四十三話 辻褄

 雨宮優。

 俺の名前だ。複雑な家庭事情のせいで苗字がころころと変わる可能性もあったのだが結局変わらなかった。久しぶりに聞く言葉だ。思い出せない言葉を思い出したので感慨深くはあるのだがそれ以上の感情は特に無い。


「……これは、意識を失っていたな」


 ベッドに横たわる自分を見て冷静にそう思う。意識が喪失するなんて重大イベントは人生で普通は数回ぐらいしか起きないと思うのだが、俺はもう何度も経験している。なのでだいたい現状は理解することが出来た。

 ゆっくりと手足を伸ばす。関節の具合から見るに長い間眠っていたわけでもなさそうだ。


「あ、起きた?」

「ああ、どうも。よく寝たな」


 声が聞こえたのでそっちの方向を見ると遥がいた。遥は地べたにちょこんと体育座りをしている。スカートの裾から見える足が悩ましい。

 遥の横に積まれた大量の本から察するにここは彼女の部屋だ。どの部屋も基本的にはベッドがあるだけなので判別がつきにくいのだ。


「もー。また彼方くんびっくりしたよ!」

「まったくだ。俺もいろいろ驚いている。……まあ、たぶん遥とは違う意味なんだが」


 遥は俺が突然気を失ったことを言っているのだろうが、俺は自分の名前が書かれていたことの方が気になる。


「俺をどうやってここに? ロボット?」

「ん。そうだよー」


 カラッと乾いた服をつまみながら聞くとそう答えられた。


「なんだか最初のことを思い出すな……あの時も海から引き揚げられたしいし」

「そうだねー」


 そういえばあの時も服は乾いていたな。ロボットは着替えまでやってくれるのだろうか? あまり考えたことが無かった。


「なあ。遥?」

「なぁに?」

「この服ってどうしたの?」


 別に深い意味のない単純な疑問だった。ロボットがあの細い腕でどうやって着替えをさせていたのか気になっただけだった。


「……遥?」

「……」

「え、なんで顔を隠していらっしゃるのですか?」


 遥は読んでいた本でそのまま顔を隠した。麦わら帽子も相まってほとんど見えない。ただ、妙に赤くなった耳が不安を誘った。


「あの……もしかして……」

「違うの!」

「ええ……」


 俺との距離を取るように手を伸ばして本を押し付けてくる。そこには痴人の愛とか書いてある本があった。よくわからないが純文学の気がする。


「リサちゃんがこのままだと彼方くんが冷えちゃうねっていうから仕方なくやっただけだし、本当にそれだけだし、えっと、その……」

「ロボットに着替えさせる機能は無いのか?」

「あ……うん……」

「無いの?」

「ええと……その……たぶんできます……」


 伸ばしていた腕をへなへなと下ろす。頭から湯気が出ているようだ。どうやらすごく恥ずかしいようだ。

 まあ、俺も勝手に着替えをされたと思うと恥ずか……あ、本当に恥ずかしいやつだ。強がってみようとしたのだが水着から普段の服に着替えさせられたのだ。そっとズボンの中を見る。カラッと乾いたパンツがあった。


「お、おう、その……ありがとな?」

「うん……? どういたしまして?」


 微妙な返事をしてしまう。そうしてお互い目を合わせて背ける。気恥しい。

 彼女と目が合っていない間に俺は少し考え事をした。前に遥が水着に着替えた時も『恥ずかしがっていた』という事実についてだ。

 恥ずかしい。

 この言葉は今までの遥には間違いなく存在しなかった反応だ。遥がこの短期間で何かしらの……そのなんというか……異性に対する興味と言うのを理解しているのは間違いない。


 今まで全く異性という存在がいなかったのに突然俺が現れて、さらに第九地区の情報まで追加された。急速にいろんなものをインプットしているのだろう。その中で、俺の体にも興味を……あ……やっべぇ……すごい恥ずかしいな。

 単純に異性の身体に対する興味があっただけで俺に対しての興味ではないのはわかっている。なのにめちゃくちゃ恥ずかしい。

 というか刺激が強すぎる。やめてほしい。


「あー……その遥さん?」

「え! あっ! はい!」

「その……もうそのことについて何か言うことは無いからさ……あの人工冬眠のアレについて話したいんだけど……」

「あ……そうそう! 私も私も!」


 強制的に話の転換をおこなう。この微妙な空気の中でじっとしているのも辛いし、実際あの謎の円筒についても気になっていたのだ。


「ねえねえ彼方くん。あれって彼方くんの時代の物なの?」

「……わからない」

「わからない?」

「ああ。そもそも俺の時代に人工冬眠なんて技術が確立したとは聞いていないし、なにより液化現象に耐えれる物体を作れたとは思えない」

「だよねー。私も彼方くんが起きるまで調べたけどそう思う」


 遥も気にして調べてくれたそうだ。遥が真面目に調べて俺と同じ結論ならばきっと違いはないだろう。


「というかなんかぼろぼろだったよな? なんで劣化しているんだ?」

「私、『劣化』っていう現象初めて目で見たよー」

「確かにお前が知っているのは劣化の前に液化だもんな」

「まあねー」


 微妙に劣化していたこと自体がまずおかしい。何千年という時間の長さを舐めてはいけない。さらに液化現象とかいう数か月で金属の塊を気化させる現象まであるのだ。残っているはずがない。


