四十七話 可能性

 悪い夢を見た……。そんな気がする。

 基本的に悪夢な俺だがその夢の詳細を完璧に覚えているほど器用な人間では無い。ただ嫌な夢を見たとしても目覚めがいいかは別のようだ。今日のようになぜか気分の良い日もある。不思議なものだ。

 大きく伸びて関節の動く範囲を確かめる。良く動く。今日も快調だ。ごりごりと首を鳴らしながら今日のやるべきことを考えていた。


 まず一つ目は、工業地区の探索は昨日に完了したことだ。空白部分を余すことなく端まで確認した。完了した。

 そう。完了してしまったのだ。

 そして結局、何かがわかるということは無かった。まだ過去に戻る方法も生き延びる方法も知らない。

 ——生きる意味だって。

 薄暗い感情が俺の胸を叩く。耐えられない疎外感と不安感に襲われて息が少し詰まる。どうせこれだってホルモンの乱れだ。ゆっくりと息をする。自分の居場所とやるべきことを確かめる。


 そうだ。今日は遥のところに行く予定だったのだ。工業地区の探索は俺にとっては精々できることが増えた程度なものだったが彼女にとっては違ったらしい。少し真剣そうな顔をして調べ物をしてみると言っていた。

 今日はそれの付き添いだ。第一地区にあったもう一個の空白は、どうせ遥が一緒じゃないと探索できないのだ。遥の気が済むまで調べさせればいい。


 ベッドから足を下ろして靴を履く。そのままふらふらと外へと向かい扉を開けた。

 雨だ。

 工業地区の探索を始めてもう一週間ほど経ってはいる。その間もこうやって雨が降っていることが多かった。今日で何日目だろうか。

 雨には穢れを取り除くとかいう話もあったよなと思いつつ、俺は傘を開けた。傘の中は孤独だ。人一人分しか守ることは無い。外と中をはっきりと区別する。そんな傘がこの未来でも同じ形を残しているのだから、人間はきっと俺たちが思っているよりも排他的だ。残念だ。

 そんなことを考えながら俺は遥のもとへと向かった。

 

 部屋につくと遥はベッドの上にちょこんと体育座りをしていた。いつもの読書スタイルだ。俺にはよくわからないがこの体勢が落ち着くのだろう。

 周りにはレポートや本、紙の束などが散らかっている。テスト前日の俺の部屋によく似ている散らかり様だった。

 そんな中でこれまたよくわからない紙の束を読んでいる。その速度は尋常じゃないほど速い。数えてみるとわずか数秒で新しいページを開いていた。


「遥ー?」

「……」

「おーい、遥さーん?」

「……」


 集中していて声が聞こえないようだ。

 そっと近づいてみる。まだ気がつかない。まるで置物のように静かだ。静かな呼吸音と紙の擦れる音だけが聞こえる。

 生きてるのが不思議なくらい綺麗だ。

 よくよく考えれば遥のことをよく見たことはそんなにないかもしれない。俺は遥のことをあらためて確認してみることにした。


 真っ先に目についたのは服から伸びたほっそりとした手足だ。そのバランスは完璧な均整を保っている。細すぎるわけでも太すぎるわけでもない。長さも丁度いい。

 そのバランスは決して肢体だけにとどまるものではない。顔のパーツである目や口も同様であるし、目に見える全てのものが完璧だ。きっと爪の長さまで神経質に完璧なのだろう。人体の黄金比というものがあればまさにこれのことなのだろうとも思った。

 彼女の前ではどんな芸術品でも勝つことが出来ない。

 そもそも美しさを尺度に喧嘩を売ろうとするのが間違いなのだ。勝負なんてすでに決まっているのだから、造形物としての敗北感なんて好きなだけ感じればいい。

 これは人類の終着点なのだ。だから仕方がない。世界の歴史が彼女の美しさを肯定している。

 だが、少しだけ疑問にも思う。

 見た目が綺麗と言うだけで人はこんなに心を奪われるものだろうか? 美しさとはそこまで絶対的な尺度なのだろうか?

 そんなことを考えているとふらりと印象的な黒が視界をよぎった。瞳だ。

 朝の光が差す中で静かに本を読む少女。彼女の持つその瞳は夜の海よりも深い黒色で、同時に星のまたたきよりも輝いている。ゆらりゆらりと世界を飲み込んで世界を彼女の色に染め上げる。息をするのも忘れそうになる緊迫感が広がっていた。なるほどこの瞳が理由だったか。

