Prologue.6

    ◇???◇


 最初に目に入ったのは眼球が焼け付くような白色だった。扉を開け視界に飛び込んできた眩しい光。反射的に顔を覆ってしまったが、もしこれが何者かによる策略であったなら俺はやられていただろう。


「よう"名無し"。遅かったじゃねーか」


 声が聞こえる。聞き知ったあいつの声。


 声のする方へ視線を向けると、少しずつ馴染んできた視界は世界を彩り、その声の主を捉えた。


「シグ」


 入り口にもっとも近い位置に立ち、得意げな顔をして壁に凭れ掛かっていたのはシグだった。重鎧を纏い腕を組むその表情は自信に満ち、俺なんかとは異なり、王国騎士もとい王族としての風格が溢れ出ている。こうして見ると、やはり王族とそれ以下では大きく違うのだと感じさせられた。


「お前が最後とは予想外だったぜ。他の奴らが来るまで騎士校時代の皮肉をとことんぶちまけてやろうと思っていたのによ。まぁでも最後で良かったかもな。口が利けない程緊張している間抜けも何人かいるみたいだ」


 こんな状況でも相も変わらず毒を吐く。王位に最も近い男がこんな言葉遣いをしていることが俺には未だに信じられない。


 シグが口端を吊り上げ、既に揃っている他の騎士たちに視線を向ける。それに釣られ他の騎士たちの様子を見る。シグの言う通り、俺を除いた十一人全員が既に揃っていた。だが、先程の後半の言葉。これに関しては明らかにこいつの目は節穴なんじゃないかと思う。俺とシグを除いた十人。その十人が誰一人談笑もせず、それぞれが物思いにふけっている。どう見ても、全員緊張しているだろと言いたくなった。


「シグは緊張していないのか」


 当然の疑問を口にする。周囲の雰囲気に流されてか、俺も少し緊張してきた。


「馬鹿言ってんじゃねーよ。子供の頃から俺がどれだけ国事に携わってきたと思ってるんだ。箱入りのお姫様と違って、男の俺はある意味雑用みたいな扱いを受けてきたんだぜ」


「そうなのか?」


「そうなんだよ」


 不敵な笑みを浮かべているが決して怒っているわけではない。まともな付き合いは短いが、最近少し分かるようになってきた。


 実際シグの言うことは一理あると思う。貴族だけでなく民も含めた国事などで、シグにお目にかかることが出来た者はそこそこいたはずだ。だけど、このクルーエルア王国を治める王の実子、ティアナ=アリアス=クルーエルア姫のお姿を見たものは長年いないと言われている。聞く話によると、幼い頃王妃陛下に寄り添われていたお姿を最後に、公の場に一度も姿を見せていないそうだ。それが証拠に俺なんかは一度もお目にかかったことがない。


 シグは当然、ティアナ姫が公の場に出なくなった理由を知っているのだろう。しかし、そのことをシグに聞くのは気が進まない。常日頃から皮肉の絶えない男だが、先の言葉を聞いても分かる通り、ティアナ姫に対しても皮肉が絶えないのは変わらない。ただし、他の者に対しての皮肉とは意味合いが大きく異なることは、それを口にする態度からも汲み取ることができる。


 自ら公言していることだが、シグはティアナ姫に惚れている。それもずっと昔からだそうだ。


    ◆


「俺は最強の騎士になる。誰よりも何よりも強く、そしていずれはこの国の王となり、この国を、ティアナを一生守ってみせる。だからお前のような、名前もないふざけたやつに負けるわけにはいかない!」


    ◆


 決闘の儀の時シグの口から出た言葉。シグはそれ程までにティアナ姫のことを想っている。


「おい、なに勝手に感傷的になってやがる。憐みなんて気持ち悪い真似やめろ」


 シグの一言で急に現実に戻される。


 ああ、そうか。シグから見れば、俺は、雑用的な扱いを受けてきたシグを憐れんでいるように見えたわけか。感傷的になっていたのは違いないが、同情し掛けた自分の気持ちを撤回したくなってきた。


「違ったか? まあいい。それはそうと、まもなく父上が来るだろうがその前にお前に話がある」


「話?」


 シグは俺の肩を掴み、他の者からは声が聞こえない礼拝堂の隅へと俺を連れていく。そこで更に声を落とし話を切り出した。


「まだ誰にも非公開の話だ。詳しくは話せない。だが後日、俺たち十二人は三人ずつ、計四組に分けられる」


「え、わざわざどうして?」


 急な話の展開に理解が追い付かない。困惑しているわけではないが驚いたのは確かだ。


「詳しくは話せないと言っただろうが。分け方は自由、そこで俺はお前を指名する」


「え……?」


 どうして、俺を?


