二十三話 悪夢
「でさ、なにがあったのー?」
いつもの間の抜けた声だ。リサさんが扉を隔てた向こうにいる。なにかを答えようと思ったが言いたいことと話したくないことが多すぎて何も言えなかった。
「遥がさ」
俺のことを無視してリサさんは話し始めた。
「遥がずっと元気ないんだよねぇ……。なんか突然手を払われたとか言ってさー。元気のない君の力になれないのが悲しいみたいだよー?」
違うんです。リサさんさん。遥は悪くないんです。
というか思い返すと、突然キスを迫って謎の激痛で飛び上がってその後に突然拒絶したとか意味不明じゃないか。本当に遥には悪いことをした。
「まあー遥の様子もおかしいし、君も来ないから見に来たんだけど……よくわかんないけど早く仲直りするんだよー?」
さっきの俺の発狂具合を聞いておきながら妙にゆったりしている。
……いや、それもそうか。別にリサさんからすれば俺の発狂も謎の大声にしか聞こえないのだ。何も話さないで理解を得ようとする方がおこがましかった。
「あの。リサさん、少しお話ししてくれませんか?」
「お? 話? するよするよー」
「きっとリサさんが理解できないこともあると思うんですけど……ちょっとつきあってください」
「うんうん」
リサさんが冷静なのもあって俺も冷静になっていく。体中の不快感は拭えないのだが話したいことも山ほどあったのだ。
「俺は昔にちょっと辛いことがありまして……そのせいで結構心に傷をもってたんですよね」
「辛いこと? 胸の傷と関係ある?」
「それもそうなんですけど……。色々ですよ色々」
例えば家族が交通事故でみんな死んだとかな。
「原因はどうでもいいんですよ。ただ、この塔にいるとどんどん心の傷が癒えてしまう。塔が無理やり健康にしちゃうんです。身に覚えありません?」
「んーあー……」
リサさんが悩んでいる。やはりこの世界の住人にこの価値観を求めるのは難しいのだろうか?
「……あ」
小さく息を漏らした。何かに気づいた声なのかそれとも吐息なのかはわからない。だが、俺には不意を突かれた声に聞こえた。
「リサさん?」
「……ん? いや別に何でもないよ! 身に覚えはないかなぁ……」
「そうですか……」
そりゃそうだよなと俺は思った。彼女はずっと塔の保護下なのだ。そりゃあ、塔の影響なんて受けに受けまくっている。ここまで来て塔の精神汚染が偽物だとしたら笑うのだが。
「でも心身を健康にする役割のはずだから、精神に影響があってもおかしくはないかなぁ……」
そうやってぼやいてはいるが半信半疑という感じだ。仕方ない。だが、俺はこれを塔の精神汚染と信じている。
「ふーん。まあ、塔が心を弄ったとしても別にいいんじゃないの? だって健康に生きられるんでしょ?」
「そりゃあ、まあ」
「ここに来て君は幸せじゃなかったの?」
「……っ!」
息が詰まる。むせかえるような血の匂いも自覚したのも相まって吐き気に襲われた。なんどか、大きく息を吸い安定させる。
「幸せ……でしたよ。幸せでしたよ!」
「ならいいんじゃない?」
「幸せだったんですけど……俺の想像していた幸せとは……、俺は俺を失いたくない……」
「俺を失う?」
「そうだよ! 俺の心の大切な場所を塔は奪っていく! 俺が俺じゃなくなってしまう!」
「ふーん」
リサさんが一息溜めた。その先の予想はできていた。
「それってそんなに重要なこと?」
「……」
俺は答えられない。なぜなら他ならない俺が同じことを思っていたからだ。別にこの幸せを享受すればその瞬間この痛みともお別れできる。精神的なものも肉体的なものもだ。
「無理して不幸になる必要があるの? 辛いだけでしょ?」
これも答えられない。やっぱり俺は彼女たちの前じゃあ無力だ。だから話したくなかったし、話したかった。確実に救われてしまうから。
「やはり、俺が……俺が間違って……」
「でも別にいいかもねー」
「へっ?」
別にいいって何がだ? 何を? なんで突然俺の苦しみを肯定し始めた?
