四十六話 意味のある人生
工業地区の探索を始めてもう四日が経った。
その間で分かったことはとりあえず馬鹿みたいにでかいことと、同じような風景がずっと続くということだけだった。それぞれの部屋には数字が振られているので行方不明になることは無い……と思う。
……どうだろうか? やってみたらわかるかもしれないがやる気にはならない。
「なあなあ遥?」
「なあに?」
「飽きないのか?」
「……何に?」
「おう……」
真っ白な廊下を歩き規則的に並ぶ扉を開く。そして中が他の部屋と違わないものだと確認するとそのまま閉める。そして次の部屋へと向かう。
「というか彼方くん。その質問二日前にもしていたよね?」
「……してたか?」
「してたよー。『ずっと何も変化ないのにどうしてそんな楽しそうなんだよ』とか言ったよー」
「あー……言ってたかも?」
「でしょ! でしょ!」
実際は思い出せていないのだが適当に話を合わせる。こんな単調な景色が続くのでは確かに言っている気もするし、遥が言うのならば間違いはないからだ。
「まあ、だとしてもなあ……流石になにも変わらなすぎでは無いでしょうかねぇ?」
「そう?」
「遥の感性がぶっ壊れているだけだぞ」
「彼方くんが飽き性なだけだよ」
この会話においては俺が絶対正しいと思う。だがそれを証明する第三者なんて存在しない。多数決の正しさというのは母数に頼った暴論でしかないことが良くわかる。
「でもさあ、ええと……こんなに部屋があるわけじゃん?」
「そうだねぇ……」
首をかしげながら何かを数えるように指を振る。
「今日で……ええと二十三個目?」
「……今、数えたの?」
「そうだけど?」
「おう……」
あいかわらずのスペック差に辟易する。今までの間で数えていたのではない。記憶の中での扉を開けた回数を数えたのだ。
「ちなみにその部屋で何個目?」
「二十三個目」
「ああーいや、今日じゃなくて今までの累計で」
「ええと……うーん……二百六十九個目……かなぁ?」
「ええ……」
「ごめんね? ちょっと間違っているかも……」
「おれがドン引きしているのはそこじゃないんだよなぁ」
二百回分の扉を開けた記憶が遥の脳にはあるのだろうか? どんな無駄な要領の使い方だ。というかそんな正確かつ大量の短期記憶が必要とされる社会だったのだろうか? 未来はどんな魔境だ。
「んで。そのなかで明らかに違う部屋だったところは?」
「……無いかな?」
「……本当にここの探索意味あんの?」
もっと早く気がつくべきではあったのだがつい言うのが遅れてしまった。楽しそうに歩いてる遥を見ると言い出しにくかったのが理由の一つだ。
「あるに決まってるよ! 何言ってるの!」
「ずっと変化無いんだぜ?」
「……」
「遥?」
「そんなのわかんないし!」
「ええ……いや、わかるだろ……」
遥は意地になったのか大きな声を出して俺に言ってきた。だが、声の大きさと反比例するような自信のなさも読み取れた。
「遥、もう認めようぜ……」
「いや絶対認めないもん!」
「その言葉がもう答えなんだよなぁ」
むしろ俺も四日目になるまでよく我慢したな。ここに来た初めならこんなことは無かっただろう。遥に対して少々甘すぎたのかもしれない。
「だってぇ……そうなったら彼方くんついてきてくれる?」
「まあ全部同じならついていかないよな」
「ほら! そんなこと言った! 彼方くんのけち! ずぼら! 怠け者! バカ!」
「随分な言いようだ」
つまりは俺がいなくなることとを恐れていたらしい。かわいいやつだ。そんなことでいなくなるはずもないのに。
「まあまあ。いったん情報の整理をしながらでもいいのでは?」
「……? まあ。それぐらいなら」
この数日間の探索では遥の話す謎の豆知識に『すっげー』と言うのが主だったのだ。もうあの様子じゃあ俺の知識よりも遥の知識の方が多いのではないだろうか? まあ、こんなくだらない話をずっとしていたせいで探索についての話をまともにできていなかったということは否めない。
「部屋の中の確認だが……いつもの青色の石が一つ。これは間違いないな」
「間違いないねー」
「そして他には何もない」
「間違いないねー」
俺の知っていることを確認する。どうやら違いないようだ。……ということは。
「結局手がかり無しじゃねぇかよ……」
「そうだねー」
そう。こんなに意味ありげな様子で置いておいて結局意味なしだったのだ。第一地区の空白部分。二つあるうちの一つ。ここまで来て空振りと言うことが本当にあるのだろうか? いや、ない。……ない。本当なら絶対ないはずだろ……なんでこんあ結末になるんだよ……。
「一応、第九地区よりはたくさんいろんな種類のものを作れるみたいだけど?」
「ああー確かにそうだなー」
予想していた通り、海神教はここで船を作っていたようだ。非常に冗長性の高い大規模な船の作り方もあった。これならば確かに二か月は持つかもしれない。
「でもそれって結局液化するんだろ?」
「まあねえー」
「二か月、延命できるだけだろ」
「そうだねー」
「じゃあ意味ないだろ」
結局海神教が作成したクソでかい船を生成しても二か月程度しか持たないのだ。二か月、海に放浪して何を得るというのだろうか?
