十六話 膜
未来へ来てだいたい一か月が経過した。
微々たる進捗と積み重ねる空振りが時間を無為に使わせた。そのわりに体調は異様なほど良いのが不思議だ。
時間の無駄遣いは特に読画の時がひどかった。遥がいっつも見ているからきっと情報があるのだろうと思ったら想像以上に意味のない代物だった。
なんだかゾウとキリンを足して二で割ったような生き物が主人公の教育系アニメだったのだ。
あの。人の物を盗ったらダメだよーとか、暴力を振るったらだめだよーとかみたいなものだ。あれを楽しめるのは小学生低学年までが限界だと思う。それでも何度も見ている遥の精神状態が不安なのだが……。
他にも様々な読画ができそうなものがあった形跡はあったのだが、残念なことにそれらは劣化して姿を消していた。
つまり図書館と同じ状態だということだ。
違う点は『不思議動物ぴーた君シリーズ』だけが意図的に残されていたことだ。あ。この『ぴーた君』とは前述のゾウとキリンの妖怪のことである。
きっとこの残された情報にも意図があるのだろう。実際、遥は碌な教育を受けていなかった割にちゃんと道徳心というものを理解しているのだから何かしらのプラスには働いていると思う。
そんなことを振り返りながら遥と共に第八地区へ向かう。今日からは新しい地区を開拓するのだ。そろそろ塔もすべて調べてしまうのだから何かしらの成果を上げたいのだが……一向に進まない。
「第八地区は他の地区と違うところあるのか?」
「んーええとね。なんか無いかな?」
頼れる未来人の仲間は相変わらずアホの子だ。なぜ俺の周りには頭のネジが吹き飛んだアホとそのネジ穴にアルコールを注いだアル中しかいないんだ? 不条理だ。
「あーそだね。ええと……第九地区に行くための道があるよ?」
「隣接してるのだから繋がっているのは普通なのでは?」
「第九地区はポッド使っても移動できないの」
「え、そうなのか?」
「そ。というよりも第九地区自体入ることができないよ?」
「まじかぁ……だいはじゃあ第八地区の探索が終わったらもう探索は終わり?」
「そうなるねー」
もう探索するところが無い。その事実が俺を苛む。だが同時に安心している自分もいた。理由は考えるまでもない——もう何もしなくても良いものね。
女の子の声がした。
懐かしい気がしたがそれは当然のことだ。
最近幻聴の回数が明らかに減っている。もしもこの世界に来たおかげで精神状態の解決に向かっているのであれば皮肉なものだ。ただ、聞こえにくくなったとは言えども声が完全に聞こえなくなることは無いと確信していた。これは俺の背負うべき十字架だ。
「わたし、昔リサちゃんにどうして第九地区には行けないのか聞いてみたんだー」
「ほー?」
「なんかね。リサちゃんもよくわからないけど昔からそうなんだって。リサちゃんの親世代もその前の世代もずっといけないらしいよ?」
「一応見に行くか……」
「お客さんが望むのならー」
そうやって話しながら第八地区を進む。この街並みも他の地区と大きな違いは無かった。多少道幅が狭くはなりはしたが、空まで続く塔とその塔を繋ぐ複雑な同士はかわりはしない。ときどき大き目な広場があったり、思いつきのように3Dプリンターが転がっていることまで同じだ。
「なぁなぁ遥」
「なーにー?」
「いつも何も見ないで歩いてるけど、まさか全ての地区の地図が頭に入っているのか?」
「まさかそんなことないよ」
「だよな……」
「せいぜい七割ぐらいだよ」
「え」
なんという記憶能力と行動範囲だ。遥の暇つぶしの散歩がどれだけ広範囲でおこなわれていたかがよくわかる。
「でもさ。全部白い塔で背景も大量の白い塔だろ? しかもどの道もねじれているから方角さえ怪しい。どうやって区別してるんだ?」
「ニュアンスで?」
「あー……そういえばお前らってそういう生き物だったな」
いつも俺はこいつをアホの子呼ばわりしているが、遥は実能力でいうとバカでは無いのだ。水遊びの時にも確認したが身体能力もかなり高い。二次性徴終えたのになんで俺よりも身体能力高いんだよ……どんな化け物だよ。
つまり、しかるべき高等教育を受けさせることさえできたのならばきっと秀才とか天才とかいうタイプの人間になっていたはずなのだ。
そう教育だ。この世界で確認できている教育は『ケース』での『基準教育』と『読画』だけなのだ。さすがに過去の遺物だけで生活できるとは言え、ここまで教育が衰退しているのにも理由があるのだろうか?
