十八話 涙
夢を見た。長い夢だった。
そこまで悪い夢でもなかった、と……思う。
こっちにやってきてもう五週間は経ったのだが、それでもやることは変わらない。遥に起こされて今日も塔の探索に向かう。
「お客さん起きてるー?」
「ああ。起きてるよ」
「んー……お客さん。最近起きるの早くなった?」
「たしかに?」
「私が毎朝起こしてるおかげ?」
どうなのだろうか。確かに目覚めは良くなっているのだが、遥のおかげかは不明だ。だいたい高校があった時にはいつもそれなりの早起きを要求されていたのだ。なのに昔はあんなにも起きるのが辛かったのだ。
「かも、しれない」
「本当⁉ じゃあ、私に感謝しないとね!」
「別に誰もおねがいしていないんだよなぁ……」
同年代の女の子に毎朝起こされるという環境自体がひょっとしたら影響を与えているのかもしれない。慣れたとは言っても緊張しない方がおかしいだろ。
「なあ。遥」
「ん?」
「今日はどこに行きたい?」
第八地区の探索を終えたせいでどこを探索すれば良いかわからない。ここ数日間は適当なところの探索をおこなっていたのだが、結局成果ゼロだ。なので今日は遥に行き先を決めてもらおうと思う。ずっとこっちの都合につき合わせるのも悪いし。
「あー……海? んー? どうしようかなぁ……。ん……?」
「いや、そんなに考えなくてもいいんだよ」
妙に長い時間悩んでいる。きっと彼女なりの一番遊ぶのが面白くなりそうなルートを考えているのだろう。よくわからないツボで妙に嵌るのが彼女だ。
「ええと……どうしようか……」
「おおーい。聞こえてますか?」
「うん! 決めた! 家の周り!」
「え。家の周り?」
てっきり海にでもまた行くのだと思った。遥はとにかく海が好きなのだ。
「んー気分じゃないっていうか……なんだろ? 今日はとにかく家の周りが良い!」
「まあ、そこまで言うなら……」
妙に強い意思で家の周りを勧められる。なんでだろうか? まあ、家の周りを探索した結果何かわかることもあるかもしれない。手を引っ張る彼女に「いや、自分で歩くから」と言って部屋の外に出た。
今日もどこまでも続く青色が俺を待っていた。空気の厚さが均一のグラデーションを作り、かろうじての遠近感を保つ。様々な太さの白い塔がいわゆる固有名詞の『塔』のうえに立っており、その壮観な様子が現実感を乏しくさせた。
「家の周りって言ってもどの辺?」
「この辺!」
「この辺かぁ……」
今、俺がいるのは単身者向けの個室が敷き詰められている細い塔だ。そこから塔の局面に合わせるように廊下がせり出しており、一部はそのまま階段となっていて螺旋階段のようになっている。
「そういえば、俺が住んでいたのって司さんの部屋だったんだよな?」
「うん? うん」
「遥の家ってまだ普通に空き室あったじゃん。そっちには住まなかったのか?」
「私が知る分にはいたよ? 私が生まれる前に使ってたのがお客さんがいる部屋」
「あーなるほど」
どうやら司さんの昔の部屋のようだ。遥の家の部屋が余っているなら、俺はなぜそっちでは無くこっちに住んでいるのかも気になったが聞くのはやめた。下手に聞いて遥の家に移住とかになったら俺が困る。
恥ずかしいし、どう対応すれば良いかわからない。
「あ。ここだよ! ここ」
「ここ? 何が?」
目の前の螺旋階段を指す。塔に巻き付くようにできているため底は見えない。よく使う道なのでそれなりに長いことは知っている。
「ここが私が落ちた階段」
「え。長くない?」
前に話していた一番大きな怪我をした階段だろう。ただ、想像の何倍も長かった。この長さでは落ちたが最後、大けがになるに違いない。
「ええと……どんな怪我をしたんだっけ?」
「うんとね。頭をすっごく打った」
「一日で治ったんだよな?」
「うん!」
塔の回復能力の高さが良くわかる。実は俺自身も地道に実験を続けており、その結果から塔の力の強さは実感している。
指を切って、その上から様々な処置をしたらどんな風に治るのかを確認したのだ。あえて毎日傷を広げたり、塩を塗り込んだりしてみたりもしたのだが結局三日もしたら治ってしまった。結構ざっくり切ったんだけどなぁ……。
「やっぱり塔ってすげぇよ」
「でしょ! でしょ! 塔ってすごいでしょ!」
「なんで遥が得意げなんですかねぇ……」
なぜかはしゃぐ遥をなだめながら階段を下る。先にはいわゆる広場があり中央には流線型の3Dプリンターが鎮座していた。各部屋や家には生活必需品や食料を生み出すための必要最低限のプリンターはあるのだが、なんでも作れるできる便利道具は基本的には広場にしかない。
多少疑問だけれどもこの塔を設立したころに聞かないとわからないことが沢山あるのだろう。ついでにいえばさっきのクソ長い階段もわけがわからないし、一々剥き出しの道もわからない。どうせなら全部に天井をつけて屋内にすれば良いし、沢山の塔を建てる目的もわからない。おおきな四角い塊をぼーんっと作ってしまえば一番楽だったはずだ。
未来人の考えることはよくわからない。
「ここで少し休憩するか?」
「んーじゃあ?」
適当なベンチに座る。このベンチもなぜあるのかわからない。この塔を建設したえらい人たちが『広場にベンチを設けることでコミュニケーションの促進が……』とか言ってごり押ししたのだろうか?
