Prologue.5

    ◇クルーエルア城◇


「おかえりなさいませ、ジークムント様」


 ジークムント騎士長が向かった先は当然クルーエルア城だった。俺より一回り程年上と思われる兵士の方が、乱れのないお手本の様な敬礼をして騎士長を出迎える。周囲の方々も騎士長へ恭しく敬礼をしている。以前俺が騎士就任の儀の際に訪れた時にはもう少し若い兵士の方が入城審査をしていた。それにあの日と異なり、兵士の方々の人数が多い。やはり俺が気を失っていた間に何かあったと考えるのが正しいのだろう。


「帳簿を」


「はっ」


 ジークムント騎士長の言葉に年季の入った兵士の方が帳簿を開き差し出す。騎士長は受付台に差してある羽筆を取り、手慣れた手付きで自分の名前を書いていった。


 クルーエルア王国では入出城の際に、極一部を除きその身分に問わず入出記録を付ける義務がある。俺がこの国に来る以前に城内に何者かが侵入したことがあったらしく、それをきっかけに城への入出は一層厳しくなったようだ。


 元々民及び国外の者は入城審査を受ける必要があり、許可の下りたものだけが入城することができた。しかし民や国外の者だけでなく、貴族以上の者も入出記録義務を負わされるようになった。このことは一部の貴族から反発もあった。それを有無を言わさず義務付けることができたのは、サイコロンド国王、リリアナ王妃、ティアナ姫のみを例外として、現国王の弟であるジークムント騎士長やその息子であるシグも対象になったためだ。


 騎士長が名前を書き終えその場を俺に譲る。俺は同様に羽筆を取ったものの、俺の身の上から、騎士就任の儀の際と同じで良いのか思考を巡らせていた。


「以前入城手続きを踏んだ時と同じ名を書けばよい」


 俺の考えを読んだかのようにジークムント騎士長が助言する。俺は短く返事をし、以前と同じ名を書いた。


「確認させて頂きます。ジークムント=アリア=クルーエルア様、一刻程前に出城、現時刻入城申請。入城許可証を確認。王国側からも正式な許可の下りている人物として入城を許可致します」


 ジークムント騎士長は眉一つ動かさず兵士の方の言葉を聞いている。俺なんかには今まで無縁の場所だっただけに、兵士の方々の一挙手一投足にも注意を払ってしまう。だが俺も騎士長のように、日々入出を繰り返すことになればこうなるのかもしれない。


「王国騎士候補生-Ⅻ様」


 年季の入った兵士の方が、俺が記帳した名を読み上げる。その言葉に反応するように周囲の空気が変わった。皆何かを言いたそうな表情をしている。しかしジークムント騎士長がいるからか誰一人言葉を発さない。騎士長は先程同様、眉一つ動かさず佇んでいる。


「王国騎士候補生……。確認致しますので暫くお待ち下さい」


 兵士の方が『騎士』という名称を見て騎士校名簿を探しに行こうとする。しかしそれを察したジークムント騎士長が声を掛けた。


「八日前の入城履歴を確認しろ。そこに同じ名称で入城手続きを行った者がいるはずだ。それと特別入城許可証が今日付けで発行されている」


 ジークムント騎士長の言葉に兵士の方は、「はっ、畏まりました。直ちに」と答える。騎士長を前に怖気づくこともなく、また迷いなく八日前の帳簿記録を見つけ出し捲っていく。名称だったため探しやすかったのか、すぐに見付けることができたようだ。


「王国騎士候補生-Ⅻ様。最終入城は八日前、出城は……」


 兵士の方は一旦言葉を止め、そこに書かれている何かを読んでいる。何が書かれているのか、聞くのはさすがに憚られた。暫くして兵士の方は視線を上げる。そして俺たちを挟んだ窓口の下に手を伸ばし、特別入城許可証を手に取り、改めて俺へと顔を向けた。


「確認致しました。王国騎士候補生-Ⅻ様。本日発行の特別入城許可証が届いております。王国から正式な許可の下りている方として入城を許可致します」


 問題なく入城許可が下りた。俺は「ありがとうございます」と答え、ほっと胸を撫で下ろす。兵士の方の言葉を聞き、ジークムント騎士長は何事もなかったかのように歩き出した。その背中を視線で追う。


 気になることがたくさんあった。『王国騎士候補生』と聞いた時の兵士の方々の反応。八日前に入城し、その後の知らされぬ退城時刻。そして何より、わざわざ学長の手を借りてまで確かめた俺に関する何か。学長との決闘の儀の後、ジークムント騎士長は場所を移すと言った。あの場には俺と騎士長と学長しかいなかった。学長にも聞かせられない話なのか、それとも他の理由があって場所を移す必要があったのだろうか。もしくは俺が気付かなかっただけで、あの場所に他に誰かいたのだろうか。


 俺が思考を巡らせている間にも、俺の考えなど分かっているように、ジークムント騎士長は先に進んでいく。どこへ行くか聞かされていない以上見失うわけにはいかない。俺は足早に騎士長を追いかけた。




 騎士長は無言で進んでいく。入城受付のあった入り口から城内の外周を進むように、入って右の通路を進んでいく。道すがらすれ違う兵士の方が、ジークムント騎士長の姿を認めると道を空け、見えなくなるまで敬礼をしていた。