「遥」
「ん?」
「歌って知っているか?」
「うん。知ってるよ」
「どうせ第八地区と第九地区のつなぎ目まで行くのに暇なんだ。過去に流行っていた歌を教えてやるよ」
「え! 本当⁉ 聞く聞く!」
「おう。一回しか歌わないからよく聞けよ」
「うん!」
適当に過去にあったポップソングを歌う。俺の知っているなかでは最も難しい曲を選択した。友人と数か月カラオケに通い詰めて歌えるようになった曲だ。
「どうだ? 覚えたか?」
「もちろん!」
「じゃあ歌ってみて」
「ええと……」
胸に手を当てると高らかに歌いだした。完成度は俺の比ではない。声量、音程、ピッチ、表現力のすべてが俺を超えていた。原曲を聞いていないのに原曲に差し迫っている。それどころかむしろ抜かす勢いのクオリティになっている。
遥は歌のリズム合わせて弾むように歩く。それに合わせてワンピースの裾がゆらゆらと遊ぶようにゆれて、靴音が歌のアクセントとなる。髪が擦れ合う音までもが音楽の一部となっていた。
一人ハーメルンの音楽隊だ。俺はそう思った。
もちろん音楽隊には音も何も足りてないのだが彼女の声色と雰囲気が世界を飲み込んでいたのだ。
音が駆け巡る。
そうしてそれぞれの音がそれぞれの思いをのせて頓智気に騒いでいるのだ。そこには不格好なはずなのに計算されつくした秩序と調和が成り立っている。
もはや俺の歌った歌では無い。これは彼女の歌だ。
「どうだった?」
くるりと体をひねりながらこちらを向く。そこにはおかしな動物の集団なんて当然いなかった。彼女の歌が終わっていたことなんて気がついてはいたが、空いた口をふさぐことができなかった。
「ああ……すごい、と思う」
「やった! お客さんに褒められた!」
あまりの驚きに月並みの言葉しかでなかった。
きっと彼女は音楽の天才なのだろう。
いや。きっと音楽だけではない。万物の天才だ。
生まれてくる時期さえ違ったのであれば確実に歴史に名を刻んでいる。たしかに人類最後の人間なのだから進化の頂点にいてもおかしくは無い。何にでもなれたのに何にもなることができなかった少女。それが遥だ。
「あ。着いたよ! これこれ!」
「あー……んー? なんだこれ?」
そうやって遥の能力の確認をしていたところ、目的地にたどり着いたようだ。だが、そこには思いもよらない光景が広がっていた。
「膜?」
「そうそう。なんか膜があるの」
うすい半透明の青色の膜だ。押すとぶよぶよと跳ね返る。
「ちからわざで何とかならないよな?」
手を突き出しながら近寄る。意外と抵抗なく体は沈んでいったのだが、一定数まで行っても不思議と千切れること無く伸び続けた。それどころか反発力が強くなってきたうえに、両手は膜に覆われて顔にまで近寄ってきた。このままだと呼吸もできなくなりそうだ。
「だめか……こっちなら?」
背中を向けて再び押し出す。こっちのむきならば呼吸の心配はない。それでも少しずつ強くなる反発力と、伸びた膜の上が全く踏ん張りが効かないせいで押し返された。
「遥。コレ。無理だ」
「でしょ?」
膜に跳ね返されて、上下反対になりながら彼女に言う。どうせ未来のスーパー技術力の一つなのだから抗っても無駄だ。刃物や爆発物でもきっと穴は開かないのだろう。
「この膜って液化しないの?」
「私は液化してるところ見たこと無いね」
「だよな……」
液化してくれたのならばまだ救いがあるのだが、液化するのであればもうとっくの昔に無くなっているはずだ。すなわちそういうことだ。
「じゃあこの膜について他に知っていることは?」
「特に無いよ?」
「うん。知ってた」
やはり情報無しということだ。こうして第九地区の開放も俺の目標になったのであった。
その後も思いつくことは何でもやった。
3Dプリンターで出力した刃物を突き刺したり、遥にお願いしてロボットを突撃させたりしてみた。爆発物も試したかったがあいにく爆発物は無かったのであきらめた。それでも、可能性のありそうなものはすべて使ってみた。
だが、膜は破ることができなかった。
「やっぱり無理だよなぁ……」
「ねーお客さん飽きた」
膜に吹き飛ばされてボロボロになった俺と、その横で座っている遥が対照的だ。最初は一緒に色々試してくれていたのだが、飽きてからは影になったところにちょこんと座っている。
「ああー! 隠されていると気になる! カリギュラ効果! くそ!」
「かりぎゅらこうかってなーにー?」
「禁止されているとその先が気になること」
「……? よくわかんないや」
「……お前さんざん俺の傷触りたいって言ってただろ」
「あ。あれか」
「そういうことだ」
できないものは仕方ない。とりあえず放置だ。どんどん放置の物が増えている気がするのは気のせいだ。
「遥、図書館行かないか?」
「うん! 行く!」
ということで図書館に向かうことにした。まだ第八地区の図書館には情報が残っているかもしれない。まぁ、今までの展開から予測するにまともな情報はあるとは思っていないのだが。
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