四十四話 <とおりあめ参>

 雨が降っている。ざあざあと小気味よく、それでいて胡乱げだ。今日の雨は薄い話をぺらぺらとしている詐欺師を彷彿とさせる。


「やあーやあー彼方くんー。ひさしぶりー」

「ひさしぶりって……まだ二日しか経っていないじゃないですか」

「そうだっけ? もっと日にちたっている思っていたよー」


 そんな雨の中俺はリサさんのもとにやってきた。


「そりゃあ、まあ、ずっと呑んでは寝て呑んでは寝てを繰り返していたんすよね? だったら体内時計が狂ってもおかしくないのでは?」

「んんーそうかも? そうかも。まあ、この道何十年なんだけど……」

「そんなことにプライド持たないでください」


 妙なところで妙な意地を張るのがリサさんだ。リサさんにとって飲酒とはどれほどの価値のある言葉になっているのだろうか?


「というか……また呑んでる量増やしていません?」

「あ。ばれたー?」

「いや……ほんと……隙あれば呑もうとしますね……」

「えへへー」

「あー、もうやだこの人何がえへへーだ……」

「えへへーはえへへーだよー」


 二十代後半で「えへへー」はきついのでは? 否。不思議と全くきつくない。というよりもぶっちゃけただただかわいらしい。

 美形というだけで許してしまいそうになる己の意思の弱さが悩ましい。どうして未来人はいちいち憎めないやつばっかりなのだ。


「はぁ……司さんはどうやってこの人を制御していたんだ……」

「制御……? 違うわ! 司が私にメロメロだったのよ!」

「今日は全力全開ですけど大丈夫ですか? 変な物食べました?」

「べっつにー……私は私よ?」

「ああー変なもの食べたというか呑みすぎたのか……」


 なんとなく現状を理解してきた。この酒呑み妖怪はどうやら呑みすぎてザ・絡みタイムに突入しているらしい。とりあえず酒を取りあげる。


「あー! 返して! 返して!」

「いや……絶対呑みすぎっすよ。大人なんですからちゃんと制御してください……」

「うー、酷いー。断固として拒否するー」


 そう言いながら腕をばたつかせる。こうやってみると五歳児くらいにしか見えない。……本当にコレで一児の母と言っていいのか?


「諦めてください。それに俺を今日ここに読んだのはリサさんでしょ」

「ああーそうだっけ?」

「そうですよ。なんかわざわざ手紙なんて書いて」

「ふーん……そんなこともあったかもねぇー……」

「ええありましたよ。これです」


 そう言いながら一枚の紙きれを見せつける。そこには『部屋に来て』と一文だけ書いてあった。


「……書いた、かも?」

「書いたんですよ?」

「書いたの?」

「書いたんですよ」

「書いたんだ」

「はい」


 へらーっと笑いながら小首をかしげる。遥と同じ仕草だ。


「それに手紙としても形式が全くなって無いんですよ。せめて差出人の名前くらい書いておいてください」

「必要なの?」

「名前が無かったんで最初は遥に聞きました」

「あー」

「そして知らないよって言ってたので消去法でリサだとわかりました」

「そっかごめんごめん。確かに必要かも。あんまり意識していなかった」

「やっぱりリサさんのでしたか……」

「人に手紙書くのって初めてだからねー。よく考えていなかったよー」


 やはりリサさんが書いた手紙のようだ。手紙なんてリサさんのイメージに合っていなかったので驚いた。というか約束事というもの自体が嫌いなイメージがあった。


「んで、なんの用ですか?」

「んんー……ええとどうだろうなぁ……あっ『人工冬眠』についてとか?」

「……それ一昨日ぐらいに話しましたよね?」

「そうだっけ? あははー……」

「リサさんが忘れるわけが無いでしょう。記憶力だけは抜群にいいんですから……まあ、いいですよ、進展は特にありません」


 だいたい一週間前くらいに俺たちは謎の筒を見つけた。状況証拠から考えて人工冬眠機なのはまちがいない。

 最後の抵抗として色々調べてみたりもしたのだが、結局でた結論は人工冬眠機だった。なにせご丁寧にcold-sleepなんて書いてあったのだ。あまりにもわかりやすすぎる証拠で少し凹んだ。


「じゃあアレが人工冬眠のための物で間違いないと」

「ですね」

「でも未来になるまでどうやって保管されていたのかは全くわからないと?」

「そうっす」

「ついでにどうして彼方くんなのかもわからないと?」

「……ですねぇ」

「もうー。彼方は本当ににちゃんと調べているのー?」

「最低でもあんたよりはちゃんと調べている」


 リサさんに成果を疑われたためついムキになってしまった。最低でもこの怠惰の塊よりは頑張っている。もっともこの人が本気で調べ物をすれば俺の何十倍の速度で進捗を出すのだろうが……。