 クルーエルア城に入ったのはこれが二度目だ。当然一度目は騎士就任の儀の時。あの時は案内を務めてくれた兵士の方がいたから迷わずに目的地に辿り着くことができた。城内に入ることもさながら、初めて纏う王国騎士の重鎧が重く感じられたことを覚えている。あの時は、これから重く圧し掛かる責任と騎士就任の儀の緊張感で頭がいっぱいで、道中のことを気にする余裕がなかった。だけど体は何かを覚えていたようで、先に見える三叉路を前に、手に力が入り、掌に緊張感が浮かび上がるのを感じた。


 騎士長が三叉路の前で立ち止まる。死角になっていて気付かなかったが、近付くと三叉路の入り口に立て看板が立っていることに気付いた。そこにはこう書かれていた。


『立ち入りを禁ずる』


 看板を前に少しだけあの日の光景を思い出す。こんな看板に見覚えはない。あの日ここまで案内してくれた兵士の方はここで立ち止まり、この先の建物の名称を告げた。


「この先は……」


「礼拝堂だ」


 ジークムント騎士長が振り返りその名称を口にする。先に見える大きな扉、そこへ至る赤い絨毯、庭園へ続く下り階段など、あの日見た光景と何も変わっていない。唯一つ、目の前の看板を除き。


「まずは、目を覚ましてすぐにも関わらず、こんなところまで連れて来てしまったことに詫びをいう」


 ジークムント騎士長は一度瞼を閉じ、謝罪の意思を俺へと見せた。


「いえ、私の方こそ何日も昏睡状態だったということで、ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳御座いませんでした」


 俺は深々と頭を下げる。


「無事に目を覚ましたのだ。気にする必要はない。体についても先程の決闘の儀を見る限り問題はないようだな」


「はい、問題ありません」


 頭を上げ強く答える。


 ジークムント騎士長の言葉から考えて、やはり学長との決闘の儀は何かを確認するためのものだったようだ。そして実際にそれを見た上で問題ないと感じたからこそ、俺をここへ連れてきたのだろう。


「そうか。では早速ですまないが、お前は八日前の騎士就任の儀、あれをどこまで覚えている」


「えっ……?」


 結論を導き出す手前で水を差されたような、組みあがりつつあった理論を根底から覆されたような喪失感が走る。急な問い掛けに身体が凍り付き瞬きすらできない。一瞬で体中の血液が凍り付いたような凄まじい寒気が込み上げ、掌に覚えていた緊張感はぬるさよりも冷たさを訴えた。


「どこ……まで……」


 地に足が着いていないような不安定感。視線が定まらず足に力が入らない。動悸も激しくなり眩暈もしたが、精一杯声を絞り出した。


「この通路の先の扉を開け、皆と合流して、ジークムント騎士長が来て……」


 ジークムント騎士長は何も言わず黙って俺の言葉を聞いている。手を貸さないのは身体側の問題ではなく、精神側の問題と分かっているからだろう。当時のことを必死に思い出そうとするが、思い出そうとすればする程、先の記憶から順に思い出させまいと何者かに記憶を喰われているような感覚を覚える。


「ティアナ姫が来て……騎士剣の授受が行われ……」


 ティアナ姫は、俺の言葉を聞いて涙を流した。


「その後は……」


 そこで言葉が止まる。その先の出来事は、俺の目にも頭にも、そのどちらにも刻まれていない。


「その後は……?」


 口を閉ざしていた騎士長が続きを促す。俺の脳裏には、覚えていた最後の映像が流れた。


 涙を流し俺の頬に触れ、俺に名前を聞いたティアナ姫の顔。その涙の意味も、名前を聞いた理由も、俺にはわからなかった。だけど俺は俺だと、名前はなくとも俺なんだと、そう答えるはずだった。そう口にしようとした時、ティアナ姫は黒い靄に……。


「悪意……に包まれた」


「悪意……?」


 何故その言葉が出てきたのかは分からなかった。精一杯記憶を辿っても、騎士剣の授受の後に何かあったのだろうことしか推測できないはずなのに。


「ふむ、そうか」


 狼狽える俺を横目にジークムント騎士長が礼拝堂へと視線を移す。そして何か得心がいったかのように言葉を発した。


「まさかそんなことは、と考えたことはあったが、お前のその言葉で疑念が少し強まったよ」


「えっ……?」


 何を言っているんだ。ジークムント騎士長は、『悪意』という言葉に心当たりがあるのか。


「私の言葉の意味が気になるのなら、この先へ行って確かめることだ。お前が発したその言葉の意味を、私も知りたい」


 騎士長が礼拝堂へと進むよう促す。以前来た時と変わらない外観。あの時は一歩一歩近づく毎に心臓の高鳴りを抑えることが大変だった。だが今はその時とは逆。一歩を刻む毎に心臓を縛り付ける不安が増していく。視界に映る扉が大きくなる度、眩暈が一層増していく。


 俺の発した言葉、『悪意』。それを聞いたジークムント騎士長は何かを知っている口ぶりだった。今の俺には何のことだか想像もつかない。だけどその言葉の意味、その言葉を発した答えが、


「この先に、ある」


 手を伸ばせば扉は届く。


 兵士たちの『王国騎士』という言葉を聞いた時の態度。

 退城時刻のない俺の入出記録。

 俺が意識を失った理由。

 そして、『悪意』という言葉が浮かんだその全て。

 全てが。


「この扉の向こうに」


 扉に手を掛ける。先程まで浮かんでいた掌の緊張感はいつの間にか渇き、高鳴る心臓もいつもの冷静さを取り戻している。


 俺は八日前のあの日、騎士就任の儀の時と同じように、ゆっくりと扉を開けた。

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