「もう一人はお前が選んでもいい。悩むようなら俺が選んでやる」


 俺の考えなどお構いなしとでもいうかのようにシグは話を進めていく。


「いや、そうじゃなくて」


 声高になりそうになるのを抑えシグに向き合う。


「どうして俺なんだ」


 真剣な眼差しでシグに問う。シグは躊躇うことなく口を開きその理由を話した。


「俺が王になるためだ」


 シグの目は今まで見たことがないほどに真剣だった。


「俺は王族の生まれだ、皮肉にも最上位の。だから政治は理解している。だがそれだけでは王にはなれない」


 シグが話し出す。


「民無き国に王は成り得ない。陛下も父上も理解している。だからこそ二人は、余人がどれだけの時間を掛けても得られないような絶対的な力を身に着け、その名を知らしめることで諸国からの侵略を阻んでいる。己の命が危険に晒され、己の本意ではなくとも、この国の民のために」


 絶対的な力……?


「四年前に起きた事件がそれを物語っている。現に奴らは城への襲撃はしてこなかった」


「四年前……」


 その言葉に、胸が抉られるような感覚と怒りを覚える。四年前の事件といえば……。


「力無き者に国は守れない。だが力で国同士の関係を維持し続けたとしても、いずれどこかで綻びが生じる。四年前のように。そんなものは民にとって真の安寧じゃない。しかしすぐに変えられないのも事実。だから俺の代で変えてみせる。他国との軋轢、貴族と民の確執、それを俺が変えてやる」


「他国との軋轢?」


 聞き知らぬ出来事に疑問を覚えシグに問い返してしまう。シグは罰が悪い顔をして目を逸らし、「口が滑ったか」と小さく呟く。


「貴族と民の確執? そんなものが」


「あるんだよ、お前たちの知らないところで」


 シグは歯を噛み締め怒りを露にする。


「だから、それを成せるとしたらそれはこの国の王だけだ。そのためにも俺はこの国の王になる」


 嘘や冗談を言っているようには聞こえない。初めて聞いたシグの胸の内、それは普段のシグの言動からは考えられないことだった。


「シグがそれほどまでにこの国の未来を考えていたなんて意外だったよ。騎士校でのシグは、常に他人を見下し己に従わない奴には容赦のない奴だったから」


「ふん、そうだな」


 少し、いやかなり不機嫌そうに言い放つ。


「この数日で何があったんだ?」


 俺の問いに、一瞬答えないかもしれないと思ったが、躊躇いなくシグは口を開き答えた。


「決闘の儀」


「え……?」


「あの日あの決闘の儀で、お前に負けてから俺は己と向き合った」


 俺との決闘の儀……。あの日と呼べるほど以前でもない、僅か数日前の出来事じゃないか。いや、それよりもあれは。


「俺に負けた? あれは引き分けだったはずじゃ……」


「勝ち以外は全部負けなんだよ! 貴族ってやつの中ではな!」


 他の騎士たちに聞こえようとも構わないとでもいうように、シグは怒りの声を荒げる。だが次の瞬間には即座に周囲に聞こえぬほどに声を抑え言葉を続ける。


「俺は最強の騎士になり王となる男だ。その俺が負けたんだ、それも民に。打ちのめされたよ、心から。俺の今までの人生はなんだったんだろうと。そこで俺は、何故そうまでして王になることを望むのか、それを思い出した」


「王になる理由?」


 シグの顔は先程のように、冷静さを取り戻しつつもどこか遠くを見ていた。そして悲しみと歯痒さをその瞳に映し出し、答えた。


「ああ、そうだ。俺が王となる理由、それはティアナのためだ」


 ティアナ姫のため?


