったのかは生き残った者に聞くしかない」
ジークムント騎士長はそこで言葉を切った。
生き残った者……。俺と……。
「ティアナ姫は! ティアナ姫はご無事なんですか!?」
ふと自分が昏睡状態だったことが頭を過ぎる。俺と同じく礼拝堂内にいたティアナ姫、万が一俺と同じ状態なら……。
「安心しろ、翌日には目を覚ました。医者からも異常はないと報告を受けている」
「そう、ですか」
良かった。不幸中の幸いなどという言葉で片付けたくはないが、それでもティアナ姫が大事に至ってなかったという事実だけでどこか安心した。
「目を覚まして落ち着いた頃、姫様にも話を伺った。結論だけ言えば、覚えていないと言っていた」
覚えていない。俺と同じ……。
「生き残った二人が何も覚えておらず、異常が起きたことまでを覚えている私はその場にいなかった。皮肉な話だ。だが、お前が先程発した言葉が何かを意味するものならば、まだ可能性を探ることはできる」
「『悪意』」
あの日の出来事をもう一度思い出す。最後に思い出せる光景。それは騎士剣の授受の際、ティアナ姫が黒い靄に包まれ俺の視界から消えていったことだ。そしてその後、『悪意』という言葉が浮かび上がったところで俺の記憶は途絶えている。どうしてそんな言葉が浮かび上がったのか。それはどういう意味なのか。
「その言葉とこの光景、恐らく無関係ではあるまい。何か思い出せることはないか?」
ジークムント騎士長の意図が少しだけ読めた気がした。感覚は未だ戻らないが、俺の体は俺の思うように動いてくれた。膝を突いていた足は自然と立ち上がり、不確かに歪んでいた眼前の光景は、はっきりと、否応なく現実を突き付けてくる。
騎士長の言葉が刃のように突き刺さる。
◆
「まさかそんなことは、と考えたことはあったが、お前のその言葉で疑念が少し強まったよ」
「故に私は、あの日この場所に十五人目がいたと推測していた」
「心当たりがあった。それも万に一つの可能性に過ぎなかったが」
「その言葉とこの光景、恐らく無関係ではあるまい。何か思い出せることはないか?」
◆
直接言ったわけじゃない。だけど、どれだけ鈍感なやつでも気付かないはずがない。むしろ俺が騎士長の立場なら同じことを考える。
◆
「お前にはお前自身気付いていない何かがある」
◆
シグの言葉が脳裏を過ぎる。
あれはこういう意味だったのか……? 騎士就任の儀で十一人の騎士を消し去り、礼拝堂内を破壊しつくし、不可解にも全てを黒に染め上げた……。
「これを俺が……?」
改めて周囲を見渡し、少し歩いては靴先に当たる残骸に目を向ける。それがどこの一部なのかも分からない。壁なのか床なのか天井なのか。その上、染色料で染め上げたよりも更に深い黒色に染まっている。もはや、何なのか判断が付かない。
「うっ……」
周囲の黒に当てられてか眩暈がした。天井がないため光が射し込んでいる分まだ良い方だが、天井まで覆われた状態でこんな空間に閉じ込められでもしたら気が狂ってしまう。
何か、何かないのか。あの日に繋がる何か、あの言葉に繋がる何か、何でもいい、何かが……。
眩暈が治まってきたため、ゆっくりと目を開けた。
「……えっ?」
思わず声が漏れる。何度も瞬きを繰り返す。俺は再び意識を失ってしまったのだろうか。視線を落とし自分の体に目を向ける。しかしそこに自分の体は無く、只々底なしの闇が広がっていた。
「ジークムント騎士長」
騎士長を呼ぶ。だが返事はない。
手を動かしてみる。その手で体を触ってみる。すると手には、何か冷たいものに触れる感覚があった。
「この重み」
全身に感じる金属の重み。自身の体に触れているのは、有事の際以外身に纏うことのない固い頑丈なものだった。靴を地面に擦るのではなく一歩踏み出してみると、それに呼応するように金属の接地音が響いた。
俺は今、鎧を纏っている。暗闇の中で判断はできないが、間違いない。見えずとも纏っていると分かる鎧が余りにも不気味だ。俺が今纏っているのは、あの日騎士就任の儀で初めて身に着けた騎士鎧なのか。それとも……。
「それともこの、『暗闇という黒い鎧』なのか……」
「馬鹿野郎が!!」
突然の怒声に我に返る。
俺は今、何か言って……?