 ひとしきり納得すると大きく頷く。そしてからそっと手を伸ばした。

 この完成された時間を終わらせるのには抵抗があったが……ひとおもいに頬をつねる。


「……ん? あ。ふぁなたくん?」

「ああ。俺だ」


 つねっていた指を離す。きょとんとした童女のような瞳が俺を見ていた。


「まあ、いろいろ言いたいことはあるけどさぁ……遥? お前ちゃんと寝ているのか?」

「んんー寝てるよー」

「どのくらいだよ」

「……ええと怒らない?」

「怒らないって言ってる時点でもう気がついてるだろ。怒らないから」

「ほんと?」

「ほんと」

「じゃあ……ええと……二時間くらい?」

「寝ろ」


 さすがに遥だ。アホだとは思っていたが再確認させないで欲しい。容易に人の限界を超えようとするのは辞めろ。

 遥が調べ物してみると言っていた時点で気がつくべきだったのだ。こいつが加減なんて知っているわけがない。


「ええーまだ大丈夫だよ?」

「大丈夫なわけあるか。テスト前の俺の方がまだ寝てるわ。酷使しすぎだろ」

「彼方くんはいわゆる『一夜漬け派』だったの?」

「おうよ。もうその道何年の達人だぜ」

「ちゃんと勉強はいつもした方がいいんだよ?」

「けっ。そんなお行儀良いこと言いやがって」


 遥にまともなことを言われる。彼女はテストなんて受けたことが無いのだからきっと本での知識なのだろう。


「というかそれがわかっているなら睡眠不足の問題も気がついてるよな?」

「うっ」

「あとお前、夜更かししてたのは今日だけじゃないだろ。工業地区探索している間も絶対調べていたろ」

「そ、そんなことべ、べつに……」

「なんでこうも嘘つくのが下手なんだろうか……」


 目を泳がしている遥を見てため息をつく。

 この好奇心の塊が昨日だけやっていたとは考えにくい。そうなると工業地区を探索し始めた時点でもう調べ始めていたはずだ。


「はあ……まあ仕方ないか……今は眠くないか?」

「別にそんなに」

「じゃあ大丈夫そうなのか……? はあ……何か分かったことってあったか?」

「特に別にー」


 間の抜けた声で返事をする。やはり工業地区の気なることのやらの調べ物はうまくいって無いようだ。


「ところで遥は何を調べていたんだ?」

「あれ? 話していなかった?」

「ああ。なんか調べるとしか」

「そっかー……蝶のことだよ」

「蝶?」


 遥が蝶のことを気にしているのは意外だった。俺にとっては謎現象で不可解なものだが遥にとってはただの日常だと思っていたからだ。


「うん。彼方くんがいた時代も含めた過去の中で説明がつかない物の一つなの」

「ほうほう」

「もちろん彼方くんの人工冬眠だってその一つなんだけどね。結局言葉の問題もわかっていないし」

「ああー言葉の問題もあったよなぁ。なんでいわゆる未来語が使えてるのか問題とか」

「うんうん」


 課題を整理しながら頷く。謎が増えつづける割に解決は一切しないのだ。そんな中でもわかることから片づけなきゃいけない。


「それでねそれでね。あの蝶も同じようにわからない物の一つなの。何の技術を使われて作成されたものなのかが全くわからないの」

「……正直言うと俺にはどれもこれも謎現象なんだけどな」

「そうなの? 他の技術は私の確認できている範囲では確立されているようだけど?」

「マジか……」


 一瞬で移動するポッドや意識だけで使える青い石は遥にとってみれば不思議の中には入っていないようだ。というかちゃんとした科学技術で裏付けされたものようだ。ええ……? アレが? 無理があるのでは?


「でねでね。工業地区で何か蝶の手がかりが無いかなぁって思って探してみたんだ」

「そうだな。もともとそれが俺たちの目的だったもんな」

「そうそう。蝶は液化の影響を受けないんだからおっきな蝶を作って乗ればいいと思うの」

「いや……さすがに蝶じゃ無理がある思うが……まあ、原理さえわかれば応用ができるかもしれないかもな」

「でもそれをつくる機能は工業地区にはなかったよね」

「そうなんだよなー」


 工業地区には蝶の作り方が無かった。もともと目的の一つだったのでそれなりに探したのだがそれでも見つかることはなかった。これのせいで工業地区の探索が空振りだという結論になったのだ。

 ならば第一地区にあったもう一つの空白に作り方があるのだろうか? そんなことを考えていたのだが、同時に俺にはひとつの予感があった。

 蝶の作り方なんてどこにもないという。もしかしたらそれが正解なのでは?

 俺がここに来た意味も目的もない。蝶にもない。ただそういう事実があることだけが現実だというどうしようもない可能性だ。


「だったらもう、なんか不思議な力でできたとしか言いようがないのか……?」

「そうなのかもねー」

「じゃあ人工冬眠の時と同じか。故障したコアの代わりに塔にエネルギーを集める蝶は偶然いつの間にか発生していたと?」

「そうなるのかなぁ……?」

「まったくふざけているな……そんなことがあってたまるかよ……」


 この世界の謎は一向に解ける気配がない。というよりも謎だけが増えていく。


「はあ。もう説明なんてつかなくてもいいのかもしれないな」

「……説明がつかない?」

「ああ。もう答えが出なくて正解かもしれないって」

「答えが出ない……ことが正解……。わからなくて当然ってこと?」

「まあ……なんか都合よくうまいかないかなっておもってさぁ……ほら、なんか魔法みたいに」


 そう答えると遥は少し首をかしげる。そうして何かを考えるときょとんとしながら一言「魔法?」と言った。


「ふうん……魔法かぁ魔法……」


 ゆっくりとうなづき何度か思考を回す。


「ありかもね。魔法なら確かにできるかも」

「いや、ふざけて言っただけだからそこまで本気にしくてもいいんだぜ?」

「でももう科学でも説明できないなら魔法なのかもよ?」


 遥は魔法説を意外と肯定的にとらえているようだ。なにか不思議なことができるとかいう都合のいい言葉で蓋をしただけなのだが……。


「それはまあ……『俺を未来に送る』、『未来語を理解する』、『蝶を作る』……ずいぶんと局所的な魔法だな」

「まあまあ。そういう考え方もあるかなって思ってね。考えてもいなかったよ。さすが彼方くん」


 遥はそういうと大量に積まれた本に向かう。そしてから適当に本を引き抜き始めた。そこには『ブードゥー入門』、『時代によるアンチキリストのふるまいの違い』とかいうよくわからない言葉が書かれていた。


「……いや、さすがにそこにはないのでは?」

「読んでみないとわからないよ?」

「ええ……」


 どうやら遥はこの方向から考えてみる気らしい。さすがにありえないと思うのだがやる気になった遥を止める困難さも知っていた。きっと数日で結論を出すのだろうから放っておくことにした。

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