十七話 受容
「ああー! クソが! 全然わかんねぇしどうしようもねぇ!」
「お客さんどうしたの?」
第八地区の探索から一週間ほどだった。ん? あの後? 聞かなくてもわかるだろ……。進捗はゼロでした……。未来さんはなかなかの強敵ですね。
「いやそれがさ、遥。未来のことが全然わからないのさ」
「ふーん」
今日は遥の私室にいる。今日は探索をしていない。リサさんが突然に天気を雨にしたことと、塔を一応全て確認したことからできた精神的緩みが拍車を掛けたのだ。
「どうして遥は俺が未来に来たと思う?」
「んーなんでだろ?」
今日はだらだらする日だ。そう、さっき決めた。
「私は。私が楽しくなるように神様が連れてきたんだと思うよ?」
「なんだそれは」
適当に振った話題だったのだが、ベッドの上にいる遥から間の抜けた回答をされてつい笑ってしまった。
「そう。だってお客さんが来てから毎日が楽しくて仕方ないもの」
「なんか前はつまらなかったみたいな言い方だな」
「そうでもないよ? ただ、前よりもずっと楽しいだけ」
あいかわらず感情があるのか無いのかよくわからないやつだ。楽しいや快楽に関する感情は確かにあるのだが、他の物が存在しない。いうなれば『楽しい』と『すごく楽しい』みたいな尺度しか無いのだろう。
「だから私はお客さんのこと好きだよ」
「……っ」
突然の角度から告白をされて赤面をする。幸い俺は背中をベットに沿わせて、地面にすわっているので顔は見られないだろう。
こういう発言を普通にするから遥は怖い。
「……逆にお前が嫌いな奴っているのか?」
「別にいないけど?」
「だよなー」
つまり最低ランクの称号なのだ。リサさんと司さんをどう思っているのか聞こうかと思ったが『すごく好き!』とか元気に言われたらなけなしの自尊心がいよいよ折れてしまいそうだから辞めた。
「お客さんは」
「あ?」
「お客さんは私と一緒で楽しくないの?」
「あーえとな」
「楽しくないの?」
背中側から覆いかぶさるように遥がやってきた。さかさまになった遥が視界一杯に広がる。……近い。天真爛漫に見開かれた瞳には純粋な興味しか感じることができない。
「楽しいよ。楽しいから離れたまえ……」
「ええー」
心臓に悪いので文句を言う遥の肩をつかみ上に押し返す。髪が手に当たったが努めて無視をした。
「そうだな……楽しい、な」
「でしょでしょ!」
そう。不可解ながら楽しいのは事実だったのだ。突然未来へ飛ばされ、残り一年で死ぬ未来を突き付けられる。そして脱出する糸口を探すも何も手がかりは無い。理不尽で絶望的なはずだ。
「なんで楽しいんだろ?」
「んーリサちゃんがいるし私もいるから?」
なんかまたアホみたいなことを言っている。だが、案外そうなのかもしれない。もしも彼女たちも司さんと共に海に旅立っていたら俺は尋常じゃないほど孤独だっただろう。
「そうやって考えると、俺のためにいるって考え方もできるのか」
「んー?」
「いや、な。さっき遥のために俺が来たとか言ってたけど逆のこともあるのかなと」
「お客さんのために私がいるの?」
「その言われ方をすると妙にはずかしいな……」
言葉が一々直球なのだ。嘘をつくとか取り繕うという文化が無いのだろう。遥よりもずっと前の世代にはあったのかもしれないが、最低でも遥には無い。
「じゃあ、私達で持ちつ持たれつって感じなのね!」
「そうなるなー……」
この穏やかな感情をなんと形容すればいいのかわからない。わかることは過去の地球では得ることが出来なかったものだった。うすうす気がついてはいるのだが、後ろめたさから目をそらしている自分がいた。
「実はな」
前から思っていたことをせっかくなので話してみようと思った。
「実はこの世界は俺が見ている夢なんじゃないかと思うことがあるんだけどどう思う?」
「夢? なんで?」
「だって……こんなに都合の良すぎる未来なんてあると思えないし、あまりに突飛すぎる」
「んーそうかな?」
未来の住人の遥に説明しても理解してもらえるとは思ってはいない。それでも口から漏れてしまったのだからしょうがない。
「夢だったら、お客さんが夢から覚めた時に私はどうなるのかな?」
「……存在もろとも消える?」
「え。やだ。じゃあ、ここは夢じゃないよ」
「じゃあってお前……」
定期的に発生する駄々っ子。はっきりと意見を言うことは好ましくはあるが俺は閉口してしまう。
「そういえばリサさんは今日は何してるんだ?」
「んー。家から出ていくのはさっき見たけど」
「どこいったんだろうなぁ」
別に雨の日に外を出歩くことに問題は無い。傘もあるし、もともと体がどんなに濡れようが体調を崩すことはないのだ。未来では傘を持ち運ぶことは無いと思っていた俺だが、いまだに傘が現役なのは驚いた。もっとも薄い半透明の塊が上部に広がるというよくわからない開き方をするのだが……。
「リサさんの行ったところに覚えはある?」
