Prologue.4

 父さんに一言伝えた後に俺は騎士校へと向かった。道中俺を知る人とすれ違う度に声を掛けられた。いつも通りの挨拶に他愛ない日常的な会話。少し憂鬱だった気持ちを紛らわすことができた。


 王国騎士は王国の最高位の騎士ではあるが、就任した事実を大々的に公表するのは就任の儀の後だ。国から公布された掲示物にも目を通し周囲の反応なども見てきたが、騎士に関する公布を行った形跡はなかった。となると、俺を含めた十二人全員が未だに王国騎士に就任していないことになる。


 違和感を覚えながらも騎士校へと足を進める。


 一週間以上にも及ぶ意識不明。混乱を起こさないための最低限の情報。そして誰一人就任を公表されていない王国騎士。全ては言伝にもあった、学長を訪ねることで解決することなのだろうか。


    ◇騎士校◇


 騎士校を訪れる。まだ昨日の事のように思い出せる校舎を進み、学長室へと辿り着く。戸を小さく叩くと中から返事があった。俺はゆっくりと扉を開き中へと入った。中には当然学長がいた。俺の姿を認めると、傍に立ててあった杖を手に取り立ち上がった。


「無事で良かった。ここを出てまだ数日しか経っていないはずなのに、きみを最後に見たのがひどく昔のことのように感じるよ。ジークムント様から話は聞いている。少し歩こうか」


 学長は朗らかに笑い杖を突きながら進んでいく。戸を開けたときは少しだけ驚いた表情をしていた。しかしその後、すぐにいつも通りの顔付きに戻り、騎士校在学中と同じように接してくれた。学長の後ろに俺も続いた。




 どこを目指しているわけでもなく、ただ当てもなく歩いていただけのような気がした。のっけから重要な話をされると考えていただけに、少し気構え過ぎていただけなのかもしれない。道すがら俺がここにいた時の話をした。毎日ここに通っていたはずなのに、いざ来なくなると、思い出という違った視点で見えてくるものだと感じた。


 俺と同じ民出身の候補生が貴族たちに苛められ、それを止めに入り真っ向から喧嘩になったこと。基礎体力作りの持久走をしていた時、日射病で倒れたやつを介抱してやったこと。とにかく喧嘩が絶えなかったこともあり、その度飛び散る釦を縫い合わせてやったこと。など、そんなことを話した。


 学長は、「私の知らないところでそんなことがあったのか」と笑いながら聞いていた。俺も話している内に懐かしい気分になり、丁度中庭に差し掛かったところで大切なことを思い出した。


「そういえばここであいつに……。シグに、初めて認めてもらえたんだ」


 シグムント=アリア=クルーエルア。その名が示す通りジークムント騎士長の実子であり、ティアナ姫とは従兄妹に当たる。よく、


「俺は最強の騎士になりこの国の王となる。ティアナを他の男になぞ渡せるものか!」


 と言っていた。


 実際口先だけの奴ではなかった。判断力、統率力、本人の力量に長けているだけでなく、相対する敵との力量差までも見抜く洞察力にも優れた、所謂天才と呼べる才能を秘めていた。団体戦においてシグの下に就いた者はその殆どが勝利を収めている。外敵から国を守るための防護壁外に現れる凶暴化した動物の退治においても、適切な人選の下指示を飛ばし最小限の人数で対応し尽くしている。個としての強さは勿論、群を束ねるその資質は、いずれ巡ってくるであろう王位に十二分に相応しいとさえ思われた。しかし問題も多かった。身分による差別こそ大きくはしなかったものの、弱者をとことんまで追い詰める容赦のなさ。そして誰の言うことも決して聞きはしない、生まれながらの王族気質が彼の評判を下げていた。


「そんなシグが俺のことを認めてくれるなんてな」


 それ程昔のことでもないのに妙に懐かしい。少し自嘲気味に笑みがこぼれる。憶えていられるって幸せなことなんだと改めて感じさせられる。もちろん辛いこともあった。忘れてはいけない、忘れてはならない辛いことも。楽しいことも辛いことも、それら一つ一つの積み重ねがその『ヒト』を形作っている。皆そうやって生きている、記憶を積み重ねて。


 じゃあ俺は……?


