八話 『うたかた弐』

 今日は遊園地に行く日だ。

 お母さんにゲームをやめて準備をするように促される。

 この遊園地は弟が行きたいと駄々をこねたのが原因のため気乗りはしなかったが、準備をしないと怒られるのが目に見えているので素直に従った。


 お父さんが何かの機会で買ってくれた国民的ゲームのキャラクターの電気ねずみが書かれたカバンにこぶしくらいの大きさの金平糖を詰めていく。色としてはピンクと青を多めにして、白を少し入れた。ついでに、お母さんにばれない様にゲーム機も奥にしまっておいた。

 弟はまだ準備に時間がかかるようだ。必要以上に大きなクッキーを鞄に入れようと苦戦している。

 半分に折れば入るだろう――と言ってやろうとしたが、また泣かれると困るので代わりに小さなクッキーを二枚持ってきてやった。最初は不服そうな顔をしていたが、味が二種類になることを言ったら、あっさりと小さなクッキーを入れた。単純なやつだ。


 お母さんがこっちへやってきて、まだ準備できていないのかとおこりはじめた。

 俺は弟が悪いと言った。

 ついでに「お母さんが弟の様子を見ないのが悪いんだ」と反論したが、お母さんは「私には私がやることがたくさんあるのよ」と逆にもっとおこってしまった。

 お母さんが準備する鞄にはネジや缶切り、ガラスの瓶にブリキの時計が入っていた。なにに使うかわからないガラクタを集めるのがそんなに忙しいのかと俺は腹を立てた。


 そこでお父さんが遠くから俺たちを呼ぶ。

 どうやら馬の餌付けに成功したようだ。今日はこの馬に乗って遊園地に向かうのだ。馬は三匹しかいなかったが頑張って乗った。弟なんかはぎりぎり馬につかまっていて危なそうだった。


 遊園地は馬で乗っていくとほんの少しのところにあった。

 馬が無くても良いのではないかと思い、「歩いたらどれぐらいなのか」と父に聞くと、「すっごく」とだけ答えられた。きっと遠いのだろう。

 遊園地はそれなりに大きく盛況しているようだった。


 お母さんが鞄からガラクタを取り出し、俺たちに押し付けてくる。

 なぜこんなものが必要なのだと言ったが子供には必要なのだと聞いてくれなかった。俺はもう九九もできるようになったのだから弟と同じ扱いにはしてほしくは無いのだが、話をしても無駄だった。


 遊園地にはいろんな恐竜がいた。

 俺はトリケラトプスが特に好きなので、トリケラトプスの盾を使った滑り台と、トリケラトプスの竜田揚げに夢中になっていた。


 弟は自分から来たいと言っていた割にすみの方でクッキーばかり齧っていた。どうせ幼稚園で遊園地を自慢されたから行きたいと言ってみただけなのだ。仕方ないので竜田揚げを分けてやった。

 うれしそうな顔をしてきたので、少しかまってやろうと思いロボットコーナーへ連れて行ってやった。こいつはロボットがめっぽう好きなのだ。


 ロボットにはしゃぎ、腕をロケットパンチに付け替える弟を見ながら何がこんなに楽しいのかと思った。トリケラトプスの盾に色塗りをしたり、ほとばしる肉汁に舌鼓を打ったりする方が良いに決まっている。

 そう思いながら、竜田揚げと一緒に買ったフライドダイナソーを食べていた。

 でも、暇なのも癪に障るので俺もロケットパンチをつけてみた。

 思いのほか楽しかった。


 一通り楽しんだところに父さんがやってきた。どうやらジェットコースターに乗るようだ。

 アトラクションコーナーに行くように言われたので、俺は腕にはめていたロケットパンチを外して、元の腕を返してもらう。

 弟はロケットパンチをとても気に入ったようで元の腕に戻す気は無いようだった。初めは遊園地のものだから返しなさいと両親と俺で言っていたのだが、様子を見かねたお兄さんに特別にプレゼントしてもらった。

 これがゴネ得か。


 アトラクションコーナーには大きなジェットコースターが一個だけあった。複数のレーンから随時飛び出すようになっているらしい。

 そこには『モササウルス注意‼』と赤い文字で書かれた看板が立っていた。


 ——モササウルス‼

 そうあのモササウルスだ。学校でも気をつけようとならった。

 お父さんにモササウルスがいるなんて怖いと言ったが、気をつけるから大丈夫と言った。

 気をつければモササウルスは襲ってこないことは知っていたが、その日は妙に心が揺さぶられた。弟に助けを求めようとしたが、肘の連結部分を指でいじっているだけで頼りにはなりそうではなかった。お母さんは俺の前の席で眠っていた。


