五話 海

 彼女が広場からサンドイッチ入りの大きなバスケットをもって帰ってくる。

 単身者向けのこの細い塔では、一定間隔で『3Dプリンター』が設置してあるのだ。

 3Dプリンターは衣食住の全てをプリントアウトしてくれる。

 俺も何度も使っている。流線型のフォルムがなだらかで妙に格好が良い。今着ているセンス0の上下白の服もこれによって成形された。遥のワンピースも、リサさんのYシャツとスラックスもここで作られた。

 広場にも一個あるので、それでバスケットとサンドイッチを出力したのだろう。


 それからはポッドに入り、第四地区に行きたいと告げる。

 外の景色が掃除機で吸い込まれるように黒くなり、次に明るくなった時には第四地区にいた。どんな仕組みで動いてるのか真剣に気になる。


 第四地区はあいかわらず同じような景色だった。

 壁も床も現実感のないほど白くチリの一つもない。

 一切の汚れが無く、昨日に建てられたと言われても信じてしまいそうな白さだ。これで、4000年は建造から経っているのだから笑ってしまう。

 汚れないのではない。汚れがついても水になって消えてしまうのだ。


 地区は下がれば下がるほど低い塔になるが、その分だけ敷地が広くなる。そのおかげか、第四地区の道は第六地区と比べて広いようだ。

 ……塔の高い地区の方が高級住宅街となっていたようだが、どうせ建材が同じで生活水準も3Dプリンターで共通ならば、地区が低い方が住みやすいように感じた。やはり金持ちと煙は高いところが好きなのであろう。


 横で遥は海の歌を歌っていた。

 即興のようで音程や歌詞はばらばらだった。

 俺は海に遊ぶよりも低い地区と高い地区の違いを確かめる気できたのだが、この浮かれ様だとそうもいかなそうだ。


 ——あぁ。この世界のことが知りたいの? んーとねえ、私もよくわかんないなぁ。ええ……。なんでもいい? そっかぁ……君はさては真面目ってやつだな? ……え? そう? いいよ私の酒呑みさえ邪魔しないなら別に好きなだけなんでもしな……。えー……。でもめんどくさいなぁ。ん? お姉さんは確かに遥に比べるといろいろ知ってると思うよ? 曲がりなりにも最後の親世代と話していたわけだし……。ん? お? 博学? 照れるなー。んーそうだね……地区によって多少の違いがあるみたいだからそこから見ていったら? 下から優先で。


 あの呑んだくれはそんなことを言った。

 実際はこれの何十倍も絡んできたし、そもそも話すことが困難だったため会話は苦戦した。

 だがリサさんは遥と違い、大人とかかわっていた時期があるためポロリと重要なことを言うようだ。

 これからも定期的にリサさんの部屋には訪問しないといけない。


 実際、第五地区と第六地区を比べると第五地区の3Dプリンターは作成できるものに違いがあったし、図書館——実際はデータベースを検索するところだ——の内容も多少違った。

 第六地区には料理に関係するデータは無かったが、第五地区には存在するようなマイナーチェンジだ。正直一か所にまとめろという気持ちにもなったが、分割されているのだから仕方がない。


 ――今から午後二時くらいまでは遥と遊んで、

 もうしばらくしたら散策にしよう。

 今の遥は犬だったら、尻尾をちぎれんばかりに振っていたと思う。さすがに海を後回しにするのは危険だ。彼女の思うままについていくことにした。


 そして、しばらく緩やかな坂を下ると広けた場所についた。

 そこにはめいいっぱいの水が溜まっており、遠くまで透き通った水で覆われていた。

 水平線。

 いわゆる海だ。

 そのだだっぴろい海の中からぽつんと何かが突き出ている。きっとあれは3Dプリンターだろう。あれから想像するにここは第六地区のあの広場のようなものだ。透明度の高い水の中にはベンチも見える。建材も真っ白の地面なのだから余計に同じものに見えた。

 ——俺のいた第六地区をそのまま海に沈めたみたいだ。

 ぶわっと鳥肌が立つ。

 ……いずれ浸水をすると第六地区もこうなるのか。急に現実が降ってきた。そう……俺は後一年で死ぬ。


 ——お前の居場所はここなのか?

 しわがれた声。だがタイミングと言葉が悪かった。視界が真っ赤になり逆上しそうになる。

 は?

 居場所。居場所とはなんだ。生まれた場所か? 住んだ場所か? 心を許した……幸せを感じる場所か?