「十年前あいつは心に大きな傷を負った。言葉を話せなくなるほどに。俺も当時は子供だった。どうしようもなかったことだけは覚えている。だけど前の日まで花のように笑顔の絶えなかった女の子が、次の日には人形のように、無表情に瞬きもせず動かなくなっていた。王も王妃も、それは酷い落ち込みようだったよ。勿論俺も」


「どうしてティアナ姫はそんなことに」


 先程ちょうどそのことを考えていただけに驚きを隠せない。シグにティアナ姫のことを聞くのは憚られると思っていただけに、シグの口からティアナ姫が幼い日より公にお姿を出さなくなったのか、その事実を聞こうとは。


「攫われたんだ、ある輩に」


 シグの顔が歪む。だがその顔は怒りだけでは到底表せない。別の感情を抱いているように感じた。


「偶然にも父上が発見し保護することはできた。だけど心を閉ざしたティアナは何も話すことはなく、時折譫言のように呟くんだ。『あの子』はどこ? 私を助けてくれた『あの子』は? と」


 シグは拳を握り締め、まるで憑りつかれたかのように当時の自分を振り返っている。


「悔しかった、歯痒かった。どうしようもないと一瞬でも思った自分を恥じた。俺と年端の変わらないだろう子供が、敵わぬと分かっている相手に挑み、ティアナを救うため命を懸けたんだ」


「ティアナ姫を助けたその子は?」


 俺の問いにシグは沈黙し、暫くして小さく呟いた。


「恐らく死んだ」


「恐らく?」


 らしくない歯切れの悪い答えだ。


「ティアナを安全な場所に送り届けた後、父上はティアナが出てきた森の奥を調査したらしい。そこでその子供のものと思われる大量の血痕が見付かった」


 なるほど、だから恐らくなのか。


「そう、直接死体を見たわけじゃない。だけどその子供のものとするならば失血量で死は明白。死体は、その子供の素性から足が付かないよう持ち去ったのだろう」


 確かに。そう考えるのが妥当だ。


「ティアナを攫ったのは、王族に不満をもった民の蛮行だと言われている」


 先程のように、シグは怒りを露にすると思った。だがシグの表情は怒りではなく悲しみに満ちていた。


「いや、正確には『いた』だ。ティアナを攫ったのは今となっては爵位を剥奪された元貴族だ。ティアナが攫われた事実含め、貴族未満には口外されていないがな。この事実は王族と一部の貴族しか知らない。それ以外の奴らは、未だにティアナを攫ったのは民だと認識している」


 民には知らせず、貴族以上の者しか知らない情報なのに、統制しない理由が分からない。考えられるとしたら、王族及び王国の権威を守るため。ティアナ姫を攫った人物を特定するため。もしくは、ティアナ姫は心を閉ざしたまま公の場に出られないとして、、か。しかし、ティアナ姫を攫った人物は特定されたと言っていた。攫った人物が既に特定されたのであれば、民にはともかく、貴族で情報の統制をとってもおかしくはない。それをしないということは、その攫った貴族を公表するのに抵抗があるのかもしれない。


 俺の考えを余所にシグは話を続ける。


「子供っていうのはな、一度思い込んだら変えられない、単純なんだよ。民による蛮行だと聞いた俺は民を憎むようになった。その後、元貴族の蛮行だと知っても民に対する認識を俺は変えられなかった。誤解だと分かってなお、民を憎む気持ちを払拭できなかった。真実を知り心を閉ざしたティアナを目の当たりにして俺はどうすればいいか分からなくなった。日々何かに当たり散らした。そしてある結論に至った」


 そこでシグは一度間を置き、自身の掌を見詰め再び口を開いた。


「俺に力があればこんなことにはならなかった。他者を従属させる力、ティアナを守る力、力さえあればこんなことにはならなかったんだ」


 シグは怒りのまま拳を握り締める。その表情は鬼気としており、当時を想定させるのに説明は不要に感じた。


「それから俺はひたすらに強さを求めた。兵や腕に自信のある貴族、父上、誰でも構わない。自分より強い相手に挑み続けた。普段から俺のことを気に入らないと思っている奴からすれば、稽古という名目で俺に手を上げることができたんだ。極上の悦びだっただろうよ」


 皮肉の言葉とは裏腹にシグの表情は憂いに満ちている。そんなものは最初から眼中になかったと表情が語っている。


「がむしゃらとはいえ日々の鍛錬は確実に俺を強くしていた。父上やグランニーチェ、現行の王国騎士などを除けば既に敵はいなかったよ。それでも、成長すればするほど遠のいた。ティアナを助けた子供、その子供は何故そんな真似ができたのか、当時の俺との違いは何だったのだろうと」