「わかんないよ」
「あの人って雨の日に出かけることはよくあるのか?」
「まぁ、ほどほどに?」
要領の得ない回答だ。きっと彼女が雨を嫌っていることもあって外に出かけることがあまり無いのだろう。
「お客さんは今日は出かけないの?」
「あー雨降っているしなー」
「ふーん」
遥が話しかけてきたきっと暇つぶしだったのだろう。
「前は雨でも探索に行っていたのにね」
「……まぁな」
痛いところを突かれた。そう数週間前の俺ならば雨でも関係なしに探索をしているのだ。雨は濡れるからそんなことは関係ない。進捗を生むことだけが俺が求めていることだ。
その後はしばらく沈黙が流れた。
遠くから聞こえる雨音に耳を傾ける。うとうとしてきた。
「お客さんはさ」
遥が話しかけてきた。眠りそうになっていた意識が多少活性化する。
「塔のことを調べてどうしたいの?」
「そりゃあ何かしらの方法で一年後に死なない手段を見つけようとしているんだよ」
「本当に?」
声には鋭さが灯っている。首を曲げて彼女を見ると黒い瞳が俺を見つめていた。
「本当に?」
唇が形を変えてもう一度問う。優しい声色だが透明すぎる。透明であること、すなわち純粋さとは毒だ。時にそれは姿を変えながら思考に溶けていく。
「あ、ああ。本当だ」
「嘘よ」
早かった。彼女は俺を見つめてすぐに返答する。
だがこの回答は嘘ではないはずだ。俺は死にたくない。だから塔を探索する。ここにどんな論理的矛盾があるというんだ。
「確かにこっちに来た初めはそうだったのかもしれないけど」
声を繋ぎ合わせて言葉にする。止まらない。
「最近はそうでもないんじゃないの?」
……言われたくないことを言われてしまった。
そうなのだ。日に日に探索に身が入らなくなっている自分がいる。それは進捗が生まれないから、やる気がでないからといった理由ではない。もっと単純な理由だ。
この世界を受容し始めたのだ。
この世界の常識を常識として受け止める。もっといえば、この生活も悪くないなと思ったのだ。
うざいながらも慕ってくれる同年代の女の子と、絡みすぎてうざいことはあるけど仲良くしてくれるお姉さん。
ご飯はおいしいし、海も景色もきれいだ。空気も綺麗だし気温は適性。
しかも必要なものはなんでも手に入る。なんでも手に入るってすごくない? しかも無料なんだぜ。
そういえば健康もあったな。健康は大切だ。大抵おっさんになった地球人は健康を求めるって誰かが言ってた。
あと、そうだ。満員電車も梅雨も無い。中学の時にどれだけ苦しめられたことか……。まぁ、高校からは気にしなくても良くなったんだけどな。
それになにより。
悪意が無い。
明らかに満ち足りた生活だ。こんなにも『幸せ』な生活をすることができる人間がどれだけいるのだろうか。
——『幸せ』。
ぎちぎちと頭の奥にキリが突きささる音がする。
これは拒絶だ。何を拒絶しているのだろうか? 早く幸せだと言ってしまえ。みんなそれを待っている。みんなって誰だ。ふざけるな。
くそっ。
わけのわからない嫌悪感に襲われる。だが、それは俺の表情に出るほどひどいものでは無かった。
「そう……か、もしれない」
「だよね! だよね! 私はずっとお客さんのことを見ていたからわかるんだ!」
元気に声を弾ませてにまーっと笑う。
「最初のころはお客さん、いっつも難しい顔してたもんね!」
「最近はそうでもないのか?」
「うん! 元気出た感じ」
「元気が出たとわかっても、この世界からの脱出を諦めたとは限らないだろ」
「んーなんだろ」
遥が小首をかしげる。
「勘?」
怖気立つ。この少女は何を考えて何を見て生きているのだろうか。その感情を表さない瞳から何を得ているのだろうか。
「……別に俺は、完全に諦めたわけではない」
「そう?」
「そうだ。ちょっとこっちでの生活に慣れてきただけで他意は無い」
「そっかー」
強がりだ。何に意地を張っているのか、何を恐れているのかはわからないが心と直感が認めてはいけないと言っている。
「あ。でもねでもね。塔の探索は続けようね!」
「ん、ああ……そりゃあ、するが……」
「だって探索楽しいもん! もっとたくさん遊んでもっと楽しくしよう?」
いつも通りの彼女だ。良くも悪くも楽しいことを楽しくしようと提案してきた。
「ああ。明日も探索しようか」
「うん!」
冷静に。冷静にだ。俺も文句を言いながらも、探索を楽しく思っていたのは事実だ。だから楽しみのために探索をおこなう。なにもおかしいことは無い。
だが、何かがおかしい。
自分の感情を正確に把握するのが困難だ。ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような感覚だ。心の中で温かくて黒いものがつぶれる音がした。
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