「途中にあったさ、他の家のドアって開けられないんだよな?」
「うん。基本的には」
「だよなー」
ここの生活は塔に管理されているのはご存知のとおりだとは思うが、それは居住区にまで及んでいる。自分たちが住んでいる家以外の家は空けることが出来ないのだ。
一応は自動で引継ぎをおこなっているため特に大きな支障は無いのだが、公共の施設以外の建物は入れない。どこでどうやって判別しているのか、顔認証なのか何認証なのかはわからないのだがそういう風にできているのだから仕方がない。
「お客さんがいたころにはこういうところがあったの?」
「公園……が当たるのかな?」
「公園?」
「そ。なんか個人が所有してる土地じゃない土地でね。そこに遊具……おっきなおもちゃがあるんだよ」
「ふーん……」
「親子だったり、子ども同士だったり、あとたまにカップルがいることもあるな。あー、今は案外年寄りだらけかも」
「お年寄りさんが多いの?」
「そうだな。俺がいたころはさ、特に俺の周りがそうだったところもあるんだけど高齢化が問題になってたんだ」
「高齢化……」
「まあ、今は関係ないよ。ひょっとしたら平均年齢十代じゃないのか?」
それに未来では高齢化の問題はどのみち解消されているだろう。なんて言ったって寿命が百五十年らしいし、リサさんの年の取り方から察するにきっと老化もかなり緩やかだ。健康寿命が滅茶苦茶長くなっていそうだから、死ぬまで働くのではないのだろうか? もっともここには労働という概念は無いのだが。
どうやら高齢化は人類終焉の理由にはなれなかったようだ。
「でも昔は問題になるくらい沢山人がいたんだぁ……」
その昔のことを思ってなのか遠い目をしている。目には塔と空の色が乱反射していた。彼女の瞳は青と白しか知らないのだから、彼女の思う過去も青と白に彩られているのだろう。そんな純粋さにあこがれる一方不憫でもあった。
「遥はさ。過去に行きたい?」
「過去に?」
つい聞いてしまった。聞いてはいけない気がして聞けれなかった言葉だ。どろどろとしたものが流れ出す。
「そ。いつも話してるじゃん。」
そういつも話しているのだ。遥がうらやましがる素敵な過去の話。知らないことわからないことが沢山で、何もかもがキラキラしている。
「昔はな……いろんな物があってさ」
——不要なものばっかりで。
未来には物がないわけではない。文化も歴史も洗練されただけだ。よりスマートで未来の方が素敵じゃない? どうせみんなゴミなんだろ?
「いろんな考え方の人がいて」
——その分だけ悪意もあって。
いろんな考え方というと聞こえが良いが、人を騙そうとすることなんて良くある。なんなら俺も騙していたのだから人のことを言えない。一々なんで気を張って生活しなければいけない?
「いろんな出会いもあってさぁ」
——その分だけ別れもある。
というよりも最後に訪れるのは別れなのだから別れの方が記憶に残りそうだし人生の収支はマイナスなのでは? 人と関わることが楽しいのは喜びの前借りをしているからであり、別れが悲しいのはプラス感情の返済をしているからだ。
「うーん。他になんだろ? やっぱり何より人が多い?」
——やっぱり何より騒がしい。
本当にうるさくて仕方ないのだ。どこに行っても何かが聞こえる。悪口。陰口。つげ口。もううんざりだ。
何もかもが俺を責めているように聞こえる。
「そんな世界どう?」
——そんな世界どう思う? 好き?
