四十話 恥じらい

 今にもスキップしだしそうな上機嫌で歩く遥。これから海へと向かうのだ。いつものようにポッドの方へと歩いていく。


「それにしても『工業地区』ねぇー……」


 ただ、いつもと違うところが一つだけあった。俺のとなりでユラユラと歩いているリサさんだ。

 遥に連れられて海へ行こうとしていた時にたまたまリサさんと出くわしたのだ。そこで海に行くという話をすると、首を何度か傾けた後に「私も行くー」と言ってついてきたのだ。出不精のリサさんには珍しい。

 リサさんが口を開く。


「なんかいろんなものが作れるすごい所だっけー?」

「はい。前に海神教の話があった時からあるんじゃないかなって思っていました」

「……?」


 海神教。世界崩壊の運命が決まった時に発生した狂信によるパンデミックだ。その時に多くの人が海へと消えてしまったらしい。じゃあこれでどうして『工業地区』なんて呼ばれるものがあったか予想がついたのか言おうと口を開いた時だった。


「ああ。そうかー。船だねー」

「……そういうことですね」


 さすが。頭の回転が速い。


「うんうん。確かにどうやったら大勢の人が乗るような大きな船ができるのか気にしていたもんねー」


 前に話していたことを思い出したらしい。俺の話から予想をしたというよりは記憶を辿って思い出したような反応だ。普通はそんな速度で記憶の精査をできるはずがないのだ。それを簡単にやってのけるあたり、さすが未来人だなと思った。


「ふーん。じゃあ他にもいろんなものが作れるのかなぁー?」

「まあ、存在したらという前提ですけどね。実際どうなるかまではわからないです」

「そっかー」


 そう聞くとリサさんは一度言葉を止めて首を捻った。そして俺に聞いてきた。


「じゃあ……蝶もそこで作られたのかな? あれも普通には作れないよね?」

「……そうだと思うんですけどね」

「違うのー?」


 蝶については真っ先に調べたことだ。この世界にいる俺たち以外の生き物。生き物は液化しないのだから、人が住める大きなクジラみたいなものを作れば生きていくことができる。

 だが、調べても調べても『作った』という結果が残っているだけで誰がどうやって作ったのかがわからなかったのだ。遥にもお願いして徹底的に調べたのだから間違いが無い。


「あの蝶は結局なんなんですか?」

「さあー? 私に聞かれてもー?」


 リサさんに聞いてみるが答えは微妙だ。まあ、当然と言えば当然だろう。遥に聞いた方が何かわかるかもしれない。


「遥」

「んんー」


 リズムを刻みながら何かを歌っていた遥が振り返る。あいかわらずの美声だ。


「蝶いるじゃん。蝶」

「うん。いるね」

「あれって何かわかったか?」

「知らなーい」

「だよなぁ」


 本を読み始めて何か進展があったのかという意味で聞いたのだがやはり駄目なようだ。予想はなんとなくついていた。


「えー……蝶ねえ……なんかあったかなー。あ。『プシューケー』?」


 遥が小さく呟いた。


「……何?」

「プシューケー。ギリシャ神話に出てくるとっても綺麗な女の子」


 蝶の羽のようにひらひらとスカートを揺らしながら彼女は続ける。


「古代ギリシャ語で心と魂、そして蝶の意味をしているよ」

「心と……魂?」

「そ。魂」


 ガラス玉のような透明度の瞳が俺を見ていた。薄いガラスの向こうから俺を眺めているみたいだった。


「ギリシャ神話だけじゃないよ? 日本でも蝶になって帰ってくるって考え方があるし、キリスト教では復活の意味を持つよ」

「……それがどうかしたのかよ」

「どうもしないけど昨日読んだの。参考になったかな?」


 またトテトテと速度を上げて前へ飛び出した。そこにはポッドがあった。どうやら乗るつもりらしい。

 魂。

 もしもあの蝶たちが魂だとしたら。

 ——この終わってしまった世界に残った信仰が霊魂だとしたら。

 ブルっと震える腕をつかむ。どうやら鳥肌がたっていたらしい。

 そういえば蝶を一番見かけるのは夕方だけど、夕方は逢魔が時なんて言われていたっけ?



 †



 『工業地区』

 存在は予感してはいた。正確には大きな物体を作ることができる3Dプリンターの存在だ。

 まあ、本当にそれがあったのかまではわからない。わかりやすいように便宜上そうやって呼んでいるだけだ。

 ただ、西暦五九二〇年にコアがメルトダウンした結果、海神教が勢力を伸ばして多くの人々が海に消えたことだけは間違いがない。つまりそれだけ多くの人々が乗れる船が存在したのだ。


 そうなると大きな船を造ることができる場所が存在してないとおかしいのだ。ここに俺は目をつけてこの塔の地図をよく見てみた。

 塔の全体の地図――こんな簡単なものでさえ、今までは持っていなかったのだ。まさに、第九地区の石のおかげである。あの発見はこんな形でも俺たちを助けてくれた。


 そして……よく地図を確認をしたところ一つの結論が出た。

 それは第一地区に妙な空白があることだ。

 そもそも第一地区は他の地区に比べても明らかに面積が広い。基本的に地区が下がれば下がるほど面積が広がるのだが、それにしても面積の違いは明らかであった。そんな地区で説明のない地帯を二つ見つけた。明らかに怪しい。


 そのことから俺はこのどちらかが探していた工業地区なのではないのかとあたりをつけた。この地図は人類の歴史である第九地区で発見したものだ。そこでもあえて空白にされているとなると多少好奇心も沸いている。


 ――それをみつけてどうするの?

 彼女の声だ。

 見つけてどうするのかといわれても困る。なんたって、そこで作ったものもどうせ液化することは目に見えているのだ。強いて言えばこの世界で生き延びることができる期間が少し長くなるぐらいのことだろうか?