俺には死刑執行が遅れているようにしか思えなかった。
こんな何もない世界で一か月多く生きてどうするんだろうか? そんなんで何かを得ることができるのだろうか?
——『何か』って何? 彼女の声だ。
何ってそれは決まっているだろ。
『幸せ』だ。
俺はこの人生で『幸せ』と呼ばれるものを感じたことが無い。いや、それは言いすぎか。確かに感じたことはあった。それがそれだけ昔のことなので忘れてしまったか……。まあ、そうそんな昔のことだ。
俺は『幸せ』を得たかった。『幸せ』。手のひらから零れ落ちるような繊細な言葉。誰もが当然のように知っている言葉。俺には存在しない言葉。
誰もが俺にそれの存在を示してはくれなかった。それでも俺はちゃんと知っていた。知っていたうえで誰も助けてくれはしなかった。
それをどうしても手に入れたい。
「一か月も長く生きれるんだよ? 意味無いの?」
「ああ。無いな。俺はもっと長くずっと意味のある人生を送りたい」
「……ふーん」
遥はそう唸りながら小首をかしげた。そうして新しい扉を開く。そこには変わり映えの無い部屋が広がっていた。
「ねえねえ彼方くん?」
「あ?」
「意味のある人生ってなに?」
「ああー……」
『リサさんの人生は無意味じゃないんですか?』
俺のただの八つ当たり。あの時のリサさんの表情を忘れることが出来ない。俺はこの問題にもっと丁寧に向き合う必要があるのだろうか? どんなに延命できようが最期には逃げられない課題なのではないのだろうか?
「俺にもまだわかんない」
「彼方くんがわからないこともあるのね」
「わからないことの方が多いさ」
そういうと目の前の扉を閉める。一目でどうせ違いが無いことはわかっている。次の部屋だ。次の部屋を見なければ。それが今の俺にとっての最善の選択肢だ。
「わからないこと、知らないこと。そんなことばっかりだ。ずっとそうやってぐるぐるしている。仕方ないししょうがない」
「彼方くんは色々考えているのねー」
遥の瞳が見える。深い黒色の瞳。キラリキラリと色を変えて世界に問いを投げ続けてきた瞳だ。
「そうでもないさ」
「そうなの?」
「遥の方が俺よりもずっと考えていると思うぞ」
「そう?」
瞳。
ただの視界をつかさどる器官の名前なんかじゃない。外界と内界を繋ぐ架け橋だ。彼女はその瞳を誰よりも酷使してきた。そんな彼女が何も考えないで生きてきたわけが無いのだ。
「遥は意味のある人生って何だと思う?」
「私が?」
「そそ。遥が俺に聞くことがあっても、俺から遥に聞くことはそんなにないなって思ってな」
「そうかもねぇー、彼方くん物知りだもん!」
「……いや、もうそうとは言えない気がするぞ」
もう遥の方が物知りだと俺は思う。こうやって質問をしてくれる機会もだんだん減っていくのかもしれない。
「ええー。物知りだよ」
「もう遥の方が物知りだろ。ほら前なんかは変な論文読んでなかったか?」
「……ん? 王の二つの身体から考える革命史? ペロー童話の教訓と当時の生活様式? ウォルステンホルム素数は16843と2124679以外に存在するか?」
「いや……それじゃないが……っていうかなんだそれ……」
なんかよくわからないことをぺらぺらと話している。あらゆる学問に精通したレベルの高い変人になり始めているのは間違いないのだろう。
「いや。なんだ。そんなに遥が賢くなったらもう俺が物知りなんて言えないだろ」
「そう? 私がどんなにいろんなことを知るようになっても彼方くんが物知りなことは違わないと思うのだけど? それとも彼方くんは私が賢くなるとバカになるの?」
まっすぐとこっちを見る。そこには疑問なんてものは一切なかった。どこまでも澄んだ自分の意思をはっきりと伝えていた。
「降参だ……やっぱり俺物知りだわ」
「でしょー! これからもいろんなことを聞くんだからね!」
遥は俺がネガティブになることを許さない。俺のネガティブな感情に引きずられない。よく言えば安定していて、悪く言えば頑固だ。
「あ。そうそう。意味のある人生だっけ?」
「あーそれそれ。話脱線していたわ。ありがと」
「どーいたしましてー」
ふらふらと俺の前に進み新しい扉に手をかける。そして開けながら言った。
「わかんない! これから考える!」
「遥らしいな」
「でしょ! 彼方くんも一緒に考えようよ! 約束だよ!」
扉を開けた先は相変わらずだった。愛想のないただの真っ白な部屋。ぽつんと置かれた青色の石。
それでも俺には、少しだけ、少しだけ明るい様に感じた。
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