四十五話 工業地区

「ここが工業地区なの……か?」

「たぶんそうなんじゃない?」


 俺と遥は第一地区にある空白に来ていた。空白は大きく二つあり、今回来たところはその中でも手前の方だ。

 前回の探索では俺が意識を突然失ったせいでこれなかったところだ。

 というよりも元々は工業地区の確認の方が主目的だったのだ。俺が意識を失うなんて想定外のことだった。


「まあ、そうだとは思うんだけどさぁ……」

「なに?」

「なんか俺の考えているのとは違った」

「そうなの?」


 遠目から見た時から気がついてはいた。


だが、改めてみるとなんだか微妙な気持ちになる。そこにはバカでかいドーム状の建物があった。

 昔、親に連れられて野球場に行ったのだがそれよりもずっと大きい。あれもかなり大きい方のドームだったはずなのだが……


「ああ。仮にでも工業地区って呼んでいたんだからな。なんかもっと煙がモクモクとあがってさぁ……」

「ここ、海の中だから煙なんて出ないと思うんだけど?」

「……まぁな」

「あと、私たちがもっと工業に特化した地域が無いとおかしいって思ったから推測しているだけでアレが工業地区とは限らないと思うんだけど?」

「……まぁな」


 遥が正論を並べる。能天気サイコパスアホの子に論破されて少し悔しい。


「じゃあ、アレに入るしかやっぱりない?」

「うん! 楽しみだね!」

「いや……割と不安しかないが……」

「そう? 彼方ったら心配性ねー」

「お前が能天気すぎるだけだろ」


 遥にとっては初めて行ける所ならばどんなところでもきっと天国のようなものなのだろう。


「そういえば今日、リサちゃんは来なかったね」

「……ああ」


 あの日、リサさんと直接対話した日からもう一週間が過ぎている。その間もどうやら元気のないようだった。一応遥が声をかけて見たのだが、リサさんは今日の探索に参加しないと言った。


「リサちゃんと散歩出来て楽しかったのになぁー」


 そんな遥の能天気な言葉が俺の罪悪感を刺激した。意識しない様につとめるがチクチクと胸を刺してくる。あの時リサさんは何を思っていたのだろうか?

 冷たく沈んだ深海のような瞳。あの目には何が映っているのか?

 わからない。そしてこれはリサさんに聞いてもわからないことなのだろう。なぜならばリサさん自身がその感情の定義をできていないし、できていたとしても話そうとしないからだ。

 だから、この話はこれ以上考えても無駄なのだろう。

 今考える必要があるのは、目の前にあるこの無駄にでかい扉をどうやって開けるかだ。





 意気込んでみた割に、扉はそんなに苦労せずに開いた。

 遥が軽く念じただけで開いたのだ。きっとチップの効力に違いない。水圧で開かない可能性も考えていたのだが、引き戸だったためもあってかスムーズに開くことが出来た。


 視界が開ける。

 ドームの中はだだっ広い空間だった。

 何年も……何千年も放置されたはずだが相変わらず汚れなんてものは存在しない。どこまでも無垢で穢れの無い世界。完璧で冷たくて孤高の存在だ。

 何千年もの時間を経ても変わらず新品のような見た目だ。この塔と塔に付属された物品以外はすべて液化して無くなるからだ。いつも生活感のない静謐な視界が広がる。

 血の通わない無機の世界。

 そんな世界を改めてみるとたまらなく不安な気持ちになる。この塔にとって俺たちは何なのだろうか? たまたま動いている有機物なのだろうか? 俺たちはこの世界で生きていていいのだろうか?

 ——お前は『■■』なのか?

 彼の声だ。もうその黒塗りに当てはまる言葉なんて知っている。お前は俺に『幸せ』なのかを聞いているんだろ。


「うーん……広いね!」


 ——お前は『幸せ』なのか?

 どうなのだろうか。俺はこの言葉と向き合える日が来るのだろうか。自分が選んできた責任をとることができるのだろうか?