「命を捨ててでも、だと!? ふざけるな! そんな三流騎士の考え方、未だに持ってやがったのか!!」
誰かの声が聞こえる。誰だ……?
「命を懸けることと命を捨てることは同じ意味じゃない! 命を懸けると口にするからにはどんなことがあっても生きて帰ってみせろ! 命を捨てると口にするようなやつは、――――騎士ではない!!」
遠く、遥か遠く。何も見えなかった暗闇の空間の遥か先に、剣で切り裂いたような一線の光が射している。そこから聞こえる、誰かの声が。
「そうだな、――――ムントの言う通りだ」
光に向かって足が進みだす。何故だか分からない。だけど行かなければならない。そんな気がした。
「焦りすぎていたのかもな。余りの予想外の出来事に」
知っている。この声も、あの声も。
「そうですね。冷静に考えれば、同じ――――国騎士といえど、民出身の騎士のために命を捨ててでもなど、我ながら愚かな失言でした」
早足になる。記憶じゃない。心がそうしろと叫んでいる。
「よく言うぜ――――。騎士校では――――ムント以上にあいつの戦いぶりを見ていたくせによ」
「なんとでも言って下さい。結果として私の目は節穴ではなかったと証明されたのですから。それに"彼"は、――――の……」
光の線が次第に大きく映りだす。あと少し……。
「王国騎士は、王のため、民のため、国のため、そして同じ仲間のために命を懸けるもの!!」
「そうだ! その通りだ!」
皆の声が聞こえる。共に騎士を目指し、時に争い、時に励まし合い、そして、この同じ刻に、騎士就任の儀に集った皆の声が。
「そして俺は、――――アナのため、てめえを絶対に正気に戻す! これからてめえは騎士としての
光に手を伸ばす。光の先に幾人もの見知った顔ぶれが待っている。
そうだ。忘れるものか。俺はこの掛け替えのない仲間と共に、俺が信じ、俺を信じる仲間と共に、この国を守る。そして……。
十一人の騎士たちの先に一人の少女が映る。顔は見えずその表情は分からない。
だけど心が覚えている。俺はあの子を……。
そしていつか、あの約束を……。
光が俺を照らす。俺の伸ばす腕は、あの日纏った騎士鎧の手甲を身に着けていた。
◇
黒い雫は波紋を広げ水底へと落ちていく。黒い煙を上げどこまでも。
凶獣は餌を待ち詫びていた。極上の餌にありつけるのは、あの時以来か。
黒い雫を求めて水底より腕が伸びる。その腕は黒い雫を掴み、勢いのまま水面を裂き、嬉々としてその雫を喰らった。
◇
光まで体一つ分にも満たない距離だった。手を伸ばせば届いたのかもしれない。しかし俺の体は、俺の体より生えてきた腕によって抑えつけられた。
振り払おうと思えば振り払えたのかもしれない。
振り返ろうと思わなければ振り返らなくてもよかったのかもしれない。
しかし振り返ってしまった。
そこにあったのは巨大な『眼』。その眼球より腕が伸び、俺の体を貫いていた。
巨大な『眼』は腕を戻し、その瞳孔を俺へと向ける。そしてその瞳孔が黒い光を発した瞬間。
俺は、光の世界から黒い世界を覗き込んでいた。
黒い世界には十人の騎士が倒れ、一人の騎士が膝を突き肩で呼吸をしている。
そしてそんな騎士たちを、巨大な『眼』が見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます