七話 蝶

 海で遊び終えた遥を連れて散策へ向かう。

 一応水着は袋に入れて持ち帰ろうとしたが、どうせいつでも作れるのだし適当なゴミ箱に捨てた。ほぼ新品なものを捨てるのはやるせなかったが荷物が増えるのは嫌だった。

 なにより遥に勧められたので未来人的メソッドとしてはこの判断の方が正しいようだ。


 そして遥に連れられて図書館についた。

 図書館とはいっても本が大量に並んでいるわけではない。一応は広いスペースがあり、そこに個人用に分けられた仕切りや数人がくつろげるスペースがいくつかある。そして各スペースには青色の小さな石のようなものが点在していた。


 この石が図書館と言われる由縁だ。青色の謎の物体に意識を傾けると情報が読み込むことができるのだ。原理は結局これも不明だ。

 ちなみに3Dプリンターも同様の性質を持っているし、なんならここに来るまでに使ったポットでさえ同様に持っている。未来では一般的な入出力インタフェースのようだ。

 もちろん初めて使用した時には困惑した。自分の脳を直接触られているような気持ち悪さにかなり引いた。

 だが、まあ、慣れると便利だ。

 思考と同じスピードで情報のやりとりができるのだ。未来人はこれに最適化したチップを脳に入れることでさらに高速にデータのやり取りができるらしいのでかなり気味が悪い。


「ねーねー映画館行ってていい?」

「ああ。いいよ好きにして来い」


 わーいと言いながら映画館へ向かう。当然、『映画館』は俺らの知っている映画館ではない。前に話していた『読画』をおこなうことができるものだ。

 家庭でも『読画』をおこなうことはできるのだが、映画館でおこなった方がより臨場感のあふれる体験ができる……らしい。実はまだやったことがない。

 というか俺にはチップが無いので、どのみち最低限の臨場感でしか再生できないのだ。ここでも青い石は使われている。


 映画館へ向かうアホを眺めながら俺は思考を石に傾ける。そうすると、脳みそに直接、文字を映像を展開するような気持ち悪い感触が広がる。

 そこに一本ずつ神経を接続するように気を張ると、世界が大きく開いた。情報の奔流が流れ出す。


 このように、この石には莫大な情報が詰まっているのだが……。同時に掠れて読み取れない点も多かった。

 謎だ。

 特に未来人が記したチャットやエッセイ、日記のようなものは徹底的に消されている。ここ一週間の探索でわかっていることは『この塔は4000年前に建てられたこと』と『液化と呼ばれる災害に浸食されていること』の二点だけだ。

 莫大に流れてくる情報の奔流に対して何が重要で重要じゃない情報なのかの取捨選択をおこなう。

 結局はガラクタのような情報や断片的な単語を見ていくしかない。知的好奇心の塊のような遥が見向きもしない代物なのだから情報の精度の低さに予想がつくことだろう。


 だが、俺としてはそもそもなぜデータが摩耗しているかの方が気になっていた。

 他のものは何も消耗されてない世界でなぜ図書館の石だけは風化をしているのか。さらに言えば風化しないで残っているデータもなぜ地区によって違うのか。謎は深まるばかりだ。

 ちなみにこの図書館では他の図書館と比べると、睡眠の質の向上する話とか、おすすめの家具とか、おいしい宇宙食みたいなデータが少しだけ残っていた。

 ……何にその情報は使うんだよ。キレそう。


 ちなみに建物が4000年前に建てられていたことが分かったのは第六地区の情報だ。図書館は各地区に複数あるのでまだなんとも言えないのだが、明らかに第四地区はハズレの気がしてならない。

 一応リサさんには下の階を優先で調べるように言われていたんだけどなあ……。なんであんなことを言ったんだろう?


 そう考えながら調べられるところまで調べたのだが相変わらず何も有用なものはなかった。

 ただ徒労だけが頭に残る。必死に調べ物をしたためか少し頭痛もする。

 やはり未来から過去へ帰る手掛かりは無いんだろうか? 俺が未来に来た理由の手がかりなんて、どこにもないんじゃないか?


 ——でも本当はそんなに帰りたいわけじゃないんでしょう? と声が聞こえた。


 いつも通り無視をしようとしたが、その前に弱虫と言われる。

 胸や肩、腹が痛んだ。

 古傷だ。

 古傷がじくじくと痛む。死にかけのネズミのような声がした。

 俺が弱かったせいでこの傷はついたし、彼女にはもっと大きな傷がついた。今の俺はあのころから変わっていない様に見えるのだろうか?

 ただ、お前のせいだとも感じたし、そうやって俺の裏のなにかが囁いてきた。


 弱音を吐きそうになったが耐える。ちゃんと今回も最短距離で必要なことをおこなっているはずだ。何度も失敗してきたが今回は大丈夫だ。

 お前はお前にしかなれないのに?

