二十四話 彼方

 相変わらずの悪夢に眉をひそめながら目が覚める。

 あのまま泣きつかれて眠ってしまったようだ。もう塔からの干渉はされない自由の生活だ。結局俺がパニックを起こしただけの話で、もっと簡単に解決できるようだった。だが解決したことを今は良しとしよう。

 とりあえずやらなければいけないことを整理しなければ。


 まずは、部屋の掃除だ。

 血まみれの部屋を見て息を吐く。人、一人がこんなに血液を流して次の日には普通に生きているはずがない。……質量保存の法則とか守っているのだろうか? 塔から逃げた俺だが、俺の命を守ったのは間違いなく塔だった。


 それと人間関係にも大きな傷跡を残した。

 遥とリサさんに謝罪をしなければ。そうだ。特に遥だ。あの日からもう五日も経っている。ちゃんと謝らなければ。

 ……もしも、あの時何をしようとしていたのかを聞かれた時にはなんて答えようか? 性的なことは教えたくない反面、自分が何をしていたのかを伝え無いのは不誠実のように感じる。


 いや、もともと不誠実だったか。あの時の俺は自分の幸せのために他者を犠牲にしようとしていた。その後もそうだ。俺は自分を取り戻すために彼女たちの命さえも担保にしようと考えていた。

 あさましい。

 あの日、リサさんが部屋に入ってきたら俺は何をしていたか正直わからない。扉越しの会話だったから自分を抑えることができたのは間違いなかった。

 ——それでも君は結局君にしかなれないんだよ?

 どこかで聞いたような文句だ。そうだ。俺は俺にしかなれなかった。他者を自分の目的のための天秤に乗せてしまう。それは救いようのない真実だった。謝る前にちゃんと反省をするべきだ。


 とりあえずは、彼女たちの家に向かおう。部屋掃除はそれからやろう。今はこの空白の期間を謝ることが先だ。

 そう思って体に力を入れて立ち上がろうとする……が、できない。体に力が入らないのだ。

 それは当然のことだ。結局昨日も寝てばかりのせいで何も食べていない。

 3Dプリンターで出力をして食事をおこなう。まだ体が食べ物に馴染んでないせいで何回も吐きそうになったが、その分だけゆっくり噛みしめながら食べた。





 動き出したのは昼になってからだった。

 それまでは体の節々を人間の生活に戻すために苦労をした。等身大の俺に相応の等身大の苦しみ。罰にしては少なすぎるがちゃんと背負っていかなければならない。

 そうやって重い体を引きずりながら彼女たちのもとへ行った。重いのは体の調子が悪いだけではない。むしろ心の方が行きたくないと言っていた。

 当然だ。あんなに迷惑をかけた相手に合わせる顔がない。それでもちゃんと謝らなければいけないと思うのは俺のプライドでもあった。


「あ。起きたの? やー」


 家にはリサさんがいた。変わらないテンションでマイペースに座っている。いつもの酒が机の上に置いてあった。


「えっと……その、お久しぶり、です?」

「ん、おひさしぶりー」


 なんとなく歯切れの悪いよくわからない挨拶をしてしまう。お久しぶりって……リサさんとは二日前に会っているのだからそんなに久しぶりでもない。


「遥はいますか?」

「うん? 散歩ー」

「そうですか……」


 遥がいないことが残念だったのだが少し安心してしまった。顔を合わせるのが怖かった。彼女に怒られたり嫌われたりするのも怖かったが、同じくらい幸せがフラッシュバックしそうで怖かった。


「なにかしたかったの?」

「遥にちゃんと謝っておきたくて……」

「なるほどねー」


 謝って済む問題だとは思ってはいないがしっかりと謝るべきだと思ってる。勇気が足りないだけだ。ただ、遥に謝るよりも先に今、言うべきだ。


「すいませんでした!」

「え。私?」


 リサさんが自分に指を指して驚いている。何を驚いているんだろうか。


「その、とても迷惑をかけたこととか……すごく罵倒したこととか……」

「あー……あれねー」


 妄想に憑りつかれていたといえ、何をやっていたのかはちゃんと覚えていたのだ。彼女を酷い言葉で罵倒した。そもそも、塔まで心配して足を運ばせてしまった。なんて詫びればよいかわからないほど申し訳ない。