「いやー。なんかねー。私はなんでそんなに君が苦しんでいるのかわからないけどさ」
この口調はどこかで聞いたことがる。そうだ遥だ。遥も同様に言って、そしてこの世界で一緒に住むことを提案してきたのだ。
「きっと大切なものだったんだろうなって思ってねー。だったら大切にしなきゃいけないでしょ?」
全く反対の意見だった。遥とリサさん。この二人の間になんの違いがあったかは知らないが、出す結論は反対だった。ここ数日間の苦悩が報われたような気持ちになる。
「というよりもさぁ……ねぇ? ちゃんとご飯食べてる?」
「取って無いです……」
「まったくほっといたら食べないなんて子どもねー……まさか水は?」
「……」
「答えなさい」
「……取って無いです」
「ばっかじゃないの! すっごく辛いでしょー、もうー」
実は寝ていないし自傷行為をしまくっていることに気がついたら、この人はどんな顔をするのだろうか?
「今から開けるよー」
「ちょっと……うわっ! 待ってください!」
「また、扉押さえつけるー」
今、部屋に入ってこられるのはまずい。なんて言ったって血まみれだ。しかも目の隈や表情のやつれ具合から四徹してることさえばれそうだ。流石にそこまではばれない? 彼女たちの洞察力を甘く見てはいけない。絶対ばれる。……それに俺が入れたくない。
「血の匂い」
「え?」
「怪我してるんでしょ? 見せなさい」
「え。でも……」
「というか君寝てないでしょー」
「な……! いやなんでわかるんですか⁉」
もう遅かった。流石未来人強すぎる。
「そこまでさ、体を痛めつけて君は何を守りたかったのー?」
「……眠ったら」
「うんうん」
「眠ったらもう二度と感情を取り戻せない気がして」
「ふーん、塔のせい?」
「……はい」
「ふーん」
興味なさそうにふわふわと聞いている。本当にこの人はわかっているんだろうか?
「俺のことを塔の保護下にしたっていいましたよね」
「うん。言ったねー」
一応確認はしてみるか。ここに住む以上必須な気もするのだが……。
「塔の保護外にすることってできないんですか?」
一瞬彼女が息を飲む音が聞こえた。だが本当に短すぎてよくはわからなかった。
「……ん? できるよー」
「え」
「うん?」
「で、できるんですか?」
「そりゃあ、まあ。だって保護下にしたのは私だし。別にできるけどー?」
「えー……」
気が抜ける。保護外にできるならばそうしてもらえば解決じゃないか……。勝手に問題を大きくした自分を恥じて赤面した。
「でも、条件があります!」
「……なんすか?」
「君が保護外にするならば、私も塔の保護外にしますー!」
「なんでさ!」
突然とち狂ったことを言い始めた。なんでリサさんが塔の保護対象外になる必要があるんだよ。
「あ。ついでに遥もそうするかー」
「いや。だからなんでだよ!」
声を上げるたびに頭に響くので正直やめたい。だが、つっこまずにはいられなかった。合理的な理由が全く分からなかった。
「本当にやめてくださいよ……なんでそんな意味不明なことするんですか……」
「気分ー?」
「頭おかしいんですか……」
正直頭おかしいと思う。俺みたいに守りたいものがあってそのために保護外になるのはわかる。だが、現在進行形で幸せな人の保護まで取ってよいのだろうか……?
「さっきさ。どうして私を部屋に入れてくれなかったの?」
「それは汚れていたからで……」
「本当?」
その言葉に何も返せない。そうなのだ。この血まみれの世界を見せたくなかったのだ。どこまでも白と青しか無い世界でわざわざ俺の……血と暴力の存在を教えたくなかったのだ。
「君はやさしいよね」
「俺が?」
俺が? 知ってます? 数日前、あんたの娘を犯そうとしようとしたんすよ? さっきまで奇声をあげてナイフを体に刺していたんですよ? この部屋の中身を見せたくないのもただのエゴですよ?
