三十話 <とおりあめ壱>

 雨が降っている。

 しとしと聞こえる音が心地よい。遥のお誕生日パーティーが終わった後に、私が降らせたのだ。なんだか、二人が楽しそうに話している姿を見て無性に雨を降らせたくなったのだ。


 私は、雨が好きでも嫌いでもない。

 でも司は雨が好きだった。なんで雨を気に入ってたのかはわからないのだけれども、雨を見る司の顔は好きだった。ぼけっと外を眺める不愛想な顔を見ながら酒を呑んでいるのが好きだった。

 彼の顔を見ながら呑んでいると、時々機嫌の悪そうな顔をしながら「もうそこまでにしとけ」と言ってくるのだ。私のことを煙たく思っていたと思うけど、めんどくさそうにしながらも私から離れることのない彼がかわいくて仕方なった。

 まあ、今は彼も酒も無いんだけどね。

 手に持つコップを傾ける。透明な液体が緩やかに動き、氷を跳ねさせた。そこにアルコール特有の刺激臭は無い。水だ。私は今、水を飲んでいる。酒はお誕生日パーティーで呑みすぎた。


「やっぱり塔の保護下はよかったなぁ……」


 あの頃はもっともっと呑むことができたはずだ。水の代わりに酒を呑むのが普通の生活を送っていたのが懐かしく思う。やはり保護下から出たのは失敗だったかもしれない。

 それでも……。


『塔の保護外にすることってできないんですか?』


 彼方の言葉を思い出した。あの言葉は彼の言葉によく似ていた。


『……俺は自分を塔の保護から外してみるつもりだ』


 司がなんでそんなことを言ったのか私にはわからない。そしてわからないから忘れかけていた。理解する気もなかったから考えることもなかった。錆びた記憶の一欠けらになっていた。

 そんなだからこそ、彼方の言葉を聞いた時にはびっくりした。何を言おうかとも思ったし、何を考えているのかも気になった。彼方に何か聞きたいことがあったのだけれども、思いに反して口はすでに動いていた。


『……ん? できるよー』


 まあ、別に塔の保護外にすることはできるのだ。司に塔の相談された時にはなんて答えたっけ? んんー覚えてないなぁ……。

 でも、彼方に聞かれた時にはきっともう決めていたのだ。

 彼方を塔の保護外にするだけではない。私と遥も塔の保護外にすることもだ。私は彼方の可能性にかけてみたかったのだ。過去から来た不思議な青年。この終わってしまう世界に来た彼の言葉を信じてみたくなった。

 そうして私も塔の保護から外れてみた。だけど、何か変化があっただろうか? 精々、酒の量が減ったぐらいだ。


 もしかしたら司の気持ちがわかるのかもと少しは期待したのだ。どうして司は私や遥の塔の保護を外さずに自分だけ外したのだろうか? わからない。どうして司は私達を置いて海に出たのだろうか? わからない。

 もう十年も前の話だ。遥がケースから出てすぐのころだ。何も覚えていない。


 ただ、そんな無様な有様でも考えることだけは止まらなかった。

 『どうして?』、『なんで?』の言葉が脳の中で乱反射する。意識の高ぶりを抑えようと酒を呑もうとしたが手に持っているのは水だった。これではいけない。酒が欲しい。

 それでもこれ以上呑むのは良くないとわかっていたし、諦めることにした。水を飲み干す。


 不意に遥のことを思い出した。遥は何か変化があったのだろうか? 塔の保護下から離れて変わったことはあったのだろうか。昔の遥と今の遥を比べようとしたのだけれども、昔の遥を思い出すことが出来なかった。

 覚えているのは彼方が来てからの遥ばかりだ。あの子は私の記憶の中で透明な存在だったのだ。

 では、他に私は何を覚えているのだろうか? ……何も覚えていない。この部屋の中で酒に溺れていた記憶しかない。奇妙な感覚だった。この十年のことをよく覚えていない。

 思考が回る。

 彼方は塔の影響で強制的にメンタル指数を安定させられている、という言い方をしていた。私はここ十年幸せだったのは間違いないのだが、それはそういうことだったのだろうか? どうだったのか? もはや知る術はない。


 ぐるぐると大きな蛇に巻き付かれるように体の動きが鈍くなる。眠気なのかアルコールなのかはよくわからない。それでも、頭は回り続けていた。

 重い体を引きずりながら夢見心地でベッドへ倒れこむ。

 今では大きすぎるダブルベッド。液化現象のせいで何度もダメになるたびに、毎回ダブルベッドを作っていた。いまさらなぜダブルベッドなのだろうか? どうせ使うのは私だけでしょ? わからない。知らない。


 そうやって自己嫌悪にも似た甘い感情に身をゆだねていると、二人のことを考えるようになった。二人……遥と彼方だ。

 二人が塔の探索をしている姿を見ると、昔の私を思い出す。遥がケースに入っている間、司と一緒に塔を探索したのだ。

 結局、何もわからなかったのだけれども二年ぐらいかけてみっちり調べたからなぁー……。

 だから、彼方がどんなにがんばってもまともなことが手に入らないのはすでに知っていた。知っているのに放置をした。なんなら、わざと遠回しになるように誘導したし、私の情報も小出しにした。


 別に、彼方に意地悪をしていたわけではない。彼方がもう一度塔を探索することで新情報が出ることを期待していたわけでもない。

 ただ、遥と一緒に探索している姿が見たかったのだ。

 その姿が見たかったという理由だけで、傍観者を気取れた。真面目に探索する彼らに手を貸さずに酒を呑み続けることが出来た。あの子達を見ていると昔に戻ったみたいでとっても素敵な気持ちになる。

 だから、今日、仲直りをしてくれて本当に良かったって思う。心からそう思う。このままあの子達は何も知ることもできずに、沈んでいく塔に冷たい海へ仲良く引きずり込まれるのだ。

 ——二人とも一緒に。

 その時に喉にせりあがる冷たい異物感に襲われた。不快だ。だけれども酒の不快感ではない。取り返しのつかないことをしたような感じ。足元からぐらついて落ちていくような不安。

 私は今、とても悲しい気持ちになっている。なぜなっているのだろう? やはり、遥と彼方の先が無いことなのだろうか? 本当に?

 ……二人で一緒に消えられるあの子達を羨んでいない?

 嫉妬。本当に短い間に流れた感情だったけどきっと本心なんだろうなぁー……。私に司はいないもの。


 雨音に耳を傾けながら心をゆっくり削っていく。この世界に彼はいない。今日、遥が知った『寂しい』の思いを私はずっと前から知っているのだから。

 今日あなたが知った思いは、私のものでもあるのよ?

 体は指一本動かない。

 考え事は終わらない。

 雨もやまない。

 長い長い夜が始まったばかりだった。

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