口とは裏腹に心では過去の世界のネガキャンしかしてない自分に驚いた。たいして効果の無い浄水器とか、謎の英会話教材を売る営業マンの気持ちはこんなものなのだろうか?
「……お客さん?」
遥がきょとんとした顔をしながらこちらを向いている。
「どうして泣いてるの?」
はっとして顔を触るがよくわからない。指に確かに液体はついたし、直感的には涙だと思う。だがわからなかった。俺はいま多少の罪悪感があるだけでそんなに涙がでる程ものでは無い。
「どこか痛いの?」
「まさか、そんなわけないだろ」
声は普通に出る。泣く原因に真っ先に外的要因をあげるのが遥らしくて少し笑ってしまう。それでも涙は止まらなかった。
「……そんなに過去に帰りたいの?」
「いや。そう、じゃ、ないと思う」
泣いてる顔を見られたくなくて顔を覆う。必死に原因をさぐるがよくわからない。誰も手助けしてくれない。無音だ。
「俺な」
「うん」
「きっと、この世界の……未来のことを好きになってきているんだと思う」
「そうなの?」
それは間違いない。どんどん心惹かれる。拠り所として十分だ。
最近の傾向としても間違いない。なんならこっちに来て一週間もすればこの世界に順応し始めていたのだから、もうずっと前から好きだったのだろう。俺はわざと目を逸らしていたのだ。
「正直もう過去に帰れなくてもいい」
それも嘘のない感情だ。今日の探索だって本気で帰る気があるなら遥に探索する場所を決めさせなんかしない。惰性に身を任せて帰りたがるポジショントークをするのは楽しかったし、楽だっただけだ。
「あの頃には嫌なことがありすぎた」
これも間違いない。そのせいで普通に生きるためにどれだけの犠牲を強いられたことか。俺は俺なりの最善手で身を削りながら生きていたのだ。
だから、『普通』に生きてこられたのだ。
「でも、どうして俺は泣いているんだ?」
なぜ涙があふれるんだ? 悲しいわけでも苦しいわけでもない。どこまでも平坦で穴が開いた感覚だ。この未来で生きているだけで満ち足りているのだ。何も他にはいらないはずだ。
「わからないんだ」
わからない。これが幸せなのか不幸せなのかわからない。何かが綻んで均一になるような感じはするのだが、不思議とおちついて安心する。
「俺は何を無くしてるんだ?」
喪失。
そうだ。俺は今、何を無くしているんだ? なにかの喪失感を感じる。親よりも親身で友人よりも気兼ねなく、恋人よりも心をさらけ出していたものを無くしている。
なんだ? わからない。教えてくれ。
その時、遥が口を開いた。
「お客さん。よくわからないけど私は過去に行かなくていいよ?」
「え?」
優しい口調で包み込むように話しかけてくる。その声が心の穴に補填されていく。麻薬のように甘い。
この展開はいけないと直感したが遅かった。
「な、に。をいっているんだ? お前は過去が好きじゃないのか?」
声を張り上げはしなかったが、これは俺にとっての悲鳴だった。拒絶の声だ。これ以上彼女に話させてはいけない。そもそもこの話題に繋がる話をしたのが問題だった。俺の責任だ。
「んー、まあ、過去は好きだよ」
とろけそうなほど甘い誘惑が俺のことを花のように誘う。
やめてくれ。もう話さないでくれ。俺には俺の世界がある。頼む。声を出そうとするが喉の奥がせりあがり声が出せない。えずくような声が振り絞られただけだった。
「でもね、やっぱいいや」
「な……んで?」
すっぱりと諦めた彼女。どこまでも優しい瞳が俺を見ていることを自覚する。顔を、彼女の瞳を見てはいけない。このまま顔を伏せないと、彼女に助けられてしまう。
「だってお客さんがそんなに辛そうなんだもん」
「あ」
影が差す。
温かい。どうやら抱きしめられたようだ。
顔を覆って俯いていたので、接近に気づかなかったのだ。二つの影が重なり、服を隔てながら熱を交換し合う。
もう限界だ。
最後に人に抱きしめられたのはいつのことだっただろうか? 中学生のころを思い出した。だが、あの彼女とは違って遥はただただ優しかった。
底抜けに優しい。遥は後悔を許さないほど残酷に優しいのだ。
「これからも一緒にいよ?」
頭が真っ白になった。
彼女と触れ合っている面から柔らかな釘が刺さり、脳と体を侵食する。あの日から、この言葉を求めている自分がいた。
それから俺はわけもわからず泣いた。わんわん喉が枯れるほど泣いて気がつくとあの喪失感も何もすべてを感じることが出来なくなっていた。
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