そうやっていろんな言葉が瞬いて消えた。結局、また何も言うことはできなかった。
「うん。決めた。私も遥も保護外にするー」
「いや……勝手に決めないでくださいよ! 遥の意思は⁉」
「私が決めたことは絶対だよ?」
「理不尽が過ぎる!」
相変わらず何もこっちの意見を聞いてくれない。横暴の塊で理解不能だ。でも一応は解決しそうなのがむかつく。一応そのあとも何度も聞いたのだが取り合ってはくれなかった。
「そうそう。ちゃんと何かを食べておきなよー?」
「え?」
「空腹のまま塔の保護を外されたいの?」
「あー……」
軽く死ねるな。絶対死ぬ。確実な方で本当に死ぬ。保護下での自傷行為よりもずっと危ない。
「あーあ……疲れてきたちゃった……。もう私寝るね?」
リサさんが部屋から離れようとする。きっともう家に帰って寝るのだろう。その前に聞いておきたいことがあった。
「あのリサさん!」
「んー……」
「ええと……遥のことですけど……なにか怒ってましたか?」
「別に怒ってる感じではなかったかなぁ……単純に悲しそうな感じ?」
「そうですか……」
きっと大きな心の傷にはなっていない……と信じたい。あんなに滅茶苦茶なことをしといて今更なのだが傷つけたくはなかったのだ。
「きっと、君からするとねー……私たちは変なところが沢山あると思うんだー。だからね、ちゃんと話してちゃんと聞いてくれると嬉しいな」
「……はい」
説教……? 怒られているのか? リサさんがゆるゆるに話すものだからよくわからない。だが肝に銘じておかなければいけないのは間違いなかった。
「ありがとうございました!」
「んー」
気配が遠ざかる。塔の保護下からそんなに簡単に抜けることが出来たのならば、結局ここまで逃げる必要はなかったのだ。
とはいっても、もしも出会ったのがリサさんでは無くて遥だったとしたらもう今の俺はいないのだろう。なんやかんやで最善手を選んでいたのかもしれない。
だが、その前にご飯だ。ご飯を食べなかったら本当に死ぬ。あと水だ。……まず水か?
部屋の3Dプリンターから生成した水を口に注ぎ込む。喉がからからに乾いていたせいで水がうまく呑み込めず何回も吐き出したがどうにか飲めた。
その後、ご飯はよく咀嚼しながら食べた。こういう時は消化に良いものというが、気がついた時にはサンドイッチを選んでいた。
かぶりつく。
久しぶりの味覚と味の濃さに辟易したがそれよりも生きてることを実感した。苦しさと喜びをないまぜにした感情に身をゆだねる。そうしているうちにめまいに襲われた。何度もうなされていると、ぐるぐると意識は落ちていき気がついた時には眠ってしまっていた。
†
目が覚めた。
悪夢だった。
とりあえず俺が今まで見てきた全てのトラウマを一周した後に、ナイフ片手にリサさんと遥を殺す夢だ。最後は沈没する塔の中でけたたましく笑っていた。
最悪の夢だ。手には彼女を刺した感覚が確かに残っているし、血の匂いもまだあった。あ、血の匂いは昨日の残りの血か。
目覚めも最悪だ。
体中の節々が痛いし、なにより昨日の刺し傷も痛む。どうやら首の傷が深かったようで完治する前に塔の保護下から離れてしまったようだ。
最低の朝だ。
いや、夕方だ。もうずっと寝て気がついたらこんな時間だったらしい。そりゃあ断食と断水、自殺未遂を約四徹でやっていたのだ。こんな時間に目が覚めるのも当然だろう。
本当に具合が悪い。なんでこんなに不幸せな気持ちで生きなければいけない。もっと俺は幸せに生きられたはずだ。
そこでふいに胸の古傷が痛んだ。
——私のことを忘れないでね……。
幻聴が聞こえた。
久しぶりの幻聴だ。彼女の声だ。
「おかえり」
もうあの頃には帰れない。偽りの幸せは確かに偽りではあったが、俺が真実だと信じているときは真実の幸せだったのだ。
あのまま騙されていた方が幸せではあったのだろう。
こうして俺はまた、ありえた終わりを一つ壊した。
だが、それでも俺は俺を構成してる全ての物を見捨てることが出来ない。胸の傷に手を合わせて深く呼吸をする。
「いや、違うか……ただいま」
心臓の音が聞こえる。体の節々が無性に痛む。よくよく耳を傾けるとうるさい幻聴も少しだけ聞こえてきた。
不快の塊。
だが、今だけはその全ての事象が愛おしかった。一つ一つを大切に抱きしめる。そうやって俺は布団の中でずっとずっと涙を流していた。
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