リサさんの章
二十五話 『うたかた参』
俺は夢を見ている。
ごくごく一般的な木造建築の戸建て住宅。俺はこの家を知っている。俺が小学生の中頃から中学生の中頃までに住んでいた家だ。
その中でも今いるここは特になじみが深い。従姉の部屋であり、俺の部屋でもある。
まあ、現状整理はこれぐらいでいい。
とりあえず、初めに手を動かそうとした。
だがうまくは動かない。なるほど。どうやら、意識だけがしっかりしているタイプの明晰夢ということか。
いつも悪夢を見ている俺だが、だからと言って悪夢に翻弄されてばかりというわけでもない。たまには夢の中で意識がしっかりしていたり、自由に動けたりする時もあるのだ。
今回はどうやら意識がはっきりしているパターンのようだ。
その時、二段ベッドの上から声がした。彼女だ。
少し女性にしては低めの声で何かを言っている。だが、安心する言葉だった。その言葉につられてロフトに足をかけて昇る。見えた。
長い髪の毛。
豹やチーターを思い出させるような細くて筋肉質な肢体。
本人の意志の強さを示すような釣り目。
薄く開かれた唇。
強くて孤独な彼女の性質がよく表れている見た目だった。今はかわいさも混在する見た目だが、これからどんどん強靭で美しい女性になるのだろう。
だが、ここまでちゃんと彼女のことが見えているはずなのに彼女の顔が認識できてない気がするのが不思議だった。
そこから着眼点は服に変わった。
彼女は今、寝間着を着ているのが見て取れた。これから寝るのかもしれないし、今起きたのかもしれない。
この寝間着の柄は彼女が中学生の時によく着ていたものだ。
そうなると、俺は小学生の高学年ぐらいか。
そう思うと体がするすると小さくなり、俺は子どもの姿になった。ただ、服のサイズはそのままだったのでぶかぶかになってしまった。このままだとお母さんに怒られてしまうと思い、申し訳なくなった。
「ねえ。■?」
「なに、姉さん?」
「さっき、おまえ泣いてたでしょ」
そう言われて頬を触る。涙が出ていた。そうだ。このころの俺は泣いてばかりだったのだ。
「しょうがないやつだなあ……おいで?」
姉さんが布団を広げた。どうやら慰めてくれるようだ。またあふれそうになる涙をこらえながら、彼女の布団に入る。子ども二人とはいえシングルベッドに二人は狭かった。
「また、怖い夢でも見たの? お前はこわがりだなぁ……。下で泣かれるとうるさいんだよ」
頭をなでてくれる。言っている言葉に対してやっていることは優しかった。俺はそんな従姉が大好きだった。
悪夢。
当然このころの俺も苛まれていた。だからこうやって夜に目を覚ますことがよくあった。
そうだ。今は夜だったようだ。さっきまで明るかった部屋は気がついた時には真っ暗になっていた。この部屋は他の部屋と違って本格的な分厚い遮光カーテンが付けられている。従姉は結構な神経質で光や音があると寝られないのだ。
「お前が泣くとな……私も寝られないんだよ……」
「ご、ごめんなさ……」
「謝るな。やっぱりお前は泣き虫だね……イライラするよ」
こんなことを言っている従姉だが、このキツイ言葉が本気ではないことを俺は知っている。今も優しく頭をなでてくれている。壊れ物でも扱うのかと思うくらい優しい手つきだ。
それに実際こんな事件もある。
俺が中学にあがるときに思春期の男女が同じ部屋に住むのは良くないと家族会議があったのだ。当然だ。なにより俺と彼女は血の繋がった姉弟というわけではない。俺を客間の方に移動させようという案だ。
しかし、誰よりも従姉がそれに反対した。■はまだ私がいないと駄目なんだと……そのおかげで最後まで同室のままだった。
あんな従姉は初めて見た。とても失礼なことだがちょっと可愛いと思ったのは覚えている。同時に俺がいないとダメなのは姉さんも同じなのでは? とも思った。きっと母さんも思ってはいたが口には出せなかった。姉さんが怖かったのだろう。
「やっぱりお前は私がいないとダメだなぁ……」
優しく心の隙間を縫うように言う。
彼女は俺を心配しているのは確かなのだが、同時に俺を憐れむことで自分の優位性を保っているのだ。かわいそうな弟を馬鹿にすることでしか自分を肯定できないのだ。
俺も姉さんに心配されるのは嬉しいと思いながらも、そんな形でしか自分を肯定できない彼女を憐れんでいた。かわいそうな俺しか心の支えが無い姉さんを不憫に思うことで自分を肯定できた。
そして姉さんは自分が憐れまれていることを知っている。知ったうえで俺を罵倒する。俺も同様だ。だから彼女の罵倒はお互いの壮絶な自傷行為だった。
そのころは気にしていなかったが、いわゆる共依存というやつだ。
「姉さん」
「なに?」
「ずっと一緒にいてくれる?」
「……」
何も答えない。
だが表情だけで十分だった。いつも不機嫌そうに閉じられている唇が得体のしれない形になっている。目つきは厳しいままだが奥には戸惑いと照れの感情があった。
——本当に素直じゃない人だ。
俺はそんな彼女がかわいくてかわいくて仕方なかった。なんでもできる癖に人とのコミュニケーションがダメな女の子。自分の心を守るためにハリネズミみたいにつんつんしている。だから、俺みたいなかわいそうなやつに付け入られるんだ。かわいそうな人。
「……うん。これからも一緒にいよ?」
絞り出すようにして言ってくれた。
暗いし俯いているからわからないがこの距離だったら彼女が赤面しているのがわかる。彼女の方から熱を感じるのだ。少し汗ばんだような湿気だ。俺のことを決して離さない様にぎゅっと抱きしめるのだから余計にわかる。甘くてけだるい匂いがした。
このいじらしさの一パーセントでも学校で発揮出来たら、この人はイジメられることもなかっただろうになぁ。ちょっと足が速かったからって調子に乗って、陸上部を辞めることにもならなかったはずだ。
まあ、彼女は傍若無人で強いから不登校になるなんてことはなかったのだが。
「ねえ、暑いんだけど?」
「うるさい」
暑い。そうだ。今は夏だったか。だが、彼女は俺を手放す気は無いようだ。
仕方ない。
夢だ。これも夢。どこまでも二人で底に落ちていく悲しい夢。
彼女がかわいいのは良いことだが、やはりこれも悪夢なのだろうか?
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