四話 順応

 ひどい夢をみた。

 体に染みついた寝汗がその不快さを助長する。夢の内容は比較的ちゃんと覚えてはいるが、起きた時にはどうでもよい。毒にも薬にもならない話だ。


 あの後は、彼女たちに連れられて別の居住区に行った。

 俺がいた部屋は、司という男が昔に使っていた部屋らしい。あんな辺鄙な単身者用の家しかないのが司らしいわよねーというリサさんの言葉が頭に残っている。

 そうして海にむき出しの廊下を渡りながら、小さな広場を抜けて、彼女たちの住む所帯用の居住区についた。

 そこまで距離は無かったと思うが、外の景色のあまりの衝撃によく覚えていない。後日確認をしたが結構近くではあった。


 そして、そこで昼ご飯を食べながら現状の整理をおこなった。ただ、得た情報は信じられないものばかりで理解にはかなりの時間を必要とした。

 いわく、ここは西暦は8032年だと。

 いわく、彼女たちは姉妹ではなく親子だと。

 いわく、彼女たちが地球最後の人類だと。

 いわく、この世界は『液化現象』という脅威にさらされていると。

 いわく、……後一年でこの塔は水に沈むと。

 司さんや他の人は新天地を求めて外に船で外に出たと言っていた。まあ、司さんは多少時期が違うのだが……。そして司さんはリサさんの夫であり、遥の父さんらしい。


 だが……それよりも……。

 あと一年でこの塔が沈むとはなんだ?

 一年。ここの生活は塔がほとんど世話を焼いてくれるので支障はないようだが、塔自体が沈んでは元も子もない。つまりあと一年で死ぬということだ。

 この話を聞いた時の俺はいつもの通り幻聴が聞こえ古傷が痛んだのだが、パニックを起こすことは無かった。というよりも理解が追い付かなかったのだろう。

 私のおかげよ? という幻聴に腹立たしさと申し訳なさを感じた。


 そして彼女たちも相当に驚いていた。

 当然だ。

 向こうから見ると6000年前の平成原人がやってきたのだ。そりゃあ、驚くに決まっている。

 特に遥の食いつきが凄かった。

 暇な時には酒を呑み続けるリサに比べて、遥は非常に文化的のようだ。散歩や『読画』を趣味にしており、『読画』で昔の生活を垣間見てはあこがれていたそうだ。……ああ。読画とはVRのように三次元的に映像を見ること……らしい。そういう特有の単語なのだから仕方ない。

 それと、言語で思い出した。

 どうやら俺が今使っている言語は日本語では無いようだ。話しているときには気づかなかったのだが、文章を見た時に気がついた。全体としては英語に近いがよくわからない。

 だが、このおかげでこの世界特有の言葉を比較的すんなり理解することができた。『塔』、『酒』、『読画』はこの筆頭のものだ。他にもこの世界特有のものはあったのだが、まあ、それは後々に話していくとして……。


「ねえ! ね! お客さん! 今日は何して遊ぶ?」


 この健康優良児を何とかしないとなあ……。

 遥は俺に懐いていた。

 それはもうすごい勢いで。

 こちらに来て一週間ほど経ったわけなのだが、次の日からはこんな感じだったのだから恐ろしい。自然界に出したら五秒で捕食されそうなほど警戒心がない。生まれたてのアヒルも、もう少し親鳥を吟味するだろう。


 まあ、しかし、彼女はある意味生まれたてのアヒルなのかもしれない。いままで他人というものにあったことがないのだ。

 『ケース』から出てから初めの一年ほど司さんがいただけで、他はずっと呑んだくれのリサさんしか見たことがない。それに『基準学習』を受けていたとはいえまだ十三歳なのだ。見た目は俺と同い年だが。


「あー……眠い。まだ9時だろ……。早すぎる。寝る」

「そんなリサちゃんみたいなこと言わないでよ!」


 今だってそうだ。

 あの後も司さんの部屋で生活しているのだが、朝になるとこうやって起こしに来る。

 年頃の男の子の部屋にホイホイ入ってくるんじゃありません! お兄さん困るでしょ! 童貞を舐めるなよ!