 掌を見る。日々剣を握り続けたその手は厚く引き締まり、長い時間と共に成長したことを感じさせる。記憶を失う以前の俺の手はどんな形をしていたのだろうか。当然だが思い出すことはできない。だけど、何故だろう。掌を通して覚えていないはずの何かが込み上げてくる。何かが……。


 物思いに耽るように掌を見ていると、俺目掛けて何かが飛んでくることに気付く。飛んできたそれを手に取り確認した。


「模造剣?」


 騎士校で使用される一般的なもの。俺もこれを手に騎士を目指してきた。


 その模造剣が何故ここに?


 敵意は感じられなかった。つまりこれは最初から俺に渡すためのものだったということ。


 模造剣が飛んできた方角を見る。そこには杖を構え直し立っている、一介の老騎士の姿があった。


「構えろ」


 学長が告げる。鋭く尖った眼光は凄まじく、先程まで感じられなかった闘志が剥き出しになっている。


「こんなところでどういうつもりですか」


 学長の考えが読めず聞き返す。学長は黙って杖を翳し、俺へと向けた。


「……決闘の儀」


 理解した。理由はわからないが俺は今決闘を申し込まれている。どういうつもりなのかはわからない。だが、向けられた闘志、挑まれた決闘に応じないのは騎士としての誇りが許さない。そして何より俺自身が、かつての王国騎士と剣を交えてみたいと思っている。


 グランニーチェ=バゼル=クルーエルア。40年近く以前の王国騎士にして現騎士校の学長を務める。今なお自ら剣術の指導を行うなど衰えを知らない。幾人もの騎士たちが束になっても敵わなかったと言われるほど、王国騎士時代は剣の極致にいたという。本人はそんな昔のことなど疾うに覚えていないと言うが、年老いて杖を持つようになったのも無用な決闘を避けるためであって、肉体の衰えが理由ではないと言われている。そんな一騎当千の御方から挑まれるなど、光栄以外の言葉で言い表せられるだろうか。


 模造剣を握り直し二度払い、切先を杖先に合わせる。学長へ視線を向けると、学長は相手を射殺さんとする程の鋭い視線で俺を見ていた。


 僅かに風が吹き髪を揺らす。学長と俺との間に木の葉が舞う。互いの視線を遮るように一枚の木の葉が舞い込み、その木の葉が過ぎ去る一瞬の後、俺の剣と学長の杖は鎬を削りあっていた。


 地を震わすが如き轟音が響き渡った。模造剣と杖のぶつかり合いとは思えない、巨木を鈍器で殴り倒したような鈍い音。しかし鈍い音にも関わらず、相対する二つの剣戟による反動は周囲にも影響を及ぼし、舞っていた木の葉は切り刻まれ、足元には俺と学長を中心に幾重にも刻まれた亀裂が走った。


 初撃は共に全力を込めた一撃。これで競り負けるようでは話にならない。真の騎士が放つ一撃、それを受け切れない者は必然、死にも等しい致命傷を負う。故に一切の傷を負わず受け止めきれた俺もまた、学長とそう離れていない最高位に近しい強さにあるということだ。




 互いに放った熱量は剣と杖を通じ周囲へと拡散し溶ける。動きは完全に膠着し次の打ち合いへと移った。


 疾風にも似た鋭利な剣戟を次々と受け止める。決して大きく振りかぶることはない。決まった軌跡、決まった行動、互いに徹底した身のこなし、次はどのように打ち込んでくるのか理解した上での剣戟。


 そう、これは二人が読みに長けているわけではない。これはなのだ。


『決闘の儀』


 それは云わば戒め。クルーエルア王国の騎士ならば、これを介さずして私闘を行うことは許されない。勿論私闘に使われるだけではない。互いに強さを磨くため、型を学ぶという目的にも使われる。


 本来は、国の祭事などで民衆に騎士を理解してもらうための『見世物』として考案されたものだった。初撃から打ち合いへと移行するように、決まりきった順序があるのはこのためである。また、決闘の儀は大きく分けて四幕に分けられる。


 第一幕 『始』 文字通り始まりを意味する。

 先ほど二人が放った一撃。決闘の儀においてこれは開幕を告げる号砲である。周囲へ影響を及ぼすほどの一撃でありながら始まりの合図でしかない。初撃で競り負けるようでは話にならないといったのはこのためである。


 第二幕 『攻』 文字通り攻勢を意味する。

 挑む側、すなわち決闘の儀を申し込んだ側が『始』の後に攻勢に移る。現在二人が行っているのがこの『攻』だ。先にも述べたが、決闘の儀は元々『見世物』が元となり、正式な儀礼用の様式に仕上がったものだ。そのため『攻』も、攻勢に『見えるようにするだけ』である。


