二十六話 現実逃避

 朝が来た。

 昨日は懐かしい夢を見た。内容は素敵だったがこんなにも情けない気持ちになるのだから、きっとあれも悪夢なのだろう。


 昨日、リサさんから『彼方』という名前を貰った。おかげでもう遥からお客さん呼ばわりはされないで済むのだが、遥にはまだその名前を呼ばれていない。それどころか彼女は俺が彼方という名前がついたことさえ知らないかもしれない。

 顔は合わせることはできた。

 謝ろうと思っていた。謝ることはできた。

 だが、それしかできなかったのだ。

 あの日にできた溝は想像以上に大きかったのかもしれない。元気いっぱいのアホの子はもう見当たらず、怒られた子どものようにシュンとしていたのだ。

 悪かったのは全面的に俺だ。謝るべきも俺だ。そして、彼女は一応許してくれた。それでも、もとの関係には戻らなかっただけだ。


 もっと時間をかけて話しかければ溝は埋まっていくのかもしれない。そんな言葉はただの逃げだ。

 俺はあの時、もっと多くの言葉をかけることはできなかった。彼女の瞳の奥の今までにない色を見てしまったからだ。


 今までは外の景色を取り込み反射するだけの鏡だったその瞳。

 けれども昨日の彼女はマイナスのどろっとした感情を忍ばせていた。あの日、俺から取り込んだ彼女のオリジナルな感情だ。怯えや疎外感。そんな感じだった。

 俺はそんな彼女が怖かったのだ。

 だからあれ以上声をかけることも躊躇した。今日も彼女たちのもとへご飯を食べに行く気にもならなかった。結局今朝も一人で食事を取った。





 もちろんこのままではまずいこともわかっている。

 少しでも仲直りをする方法を考えてはいるのだ。考えすぎて煮詰まって部屋から飛び出していた。基本インドアの俺が部屋から意味もなく飛び出すほど、といえばわかりやすいだろうか?

 ふらふらと歩く。目的地なんて無かった。

 しかし思っていた以上に目的意識があったようで、気がつくと第四地区の広場に行っていた。今でも遥が『海が大好きなアホの子』という性質は変わっていないし、意外と海にいるのではないか? と、思ったのだ。まあ、残念なことに居なかったのだが。


 ここは俺と遥の仲がこじれる前に最後に来た広場だ。

 景色は変わらない。ひたすらに白くて青い単色の世界だ。新品のプラモデルを水槽にぶち込むと同じような景色の写真が撮れるかもしれない。だが、よく見ると水深は変わっているようだ。あの頃は腹と胸の間ぐらいの高さの深さだったのが、もう首までの高さになっている。

 あの日から六日。

 結構経っていたらしい。

 もうこの広場で水遊びをするのは厳しいかもな……俺の首ということは遥の頭頂部だ。ずっと立ち泳ぎするのも大変だろうし、ここにはもう来ないだろう。


 なんで俺はわざわざこんなところに探しに来たんだ?

 そんなに遥に会いたいなら遥の家に行けばよいのだ。夜とか朝に行けば確実に会える。なのに彼女の家に朝ごはんを食べに行かなかった。


 会ってもう一度仲良くならなければいけない。

 これは傷つけたものとしての義務だ。だが怖かった。彼女の瞳が初めて理解できる色に染まったのが怖かった。

 どこか俺は遥のことを宇宙人とかロボットのようなものと捉えていたのかもしれない。


「なにやってんだろ……俺……」


 ついつい独り言を言ってしまう。今の俺の行動は無駄の極みだ。このままだと死ぬ環境なのに、生き残るための手段どころか仲直りの手段を考えている。しかも単純に顔を合わせに行けばいいのにうじうじと一人で悩んでいるのだ。

 俺は馬鹿か……?

 今俺が優先するのは本当は生き残る方法のはずだった。遥のことが気にかかって優先度が逆転しているあたりもうよくわからない。


 まだ塔の影響があるのだろうか?

 塔の保護外になってから悪夢はしっかりと見るようになった。幻聴もまだ本調子——本調子っていって良いのか? ——というほどでもないがちゃんと聞こえてきている。

 メンタル指数の測り方なんて知らないがきっと超低空飛行の値になるはずだ。

 今の俺は綺麗さも純粋さも無い薄汚れ人間だ。彼女達と釣り合うはずもない。ただの狂人に戻ってしまった。

 とはいってもすべてが塔の影響のおかげで今の関係があるとは思いたくはなかった。きっと遥と仲良くなれたのはそれだけではない。

 絆があるとか薄ら寒いことを言う気は無いが今の俺でも仲良くなれると信じたかった。

 塔に浸食されたままだとしたらこんな女々しいことを考えないで済んだのだろう。


 あの頃はやっぱり良かった。

 別に戻りたいという気は無いが、この二か月間……特に近くの一か月のころの生活は本当に楽しかった。普通の人の普通の生活はあんなにも満ち足りているのだろうか? 自分から手放したくせに、未だに『幸せ』に対して未練たらたらだった。


 そうだ、彼女達との付き合いの中に仲直りのきっかけがあるかもしれない。

 なんだろうなぁ……。

 もしもリサさんだとしたらとりあえず酒を呑ませれば何とかなると思う。遥はどうだろう? 海か? とりあえず海か? だが、今の遥に「海行こうぜ!」とか無駄に元気に言ったときはどうなるんだろう。ついてきてくれるかなぁ? わからないなぁ……。やめておくかぁ……。

 じゃあ、他に興味を示していたもの?

 あ。胸の傷?

 ……半裸で胸の傷を差し出しながら仲直りを迫ればいいのか? なんか高レベルな変態みたいだな。やめておこう。


 他に何か特別な反応を示したもの示したもの……。

 ……一つ思いついた。誕生日だ。

 リサさんと誕生日の話をしている時に、遥はよくわからない表情をしながら考え事をしていた。だが、あれは間違いなく興味のある表情だ。何より過去の世界の話が大好きの遥にとってはマッチしてるに違いない。

 遥の誕生日はええと……あの会話をしたのがだいたい一か月より少し前くらいで……。あれ? 遥の誕生日って明後日じゃね?

 え。まじ?

 指折りをして数える。あー本当に明後日だ。どうしようか。プレゼントを準備するべきか? ご飯は? 飾りつけは? え、どこまでやればよい?

 誕生日を祝われる経験はあったが誕生日パーティーほど派手なことはやったことが無いので何をすればよいのかわからない。


 準備、飾りつけ、ご飯、プレゼント……3Dプリンターで出力すればあっという間にできそうだな。だが、せっかくの誕生日だ。できる限り豪華のものにしたい。

 幸い俺は料理を作っていた時期もある。

 プレゼントを一から準備するのはできないだろうが、料理くらいならばできるだろう。ナイフが3Dプリンターで出力できたことから予想するに、料理の文化は無くなっていないはずだ。ならば素材を準備することもできると思う。


 まず、今日は素材と調理器具の調達、レシピの入手をおこなおう。準備ができるように明日にはリサさんに話を通しておこう。

 そうやってやることを見つけて予定を詰めることで俺は彼女から目を逸らせることが出来た。

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