「んー……別に気にしてなかったんだけどなぁ……」

「いや、とはいっても……」

「そうそう、あれから体調はどう? 塔の保護外になったでしょ?」


 話を変えられてしまった。気を使われたのか単純に興味が無いのかはわからない。きっと両方なのだろう。


「別に……最悪の気分だけど、命に別状はないです」

「よかったー」


 だが、塔については俺の体調よりの話よりも重要な話がある。聞かなければ。


「……本当にあなたたちも保護外にしたんですか?」

「うん? してるけど?」

「なんで、そんな危険なことをしてるんですか」

「危険、まさか。君もやっていることでしょ?」


 糾弾しているのだがまるで取り合ってくれない。そうだ、遥はなんていっていたんだ?


「遥はなんていっていたんですか?」

「べつに? 私がやって、っていったらやってくれたよ?」

「あの脳みそ単細胞が……!」


 ちゃんと考えないで人のことを聞くアホの子に苛立ちを覚える。自分の命や心をもっと大切にしてほしい。


「やっぱりメリットがわからないんですけど」

「んんーメリットねぇ……」


 小首をひねりながら考える。遥と同じ仕草だ。きっと遥のアレはリサさんから学習したのだろう。


「あ。そうだ。やっぱり秘密?」

「『あ。そうだ』じゃないですよ。何思いついたみたいなこと言いながら情報量ゼロのこと言ってるんですか?」

「ええー、ミステリアスな女性はモテるっていうし……」

「黙れ配偶者がいるくせに」

「厳しいなー」


 どんなに詳しく聞いても答える気が無いのだろう。頑固にのらりくらりと躱されるだけだ。適当なくせに意思が固いのだから厄介だ。

 かなり神妙な気持ちでこの場に来ていたのだが、そんなリサさんの様子をみて段々どうでもよくなってきた。どうでもよくしていい話題では無いのだが、ここまで頑固に言うリサさんを信じてみようと思う。


「リサさん、それと……」

「待って」

「え」


 突然、リサさんがこっちのことを真剣に見つめてくる。何かを考えているようだ。見つめるだけだは無く、体を乗り出して近づいてきた。


「えっと、リサさん! 近い! 近いですよ⁉」

「んんーふむ……」


 そう言いながら近づけていた顔をふっと離す。そのまま何かをぶつぶつ呟きながら部屋の中を回った。


「……何してるんですか?」

「命名の儀」

「は?」


 なんか意味不明なことを言っている。命名? なんの? なんで?


「リサさん?」

「リサさん聞いてます?」

「おおーい」

「リ……」

「ちょっと黙っててくれる?」

「……はい」


 なんだか理不尽な理由で怒られた気がする。だが、この人には頭が上がらないので仕方がない。満足するまで待っておこう。

 そうしてしばらくすると指を突き刺して、彼女はこう言った。


彼方かなた!」

「はい?」

「君の名前よ!」

「俺の……?」


 どうやら俺の名前を考えてくれていたようだ。だが、なぜ……あ。

 確かに俺は名前が無くて『お客さん』とか、『君』としかいわれていなかったのだ。どうしてこのタイミングで命名する気にはなったのかわからないがシンプルに嬉しい。


「……気に入らなかったー?」

「え?」

「反応が無いのだから……」

「あー大丈夫です。気にいってます」

「そう……、せっかくだから遥とセットの名前にしてみたの」

「なるほど」


 遥か彼方。セットにすると確かにそうなるな。すごく恥ずかしいことを抜きにすればよい名前だろう。……過去の世界で彼方って名前だったら体中が痒かっただろうな。それなりに珍しい名前だ。

 だがこの世界にはぴったりの名前だ。

 名前の無かった俺は今までどこの誰でもなかった。しかしこれでようやく俺は『お客さん』では無くなったのだ。

 長いプロローグが終わる。ここからは俺の話だ。

 大きく息を吸いながら、ゆっくりと名前を咀嚼していく。

 彼方。

 遥か彼方。

 ずっとずっと未来の滅びゆく物語。

 きっと救いは無い。

 だけれども。

 この……どこまでも透明で歪なキャンバスでも幸せを見つけられると。そう、今は信じていたい。

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