 ……単純に男扱いされていないだけだとはわかっている。男扱いというかそもそも性差という概念も無いのだろう。最初はドキドキしたが、四日目ぐらいからはそれなりに慣れた。

 人は不思議なもので慣れると面倒くささすら感じるようになるようだ。

 実際、こっちは調べもので夜更かしをしているから眠たいのだが……とはいっても、遥からすれば基本的に部屋からでないリサさんに比べて俺の方がマシなのだろう。

 かわいい女の子に食い下がられると簡単に折れる俺の軟弱な精神も問題かもしれない。

 ——浮気者という声が聞こえたが努めて無視をした。


「えーわかったから、なんだっけ? じゃあ十時まで布団の中にいさせて? それまでなんか話してあげるから」

「布団から出たくないの? 外の方が気持ちいよ?」

「未来人がこんなにウルトラパワフルな脳筋だとは信じたくない……」


 つまるところ意外と馴染んでしまったのだ。

 今でも調べ物は続けているがかなり難航している。そもそも『チップ』無しで検索するのは、未来人に比べると作業効率が段違いに低い。コツコツと自分の足で探すしかないのだろう。


 そんなことにため息をつきながらも、布団にくるまって過去の世界の話をする。

 固有名詞を避けて話せば思考にノイズが比較的発生しないことがわかったのだ。話す内容は学校だったり、絵本だったり、歴史だったり毎回違う。

 だが、どんな内容でも食いついてほとんど丸暗記するのだから未来人は恐ろしい。リサさんもやろうと思えばできるそうなので、たぶん脳みその構造の問題だ。


 しかし、恵まれた頭脳を持っている割に知っていることは少ないようだ。前に、マッチ売りの少女に食いついてきたのは笑った。どうやら古典的な昔話も6000年も経つと失われてしまうようだ。

 今日はアリとキリギリスの話をしたのだが、そもそも彼女はアリもキリギリスも見たことがなかった。マッチ売りの少女で凍死の概念を理解できたのだから、うまく話が通じるかもと思ったのだが、昆虫のなぜなにを聞かれるうちに、本題は見事宇宙の彼方へ飛んで行った。


 そうやって話をしているとあっという間に十時になった。

 彼女に手を引かれて外に出る。今日も一色の色鉛筆でかけそうなほどきれいな青空と海だった。


「遥。今日は、あっちの方に行きたいんだけどどう?」

「ええと、第四地区の方?」

「そう。海に近いやつ」

「結構沈んでるからねー」


 とりあえず散策をおこなうことにした。

 今、俺たちがいるのは第六地区だ。地区は九個あり、地区が上がるにつれて高い塔になっている。

 『塔』は一本のバカでかい塔があるのではなく、大きな浮島の上に様々な高さの様々な塔が乱立しているようなイメージだ。

 一つの地区に対しても高さの違う塔が無秩序に並び、その塔自体も太いものから細いものが枝分かれしていたりもする。その別々の塔同士が剥き出しの廊下で有機的に繋がっている。

 かなり非規則的だ。それでも多少の規則性があるようで、空から見ると高さの違う塔達が丁度螺旋階段のように並んでいるように見えるらしい。

 もっとも、第三地区まではほぼ沈んで先っちょしか見えないのだが。


 先日は第六地区と第五地区をなんとなく散策した。

 だが、全部を完了したとは言い切れない。そもそも一つの地区が大きすぎるのだ。さらにそこに立つ塔も多すぎる。しかも水没してる範囲も無駄に精密な建造物のために、一部しか浸水していないのだ。全貌を確認するのにはまだまだ時間がかかるのだろう。


「第四地区にはなにかおもしろいものあるのか?」

「ええと……『図書館』とか、『映画館』みたいな……とか……あ。でもそれは別のところにもあるね……。んー。広場で水がたまっていて水遊びできるところあるよ! たぶんまだいい感じ!」

「俺は未来の謎を解き明かせるものが欲しかったんだけどなあ……でも、ありがとなー」


 第四地区は割と簡単に探索できるなかで最も海に近い場所だ。

 彼女に聞いても遊びの話しか出てこないのは知っていたが、多少は残念な気持ちになる。

 未来人はこんなものなんですか……と、なんど思ったことかわからない。完璧に親戚の子供と遊ぶようなノリだ。


「海! 海! うーみー!」

「あまり海にはいかないのか?」

「んーん。そうでもない。よく行くよ。ただ、リサちゃんが特についてきてくれないんだよね。遠いからいやだって」

「あの人らしいなあ」


 妙にはしゃいでいるので聞いてみるとそんな返答があった。一応年長者として敬ってはいるが、リサさんの姿を思い出すとやはり残念な気持ちになる。

 人類最後の人間がアホの子とアル中で良いのだろうか?

 そうして話しているうちに、『ポッド』の前にたどり着いた。中に入ると高速で動いて別の場所まで移動してくれるらしい。何度か使ったことはあるが、慣性の法則とかどうしたんだよという動きをする。もちろん害はない。


「あ。おひるごはん無い。取ってくるから待っててね!」


 そう言うと、遥は広場の方へ走っていった。

 いちいち慌ただしい。

 動きに合わせて肩甲骨までの長さの黒髪やワンピースの裾が揺れる。

 白と黒の兎が飛び跳ねているようだ。麦わら帽子があればテンプレート的な完璧美少女だなとも思ったが、もう少し落ち着きを持ってほしいとも思った。

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