 第三幕 『守』 文字通り守勢を意味する。

『攻』と立場が入れ替わる以外然したる差はないが、攻め一辺倒ではなく相手の剣を『受け入れなければならない』という意識を植え付けさせる。反撃を行ってはならない。再三しつこい様だが元が『見世物』だ。互いに実力の近いもの同士が鎬を削って戦う様は観客を大いに震わせる。だが現代においてはそれ以上の意味がある。


 ここまでの流れでは互いが互いに合わせているだけと感じるかもしれない。しかし実際はそうではない。現在この二人が行っているように、限りなく最高に近い者同士による決闘の儀は一瞬の気の緩みが死へと繋がり兼ねない。これだけの実力を見せつつ円滑に熟せるのは、二人が達人の域にいる証明でもある。




 再び周囲へ影響を及ぼすほどの鈍い衝突音が響く。第一幕同様に、これが第三幕『守』が終わったことを知らせる合図でもある。第三幕にて攻勢を務める挑まれた側が一撃を放ち、それを察知した挑む側も初撃同様の一撃を繰り出し、そのぶつかり合う音と共に第三幕の終了が宣言される。


 ここまでが『準備運動』だ。ここから先が俗にいう私闘と呼ばれるもの。第三幕までを熟せない者に第四幕へと進む資格はない。


 交錯する得物の先に尚も戦意の衰えぬ老兵の眼光が光る。ぶつかりあった際の熱は既に周囲へ散っており、力で圧し合う行為には何の意味もない。互いに得物を返し数歩距離を取った。


 第三幕が終わった後、言葉を交わすことが許されている。ここで戦意がないことを相手に宣言すれば第四幕へは移行しない。


「ふむ、相も変らぬ剣の冴え。一太刀一太刀に相手への敬意すら感じられる。それに一週間以上意識を失っていたというが、その衰えすら感じられない」


 杖をまるで布や棒切れのように払いつつ学長が口を開く。俺は視線を外さず模造剣を構え直し、握る拳に力を入れた。


 騎士にとって剣は言葉と同義。先の学長の言葉からも察せられるが、繰り出す剣戟には俺を試す感覚があった。決闘の儀を申し込まれた時には驚いたが、今はその真意が少しは見える。


 学長は俺を試している。目的が何かまでは分からないが、どうして試しているのかの推測は立つ。騎士就任の儀以降、俺は意識を失っていた。そんな男が王国騎士たるに相応しいのか再び試しているといったところだ。俺は民、王族や貴族じゃない。特例として選任されたこともあり、試練が付いて回るのは最初から予測できたことだ。だからといって諦めることはない。どんな試練であっても何度でも乗り越えてみせる。この国の人々を守り、誰かと交わした約束を守るために。どんな理由があったとしても、俺を試すというのならそれに応えるだけだ。足りぬというなら、第四幕にて。


「まだ語り足りぬといった顔だな」


「えっ……?」


 杖先を下げながらも視線は外さず学長が語る。


「時に剣は言葉よりもその者の誠を語る。きみのその実直な姿勢、それがきみの真実の姿だと私は信じているよ」


「学長……」


 俺に向けられていた視線から戦意が感じられなくなる。杖も両手で持ち、普段通りの姿勢で地面に突き立てている。


 学長は俺から視線を外し呟いた。


「これで宜しいですか、ジークムント様」


 ジークムント様……? 今この場でどうして騎士長の名前が?


 剣を持つ手の力が緩み意識が周囲へ向けられる。そこでようやく学長の背後、校舎の柱の影に人がいたことに気付いた。


「ジークムント騎士長……」


「真剣勝負の最中さなかにあっても他者の気配は読めるようにしておけ。それ以外に言うことはない」


 ジークムント騎士長は学長の隣に立ち俺へと視線を向ける。


「手間を掛けさせたな、グランニーチェ」


「お気遣いなく。私は私で良い運動になりましたから」


 学長はにこやかに笑みを浮かべ顎鬚を弄っている。良い運動というだけあり息一つ切らしていない。還暦を目前に控えてなお衰えぬ剣技。さすがはこの歳で騎士校の学長を務めるだけはある。


「いくつかお前に聞きたいことがある。まずは場所を移そう。話はそれからだ」


 そう言い騎士長は俺に背を向け歩き出す。俺は学長に一礼しジークムント騎士長の後を追った。

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