 この時点から俺はどうなるかの結末を知っている。

 何かが俺に疑問を投げかけるががもう遅い。そもそも声なんて出す暇もなかったんだし。


 ジェットコースターは動き出す。せっかくの目玉のアトラクションなのに歓声は上がらなかった。

 それはそうだろう。俺はよく知っている。ジェットコースターを楽しみになんかしていない。

 期待よりも不安が正しく、不安よりも絶望が正しく、絶望よりも失望が正しい。そんな灰色の感情が俺の常連客だ。


 そして、俺の思考がこの世界を浸食していった。

 青空が赤く染まる。それはさっきまで見ていた青空さえも思い出せなくなるような根源的な赤だった。

 雨が降る。

 雨も空の色を反射して赤くなっていた。

 ぽつり、と俺の肌に落ちる。温かい。この温かさには覚えがある。

 その雨の話をしようと思い家族の方を向くが、彼らの顔には大きな洞が空いていた。その洞の中には雨が零れんばかりにたまっている。見るものを不安にさせる深い赤色をしていたが、よく考えると特別騒ぐほどのものとは言えなかった。よくある話だ。


 ——がこん、がこん、と歯車が回って動く。その音のたびに五寸釘を撃ち込まれるような衝撃が頭を襲う。視界が大きくなったり小さくなったりして、時には俺の体が遊園地からはみ出そうになった。

 それでもジェットコースターからは降りることができなかった。


 ——がこん、がこん、と歯車が回ってのぼる。別に不思議なことではない。ジェットコースターなのだから上にいくのだ。しかし、傾斜がついたせいで彼らの顔にたまった雨がゆらゆらと揺れているのが妙に面白かった。中に指をいれて搔き回したくなる。

 ゲラゲラと笑う恐竜が俺のすぐ近くにいた。


 ——がこん、がこん、と歯車が回って最上部へ着く。世界が赤く染まっていた。このゲリラ豪雨のせいだろう。ゲリラ豪雨は赤い空の色をスポイトのように吸い上げて、地面にぶちまけていた。

 どこまでも赤い地平線を見てすべてを理解する。

 だが、もう遅い。


 ——がこん! という大きな音と共に真っ逆さまに落ちた。

 叫ぶ声だ。誰かの絶叫が聞こえる。その絶叫は顔面から液体をまき散らしながらジェットコースターを下る家族から出ているようだ。

 理由は当然、俺にもわかっている。

 なぜならば前から特徴的なシルエットをもった恐竜が迫ってきたからだ。


 モササウルスだ!

 モササウルスがでたのだ。首長竜の首を短くしたようなずんぐりむっくりした姿! 長い尾に鋭くとがった牙! 無機質にきらめく爬虫類特有の瞳と笑っているように大きく開かれた口が特徴的だ!


 モササウルスから逃げるために、頭の無くなったお父さんが腐りかけの腕を振るいハンドルを切る。だが、遅かった。モササウルスは獰猛な口を開きジェットコースターにかみついてしまったのだ。


 お母さんは即死だった。モササウルスにかみつかれたせいで可哀そうなくらいぺしゃんこだった。

 お父さんはわからない。わかることは、頭も腕も千切れていたので随分とバランスが悪くなっていることだけだ。弟はきりもみ回転をしながら窓ガラスを突き破った。

 俺はしたたかに頭の横をぶつけたが奇跡的に無傷だった。だらりと血が流れて目に入るが、ひょっとしたら雨だったのかもしれない。


 周囲から聞こえる絶叫や怒号、頭の痛み、モササウルスの笑い声。

 全部を無視して俺はドアを開けて飛び出した。逃げるためだったかもしれないし、弟を助けるためだったかもしれない。

 反射的な判断ではあったがその判断が良かった。

 背後で飛び切り大きな音が鳴り、全身を巨大な掌で張り手されたような衝撃が襲う。ふわりと嘘みたいに体が浮いて数十メートル飛ばされた。振り返るとジェットコースターがバラバラになっている。そこで初めて、学校でモササウルスが爆発することを習ったことを思い出した。


 吹き飛ばされた先には弟がいた。体にゆがんだガードレールがめり込み、半ばから血があふれている。手には遊園地で無理に貰ったロボットのおもちゃが握られていた。ぐるりと首が回りこちらを見る。否。首が折れただけだ。その瞳は何も映していない。

 口から大きな血の塊を吐く。何かを言おうとしているようだが、ごぼごぼというだけで何も言えない。吐血の合間に死にかけのネズミのような声を出す。弟が言えた言葉はそれだけで、後は呼吸さえもできなくなっていた。

 助けられない、と、わかって……しまった。


 もう間に合わないのだ。

 

 しかたない。

 ……しかたないので俺は弟のことを観察することにした。

 その場で体育座りをする。土色になっていく弟が印象的だった。

 いつの間にかあんなに騒がしかった周りから音が消えていた。それでも。だからこそ。頭の中では家族の叫びが木霊していた。

 ごめんなさいと言おうとしたが何を謝ればよいかわからなかった。何を間違ったかもわからなかった。でも許される気もしなかった。

 しかし、誰かに許してほしかった。


 そうやってずっとずっと。

 彼が死んで、足の先から灰になるのを眺めていた。

 気が付くとまわりには何もなかった。きっとみんな灰になってしまったのだろう。どこまでも赤い空と赤い大地。そんな中で俺は生きていかなければならない。

 頭に染みついた断末魔だけが家族の生きた証だった。

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