三十九話 コールドスリープ
「大丈夫?」
夢から覚める。視界一杯に遥の顔が広がっていた。瞳には寝ぼけた表情の俺が映っている。
「……何してんの?」
「彼方くんの顔見てた」
彼女の距離感がおかしいのは仕様なのだろうか? 彼女の知識は確実に増えているはずなのだがそれでもこれは治る様子は無かった。
眠気まなこを擦って周りを確認する。うず高く積まれた本と愛想のないベッド。遥の部屋だ。一緒に本を読んでいたのだがいつの間にか眠っていたらしい。体感的には二時間ほど眠っていた気がする。
「いやな夢でも見たの?」
「……夢?」
「うん。眠っている時に元気が無いのは良くない夢を見ている時だって本に書いてあったから」
手に『図でわかる! 夢占い辞典最新版』という雑誌と『夢から考察する行動心理学』というレポートを持ちながら言う。明らかに低級な雑誌と学術的に価値のありそうな文章を並べているのが遥らしかった。
「そうだな……夢を見ていたよ」
「良くない?」
「……知らないな」
悪夢とは言いたくなかった。悪夢に違いはないのだがそれでも俺が彼女らを否定してはいけないと思ったのだ。胸の傷が軋む。
「じゃあ、私が占ってあげよう!」
「その夢占いの本で?」
「うん!」
「ええ……信用できねぇ……」
遥は目を輝かせていた。俺を心配しているというよりも夢占いで得た知識を試したくて仕方ないようにみえる。その能天気さに少し救われた。
「大丈夫! 安心して! 絶対当てるから!」
「いや。占いってそんなクイズゲームかなにかだったか?」
「当たらない占いの方がいいの?」
「そうとは言っていないが……」
「もー。彼方くんは面倒な人だなぁ」
頬を膨らませながら文句を言う。表情とは裏腹に声は弾んでいるのだからじゃれあいと考えればいいのだろう。
「まあ……仕方ないか……夢占いって何をはじめにやるんだよ」
「んんとね、あ! 何が夢に出てきた?」
「あー何か。なんだっけな。満員電車?」
痛い。妙に頭が重たい。
夢を思い出そうとしたが何があったかはよく思い出せなかった。もう満員電車ぐらいしか覚えていない。満員電車は俺の中学時代の象徴だ。あまり気分の良いものではない。
「満員……電車……?」
「おう。そうだが……。え。ヤバいのこれ?」
遥が息をのむ。急に言葉を失うことに違和感を抱いた。なんだか夢占いなんてこれっぽちも信じていなかったのに気になってきた。
「ええと。ヤバいっていうか……その……」
「その?」
「……」
「え。こわいこわいこわい! 何あったの! こわっ!」
顔を青くしながら右に左に目を泳がせている。そっと頭にかぶった麦わら帽子を掴んで顔を隠した。まるで怒られる前の子供のような仕草だ。
一体何をそんなに不安がっているのか? 満員電車が夢に出てくるのはそんなに恐ろしいのだろうか? え、なに? 俺死ぬの?
「……どうしても知りたい?」
「ここまでされて知りたくない人はいないと思うぞ……」
「かなぁ」
「ショックなんて受けないから言えよ。占いなんてどうせ信じないし」
遥はおずおずと『図でわかる! 夢占い辞典最新版』を差し出してきた。それから「63ページ」と小さく呟きながら本を開いた。――どこになにが書いてあるのか暗記しているのだろうか? 開いたページにはポップな絵柄で満員電車に押しつぶされそうな人が描かれていた。
「ええと……『満員電車の夢を見たあなたは人間関係に注意! みんなに気を使って疲れていない?』……別にどこにでも良くあるやつじゃね?」
予想に反して思ったよりも普通な内容だった。もっと深刻なことが書いてあることを恐れていたので拍子抜けだった。
「だって、えっと……その……」
「何かそんなに変か?」
「あー……ね?」
「……?」
目を泳がす遥に発言の続きを無言でうながす。
「彼方くんが人間関係に疲れているなら私かリサちゃんが原因になっちゃうから……」
「……ああ。そういうこと?」
「私、彼方くんに無理させていたかな……?」
「いや、違うけど」
「でも満員電車の夢を見たでしょ?」
どうやら占いの結果から自分がストレスを与える原因になっていると勘違いしたようだ。ここには三人しかいないのだからそう思うのも仕方ないのかもしれない。
「そもそも占いが当たっているとは決まっていないぞ」
「……え! そうなの!」
「『当たるも八卦当たらぬも八卦』なんて言葉もあるだろ。なんとなくそれっぽいことを言って誤魔化しているだけだって」
「へぇ……」
「ああ。バーナム効果とかいうものでな……」
「あ! それなら知っている! 多くの人に該当することを言うと自分の特徴を捉えていると思っちゃう話だよね!」
「なんでそっちは知ってるんだ……」
「前になんかで読んだよ?」
「それ知っているなら占いの信用の低さは予想がつくだろ」
「でもーだってー、占いにそうでたもん」
「『そうでたもん』って……何? 占い好きなの?」
「ん? 女の子は占いが遺伝子レベルで好きなんだよ!」
『女の子』
別に特別な言葉ではない。それでも理解するのに少し時間が必要だった。遥が自分の性別を言及しているところを始めて見たからかもしれない。
