四十一話 違和感
彼女達が角を曲がったのをちゃんと確認してから俺も着替えを始める。俺の着替えシーンとかは別に需要が無いのでどうでもいい。それよりももっと重要なことがあった。
それは最近の遥の変化だ。
情緒が明らかになってきた……といえばいいのだろうか? 実際のところ良くわからない。
好きなことが増えたのは間違いないのだが、それも適切な言葉ではないような気がする。個人的には自己の確立という言葉がしっくりきている。
自己——今までに確立していなかったのが異常なだけの気もするのだが、とにかく彼女は外界に対して自分と他者を分ける必要が無かった。自分という記号を発信する必要が無かったのだ。
それが俺の存在や、第九地区の莫大な情報を得たことで再編されつつあるのだろう。過去の人々の生活にみずからを投影することで疑似的にコミュニケーションをとっているのかもしれない。
その結果がこれだ。他者を認識することは自己の認識に繋がるようだ。
……ああーあれかな? 海外に出ることでもっと日本のことがわかるようになった的な? 違うか?
とりあえず比較のためには比較対象が必要だったのだ。最近の成長が目まぐるしいのは俺以外のサンプル数が増えたのが原因かもしれない。
——このまま彼女はただの人間になるのか?
なんだか、そう思うと急に悲しくなった。彼女の人生は間違いなく彼女のものだし、『幸せ』に楽しく生きる権利も同様に彼女のものだ。それなのに俺が彼女に何かを望むのはあまりにも身勝手にも思えた。
気持ちが悪い。俺が俺にしかなれないように彼女も彼女にしかなれない。彼女の変化を恐れているのは臆病者としか言いようが無かった。
まだ根に持っているの? と声が聞こえた。
根に持ってるなんてそんなそんな。俺は俺にとって最良の選択肢をとることしか生き方を知らないだけで、あなたは俺にとっての最良になれなかっただけだ。そこに俺の責任はあれどあなたの責任なんてものは無い。つまりあなたに対しての感情は申し訳なさはあったとしても責任追及のような他罰的なものではないのだ。
『■■』■■■? そうか『■■』かぁ。『■■』に、なりたかったなぁ。
そうだ。彼女なら『■■』になれるのだろうか? このまま俺は彼女の『■■』を祈るべきなのかな? 俺は俺にしかなれなかったが彼女は彼女以外の何かに変われるのだ。
まだ無垢の。なにも知らない少女が知識を得て羽ばたく。知識とは飛び立つための推進力で世界に存在する唯一の羅針盤だ。
あーでもなんだ? なんだっけ?
太陽を目指して飛んで蝋の翼を溶かされた英雄なんていったけ?
よく思い出せない。夏の太陽光が目に刺さり、くらくらする。
そんな蜃気楼の中で落ちていく英雄を幻視した。確か、彼が落ちた海はそのままイカロス海なんてよばれているらしい。
彼は『■■』だったのだろうか? 神の怒りに触れながらも目指したものはそんなに崇高なものだったのだろうか? それともただの驕り高ぶりか。
俺の意見としては、それでもやはり彼女の『■■』——『幸せ』を祈りたい。今のままでも彼女は十分に『幸せ』だということは理解している。理解しているからこそ自分以外の別の姿に羽化しようとしている彼女に、俺は希望と失望を勝手に抱いている。
どんな結果になろうとも俺は俺の整合性を保てなくなるのだろう。
彼女がもし変化した先で『幸せ』になったのなら、この穏やかな未来の世界に『幸せ』を見出した自分を俺は否定することになる。もしも彼女が『幸せ』ではなくなったのならば、その時は『幸せ』の理想形を破壊した罪人として俺は一生許されない。
……結局こうなるのだ。遥には振り回されてばかりだ。もう好き勝手させてしまえ。
きっと俺にとって彼女の変化はジレンマなのだ。
変化をさせなければいい? 知識を与えないで縛り付ければいい? もうそうするには遅すぎる。歯車はかみ合い平行線は歪んだのだ。
どうして歪んだのか? それは俺の存在だ。俺がこの世界に来たせいでこんなはめになっている。そこから選択肢を選んだのは遥の意思だ。ならば俺は選択肢を作った責任を取らなければいけない。
この世界での正義は彼女の意思だ。そして俺には遥の意思の責任を持つ義務がある。最後まで見届けなければいけない。
ただ、変わっていく遥にわくわくしている自分がいることも否定はできなかった。
†
「んー着替えたよー」
「リサさん。おかえりなさい」
そんなことを無駄に考えていると、着替えを終えた彼女達がやってきた。リサさんを先頭に遥がついてきている。
反射的に、さっきの遥を思い出して少し恥ずかしく思った。こっそりと覗くように確認をする。彼女の表情に目立った異常はない。見間違いか何かだったのだろうか……?
「ねーねー。彼方ー」
「なんすか、リサさん」
「さっきまで遥がすっごい恥ずかしがっていたけどなんかあったのー?」
「ちょっと! リサちゃん‼」
「あ。やっぱり見間違いじゃなかったのか」
リサさんの言葉に遥が声をあげた。どうやら実際には恥ずかしいのを我慢していたようだ。
「その……えっと、彼方くん?」
「うっ……」
リサさんの裏に隠れて半身だけを見せる。そこから心配そうな声で俺の様子をうかがっている。
なんだこの無駄にかわいい小動物は……そして無駄になんかその……エロいな……。どっかの誰かもエロは恥じらいに宿るとか言ってたっけ……?