 シグの瞳には一点の怒りもなく、喪失感と物悲しさ、その双方を感じさせる心の嘆きが伝わってきた。


「騎士校に入校してからも変わらなかった。誰一人俺に敵う者などいない。騎士校はあくまで王国騎士になるための通過点、ただのお遊戯。俺の目指すべき到達点はあくまでティアナを助けたその子供」


 そこでシグは俺に視線を向け、一拍空けて口を開いた。


「そんな時だ。お前が目に付いたのは」


「俺?」


 突然話を振られ戸惑う。


「最初はふざけた奴だと思ったよ。かの名も無き英雄気取りなのかとも思った。だが英雄を気取るには余りにも弱い、取るに足らない、そう思っていた。しかしその後、下級下期で行われた二対二の練習試合、中級下期最終の団体戦、どちらもお前の力が勝利に貢献していた」


「買い被りだ。俺一人にそこまでの力はない。仲間あってのものだ」


 そう、どちらも俺一人の力じゃない。共に戦ってくれる仲間がいたからこそ勝つことができたんだ。


「上級下期の領土内にて発生した凶暴化した動物を鎮圧、撃退。あれもお前の提案によって成功したものと言っていいだろう」


「あれは……」


 一瞬口籠る。あの時は半ば夢中だった。今思い出しても、上手くいったという結果論にすぎず、皆を危険な目に遭わせたことに違いはない。


「あれは、シグ達皆が強かったからこそ可能だと思ったんだ。それに何より、あの子を孤児みなしごにしてあげたくなかったから、勝手に体が動いたというか」


「……決闘の儀」


 シグが小さく強かに呟く。その言葉には、それまでのことなどまるで前座のように、俺の口から出た言葉を否応なく否定した。


「そこでお前はお前が持っている力を周囲に見せつけた。誰もが認めざるを得なかったはずだ。お前がただの騎士に納まるべき器ではないことを。そして民出身でありながら特例として王国騎士に任命された」


「確かにそうだが……」


 あれも似たようなものだ。あの時も俺自身必死であったためよく覚えていない。


「お前にはお前自身気付いていない何かがある。そしてそれは必ず俺の力にもなる。勘違いするな。これはあくまで俺自身のため。俺が王になるため。そのためにお前を利用させろ、そういう話だ」


 シグの目には一点の曇りもなかった。シグの発した言葉は建前でも何でもない、心からの本心だ。自身が王となるため、考え得るあらゆる手を尽くしてこそ、より理想の王へと登り詰めることができる。そう考えている。そのためならば自尊心すら捨てることを辞さない。全てを投げうってでも成そうと思えるのは、理想を明確に捉えている証拠だ。


 俺にシグ程の覚悟があるだろうか。たった一つの望みから始まり、全てを、そのたった一つのためだけに捧げられる覚悟が、俺にあるのだろうか。


 遠くから僅かながらに靴音が聞こえる。それに気付いた他の騎士たちが祭壇前へと向かう。


「父上が来たようだ。長くなって悪かったな。だけど一度ゆっくりお前と話がしたくてな」


「シグ……」


 一人また一人と祭壇前へ集っていく。シグはそちらに顔を向けた後、視線だけを俺に戻し小さく呟いた。


「指名の件は伝えた通りだ。後の判断は好きにしろ」


 シグはぶっきらぼうに言い放ち一歩足を踏み出す。だが、俺はすかさず呼び止めた。


「シグ」


 俺の意を汲んでか、シグは体の向きは変えず足を止めた。


「俺はシグ程立派な考えを持っちゃいない。だけどシグにもあるように、俺にも誰にも譲れない、成さねばならない約束がある」


 シグは何も答えない。それは恐らく、俺の次の言葉を分かっているからだ。


「シグ、お前を指名する。その強さ、覚悟、王国騎士としての務め、俺自身のために利用させてもらう」


 こちらへ近付く靴音がより明瞭になる。靴音の主はすぐそこまで来ている。しかし俺とシグは、この瞬間だけ時間が止まったように視線を交わし、互いに交わした言葉を確かめ合っていた。


「はっ! "名無し"風情が調子に乗ってんじゃねーよ。この中で一番弱いくせによ! ……でもな」


 シグは俺に向き直り拳を突き出す。俺もまた拳を握り締め、シグへと突き出した。


「それでこそ、俺が生涯唯一人認めた男だ」


 俺とシグは拳を強くぶつけ合った。そしてシグの予想通りジークムント騎士長が参られ、俺たち十二人は騎士就任の儀を迎えた。


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