 そんなことは当然知らない。許しを与えるのは神様なんかじゃない。神様なんてもうずっと昔にいなくなってしまった。もう罪は被害者しか許すことができない。


「彼方くん?」

「……ああ。ごめん」


 遥が体をゆるりと翻す。ワンピース型の水着の裾が躍った。


「考え事をしていた」

「そうなの?」

「ああ」


 遥には関係のないことだ。俺にはこの過去にも居場所は無かったし、未来にも無かった。それだけの話だ。 


「まあ、広いことは外から見た時から気がついていたことだけどな」

「そうだねー」


 ドームの中は同様に広い円形状の空間になっていた。しかし、さっきのバカでかいドームに比べればここはまだ全然、常識のある大きさだ。きっとここがエントランスのようなものなのだろう。


「んで……これが工業地区……『工業ドーム』? なのか? を調べるわけだが……。広いなぁ……中に入ってみるしかわからないか?」

「だと思うよー」

「ああ……めんどくせぇ……」

「まあまあそんなこと言わずにれっつごー!」

「……おー」


 この無駄にでかいドームの中を探検するのは骨が折れる。というか一日で回りきれるのだろうか?


「ロボットに手伝わせられないのか?」

「できる思うけど?」

「じゃあ、任せる気ない?」

「ええー……自分の目で見たいんだけど……」

「ああー……遥にとってこれって散歩の延長線上なのか?」

「……? そうだけど?」

「なるほど。じゃ仕方ないか……」


 遥と俺の認識はやはり小さいところで食い違う。

 俺にとっては過去に戻る手段や生き残るための術を知るのを目的にしている。つまり切迫した問題意識があるのだが……遥にとっては違うようだ。

 どれもただの娯楽だ。

 じゃあ、そんな遥を責めるかというとそういうわけにもいかない。それは遥に悪気が無いことを知っているからでもあるし、なにより遥がいた方がずっと探索が捗るからだ。彼女と俺では単純な人間のスペックが違いすぎる。


「だから彼方くん! 彼方くん! 先に勝手に調べたりしないでね!」

「ええ……ダメか?」

「なんか私が知らないことを先に知られるのが悔しい」

「なんだそれ」


 妙なことを言っているので笑ってしまった。もしかしたら遥にとってはネタバレをされるような気持ちなのかもしれない。俺も誰かに最新刊の情報を言われたらかなりムカつくので少し気持ちがわかった。


「じゃあしょうがないか。先に見るのは辞めておくよ」

「うん! 彼方くんはいい子だね!」

「いい子あつかいなのか……?」

「そうだよ! それに遥と彼方でずっと一緒だしね! 一緒だよ!」


 遥と彼方でセットになっていること。

 遥にとっては重要なことなのだろうが聞くたびに体中が痒くなる。恥ずかしい。彼女が喜んでいるのは幸いなのだがそれにしても他に言い方は無いのだろうか?

 つい、恥ずかしさから何も言えずそっぽを向いてしまう。


「じゃあ張りきって探索していこう!」

「あーうん。……行くか」

「今回ね! 今回ね! 右手法ってのを試してみたいの!」

「右手法?」

「そうそう! どんな迷路でも攻略できるやつ!」

「それって出口見つけるやつじゃないか?」

「……? そうだっけ?」

「ああ。だから右手側に接してない壁をもつ空間の探索に意味はないが……」

「ええと……ああ……こんな感じで円の中に部屋があったら確認できないってこと?」

「そういうことだ」


 遥は手で円を作りながら言ってきた。理解力が高くて助かる。


「まあ、とはいってもそんな入り組んでるとも思えないしそれで行ってみるか。もしそれっぽいところがあったら入ってけばいいし」

「そうだね!」


 とりあえず遥の意見に従ってみることにした。

 きらりと瞳が光り景色を取り込む。

 だが、もうそこには鏡のような無機質な輝きは無かった。未知に挑む純粋な知的好奇心があった。遥はこれから何を見て、何を学んでいくのだろうか? その終着点は? 俺にはわからない。

 それでも俺は遥に未来を賭けてみたいと思ってしまった。

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