 俺は数か月だけでもいいから長く生き延びたいのだろうか?

 わからない。知らない。

 それでも俺はこの世界で最善手を選ぶしかないのだ。


 そうやって考えているうちに目的地へついた。あいかわらずポッドは早い。物理法則をちゃんと守って欲しい。

 目的地は第四地区のはずれである。そう。はじっこの方だ。

 もう第五地区といっても過言では無いだろう。なぜそんな微妙なところにいるのか? それは足元を見ればわかる。


「もう、ここまで水が来ちゃっているんだねー」


 リサさんのやる気のない言葉の通りだ。もうここまで海が来ている。すなわち沈没しているのだ。

 沈没。

 この世界を破滅に導く最大の理由。液化現象。万物を塩水に変えて引きずり込む地獄の現象だ。

 本当にこの人は理解しているのだろうか? ここ数か月で一地区分沈んだのだ。しかもこれは加速度的に早くなっている。なぜこれを見ても平然としているのだろうか?


「そうだね。もうここまで来ちゃっているんだ……彼方くんを拾った場所、意外と遠いかも……」

「なーに? 『工業地区』だけが目的だったんじゃないの?」

「いやあ、まあそれも目的なんですけど……」


 リサさんは遥に「海に行こう!」と突然言われて連れ出されたぐらいなので今日の目的を知らないのもしかないのだ。

 俺は当然断るものだとばかり思っていたのだが、数秒考えたのちになぜか着いてきてくれたのだ。今考えても疑問の声しかない。リサさんはあいかわらず何を考えているのだろうか?


「一応確認するんですけど、俺のコールドスリープの可能性も確認に来たんでですよ?」

「コールドスリープ?」

「はい」


 そこで俺はコールドスリープについて軽く説明した。まあ、遥が横から口を出して説明してくれたので、俺が話すことは少なかったのだが……。

 というか遥は何でも知っているな。明らかに俺よりも詳しい気がする。科学的知見から補足説明をしてくれるのだから、勝ち目無いなぁとも思った。


「じゃあ、そのコールドスリープマシーン的なものが転がっているかもしれないと?」

「いや、無いと思いますけど……」

「でも君は他に方法は思いつくのー?」

「あー……」


 そこなのだ。結局、タイムスリップしたと考えるよりも、人口睡眠していると考える方がずっと健康的に理解できるのだ。これだけは間違いないことなのだ。


「無いと思いはするんですけど……反対意見は無いですからねぇ……というよりも思いつかない」

「ふーん……じゃあ肯定的なのー?」

「広義としては」


 結構微妙な言い回しになったが俺としてはそうとしか言いようがない。なんたって、コールドスリープなんてやったことがないんだ。


「もう! 彼方くんってばまたネガティブなことを言って!」


 ネガティブなことと言われても、俺個人として現実的な意見として聞いてほしかった。コールドスリープマシンが適当に放置されているよりはずっと現実味があると思うのだが……。


「ああーまあ、いいや。とりあえず俺が発見されたところを探索に行くんだろ?」

「まあ、そうだけど」


 なんとなくやり取りが面倒臭くなってつい声をあげてしまった。どのみち最初に第四地区を確認するのは違いないのだ。


「じゃあ、水着に着替えるか。遥も……リサさんも着替えてきてください」

「んんー……わかったー」


 返事が先にあったのはリサさんだ。先ほど適当に出力した水着を片手にどこかに消えていく。……あの人はもう二十代だよな? あの角の向こうで着替えるんだよな? その……屋外で? やはり恥じらいとかいう文化は無いんだろうか?

 あ……やべっ……鼻に熱い感情が……。

 待て。結局、興奮で鼻血がでるのは迷信だ。迷信……だよな? ならこの感覚はなんだ? もしかして俺は遥だけでなくリサさんにも欲情しているのか? いやリサさんは確かに綺麗だからな……じゃなくて、司さんのお嫁さんだぞ! 落ち着け落ち着け……。


「あれ? 遥?」

「あ。か、彼方くん? ……えへへ」


 俺が益体も無い考え事をしていると、遥が何故かまだここにいた。着替えには行かないのだろうか?

 彼女はよくわからない表情をしている。下唇を嚙み、頬を紅潮させて何かを言い淀んでいるようだ。俺にはその感情がよくわからなかった。


「ええと……遥?」

「……なんでもないの! なんでもないの!」


 遥がそう言いながら大きく手を振る。どこか必死な様子だった。


「ちょっと、そのぅ……やっぱり、水着になるんだなぁって思って」

「……? そりゃあ、海に入るからな。着替えないとべちゃべちゃになるぞ」

「そうなんだけど……あ……うん」


 水着の入った袋を強くつかんでいるのが見える。体調でも悪いんだろうか? 俺は心配になり半歩近づこうとした。その時だった。


「その……ちょっとだけど……恥ずかしいかなぁ……なんて?」


 小さく消え入るような声で言う。目が合った。潤んだ目がキラリと光り、彼女の感情を主張する。それは何の変哲もない黒色の光彩であった。


「……え? 恥ずか……」

「ううん! ええと……違うの! 大丈夫! 着替えてくるね!」


 唖然としてオウム返しをしそうになったのだが、彼女は大きな声でそれをさえぎった。そして麦わら帽子のつばを掴み顔を隠す。さらに彼女は逃げるように体を反転させてリサさんと同じ方向へ走って行った。


「……え?」


 ……遥が恥ずかしがった? マジ? 突然全裸になることにさえ抵抗のない無知シチュ少女の究極体みたいな彼女が?

 突然のことに脳がついていかない。それでも麦わら帽子に隠し切れなかった赤い頬と耳が、俺の目には焼き付いていた。

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