なんとなく感じる歯車のずれを上手く自覚することが出来ない。そのまま「……そうなのか?」と面白みのない返事をしたところ「そうなの!」と元気に返事をされた。
†
それから俺たちはまた本を読んでいた。俺は床に座り、遥はベッドの上にいる。ここが定位置になって久しい。今からおよそ一か月前に第九地区を開放してから基本的にはこんな感じだ。
紙の擦れる音と小さな呼吸音。周りが静かなだけあってその音は大きく聞こえる。たまに遥が呼んだロボットが本を雑に置く。その音が一番大きな音だった。
「ねえねえ。彼方くん」
「あ?」
話しかけてくるのはだいたい遥からだ。そして内容はまちまちだ。最近は俺の知らないことも聞いてくるようになり、俺の知識量を超え始めていることを感じている。
「彼方くんと眠り姫って似てない?」
「え。どこが?」
突拍子もないことを言われた。眠り姫はあの眠り姫なのだろうか? 性別も境遇も何もかもが違う。どこに同じ要素があるって言うんだ。
「だって眠り姫は百年経った時に外見は変わらずに目が覚めるわけじゃない?」
「ああ」
「それって百年分タイムスリップしたようなものじゃないの?」
「……なるほど」
言われてみるとそんな気がしてきた。認識できない時間の隔たりがあるという状態は同じなのだ。そして、俺も六千年先の未来へ突然飛ばされたのだから未来に行った点も同じだ。
「とはいっても俺とはやはり違うだろ。悪い魔法もかけられた覚えはないぞ」
「そう? でも他にタイムスリップの方法って思いつく?」
タイムスリップ。昔どこかで聞いたことがある。人類は過去に戻ることはできないが未来に時間旅行することならばできると。その方法は確か……。
「人工冬眠」
「コールドスリープってやつ?」
「そう。それそれ」
思いついた結論は眠り姫と似たようなものだった。肉体の年齢を変えずに何年も眠りにつく方法。コールドスリープだ。どうやら遥はすでに知っているようだ。きっと本で読んだのだろう。
「なあ。コールドスリープの技術は開発されたのか?」
「んんー、私の知る範囲ではなかったよー」
「……そっか」
遥ならばなにか知っているかもしれないとも思ったのだが空振りに終わった。彼女の読んだ量は計り知れない。その彼女が読んだことがないのだからきっと実在しないのだろう。
「技術が無いならばどうしようもないよなぁ」
「でもほかに方法は思いつくの?」
「タイムスリップの方法か?」
「そ」
「ああー……」
それを言われると弱い。俺がここにいることだけはどうしても現実としてあるのだ。
「ないなぁ」
「でしょ?」
遥は少し威張りながら言った。どうやら自分の考えた意見に反論が無いことに得意になっているようだ。
「じゃあ、どうして俺はあそこにいたんだろうな?」
「広場に? うーん……なんでだろうね?」
たとえ俺がコールドスリープをしたとしてもそれは俺が広場で倒れていた理由にはならない。もっと他に原因があるのではないのだろうか?
「案外、人工冬眠機が広場にあったりしてねー」
遥が手にした本をぶらっと上に掲げながら呟いた。ぱたぱたと足も振る。その健康的な肢体はキラキラと光を反射し、俺はつい目を逸らした。
「……まさかそれは無いだろ」
「本当に?」
「だって、あったとしたら気づくだろ」
「まあ、私もそう思うけど」
そう話しながらも俺は一つのイメージが頭から離れなかった。六千年間の間ずっと謎のカプセルに入り続ける俺。その間にいくつもの歴史が積み重なったはずだ。ずっと遠いものだと思っていた過去の世界が地続きのことを思い出して吐き気がする。
この現状がまぎれもない現実のことに気が付いたのだ。
遠くから耳鳴りがする。キーンと高い音のような気がするがよく聞くと昔のクラスメイトだったかもしれない。子供の声は耳に響く。甲高いからだ。
「確認ぐらいはしてみるか?」
「広場の?」
「ああ。ずいぶん前から海にも行ってないし個人的に気になるところもあったからかな」
「ええと……それって『工業地区』のこと?」
「そうだな」
『工業地区』――俺がこの一か月間の間全力で調べて手に入れた数少ない情報の一つだ。この地区が本当に存在するのか、そして『塔』からの脱出の手段になるのかは知らないがそろそろ本をずっと読むのも飽きてきた。
「久しぶりに海でも行こうぜ」
「海!」
「そう。好きだろ?」
「好き!」
「いつも通りの健康優良児だなぁ……」
本がいくら好きになったと言っても遥はどうやら遥のようだ。あいかわらず海にテンションが上がるタイプのハイテンション体力お化けらしい。
「じゃあ、準備して! 彼方くん!」
「え? 今?」
「そうだよ! 善は急げだよ!」
「これは善なのか……?」
思い立ったが吉日の方が正しい気がしたがあえて強くは突っ込みはしなかった。きっと彼女にとって楽しいことはそのまま善であり、海は楽しいことに違いはないのだから。
扉を開け放ち外へ飛び出す。
真っ青な空に真っ白のワンピース。風に吹かれる彼女の麦わら帽子が涼しげだった。
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