 ぐにゃっと足の関節が溶ける。違う。平衡感覚がずれたんだ。そこで俺は、俺がパニックを起こしかけていることに気がついた。ただ、不思議と体は曲がり切らない。昔はこのまま気を失ったんだっけ? と懐かしく思う。彼女には迷惑をかけたが今は大丈夫のようだ。

 安心しろ。

 深呼吸をする。粘土のようだった体は、そのやわらかさのまま柔軟性の高いゴムになった。上に跳ねて体勢が戻る。大丈夫、俺は正常だ。


 ……はあ。

 まるで悪役のように登場したが、しわがれた声の彼はいつも百パーセント善意だ。俺のとどめを定期的に刺しに来るのはいただけないがいつも感謝している。しかし、ごめんなさい。あまりに澄んだ川に魚は住めないのだ。


「ねーねーお客さん? お客さん聞いてる?」


 遥に声をかけられて顔をむける。首の上しか制御できなかったので多少気持ち悪い動きだったかもしれないが申し訳ない。

 それと別に無視をしていたわけではない。ちゃんと聞いていた。余裕がないだけだ。


「ああ、悪い。少しボケっとしていた。もう一回頼む」

「もー。ここでお客さんをひろったんだよ」


 すでに聞いた話だったが自然な文脈になるように努める。どうやら第四地区のこの広場で俺を拾ったようだ。


「ここで散歩中に?」

「そうそう。おっきな黒いずぶぬれがあってびっくりしたんだよ」


 まるでゴミみたいな言い方で笑ってしまった。確かにその表現は適格だ。

 そもそもこの世界にはゴミが落ちていないのだ。いやゴミどころかゴミですらない品物もない。

 海の中も同様だ。浅瀬は見事なエメラルドグリーンで、遠くは深い紺になっていた。この透明度ならば、水に浮かべた船は空を飛んでるように見えるだろう。

 寸分たがわず伸びる真っ白な塔と、その塔を飲み込む海と空の青。対比としては完璧だ。むしろ他のものはいらなかった。静かでただただ美しい人類の墓標だ。

 そんな中に学生服を着たぬれねずみが浮いていたのだ。

 ゴミだ。

 確かに目に余る。


「それはまあ……でも、拾ってくれてありがとね」

「そう! もっと感謝すべき。すべきだからかまって!」


 彼女の瞳は不思議だ。

 黒色なのだが、外の景色を容易に取り込む。今は浅瀬のエメラルドグリーンを取り込み緑を帯びていた。


「もう毎日遊んでいると思うのだけど……」

「一日に二日は遊んで」

「いや、無理だろ……」

「お客さんは6000年タイムスリップしたのだから、ちょっと時間を戻るくらい楽勝でしょう?」

「暴論がひどすぎる……」


 こんなバカなことを言っている割に外見が美しすぎるのがむかつく。きっと浜辺に流れ着いたのが俺ではなく彼女だとしたら、この景色を壊すことなく溶け込めたのだろう。

 彼女の瞳があらゆる世界のパスポートになるのだ。色を取り込み、容易に姿を変える力がある。俺はただの不法入国者だ。

 そんなことを考えながら遥についていく。どうやらもっと浅瀬のところで波をからかうつもりのようだ。


「よーし。このへんでいいかなー」


 そういいながら着いたのは広場の中でもゆるやかなスロープのあるところだ。

 廃墟が水に沈む姿は大変フォトジェニックなのだが、残念ながら滅びゆく建物独特の建物の傾きは存在しない。塔が余りにも精巧に作られているため崩れないのだ。なので昇るにも降りるにも楽なスロープまで来たのだろう。

 そして彼女は、よーし泳ぐぞーとかバカなことを言いながらワンピースを勢いよぐ脱ぎだした。


 ……は?


 勢いよく脱いだワンピースは床に乱雑に置かれる。

 それは問題ない。どうせこの世界は汚れが無いのだから。ただ、なぜ……こいつは俺の前で服を脱ぎ出し始めちゃっているのだ。

 混乱と疑問に頭がパンクしそうになりながらも目が彼女の体を捕まえて離さない。


 健康的な肢体が太陽に反射する。

 まず、驚くべきはその肌だ。傷が一つもない。

 これは誇張もなく間違いないことだ。マネキンさえも凌駕した完璧な曲面だ。ただ、シリコンのような無機質な硬さは無い。赤ちゃんの肌よりも柔らかく弾力があってしなやかだ。

 そしてその薄い芸術品の下には青い静脈が走っている。そこで初めて彼女が血の通った人間なのだと認識できた。肩から血を舐めるように血管をたどると小ぶりだが形の良い乳房にたどり着く。しかし、残念なことにその全貌は白いブラジャーに覆われて見えなかった。

 頭に血がかあっとのぼる。目は上半身から下半身に視界を変えようとするが、なけなしの理性で顔を覆い叫ぶ。


「いや、ちょっ……え、服。ふ…服、着……え⁉」

「ん? お客さんどうしたの? なんか変だけど?」


 童貞極まれり。

 顔を覆い後ろを向きなよなよする俺。

 堂々とする彼女。

 なんだこれは。らっきー。そうじゃない、え。どういうこと? ちらりと彼女を向く。

 パンツに手をかけていた。


「ちょっと……一回ストップ! マジ待って! 一回だけでいいから!」

「え? 服脱がないと濡れるよ?」

「ああ……! くそ! このアホの子が! さっさと服着ろバカ!」

「……は⁉ いまバカって言った? お客さんに比べたら知らないことだらけだけど私は天才だもん!」

「うわっ! 近寄んな! 服着ろ! 着て? 着てください! だからパンツに手をかけるなあああ‼」


 阿鼻叫喚。

 なんだこれは。ただ言えることは俺は悪くない。悪くないんだから俺をなじる言葉だけはやめてくれ……。

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