「もうわけわかんないことしかないな……なんなんだよあれ……」

「彼方くん彼方くん。わからないこと繋がりだとアレは? 調べても特に何も出てこないんだけど……」

「アレ?」

「雨宮優」

「あー……」


 俺はもうすっかり思い出した言葉だったが、遥にとっては聞きなじみのない初めての言葉か。


「たぶんそれ、俺の名前」

「……え! 彼方くんの!?」

「そ」


 遥は予想通りに驚いていた。まあ、無理はない。もともとはずっとお客さんと呼んでいてそれから彼方に変わったのだ。

 まあ、遥にとってみれば現存する他人=俺なので、俺の固有名詞にどれほどの価値があるかはわからないが……。


「あれ見た時に直感的にだけどわかったんだ。俺は昔はああやって呼ばれていた」

「……そうなんだ」


 不思議と馴染む言葉だ。やはり十数年呼ばれてきた名前はそれなりに愛着があるらしい。


「か……えっと……その、彼方くん彼方くん」

「ん?」

「私……優って読んだ方がいいかな?」

「まあ、確かにもともとその名前だったしな」

「そうだよね……うん。そうだね……」


 遥がそっと目を伏せる。その瞳には落胆の感情がはっきりと表れていた。どうやら凹んでいるらしい。


「あー……でも名前だろ? 好きに呼べばいいんじゃないのか?」

「……ほんと?」

「ほんと」

「ほんとにほんと?」

「ほんとにほんと」

「……やったー!」


 瞳がキラリと光を取り込み喜色をあらわす。名前ごときにそこまで執着は無いのだが、ここまで喜ぶとは意外だった。そんなに喜ぶなら適当に呼んでくれていい。


「……そんなに名前って重要か?」

「重要? どうだろ? でも私はうれしいよ」

「なんだそれ」


 気の抜けた回答をされてちょっと笑ってしまう。遥の自分の感情をストレートにぶつける話し方にも少しは慣れたのかもしれない。

 裏表が無いのはそれだけで美徳だ。


「なんだそれって言われても……なんでだろね? なんか彼方くんって呼びたくて……」

「いや、俺に聞くなよ」

「彼方くんだって私が遥以外の名前になったら嫌でしょ」

「別にそうでも……無いかな……?」

「えー! だって、遥と彼方でセットなんだよ!」

「……ああ。確かにそうか」

「そうだよ!」


 忘れていた。そうだ。

 この名前はリサさんが遥とセットに考えてくれた名前なんだ。そして遥からしてみると俺と遥の関係をあらわす初めての言葉なのだろう。


「……うん。遥はやっぱり遥だな」

「ん? 私は私だよ?」


 彼女にとって今まで起きたことは一つ一つが宝物なのだろう。その純粋さが尊くて妬ましくて痛ましい。

 彼女にとっての特別を俺なんかが作っているのが申し訳ない。


「まあ、仕方ないか……。ところであの人工冬眠機械はどうしたんだ?」

「彼方くんが倒れちゃったからそのまま置いてきたけど?」

「そっか、もう少し真剣に調べたいんだけどな……」

「じゃあロボットに持ってきてもらう?」

「そもそもアレって動かせるのか?」

「さあ? とりあえずお願いだけでもしてみるけど?」

「もう一回行くのも面倒だしな……頼む」

「わかったー」


 そう言うと祈るように目を閉じた。そして少しすると目を開けて「終わったよ」という。


「やっぱりチップって便利だな」

「そうだねー。彼方くんも埋める?」

「……怖いからいいや」

「もー……臆病ね」


 臆病も何も倫理観の違いだろう。彼女にとってみれば物心つく頃からついているので内蔵や器官の一部のような認識なのかもしれない。

 というか故障の時にはどうやって対応しているのだろうか? というか故障するのか?


「……はあ。というかわからないことだらけの未来に来たって言うのにさらに意味不明なことが増えるのか」

「彼方くんには意味不明なの?」

「ああ。今までも意味不明だったしこれからも意味不明だ」

「意味不明……意味不明……そうかな?」

「……と、いうと?」


 遥がきょとんと首を曲げている。無垢な瞳が俺の中を覗くようにじっと見ている。そこには何をわかりきったことをという呆れに近い感情を感じた。


「あそこに書かれていた言葉って彼方くんの名前なんだよね?」

「そうだな」

「彼方くんが未来にくる方法は人工冬眠しか無いんだよね?」

「まあ、それも現実的とは言えないけどな」

「じゃあ、彼方くんがあの筒に入って人工冬眠してきたんじゃないの?」


 本当に不思議そうに首を曲げている。遥にとってはあれで十分な回答のようだ。


「いやいや待てよ。そもそも人工冬眠の技術は確立されていないって……」

「されていたんじゃないの?」

「じゃあ液化は……」

「たまたま液化しなかったんじゃない? 見た感じ劣化はしていたよ?」

「じゃあずっとあそこにあったんだよな? ならどうして誰も気がつかなかったんだ!?」

「よくわからないけど偶然じゃない?」

「そんなバカなことが……」


 俺の疑問点は全部偶然だと言われた。本当にそんなバカげたことがあるのか? 理論がめちゃくちゃじゃないか?


「……じゃあどうして俺なんだ?」

「彼方くんがどうして人工冬眠していたかって?」

「そうだ。結局のところそんな技術があって、ありえない偶然が重なったとしても俺じゃなきゃいけない理由が無い」

「んんーどうなんだろ?」


 遥が腕を組み悩む。そうして珍しく考え込んだ。彼女達の脳みそは俺達平成原人とは比べ物にならないほど磨かれている。なのでわからない時にはわからないという結論が最速で出るのだ。つまり悩むという行為自体が珍しい。


「彼方くんじゃないとダメな理由があるんじゃない?」

「俺じゃないとダメな理由が?」

「そうだねー……」


 そうして出た結論はまたふわふわとしたものだった。

 まるで並び順の間違えた紙芝居の辻褄をどうにか合わせているようだ。あまりにも酷い発想に辟易する。


「それってなんだよ」

「私は知らないけど?」

「だよなー……」


 そんな会話で人工冬眠機械についての話は終わった。

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