「私……あの……変じゃない?」
「え?」
「だって、ほら。あの……彼方くんは過去に私以外の女の子もたくさん知っているんでしょ?」
「……あー」
どうやら過去の知識を得たことによって、自分以外の人と比較されるという可能性を考えるようになったようだった。遥は俺以外の男性の存在を司さんしか知らないわけだが、俺は過去に多くの異性と出会っているわけだからだ。
……だが、その言い方はなんか嫌だな。まるで俺が女遊びをしまくったチャラ男みたいな言い方じゃないか。きっと遥に悪気はないんだろうなぁ。
「なんか微妙に風評被害な言い方されている気もするが、たぶん遥が心配することは何もないぞ」
「……本当?」
「実際、過去の人達を見ても明らかだろ。遥が世界で一番かわいい」
見当違いなところで妙な恥じらいを持ったようだった。この人類史において遥が一番かわいいことは間違いないのだ。あらゆる才能の頂点に立つ原石。いまさら何を恥じることがあろうか?
「わ、私が一番かわいい……」
だがそんな俺の発言にさらに遥は顔を赤くした。せっかく悩んでるところにフォローをしたのに悪化した。なぜだ? その様子を不思議に思って自分の発言を振り返る。
『世界で一番かわいい』
あれ? 俺結構大胆なこと言ってない? 世界で一番かわいいことだけは間違いない事実なのだがもはやラブコールでは?
というよりもなんだその反応は。
今までなら『私が一番かわいい!? やったー‼』だろ。急にしおらしくなるな。頬を染めるな。調子が狂うだろ。
「……あ。えーあー」
どうしようか。何を言おうか。困った。
「えー! 私が一番じゃないのー? ねーねーねー!」
「……いや。あんたはなんで娘に対抗しているんですか」
そこにリサさんがなぜか割り込んできた。妙に甘酸っぱい青春模様の空気にはこれ以上耐えられなかったので正直助かる。……まあ、娘に張り合うなとも言いたいのだが。
「じゃあ、リサさんは二番目でいいですよ。はい! この話は終わり!」
「私が一番が良かったのになぁー」
「あー。はいはい」
適当に受け流しながら遥の方は努めて見ないようにする。彼女がもしもまだ赤面をしていたのならば俺もそれにつられてしまいそうだったからだ。
「というか話を戻しましょうよ。今日の目的ですよ」
「目的? まずは彼方が見つかった所だっけ? どうやって行くのー?」
少々雑な話題振りだが強制的に話を変える。
このまま素敵な恥ずかし青春トークをできるほど俺は陽の光に当たる者では無い。どちらかというと日陰者。結局俺はジメジメとしたところで手の届く範囲で生きてけばいいのだ……。
「まあまあ。アレを使います」
「アレ?」
「前にも話したかもしれないんですけど……遥! 用意!」
「え。あ、はいっ!」
俺が言うと同時か、いや、それよりも先に遥は準備していた錠剤を取り出した。
突然の呼びかけに驚いていたようだったのにもかかわらずこの反応速度。……これは世界を狙えるな。
「……お薬?」
「そうだよ! お薬! 飲むタイプの!」
「ああー。アレねー」
どうやら思い出したようだ。話したのは少し前だった気もするが覚えていることにいまさら驚きはしない。
青色の謎の錠剤だ。光を中で複雑に乱反射させており、発光をしていないはずなのに淡く光っているように見える。光る細かい粒子が液体の中でゆらゆらと浮いていて、軽く振るたびに光は別の表情に変わった。そんな妙に神秘的な小粒の塊がほっそりとした彼女の手のひらに乗っかっていた。
「飲むと水の中でも呼吸ができるんだっけー?」
「そうだよ! すごいよね!」
「んんー……? 確かに?」
リサさんと遥の温度差が大きい。
お散歩ガチ勢の遥にとって行ける範囲が広がるのは福音でしか無かったのだろう。それに比べてあのアル中はアルコールがあれば良い。どうせ海の底なんて、酒さえあればいつでも行けるのだから。
「だいたい効力は一日あるっぽいですね」
「ふーん。切れたら死んじゃうの?」
「そうでもないよ! ちょっと息苦しくなるだけ。だいたい一週間ぐらいはだいたい大丈夫なんじゃないかなぁ……」
さすが未来の道具だけあって無駄に効力が強い。あいかわらず原理はわからない。
そして性質もいつもの通りでたらめだ。まず口に入れるとするりと溶けるのだが水に入れても溶けることはない。この時点で錠剤の性質を無視している。そしてこれは飲み込む必要も無い。口の中で溶けて終わりだ。もう薬でも何でもない。
説明としては薬というよりもナノマシンの集合体らしい。それが口を入れたことをキーに分散して水中でも快適に生活できるように世話してくれるようだ。……もうどうにでもなれ。
ちなみに似たような性質のものは他にも多くある。というよりも塔の持つ保護システム自体がナノマシンの集合のようだ。
「ふーん……まあ、よくわかんないけど行ってみるかー」
「うん! うん! 行ってみよう!」
乗り気なのか乗り気じゃないのかいまいちわからないリサさんと、ずっと前向きな遥を横目に見る。いつもの二人。違和感なんて無いはずだ。
そのはずなのにもかかわらず何か妙な空気を感じる。なんだろうか。
しばらく考えてもわからない。
そもそもリサさんがここにいるのが妙だったことを思い出して、俺は錠剤を口に入れた。
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