 他にも同時に複数の声が聞こえた。共通していえることは、どれも俺の不手際を呪うものだった。


 ああ。うるさい。

 耳の中に大量の羽虫が入っているような感じだ。何度も何度も鼓膜に体当たりをし、その音が反響するのだ。そして音は耳だけで感じているわけでない。手足の先から頭の奥までが雑音でいっぱいだった。

 遠くから■■■■■? と聞こえた。

 思っていたよりも腹が立った。

 今日の幻聴は妙にしつこかった。実際、幻聴の量には周期があるので不思議なことでは無い。常に何かしらの幻聴が聞こえる俺だが、それでも濃淡はあるのだ。ただ、いつものことだからと流せられるほど俺は大人ではない。


 仕方ないので手を耳に向かっておもいっきりたたきつける。

 気圧の差でキーンと高い音が鳴り、鼓膜に伝わった衝撃で激痛が走る。右耳の中にいた虫は多少霧散した。

 まだ足りない。左耳もやった。痛い。ただ、多少の効果はあったようだ。

 昔は頭を壁にぶつけていたのだが、耳を叩いた方が傷跡も残りにくく効果もあることにある時から気づいた。

 やはり顔の側面が少し赤くなるのと額から血を流すのでは、人に異常だと思われる可能性がだいぶ変わる。


 今日は少し強く叩きすぎた。立つのも辛くなった。

 頭を下げて耳鳴りと共に幻聴が引くのを待つ。体中に群がっていた虫が嘘のように消えていく。一匹捕まえてやろうと思い、目を開いたが何もいなかった。

 そうして、幻聴は無視ができるレベルまでに落ちついた。

 よし。

 俺はまだ大丈夫だ。


 もう日も暮れ始めたので遥のもとへ向かう。

 遥は目を閉じ丸みのあるソファーの上で寝ていた。きっと、海での遊びの疲れで寝てしまったのだろう。本当に子どもみたいなやつだ。

 つややかな黒髪だ。

 あいかわらず世界の闇という闇を染み込ませたような色をしている。その髪が一切の絡まりなく円弧状に広がっているのだ。シルクの布を大雑把に広げたみたいだ。

 少しだけ。

 ほんの少しだけ、その黒い髪を触ってみたいと思った。手を伸ばす。

 しかし触れる直前で、はっと何をしようとしていたかを気づいた。そして、そのまま手の向きを変えて肩を揺さぶった。


「起きろー遥。帰るぞ」

「……んー? あー。やだー。眠いー」

「そんなところで寝ると風邪ひくぞー」

「風邪ー? なにそれ?」

「おう……風邪も通じないのか……ほら、病気になっちゃうから帰るよ」

「……ええと。病気ー? 一回もしたことない―」

「こいつマジか……」


 駄々っ子を家に連れ帰ろうとするのだが当然通じない。きっと危ないからとか言っても聞いてはくれないのだろう。実際、危険は無いのだし。


「遥がいないとリサさんが寂しがるぞー」

「あーリサちゃんさみしがりだもんね」

「そうそう。リサさんのためだと思って」

「わかったー、がんばるー」


 そういいながら、もそもそと動く。ん、と言いながら手を上にあげたので適当にひっぱって上体を起こしてあげた。

 

「ほら。帰るぞ」

「んあー」


 なんだか言葉になっているのだか、なっていないのだかわからない言葉を発している。

 ……よく考えれば、図書館に見向きもしない彼女が映画館には行っているのだ。情報を集めるという意味では読画のほうが効率が良いのかもしれない。最低でもおいしい宇宙食について知らないで済む気がする。


 そうして手を引き外にでる。すると暗くなり始めた空に大きな輝く川が流れていた。——『蝶』だ。


「いつものことだが、これは本当に綺麗だよな」

「そうかな? どのへんが?」


 巨大な天の川のような光る帯が空に浮いている。だが、あれらは星ではない。光を放ちながら飛ぶ蝶だ。その蝶が数万の群をなして、塔の最上部を目指している。初めて見た時は雄大な景色に圧倒されたものだ。


「まあ……遥にはわかんないよ」

「ええーずるいー」


 この世界の物は塔を除いて全てのものが液化の危機にさらされている。あらゆる物体は時間を置くと文字通り水に変わってしまうのだ。なので基本的には人類と塔しかこの世界にはない。


 しかしあの蝶は俺たち以外の唯一の生命体だ。

 謎に光り群生する蝶。

 この世界特有の変な生き物だ。しかし、この未来での数少ない手がかりのひとつなのだから決して無視はできない。

 実は、四日目ほどに蝶を一匹採取して監禁している。塔と同様にありえないほど真っ白の蝶で、ほのかに光っているのが特徴だ。まあ、捕まえた当日の夜はLEDライトのように光っていたため、めちゃくちゃ邪魔だったのだが……。

 捕まえてから水しか飲ませていないのに元気に飛んでいるあたり、きっとこの蝶もただの光る蝶ではないのだろう。

 そのうち同様の個体も捕まえて実験をする必要がある。今は生態系の解明や解剖も視野に入れて調べている。


 そんな不思議な生き物も彼女たちにとっては不思議でも何でもないようだ。リサさんも「なんか光って飛んでるよねー。おかげで夜も明るいから便利ー」とか言っていた。

 いや、街灯の代わりにするなよ……。


「ねーねー帰らないの?」


 蝶の川を眺めていた俺に遥が言う。彼女の瞳は相変わらず外の景色を取り込んでいた。今は蝶の輝きを吸いこみ小さな宇宙のようになっている。

 彼女は自分の光彩など知りもしないのだろう。

 一番近いのにこの景色を知ることができない彼女が不憫でため息が漏れた。

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