「リサさん的にはどう思います?」

「んんー……というと?」

「なんというか……あまりにも空想的というか、そんな過去からずっと人工冬眠をして未来に来たなんて信じられないんですけど……」

「そうだねぇ……でもそれしかないからねぇー」


 リサさんとしてはやはり遥と同じ気持ちのようだ。この適応力の高さは彼女達特有の常識の希薄さが由縁なのかもしれない。

 もう、あと一年で海に沈む。そして死ぬ。

 そんな世界に生まれた時からずっといるのだ。もう不条理な超常現象なんて飽きているのかもしれない。


「本当にそれしかないからねー」


 もう一度リサさんは同じことを呟いた。そこには先ほどとは別の感情があるようにも見える。


「リサさん」

「ん?」

「何か焦っていません?」

「え。焦っている?」


 ここ数週間の間、明らかにリサさんの様子はおかしかった。リサさんからの会話の誘いに海に付いてくるというありえない行動。

 そして増える飲酒の量と雨の日数。

 リサさんは明らかに何か……わからないが胸に一物を抱えていた。


「はい。なんか良くわからないんですけど……リサさんらしくないことが多いような気がして……」

「私、らしく、無いかー……」


 呑みかけのコップをそっと置く。伏せた目は俺から直接見ることはできない。

 しかしたとえ見えなくても彼女の瞳が感情を示さないわけではない。水面にゆらりゆらりと反射する双眸が虚ろに映る。

 目が合った。そんな気がした。

 そしてリサさんは口を開き、


「私らしいって何かなー?」


 とつぶやいた。


「私。最近いろんなことを考えるようになったの。塔のこと、彼方のこと……遥のこと。遥って最近変わっているじゃない?」

「ええそうですね」

「でもその変化って変化じゃないんでしょ? 私の変化は私らしくないのにさー」

「……っ!」


 首をゆったりと曲げて正面を向く。それに合わせて目がこちらを向いた。その瞳に俺は映っていなかった。もっともっと遠くの何かを見ていた。


「私には遥が何にそんなに喜んでいるかわからないの。なんで遥は本を読んで、新しいものを見つけて喜ぶの? どうせあと一年でみんな死んじゃうのに」

「それは……きっと遥にとって本能的な物で……」

「じゃあ、それに興味が出ない私は本能が欠如しているのかしら?」

「別にそこまで攻撃的なことをいっているつもりじゃあないです」

「ふーん……まあ、べつにどうでもいいんだけどねー」


 そう言いながら不機嫌そうにこちらを睨む。今まで見てきた中で一番不機嫌だ。いつもだらけながらマイペースに生きてきた人だ。人と自分を比べるなんてことをするとは思っていなかった。


「それに彼方も彼方だよー。人工冬眠機なんて調べてどうするの?」

「どうするって……」

「べつにそれは過去に戻るものでは無いでしょー。調べても意味ないはずよ」

「だとしても何かしらの生きる方法が見つかるかもしれないじゃないですか!?」

「無駄よ。生き残る手段なんてー。冷静に考えて見なよー」

「な、なにがですか」

「たった三人で生き延びてそのあとどうする気なの? どのみち人類滅亡がちょっと遅くなるだけじゃない」

「……」

「私には彼方が不思議にしか見えないわ。だってあまりにも無意味でしょう?」


 そう言いながらリサさんは口に酒を含んだ。俺は何か言おうとしたが言葉が出なかった。全く持って正論だったからだ。

 このまま生き延びても何も意味が無い。

 そうだ。このまま生きてどうする気なのか? この変わり映えの無い世界でよぼよぼのおじいちゃんになるまで生きればいいのか? 子孫を残さなければ俺たちの代でどのみち人類滅亡だ。じゃあ子孫でも残すか? じゃあ次の世代で滅亡するかもな。そうじゃないにしてもその次は? 次は? 次は? ……。

 だとしたら、俺の人生の意味はなんだったんだ。


「じゃあ……」

「……?」

「リサさんの人生は無意味じゃないんですか?」


 結局出たのはそんな八つ当たりじみた言葉だった。


「んんーどうなんだろ? 私の人生? ねえねえ無意味って意味がないってことよね?」

「ええ、まあ」

「そっかー……私の生きる意味……かぁ」


 リサさんは一度口をつぐんだ。

 そうしてから泣き笑いのような表情で。


「わからないや」


 冷たい。これは拒絶の感情だ。リサさんは自分の内側に入り込まれるのを拒否している。


「私もね。最近ちょうど同じようなことを考えていたの。いろんなことの意味。でも結局よくわからなかったんだ」


 ずっと同じところを回り続けていたのだろう。

 俺はリサさんの暗い思考に気が付くことができなかった。気が付くことができていなかったからこんな無遠慮な言葉を投げることができた。俺は今リサさんを傷つけている。


「それでも良かったら、今度までに考えてきてあげるよー」


 リサさんは自嘲気味に言った。それは俺の知っている範囲の語彙では空元気に相当するものだった。


「リサさん」

「なーにー?」

「……何でもないです」


 俺の考えなしに言った言葉はリサさんの心に土足で入ってしまったのだ。また俺は人を傷つけた。罪悪感で死にたくなる。

 居心地の悪い沈黙が流れる。

 夜はまだ終わらない。そんなに早く終わるなら人々は夜を恐れることは無かったから。

 雨はやまない。それはきっとリサさんが望んでいないから。

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